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それからというもの鶴子は私の年少の夢の小さな守護神になった。むらさき色の着物をきて、藤倉の裏をひるがえして、寺の廊下を遠く歩いて去った少女の姿は、私の胸の奥に焚きもののような香を残し、私は彼女を思い見るだけで、もううっとりとなるのであった。そうした現実を離れてものをイメージ化する傾向は私には子供のころから強かったようだ。十位のころに小学校で放課後に鬼ごっこして遊んでいたとき、疲れて草生に仰向きにたおれると、二階の教室からオルガンの音が聞こえて来た。そしてとぎれとぎれに女の児の高い声が。私はそれに吸い込まれてすべてを忘れていた。天国的なものを音で描くと、どうしても私にはその時の印象がよみ返って来る。三十年も後に、築地小劇場で「リリオム」を上演した時、ある貧しい天国的なシーンでオルガンが使われたが、私の心は漂渺と昔の小学校の校庭に返っていた。今でもオルガンの音と天国とは私には切りはなせないのだ。
ひとつには鶴子とは現実に逢う機会がまれにしか与えられなかったせいかも知れない。私は他の少女たちには度々遇って遊びつつも、そして彼女たちも美しくなくはないのに、心はいつも鶴子をあこがれていた。彼女は私には何か祀られるものであった。何かを媒介しなくば直かには触れられないような運命のものであった。
「あんたは一体誰れが好きなの?」
後に種子姉が私に訊いた事があった。
「さあ、誰れか知ら」
と私は面を赤らめもしなかった。
「あてて見ようか。渋谷のすみ子さん?」
「う、うん」
「榊原のいち子さん」
「う、うん」
「じゃあ、解った。仁田の鈴子さんでしょう」
「あれも好きだけれど、ほんとうは違うの」
「誰れだろうね。言って御覧なさい」
「本当はね……ほんとうは岸和の鶴子さん」
私は自分の顔が蒼くなるのを感じた。
「ふうーむ」
と姉は何か感じたらしかったが、「あんたは鶴子さんとはあまり遊んだことないでしょう」
「ええ。殆んどありません。逢うことはあっても」
「あれはおとなしい子だ。病身だからね」
種子姉としては、いつもなら、もっと乗り出して、逢えるようにとり計ってやろうとか、何とか言ってくれる筈なのだが、どういう訳かそうは言わなかった。そして私からもその後も姉に謎をかけたりする気になれなかったのは、どうもこの少女と私との運命が非現実的なものなのだと思わずにいられなかったからだろう。
しかし私は鶴子とまるで逢わなかったのではない。幾度かの思い出はあり、彼女の胸にも、私のおもかげが残っていることは確かである。
千光寺が若葉で美しいころであった。私は長い石段を登って、やわらかい楓に半ば葉がくれたとある円亭で休んでいた。と長屋(街の名)の方からの参道を支那服を着た召使をつれて、登って来たのは鶴子であった。私はハッとした。鶴子も私に気付いて会釈したが、その支那人の召使は気がつかないらしく、同じ円亭にはいって来て、腰かけさせた。鶴子はかなり息切れしていたからだ。
私の様子で私と鶴子とが顔見知りであることを召使は知ったらしく、鶴子と何かささやき合うと、私を見てニッコリした。
目の下には青い帯のような海と若緑の島と、尾道の市街とが横たわっていた。
支那人の召使は日本語で私に話しかけた。
「晴れて、小歌島がよく見えますこと」
「そうですね」
「あの向島の、一等高い尖った山何と申しましたっけ」
「高見山って言うんです」
「そう高見山……お嬢さま、うちの茶園はどこいらにあたりましょう」
鶴子は立って、端に出て来て指さした。「そこに、ほら女学校のポプラが見えるでしょう。あの横のところの、赤土の見える所がそうよ」
私は彼女と並んで立った。
彼の女は明るい色のフランネルを着て、やはりお下げであった。若葉をもれる光りで見ると、いつもの蝋色の頬には血がさしていた。
