Chapter 1 of 7

革命といふ言葉は、今では、被壓制者の唇にも、また所有者の唇にすらも、屡々上る。既にもう、時々、近い將來の變動の最初の顫えが感ぜられる。そして、大なる變動や變化の近づいて來る時にはいつもさうであるが、現制度の不平者は――その不平がどんなに小さくてもいゝ――嘗ては實に危險であつた革命家といふ肩書を爭つて自分につける。彼等は現制度を見限つて、何等かの新制度を試みようとする。それで彼等には十分なのだ。

あらゆる色合の不平家の群が、かうして活動家の列の中に流れこむことは、勿論革命的形勢の力を創り、革命を不可避にする。多少でもいはゆる輿論に支持されてゐれば、宮殿や議會の中でのちよつとした陰謀でも政權を變へ、また時としては政府の形式をすらも變へることが出來る。

しかし革命は、それが經濟組織にもある變化を及ぼさうといふには、多數の意思の協力が要る。幾百萬の人の多少活溌な支持と協力とがなければ、革命は到底不可能である。到る所に、どこの村にも、過去の取壞しに從事する人がゐなければ駄目だ。そして他の幾百萬の人は何かもつといゝことが起るといふ望みの下に默つてやらしてゐなければ駄目だ。

大きな事變の前夜に起つて來る、ぼんやりした、曖昧な、そして多くは無意識的なこの不平があり、現制度に對する不信用があつて、それで始めて本當の革命家が廣大無邊の勤め、即ち幾世紀かの存在によつて神聖なものとされて來た諸制度を數年間にもつくりかへる勤めを成就することが出來るのである。

しかし又、これが多くの革命が、その上に乘り上げて、そして倒れた暗礁なのである。

革命が來て日常生活のきまつた順序がひつくりかへされた時。一切の善惡の情熱が自由に爆發して眞畫間にさらけ出された時。失神のそばに非常な熱誠を見、臆病のそばに勇敢を見、つまらぬ反感や個人的陰謀のそばに非常な自己犧牲を見る時。過去の諸制度が倒れて、新しい制度が相續く變化の中にぼんやりと描き出された時。その時に、さきに自ら革命家と名のつたものの大多數は、秩序の守護者の列の中に急いで走つて行く。

街の騷ぎや、試みられる諸制度の不安定や、明日の不安やは、もう彼等を疲らせたのだ。彼等は、一方に既に成就された些細な變化が暴風の中に滅んでしまふのを恐れる。そしてまた彼等は、經濟制度のごく小さな變化も、既にその社會の一切の政治的概念の深い變化を必要とし、そしてごく小さな政治上の變革も、經濟界でのもつと大きな變化を經なければ行はれない、といふことが分らない。

そして彼等は、反革命の來るのを見て、急いでそれと一致しようとする。民衆の情熱や、また時としては無遠慮なその表現は、彼等に厭がられる。やがて彼等はもう革命にあきる。そして休息や緩和を促すものの中に走つて行く。

過去がその最も熱心な守護者を集めるのは彼等の間である。彼等はその過去の一部分、勿論それは何んでもないものであるが、それを犧牲にしただけ、それだけ熱心な過去の守護者になる。彼等はもつと遠くへ引きずつて行かうとするものを憎む。

そして彼等は、革命的のいろんな手段をその手に握つてゐるところから、それを過去のお役に立てようとするので、愈々危險になる。彼等は斷行する。反革命も彼等がゐなければ敢てすることが出來ないほどに斷行する。そして彼等は、舊い制度をもつと根深く覆へさうとする者や、將來の中にもつと根深く進んで行かうとする者を捕まへる。彼等は革命を救ふといふ口實の下に、實はそれに轡をはめるために、『狂犬共』を死刑にしたロベスピエルやセン・ジユストの輩の眞似をする。

で、革命の騷ぎの間は、その革命の味方と敵との區別がつかない。そして又、これは殊に云つておかなければならないことだが、過去の革命の歴史家等は、この點についての考へに混雜を來たさせるやう、その全力を盡して來た。

今、フランス大革命だけを例にとつて見る。ある歴史家の理想は、ルイ十六世の立憲内閣に一椅子を占めてすつかり滿足したミラボオであつた。またある歴史家の理想は、ドイツ人に對しては勇敢な愛國者であるが、しかし經濟問題には少しも大膽でないダントンであつた。彼は實に、外寇を斥けるためには、立憲君主とも妥協し、ブルジユワ地主に壓迫されてゐる農民とも妥協し、また不動産の投機師とも妥協した執政官であつた。さういつたいろんなものが不思議にも彼の革命的精神と調和してゐたのだ。

また他のある歴史家にとつては、その理想は、財産の平等や無神論を主張した革命家等を死刑にした『義人』ロベスピエルであつた。彼は一七九三年の夏、パリ市民が饑饉に苦しんでゐる時、イギリス憲法の特長を議論することをジヤコビン黨に迫つた男だ。

最後にまた、他のある歴史家にとつてはマラが理想であつた。ある時彼は、二十萬の貴族の首を要求した。しかし彼はフランス國民の三分の二を熱中させた問題、殊に農民によつて耕作されて來た土地が何人に所有さるべきかの問題の代辨者となることを敢てしなかつた。

そして更にまた最後に、ある道化者にとつては、その理想は、公爵夫人等やその腰元共の首を熱心に要求した――それも公爵夫人等はコブランツに行つてゐたので、實は腰元共の首にすぎなかつたのだ――檢事であつた。そしてその間に、ブルジユワの泥棒共はフランスを掠奪し勞働者を飢餓に陷らしめて、その莫大な財産を作つたのである。

そして今日の革命家等の大多數は、過去の諸革命については、不幸にして、歴史家等が一生懸命になつて語つたその戲曲的方面しか知らない。彼等は一七八九―一七九三年間に幾百萬の無名の民衆がフランスでやり遂げた大事業、一七九四年のフランスをして五年以前のフランスと全く違つた國にしてしまつた大事業を殆んど知らない。

私が今この研究を企てたのは、この混雜の中を多少迷はずに辿つて行かうとする今日の革命家の手助けにしたいためである。

私は先づ、本當の革命家と、今は吾々の味方だと云つてゐるがやがて吾々の敵になるだらう者共とを、豫めよく區別しておく必要を力説しておきたいと思ふ。それから私は、革命家等にそのなし遂げなければならないだらう廣大な勤めを説いて、もし彼等が、歴史家等が過去の革命について我々に語つたことをモデルにして次ぎの革命を想像してゐるならば、そのなめなければならないだらう悔恨を、彼等に豫告しておきたいと思ふ。

そして最後に又、どれほどの精力の發揮、どれほどの猛烈な激しい仕事を、革命がその子等に要求するかを彼等に説きたいと思ふ。これは革命の成功のためには、危機の際の相交換される銃丸と等しく、或はそれ以上に肝要なことである。

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