三 クグツの名義に関する諸説(その二)
今一つ安藤正次君によって、歴史地理三十三巻三号(大正八年三月)に発表せられた新説がある。それは傀儡の二字の朝鮮音から導かれたのであろうというのである。崔世珍の訓蒙字会によると、傀儡の朝鮮語は Koang-tai で、その ng を日本語に移すと、gu になる例であるから、Koang が Kugu となり、ついにクグツになったのであろうと言われるのである。それには我が傀儡子によく似たものを高麗で「広大」と云ったが、その朝鮮音はやはり Koang-tai で、傀儡の音と殆ど同じであるとの事をも援引せられているのである。安藤君は傀儡子は本来支那より朝鮮を経て日本へ来たものであると考えられて、高麗の広大の徒なる揚水尺の一派の、歌舞伎芸を業とし、傀儡の戯を伝えたものが、我が国に流浪し来って、これとともに傀儡すなわち広大の名称をも輸入し来ったものではあるまいかと言われているのである。かくて氏は、我が袋の一種をクグツというのも、揚水尺が柳器を編んで販売するのを業とすることから考えると、朝鮮から来たこれらの徒の製作したものであるから、その製作者の名を取ってこれをクグツと呼び、後にはその様に作られたものを一般的にクグツと呼ぶに至ったのではあるまいか。莎草をクグというのも、かえってクグツから出たのであろうと言っておられるのである。
なお安藤君は、顔氏家訓などに傀儡子を俗に「郭禿」とあるから、その支那音の転訛からだとの仮定説も立ちうるが、それは取らないと言っておられる。
安藤君のこの説はまことに面白い着眼で、ことにその広大との比較は最も力あるものと思われるのである。もし我が傀儡子の起原が支那にあり、或いはそうまででなくとも、朝鮮の広大と同じ流れのものだということが果して信じえらるるならば、これはまことに動かぬ鉄案だと思われるのである。しかしながら傀儡子の起原が果してそう外に求められねばならぬものであろうか。