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新古細句銀座通
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新古細句銀座通
岸田劉生
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번역 Pagera AI
원문 Public Domain
Chapter 10 of 16

銀ぶら道中記(四)

二十一、二年前は今の平野屋よりもうちょっと四丁目よりの処に住んでいたことがあった。父の歿後銀座の店の十一番地の方を、救世軍に売った当時住居だけをこの三十間堀に移した。妹が主婦で兄や弟妹達とすんでいた。丁度その当時、山崎洋服店が、塔のついた店を新築して、それがなか/\珍しく、殊にショーウインドウには当時大家の西瓜の切り口を写生した油絵と、娘が琴を弾ずる油絵がかかっていて、非常に評判であった。私は脚気になって、三十間堀の家の二階に寝ていたが、銀座の裏通りの昼間というものは何という、のどかな、下町らしい静けさのあるところであろうと今でも思い出す。「甘い薄荷入りの粟の水あめでござーい」といって売りに来るかと思えば、「こうばしや、かりんとう」といって来る「鋏かみそりとぎほう丁ナイフとぎ」「ざるやあみそこし」などと次から次へとのどかな声を張りあげて、この下町の裏通りを、朝から夕まで通る。秋の日がしずかにあたって、祭日などには国旗がひら/\し、道は黄色く秋の日に照らされて如何にも平和である。こういう感じも震災とともに失われてしまったが、しかし、丹緑堂の前に立って二十年前を考えている中にやはり、三十間堀は三十堀らしい感じが出ているのに気付き出す、土地の色というものは不思議なものである。

さて本通りにもどる。タイガーの二、三軒先に荒井真画堂という、これも額や洋画を売る店がある、この店については私にいろ/\の思い出がある。この店も古い店で私が物心つく時分からあって、洋画のすきな私はよくこの店の前に立ったものである。

私が十歳位の時であったか、この真画堂にアラビア馬の油絵があってそれがほしくてならず、店の番頭さんの今井さんにつれられてそれを買いに行ったところ、当時の値段で、十何円とかいう高価である。今井さん、大いに困って、店の人を語らい、どうしてもほしいという私に、これは店の看板であるから売れないといってもらってようやくなだめ、その向いの尾張町の勧工場というので、小さい碁盤のおもちゃを買って、帰った事がある。その後、第一回の文展に出品された倉田白羊君筆の、どこか裏町に小橋がかかっていて、道に日光がさしているところと、蔭になっているところが実に真に迫ってかけているのが懸かっていたが、もうその時分には私も白馬会へ洋画の稽古に行きはじめていて、この絵にひどく感心し、折にふれては見に行き、どうかしてああいう風にかき度いといろ/\そういう場所を描いてみたものであった。

その他日光で知り合いになった、田淵さんという風来な仙骨を帯びた古い水彩画家の画がよくここの店にあり、その後ここの主人とも知り合いになり、よく田淵さんの噂をしたものだ。その他私がはじめて額縁を買った家もこの家である。先だって火災にあって半焼したそうだが多幸を祈る。

十一屋も古い、佐野屋も古い。佐野屋は、二丁目の海老屋とともに日本で高級足袋を造る数軒の一つである。ここの足袋をはいたらよその足袋ははけないといっても過言にはなるまい。海老屋は今以て手縫いの由、とも角も、福助、つちや等多量生産のあるにもかかわらず上等の足袋を造るこれ等の店が栄えているのは、まだ/\江戸人の気質が残っている証拠で喜ばしいことの一つである。

Chapter 10 of 16
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