「※さんのお店はどこいらか知ら」
支那人の召使が私に言った。
「あそこの汽車のガードの少し下の、白っぽい西洋作り見たいな建物がそうです」
と私は答えた。
「ほんとに。屋根の上の、傘を三つつけた広告が見えてますわ」
と鶴子は私に指さした。
私は供の女が支那人なので、鶴子に話しがしかけ易い気がした。
「珠の巖の話は本当でしょうか。西洋人に珠をとられたという――」
「本当の事だとお母さんは言いますわ」
とすぐ向こうの朱塗りの楼門の前にある「珠の巖」を見やった。
「ぴかぴかと海を照したらきれいだったでしょうね」
「ダイヤモンドですね。きっと」
「お琴に行ってますか」
と私はませた訊き方をした。
「ええ」
「僕のくにの姉さんはとても琴が上手ですよ」
「私は駄目。よく休んだりしますから」
とはにかみを見せたが、「※の姉さんはなさいませんの」
「あれは商売一方ですよ」
「ほんとに綺麗な姉さんですわね。わたし一番好きですわ、尾道じゅうで」
私は嬉しくなった。
「カルタ会に来ませんでしたね、あなたは」
「ええあの時は生憎と熱があって」
「すみ子さんもいち子さんも来ましたよ」
「そうですってね。後でお聞きしました」
彼女は淋しそうな表情をした。
姉さんの所へ遊びにいらっしゃいと言いたいのだが、どうしても言えなかった。
「奥って、どんな所ですの?」
「庄原と言って、山の中の淋しいところですよ」
「庄原? あの荷車のたくさん出るところですか」
私は苦笑した。長屋の通りには毎朝未明から、馬の曳く荷車が奥からコトコトと一杯出て来るのであった。
「ええ。馬どころではありません。夜になると狐がコンコン啼きますよ」
「まあ」
と彼女は初めて笑った。きれいな歯なみだった。
それから二言、三言話したが、召使の女はついでに本堂にお参り致しましょうと言って、鶴子と円亭を出た。一緒について行くわけにも行かなかった。
しかしそれとなく後から行って、獅子の背に乗っかったり、鐘を鳴らしたりして、彼女たちと附かず、はなれぬような風にしたが、鶴子の方でも終始私を意識している気がした。
それから毎日つづけて私は千光寺へ登った。どうも彼女が来るような気がして。しかし五、六日目に本当に彼女は来た。しかも今度は一人で、雨あがりの若葉の路を蛇の目傘を持って。私は不思議な気がした。
私たちは会釈して互いに近づき、申し合わしたように、この前の円亭の方へ並んで歩いた。
私たちは何のために来たものか問おうともせず、並んで腰かけていた。楓の若葉はまだ雨に濡れていた。
「時々ここへいらっしゃるの?」
「ええ。時々」
二人は別に話す事と言ってはなかった。しかしそんな事はどうでもよかった。
そのころ児島丸という美しい連絡船が尾道と多度津との間を往復していたが、その船がちょうど目の下の海を通ったので、私は自ずと琴平詣りのことを連想した。
「こんぴら参りした事がありますか」
「ええ。いく度も。お母さんは高松から来てらっしゃるんですから」
「やはりあの船で」
「二度ほどあれに乗りました」
児島丸の事務長の福井という人は※の店の常客で、姉などとからかい合ったりするほど懇意な間なので、私は他所の船のような気がせぬのであった。
「酔いませんか」
「すぐに酔いますのよ」
と彼女は美しい眉を寄せた。その様子はいかにもデリケートな、華奢な、弱々しい生れを思わせた。
「酔いさえせねば船は愉快ですがね」
「宮島だとすぐ向こうだからいいわ。景色もこんぴらよりいいし、鹿が可愛いわね」
「餌をやるとついて来ますね」
「廻廊もきれいだし、紅葉谷もいいし……」
と何か彼女は思い出しているように見えた。
「み仙しましたか」
「う、うん、山は駄目」
と彼の女は思いも寄らぬという風に首を振った。私は何か胸を衝かれた。
「体が弱くちゃいけませんね」
「あたしもう遠くへは行かないの。お父さんもそう言ったわ、お舟も酔うし――茶園でお琴を弾いたり、本を読んだりして暮せって」
