『にごりえ』
この作、明治二十八年九月の「文藝倶樂部」に載つた。後に、『たけくらべ』とゝもにかの女の代表作として殘つた名作である。
その年の一月の日記に
‥‥となりに酒うる家あり、女子あまた居て客のとぎをする事うたひめのごとく遊びめに似たり、つねに文かき給はれとてわがもとにもて來る、ぬしはいつもかはりてそのかずはかりがたし。
まろびあふはちすの露のたまさかは
誠にそまる色もありつや
‥‥うしろは丸山の岡にてものしづかなれど、前なるまちは物の音つねにたえず、あやしげなる家のみいと多かるをかゝるあたりに長くあらんは、まだ年などのいとわかき身にて、終にそまらぬやうあらじと、しりうごと折々に聞ゆ。
つまごきひンのすの鳴音しかの聲
こゝもうきよのさがの奧也
とあるやうに、かの女の大音寺まへからうつり住んだ丸山福山町は、田圃を埋立てゝ出來た新開町で、附近には「軒に御神燈さげて盛り鹽景氣よく、空壜か何か知らず、銘酒あまた棚の上にならべ」たいふところの銘酒屋あるひはあいまい茶屋が立ちならんでゐたのである。もとめて遊廓のかたはらにさへ住んだかの女である。どうして、あだに、さうした社會に生活する女たちの上をみすごさう。すなはち、たちまちかの女に、この作がえられたのである。
この作出でゝ、かの女の文壇的存在はゆるぎなきものになつた。あらしの如き讃嘆の聲にかの女は一身をつゝまれた。それに對してかの女は、その年の十月の日記の中にかうしるしてゐる。
‥‥おもふもかなしきはやう/\をさな子のさかいをはなれて爭ひしげき世に交る成けり。きのふは何がしの雜誌にかく書れぬ、今日は此大家のしか/″\評せりなど、唯春の花の榮えある名斗うる如くみゆる物から、淺ましきは其そこにひそめる所のさま/″\成けり、わか松、小金井、花圃の三女史が先んずるあれども、おくれて出たる此人をもて女流の一といふをはゞからず、たゝへても猶たゝへつべきは此人の才筆などいふもあり、紫清さりてことし幾百年、とつてかはるべきはそれ君ぞなどいふもあり、あるはとつ國の女文豪がおさなだちに比べ、今世に名高き秀才の際にならべぬ、何事ぞをとゞしの此ころは大音寺前に一文ぐわしならべて乞食を相手に朝夕を暮しつる身也、學は誰れか傳へし文をば又いかにして學ぶべき、草端の一螢よしや一時の光りをはなつとも、空しき名のみ、仇なるこゑのみ、我れに比べて學才のきはなみ/\ならざりしさがのやが末のはかなき事、山田の美妙が數奇の體、あはれあはれ安き世の好みに投じてこの爭ひに立まじる身、いか斗かは淺ましからざらん、されども如何はせん、舟は流れの上にのりぬ、かくれ岩にくだけざらんほどは引もどす事かたかるべきか。
極みなき大海原に出にけり
やらばや小舟波のまに/\
これを以て、かの女の、かの女自身、冷かにとりなしてゐるとのみゝることは出來ない。さすがにつゝみ切れないよろこびが、かの女にこの述懷をさせたのである。