Chapter 1 of 14

1 緒言

往時「エタ」と呼ばれておった不幸なる人々は、本来いかなる性質のものか、またいかなる事情からかくの如き気の毒なる境遇に落ちたか。この解決は自分の日本民族史研究上、最も必要なる事項であるのみならず、この人達と一般社会との真の融和を得る上にも、まず以て是非とも知っておかなければならぬ問題であると信ずる。

それについて自分は、「穢多」という同情なき文字の使用に甚だ多くの不愉快を感ずる。「エタ」という名がいかなる由来を有するか、いかなる意義を有するかについては、別項「エタ名義考」中に於いて管見を述べておいた。よしやその意義がいかにもあれ、「穢多」という文字は「エタ」の語を表わすべく用いられた仮字に相違ない。しかしそれが仮字であるにしても、かつて或る迷信の上から、彼らは穢れたものであると認められていた時代ならば、或いはこの字を用いておっても、幾らかその意味があったかもしれぬが、今日肉を喰い皮を扱うことが、必ずしも穢れではない、神明これを忌み給うものでないという諒解が出来た時代にまで、この不愉快の仮字を使用する必要はない。

実を言わば「穢多非人」の称は明治四年に廃せられたので、爾後「エタ」なるものは全く存在しない筈である、したがって自分は、もし出来るならば一切この忌わしい言葉を口にしたくないのである。しかしながら、過去の歴史を説く場合には、どうしてもこれを避ける事が出来ない。自分もやむをえず、不愉快ながら本編以下多くこれを使用しようと思うが、それにしても「穢多」という同情なき文字は、なるべく避けたい。どうでそれが発音をあらわすための仮字である以上、いかなる漢字を使用してもよいのであるから、自分は彼らの将来に天恵多からんことを祝福して、「恵多」という文字を使用したいと思う。しかしそれは余りに見馴れない文字で、過去に所謂「穢多」を表わすべく、読者諸君の理会を得難かろうとの懸念もあれば、しばらくはなるべく片仮名、もしくは平仮名を用うる事にしたい。万やむをえず漢字を用うる場合には、自他共になるべく「恵多」の文字に改めたいと希望する。

本編の目的は、所謂「エタ」が我が日本民族上、いかなる地位にあるものなるかを明らかにせんとするのにある。そして今説明の便宜上、まずその結論を初めに廻して、一言にして自分の所信を言えば、もと「エタ」と呼ばれたものは、現に日本民族と呼ばれているものと、民族上何ら区別あるものではないという事に帰するのである。ただその執っておった職業や、境遇上の問題からして、種々の沿革・変遷を経て、徳川時代の所謂「穢多」なるものが出来上がった。その川の末は「エタ」という大きな流れになっておっても、その水源は必ずしも他の普通民の祖先と、そう違ったものではなかった。その中に運の悪い道筋を取ったものが、彼方の山から、此方の谷から、いろいろと落ち合って、遂に一つの「エタ」という大川になったのである。さればその本流・支流の水源を尋ねたならば、決してそう賤しいものばかりではない。またよしやそれが賤しいと認められていたものであっても、その流れのすべてが後の所謂エタになったのではない。或るものは所謂非人仲間に這入って、つとに解放せられているのもあれば、或るものは非人という階級を経ずして、そのまま普通民になっているのも甚だ多いのみならず、普通民の少からぬ数が、また後からここに落ち合っているのもあるのである。もとエタと呼ばれ、現に特殊部落民として認められているものは、現在北海道と沖縄県とを除いては、殆ど全国到る地方にあると言ってよい。北海道にも現にその筋のものの移住者が無いでもないが、それはつとに解放されて、特殊部落民としては認められておらぬ。また東京の様な入り込みの地方では、既に忘れられているものが甚だ多い。

現在部落民として認められるものは、普通民との数の比較の上から云えば、畿内地方から、兵庫・和歌山・三重・滋賀等、畿内の付近地方が最も濃厚で、岡山・広島等の中国筋から、四国・九州北部という方面がこれにつぎ、関東では埼玉・群馬などに比較的多いが、九州の南部、奥羽の北部など、中央から遠ざかるに従って次第に減少の態となり、青森県では現にただ一部落二百二十四人という数がかぞえられているだけである。

しかしながら、ともかくも彼らはかく広く行き渡っているのであるから、それが同一根源から蕃殖移住したものだとのみは考えにくい。各地に於いてもと起原を異にしたもので、同一状態の下におったものが、後世法令上の「穢多」という同一の残酷な名称の下に、一括せられたのであることは想像しやすいところである。したがって地方によっては、今もなおそれぞれ異った名称を用い、エタという名を知らぬ所すら少くないのである。

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