「小説を読みますか」
「読みますわ、少しは」
「金色夜叉や、不如帰読みましたか」
「ええ」
それから小説の話をしたが、本当はあまり小説を読んではいけないと、とめられているらしかった。
私たちは円亭を出て、形ばかりにお参りして別れ道の所まで一緒に歩いて別れた。
帰っても私の胸は何かときめいていた。姉にも千光寺で逢ったことは言わなかった。
がそれから暫らく彼女に逢えなかった。家へも茶園へも遊びに行くわけにもゆかなかった。
が夏に入ると鴈治郎が来て偕楽座に芝居がかかった。浜吉という尾道一の茶屋の先代の追善興行というので、一座は所の習いに随って「町まわり」をした。尾道の通りは極く狭いので、一座の俥がずらりと並ぶと、見物の人だかりで街は一杯になるのであった。私は千光寺路から長屋の通りに出て見ると、ちょうど行列はとまって、口上を言っている所であった。と人だかりの後ろに私は彼女を見つけた。近づくと彼女も私を知ってニッコリと会釈した。例の支那人の召使がついていたし、人ごみで話は出来なかったので、なげかけるように、
「見に行きますか」
「ええ。行きます。明日、お母さんと」
「僕も行きます。姉さんと」
二人はうなずき合った。やがて俥の列は賑やかな囃につれて動き出し、私たちは人波にへだてられた。
翌る日の夕方、まだ昼の光の流れている偕楽座の平土間に私は伯母と姉と三人並んで鴈治郎の芝居を見ていた。芸題は黒田騒動と紙治と妹背山であった。私は座るとこから鶴子たちの席を探していた。二幕目ごろに鶴子たちは出孫(方言、突き出した桟敷)へ来た。直ぐに解った。彼女は今日は珍しく桃割れに結って、やはり日本風に丸髷にあげた母親につれられていた。彼の女たちが坐るとちょうどパッと堤燈に灯が入った。舞台では芝雀(後の雀右衛門)のお秀の方が若侍の刺客毛谷主水を色に誘っている所であった。彼女は暫らく舞台に引き入れられているようであった。がやがて直ぐに私たちの席を見つけた。そして母親にささやくと、母親は伯母や、姉の方を向いて、会釈した。双方の席は言葉をかけ合うには離れ過ぎていた。
「出孫」には新地の芸者や雛妓たちが大勢来ていた。暑さの頃なので一せいに扇を動かすのが華やかに見える。しかし、私には鶴子一人しか目には留らなかった。彼女は白っぽい浴衣を着て、斜に坐り、何というものか非常に高貴な感じのする帯を〆めて、時々つつましく扇を動かしていた。私の憧憬は彼女に集まって高められていた。
私の席はそんなに後ろではなかったが、私は姉の眼鏡を使って、時々役者の顔を見た。そして時々そっとそれを鶴子の方へ向けるのを抑えることが出来なかった。
彼女の笑ってる顔が大きく映ったりした。
が紅葉の間の立ちまわりはしかしさすがに私を緊張させた。私はすべてを忘れて引き入れられていた。黒田騒動が終ると観客は廊下に流れ出た。私たちは鶴子たちと出合って挨拶した。
「成駒家はいつ見てもきびきびしてますことね」
私の伯母が言った。
「福助(後の梅玉)はいいワキ役ですね。あの忠臣の人柄なことと言ったら」
これは鶴子の母親の意見であった。
「芝雀もいいけれど成太郎(後の魁車)がいいわ。とても艶っぽくて、油があって」
種子姉はそういう説であった。
「僕は玉七が素晴らしいと思うな。今日の主水は第一の出来だと思う」
生意気なことを言う子だと、ほほ笑みながらも、姉たちはそれを肯定した。
鶴子は何の批評もしなかった。恐らく彼女は芝居の芸題などよくは知らなかったのであろう。
私たちは同じテーブルを囲んで腰かけた。姉はアイスクリームを注文した。これが私がアイスクリームというものを食べた初めであった。
紙治が始まったので私たちは席に返った。私は父の語る浄瑠璃でなじみなのだが、舞台で鴈治郎のを見て美と恋の幻影に憑かれてしまった。私は廊下に出た時には酔ったようになっていた。私は鶴子がはばかりに立ったのを見て、後を追うた。そして彼女が鏡に向かって顔を直している時に、耳元に素早くささやいた。
