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「ケット」と「マット」
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「ケット」と「マット」
喜田貞吉
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번역 Pagera AI
원문 Public Domain
Chapter 5 of 5

五 マット狢という事

マット狢と云う語は、ケット部落に近き今も越後、信濃の山間地方において行われ、その語を以てよく真人村の人をからかうそうである。ことに子供らがマット狢と云ってこれを恐れ、眉に唾を付ける風があったなどは最も面白い事実であった。そしてその語の説明に、マットは人を騙すが故だとは、所謂真人村の住民にとっては迷惑千万の次第であるが、ケットに接する人々の間にはかつては、そんな事実があったのであろう。欧洲人が未開人に対し、火薬と詐って葱の種を高価に交換したという話もある。利源を求めて山奥に入り込む程のものが、純樸なる山人を欺いて私利をほしいままにしたという事は、ありうべきところである。去る七月北海道に遊んで、五十年来アイヌ教化に没頭しておらるる英国人バチェラー氏らとともに、長官の午餐に招かれた際の氏の話に、近ごろアイヌがよく人を欺く、これに対して注意を与えると、アイヌは、これはシャモ(和人)の真似をしているのですと答えますと言われた。北海道に入り込んで、アイヌ相手に利益を漁る程のものは、実際純樸なる彼らを欺いて、無価値なものを高価に売り付け、或いは酒を飲ませ酔いに乗じて彼らの宝物を貰って来るなど云う事をしばしば耳にするのである。その後旭川新聞記者近江正一君の書いた「伝説の旭川」を読んでみると、その中に「アイヌの謔は和人の罪」と云う一節があって、

今日でこそアイヌは和人以上の狡猾さを見せて居るが、当時(明治初年)は純朴で、神に近い位であつたといふ。古老の話に依ると、ラムネ瓶の中にあるガラス玉を宝玉と偽つて、焼酎の二三本も飲ませて強く酔はせ、熊の皮や鹿の皮と其ラムネの玉を交換した悪辣なシヤモも少くなかつたさうだ。アイヌも漸次それを知つて、「シヤモはヅルイ奴」と承知し、遂には反つて和人が欺かれる様になつた。彼等を狡猾にしたのは和人の罪であると云つてもよろしい。

とある。所謂マット狢は、明治の北海道にも少からず入り込んだのである。和人必ずしも詐偽漢ではない。しかし夷地に入り込んで利益を求めようとする程のものにはこれが多い。寒心すべき事だ。マット狢の語を聞いて、感慨ことに深からざるをえぬ。

案ずるに我が天孫民族の国家の発展は、「豊葦原の瑞穂国を安国と平けく治ろしめせ」との天津神の依ざしを受けたものだとの、確乎たる信念のもとに行われた。したがって先住民族を虐待し、暴力を以てその国を奪うという様な事はなく、常に徳を以て導き、恩を以て誘い、懐柔手段を以てこれを同化融合せしめんとするにあった。それは歴代の対夷政策の実際を見れば明らかである。またこれを古伝説に徴するも、天孫降臨以来代々国津神の女を妃と択び給うたとある。国津神はすなわち先住民で、その相互の関係は、天津神は父たり、夫たり、国津神は母たり、妻たるの間柄であった。かくてここに我が日本民族は成立したのである。しかしながら、長い年代の間には時に平和手段に破綻を生じ、為に先住民の暴動を惹起して、国家の威力を以てこれを鎮定せねばならぬ場合も少くはなかった。所謂征夷の軍これである。これが為に短見なる史家をして、時としては我が国また掠奪的国家の一つであるかの如く思わしめる事がないではないが、征夷の事の如きは畢竟一時の変態であって、我が対夷政策の本体ではない。しかもこの変態事項を必要とするような破綻の発生は、往々にして所謂マット狢の如き小事から胚胎する。かの宝亀年間における上治郡の大領伊治公呰麻呂の反の如き、その乱遂に延暦の末にまで及び、ようやく坂上田村麻呂の征討によって、これを鎮定するをえた程の大事件であったが、しかもその直接の原因は、呰麻呂の出身がもと夷俘であったが為に、心なき牡鹿郡の大領道島大楯が、常にこれを遇するに夷俘を以てした事を恨んだが為であった。勿論そこに大爆破を見るまでには、他にも幾多のマット狢の類が跳梁した事を見遁してはならぬ。

「ケット」と「マット」、その語は甚だ簡単で、その語るところまた一つの興味ある民間説話というに過ぎないが、しかもその含蓄するところすこぶる大なるものがある。我が日本民族の発展史を攻究するもの、深く思いを致すところがなければならぬ。(昭六、十、九)

●図書カード

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