「明日千光寺へいらっしゃらない?」
が私は返事を聞く勇気は持たなかった。そう言って置いて、彼女の顔も見ずに席へ返ってしまった。胸がドキドキして、落付いて見られなかった。
妹背山では鴈治郎のお三輪は無白であった。あのしゃがれ声を避けるためだったのであろう。あの年寄りがきれいになるものだとは驚いても、どうも不安で、美感がさまたげられた。
芝居がはねて家へ帰ってからも、寝床の中で私は姉と長く話した。姉が疲れて寝入っても私はまだ寝つかれなかった。芝居の後味と鶴子の幻影とがひとつにもつれ合って、なやまされた。
「彼女に聞えたのだろうか。聞えたにしても来るだろうか?」
彼女はわりに平気な顔していたようだった。別れしなに、チラと私を見た時の顔は飲み込んでいるのではあるまいか。少なくとも怒っていないことだけは確かだ……
そんなことを色々とくり返して暁を迎えてしまった。
来るにしても朝来るような事はないと思っても、心配で朝から千光寺へ行って見た。だが彼女は来なかった。午後に又いつもの円亭へ行って見た。長く待っても彼女は来なかった。円亭の傍には百日紅が咲いて、燕が飛んでいた。私は淋しくなって帰ろうと思った。
と日傘で顔をかくして彼の女が登って来た。彼女は日傘をたたむと息苦しそうに側に腰かけた。
「有り難う」
と私は言って面を赤らめた。
二人とも真面に見合わずにしばらく黙っていた。
「またお芝居へ行きますか」
と私は沈黙を破った。
「もう行きません。先生にとめられましたもの」
「夜ふかしになりますね」
と私は彼女の顔を見た。蚕のような顔色が頬のところだけ赤みがさしていた。
「熱がありますの」
と彼女は両手を頬にあてた。「一寸来ましたの。直ぐに帰らなくては」
「それはいけません。すぐお帰んなさい」
「これあげましょう」
と彼女はとき色のハンカチで包んだ小形のものをくれた。
「ありがとう」
私が受取ると、彼の女は赤くなって、「さようなら」と言い捨てたまま、日傘をとると、逃げるように坂を下りて行った。
私は坂の上に立って見送った。曲り角で一度振り向いたがそのまま行ってしまった。
私は胸をおどらせつつそのハンカチを開けて見た。美しい錦襴で張った小さな名刺入のようなものであった。いい薫りがこめてあったが、中には何も入ってなかった。私は後になって、彼女の小さな写真をこの中に挟んで置きたかったが、願いは空しかった。
これが、私が彼女を見た最後となったのだ。
私は程なく彼女が喀血したという事を姉から聞いた。
私は心配したが見舞いに行く事は出来なかった。彼女の迷惑を恐れて、手紙もあげられなかった。
しかし堪え切れなくなって、無名で見舞いの絵葉書を出した。が返事は来なかった。
私は胸につかえるので、姉に鶴子と二、三度逢ったことを話すと、
「鶴子さんは肺病だからねえ。外の事なら何とかしてあげるけれど、もう遊ばない方がいいと思うわ」
と気の毒そうに言った。姉にして見れば二、三度物を言い合った位の極く淡いことをとり上げる気になれないのは当然であった。それに肺病はそのころはかなり恐れられていた。
その後私は彼女が遠くの或るサナトリウムに行ったということを聞いた。
彼の女から便りも無かったし、私も手紙もあげられなかった。
考えて見れば言葉を交わしたのも、三、四回、目に見たのも十度を超えない。淡い淡い思い出だ。それでも年少の胸には深く深く残った。
しかし尾道での少女の思い出はこれだけだったのではない。もっと楽しい、軽い、そしてもう幾分性の好奇の芽ばえのあるような思い出も色々あった。たましいの深みを揺がさない程度の、アンゲネームな美の経験というものは詩人的素質の少年にはかなり拡がりを持ち得るものである。
渋谷すみ子という少女は、尾道風の町娘で私と同い年であった。彼女はめりんすばかり専門に売る反物屋の娘であった。彼女はひどい尾道なまりをむき出しに使い、おはねなのが魅力があった。しかしそれでも下品なところは少しも無かった。大てい日本髷に結って、いつ見ても、明るく快活だった。
私はこの少女とは鶴子の場合と違って、受身であり、私の方から心を悩ますような事はなかった。
この子の母と伯母とは三味線の友達であった。もっとも地唄の方であった。が、すみ子は面倒臭がって、稽古事はしなかった。その代り彼女は料理と裁縫とが得意であった。※の山行き(野宴のこと)の時には板前の方を手伝った。そして私は或る家の葬式の時に、彼女がいろを縫ってる殊勝な姿を見た。
がこの少女は私を好きだと言うことをあからさまに女友達に語った。
「うちは※の姉さんの弟さんが好きじゃけ」と言った風に。それで私はよくからかわれた。
「そら、めりんす屋のすみちゃんが歩いてるよ」
と従兄は私が店に出ていると肱でつついた。「きっとはいって来るよ」
厚化粧の彼女がショウ・ウインドの前に立ち止ると、
「まあ、おはいり」
と大阪風に店の者が声をかける。すると彼女は景気よくはいって来て、腰かける。ぷんと白粉の香がする位だ。
傍の者に照れくさいので、私が本を読んでると、
「よう勉強してじゃがのう、うちらすぐ頭が痛うなるけえどな」
「勉強じゃありませんよ、別に」
と私は本を閉じて、火鉢のかげにかくす。
「兄さん、天勝の奇術見に行ってじゃった?」
「まだ行きません。忙しかったのでね」
従兄がこう言うと、
「行って御ろうじ。とてもおもしろかれやん。水芸なんかほんまに不思議じゃけえ」
そこへ伯母が出て来て、
「おかかんと行ったの?」
「ええ」
「行って御覧よ」
と伯母は姉と私をかえり見た。
「行こうかな、百三さん」
「ええ、行きましょう」
「うち、もう一ぺん行くわ」
「へたら一緒に桟敷とろがよかれやん」
と伯母が言った。その頃の尾道ではまだ桟敷番が常連の家へは売ってまわった。
「うち、うれしいわ」
とすみ子はいかにも嬉しそうに胸を抱いた。
「またすみちゃんが一生懸命おめかしして行くんじゃんしょう」
伯母がからかった。
「知りゃんせん」
とすみ子はすねて見せた。
「黒い、たくさんの髪じゃがのう」
姉は感心したように言った。
「まめだからね。あんた臥ることなんかないだろう」
「お薬飲んだことないけえ、でもコロダイン飲んだわ。おいしいもん、お腹が痛うないのに痛いいうて、父さんばかして飲んだわ」
皆笑った。
が私は鶴子と比べて考えていた。どうしてこんなに違うのだろうと思った。鶴子の頬は貝色してるのにすみ子のは、桃のような色をしているのだ。
「また来やんす」
と彼女は立ち上った。
「おかかんにね、今度のおさらいはお師匠さんが他行ゆえ延ばしますって」
「はい。そう言やんしょう」
それから二、三日して、私たちはすみ子も一緒に岩井座に天勝の奇術を見に行った。
すみ子は真赤な帯を胸高に〆めて、何かキラキラする簪をさしていた。私と並んで坐って、前に見て知っているので、番組をひろげては得意そうに色々と説明した。私は知識慾が強く、何でも知ろうとしていたので、熱心に奇術を見た。そして芝居とはまた違った愉快な、好奇的な、活々とした雰囲気を感じて引き入れられた。
私は世界は実に広いものだと思った。どんな美、どんな神秘があるか解らないものだ、色んなことを知って勉強しなければならぬと思った。私は奇術使いなどと内心軽蔑していたが、舞台に立った天勝にはさすがに世界の舞台を股にして来た気魄があって、下卑た感じはなかった。多少の芸人らしい自卑感はわざとくだけた感じにカムフラージして、独特な粋な感じにこなされていた。私は彼女が、「お客様」「お客様」と観客に呼びかけるのをおもしろいと思った。又「花の当所の御ひいきを」というような唄を、奇術の伴奏に使ってるのに愛を感じた。私はひとつのしょうばいと結びついた、気分上の洗練というものの力に、初めて目をひらいた。家の種子姉などにもそれがあるのだなと思った。こんなのは学校の教科書では習うことの出来ないものだ。へんなことが人生にはあるものだと思った。
「拝借致しましたるお客様のお帽子、何かひと品とりだして御覧に入れます」
テーブルの上に載っけた帽子を魔法使の杖のようなもので軽くたたくと、鳩がパタパタと飛び立った。観客は喝采した。
「今度は兎ちゃん。白兎が出るのよ」
とすみ子がしゃべった。
「駄目、黙ってらっしゃい。言ってしまっちゃ駄目よ」
これも息を飲んでる姉が言った。
が出て来たのは白兎ではなかった。真黒な、目のギラギラする猫であった。
「今日は違うわ」
とすみ子は言った。が私の目を惹いたのはその瞬間横のビロードのカーテンの蔭から出て来て、その黒猫を抱いて一寸洋服の裾をつまんで観客にしなをして引っ込んだ洋服の少女であった。
「今の何というの?」
「天花――天勝の娘じゃそうな」
すみ子が教えた。私は番組を見て、彼女の又出て来るのを待った。
程なく天花が出た。彼女はばら色の洋装して片手に大きな時計の盤を持ってあらわれた。彼女の芸は客に勝手に時間を言わせて、クルクル針を廻わすと、ちょうどその位置に針がとまるのであった。
客はめいめい時間を言った。果してキチンとその位置にとまった。喝采が起った。
「はい。どなた様か、もう一人」
「百三さん言ったがええ」
と姉は言った。
「六時二十三分」
と私はむつかしく出た。
「はい」
と天花は笑いながら私の方を見て、ひよいと頭を下げて、
「お客さまのおのぞみは六時二十三分でございます。さあ、行きましょう」
と針をまわした。針は間違いなく六時二十三分に止った。
喝采の中に彼女は愛らしく裾をつまんで、一揖して退いた。
私はますます彼女に引きつけられた。彼女の出るのが待たれた。彼女は幾度も出た。鏡の中から蝶になって出て来たり、ピストルを打って花道から出たりした。
中にも私がチャームされたのは水芸の始まる前のアトラクションのような形で、ピエロを対手におどって見せたダンスであった。私はそうした洋装になり切って、西洋のダンスをおどるような少女を初めて見たのであった。
私の未知の美への好奇はひどく動いた。彼女は幕合に、他の二、三人のやはり洋装した少女たちと露わな腕に花籠を持って観客の間を絵葉書や、花や、サイン入りのプロマイドなど売って歩いた。私たちの直ぐ側を彼女は通った。十四か十五――十六にはまだなるまいと思われるほんの少女であった。
姉は花とプロマイドを買った。
私は天花に心をとられて、すみ子のことを忘れていた。すみ子はそれでも幸福そうにしていた。彼女はおぼろずしをお皿によそって私たちにすすめたり、水菓子をむいたりして世話を焼いた。手際よく、自然に見えた。ピエロが滑稽な真似をすると、彼女はお腹を押えて笑った。
桟敷にはお雛妓など沢山来ていたが、私はすみ子が同じ日本風でも彼女たちとはハッキリ違った型であることを見分けた、すみ子は町娘であった。それには色っぽくても、水稼業に通じるものではなく、家庭に――台所につながるものであった。そう思って私は彼女を可憐な気がした。水稼業の女に私にはあこがれの対象はなかった。
すみ子は芸を見ている最中にも、幾度となく化粧を直した。彼女には芸の巧拙などは付け足りにすぎなかったのだろう。美しい桟敷に咲きこぼれたひとつの花として自分を見出し得ればよかったのであろう。
家に帰ってからも天花のことが胸に残った。ああいう少女と遊べたらと思った。これきり彼女たちは旅立ってしまい、もういつまた彼女を見られるかも知れないのだと思うと、私は淋しく、悲しかった。辛いことだと思った。当分彼女のプロマイドが私の机の側に置いてあった。がその後三十年の今日まで、私はいく度もそのかみの天花を思い出したが、とうとう一度も彼女を見た事はない……。
こうしたわけですみ子とは逢う機会は幾らでもあった。美しいと思い、憎からずも思ったが、あこがれの心が高まらなかったのは、遇い易かったのと、受け身だったせいであろう。
そうは言っても純情なすみ子は揚葉の蝶のようなその厚ぼったい愛の翅で、年少の私の多感の心を掩いつくそうとするような時もあった。
小歌島に桃の咲くころ※では親類や、懇意先や、得意客など招いて花見の宴を張った。私たちは小船を島に乗りつけると、桃林の中に毛布や、茣蓙を敷いて、ひょうたんの酒を汲み交わした。
瀬戸内海の春の濃い螺※の島々を霞に眠らして、人の心もとけ勝ちであった。
児島丸の事務長の福井さんは、元はそれ者だったというその夫人に弾かせて「我もの」などをおどった。伯母や、すみ子の母たちが今日を晴れと弾いたり、歌ったりしたのは勿論だ。男の客たちはそれぞれおハコを出して浮かれ騒いだ。皆酔った。酔うと新地から芸者を呼ばねばおさまらなかった。が姉も、すみ子もこんな時少しも芸が無かった。私も皆にすすめられて沢山飲んだ。
「あんたいけるね」
と福井さんがしきりにすすめた。
「弟にはあまり飲ませないで下さい」
「大丈夫だよ、定さん(従兄)とは違うからな」
定吉兄は真赤に酔って、「風に吹かれているわいな」とお軽のセリフを、いつものおハコを出しながら、上機嫌であった。この人は酔うほど好人物になった。
「飲め飲め。構わん、百さん、今日はやれ」
私はうまくもないのにガブガブ飲んだ。
「止めたがええ。そんなにガブ飲みしたら、からだに悪かれやんが」
すみ子がとめた。
「いよう貞女だな」
と従兄はからかった。「すみちゃん弟の看護はあんたにたのみまっせ」
皆どッと笑った。
すみ子は真赤になったが、まけてはいなかった。
「おおきに、たのまれんでもしやんが、兄さんこそそんなに金時見たいに酔って、姉さんにきらわれんようにな」
「おやおや」
「やられたな、定さん」
皆笑った。
従兄はおもしろがって、「すみちゃん、あんた弟にちょいとほの字やな」
と言ったがすぐ芝居のセリフになって「とりもってたもとおっしゃるなら、勝頼さまではなけれども、あんたの店のめりんすみんな、それが盗んでもらいたい……」
皆どッと吹き出した。
「兄さんには往生しやんした」
とすみ子は逃げて行った。
尾道の宴会と言えば大阪の商人趣味で、あまり上品なものではなかった。芸者がまた「かっぽれ」をやり出さないうちにと私は酔って苦しくもあるし、座をぬけ出て、裏の海ばたで風に吹かれていた。と急に胸が悪くなって、げえッと戻して来た。もがいていると、後ろから背を抑えてくれるものがあった。
「苦しいえ。どうえ」
すみ子の声であった。
「大丈夫。何でもないんです」
と言ったが、頭がぐらぐらした。
「苦しいんじゃんしょう。花陰亭へ行きゃんしょう。誰もおりゃんせん」
すみ子は私を借り切ってある茶屋へ連れて行った。道具が狼藉としてるだけで誰れもいなかった。私はひっそりした部屋に横になった。すみ子は押入れから蒲団を出してかけてくれた。
私はこんな部屋にすみ子と二人きりいるのが気が咎めた。
「もう大丈夫。一寸休めばなおるから」
「冷やしゃんしょうか」
「いや、ありがとう。それ程でもありません」
彼女は行きそうもないので、
「あっちへ行ってよ、おかしいから」
すみ子は淋しそうにした。
「じゃあ、おやすみなさい。後ゆっくりと」
彼女は襖を〆めて去った。
私はうとうととつい睡ってしまった。目をさますとはばかりに行きたくなった。襖をあけるとちゃんとすみ子は坐っていた。私はおどろいた。それからはばかりから出ると、彼女はちゃんと廊下に待っていて手水鉢の水をひしゃくでかけて呉れた。そして手拭がひどく汚れているのを見ると自分の桃色のハンケチで私の両手を蔽うてしまった。
私は初めてそんな目に遇って心が揺いだ。部屋に帰ると、下腹が痛いので又寝ころんだ。
「苦しいんじゃんしょう」
「少し腹が痛いの。でもすぐ直ります」
彼女は仁丹入れから四、五粒出して飲ませてくれた。
その儘じっと枕下に坐っていた。
「こうしてると可笑しいがなあ」
と私は言った。と何かの爆発するような声が聞えた。
「看病させてつかあさいな」
その声は純情と哀願とに充ちていて、私は抵抗出来なかった。私は深く動かされた。私はそのまま目を閉じて、彼女のするにまかせた。
桃林ではまだ三味の音、歌うぞめがきこえていた。
それ以来私はすみ子には愛と親味の何ものかを感じていた。もとよりそれは客観的には、少年と少女との愛の手習いのような、淡いものであったろう。しかし私の女性への観照と感覚とはこうしたことから育って行ったのであった。
しかし恋愛は運命だ。すみ子への愛はそれでも憧憬にはならなかった。可愛いものであって、鶴子のようにたましいをなやますものには高まらなかった。私はすみ子には幼いころ見た絵草紙から脱け出た娘が、父の浄瑠璃の中の世話物がかった娘に対するように、その美と情緒とに受身になって流れて行くよりなかった。すみ子の方ではしかしそれでは物足りないらしかった。一見快活で、おはねに見える彼女にももっと深いたましいの要求と飢えとがあったのだ。
天神祭と言えば、夏祭りの多い尾道でも有名な祭りであるが、その夜に私は天神山の裏でばったりすみ子に逢った。すみ子はいつものように派手に装いしていたが、どことなく疲れが見えた。そして口数が少なかった。
「あたしの手紙読んでくれちゃった?」
「ええ、読みました」
「姉さんに見せたでしょ」
「見せるもんですか」
彼女は暫らく、黙っていたが、突然に、
「うち病気になりそうじゃけ」
と言った。見ると彼女はすすり泣いていた。
私はどう言っていいか解らなかった。
「返事あげたかったけど、へんだったから」
「そのことじゃなかれゃん」
「僕すみちゃんが大好きなんだけれど、毎日遊びに店へ来ない?」
「だってきまりが悪いもん」
「構やしないや。みんなすみちゃん好きなんだもの」
「うち門通ったら呼んでつかあさいな」
「通るかと思って、僕出てるんだけれど」
こう言いながらも、私は子供心に引きずられてるような不自然さを感じるのであった。
「あああ、うち何や知らんつまんない」
「どうしてね」
「何や知らんけれど」
「おかしいな。しょっちゅう遇っているくせに。ボートに乗りに行かない。月がいいから」
「ええ。連れてって」
と彼女は少し元気づいた。二人はそれから浜へ出て、貸ボート屋から、ボートで海へ出た。
彼女は舵をとった。
月の港は美しかった。はろばろと涼風が吹いて来た。潮の向きに迷って、大分久しく漕いでから私はオールを流した。晴れた空には千光寺山が黒く影立ち、三重の塔もそれと知れた。
私は遇い難い鶴子の事を思っていた。
「金波銀波がきれいじゃがのう」
と少しはなれて行き違った天満船の、波のうねりを見てすみ子が言った。
私は苦笑した。こうした事ではすみ子は平凡な事きり言えないのだ。でも私は気にもしなかった。
「向島へあがって見やんせん?」
「あがって見ようか」
私はボートを岸につけた。岸には人影もなく、月見草が咲いて、荒れていた。材木の上に二人は腰かけた。虫が啼いていた。海藻の香がして不安であった。
「いつまで尾道へ居てん?」
「秋からは三次へ帰らねばならんでしょう」
「へたらもう逢えやせんの?」
「近いから幾らでも来られますよ」
「帰しともなや」
と彼女は言った。そして私に身をすりつけると、
「うち、好きじゃけ」ときつく私の手を握って、そして身もだえするような恰好をした。
何か異常な、激しい感覚が彼女の中に動いてるのが感じられた。
彼女は私に身をもたせて、うなじを垂れた。私は反射的に彼女の肩に手をかけたが、しかし私の内には彼女のに応じる程の肉体的なものがまだ目ざめていなかった。感情がませてるほど、肉体は発育していなかった。同じ年でも身体の人なみすぐれて丈夫な彼女には、どうも大人に近いものが目ざめていて、それが彼女の物足りなさをつくったのではないかと思うのだ。