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支那の古代法律
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支那の古代法律
桑原隲蔵
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Chapter 7 of 14

七 十惡

次ぎに十惡と云ふことを述べます。これは十種の惡い罪を指したのでありますが、罪の中には種々あり、道徳的なものもありまして、十惡の中に決められた罪が皆死罪、流罪の如き重い罪に限つたものではありませぬ。名教の上から見て好ましくないものが、主として十惡の中に含まれて居るのであります。道徳上、名教上から見て面白くないものは、罪の重い輕いに拘らず十惡に數へるがよいか否かの點に就いては、學者の意見一致しませぬ。僅かに徒刑一年位の罪、例へば自分の從兄を毆つたとか、親類の從※を毆つたと云ふのは徒刑一年か一年半であるけれども、これは親族の中でも自分より年上の人を毆つたと云ふので十惡の中に數へられます。又泥棒をしたり人を殺すと、無論殺人竊盜でありますが、これは一概に十惡に加へませぬ。ここに掲げた十惡の罪は名教上、道徳上面白くないと云ふ罪を、十條ほど出して十惡と云ふのであります。さう云ふ譯で道徳上の罪惡のことでありますから、十惡と云ふ罪に當るものは、いろいろの特典を剥がれるのが常であります。前囘も述べた通り支那では知識階級の人の罪はなるべく輕くするのですが、十惡は名教上の破廉恥罪であります。如何に刑不レ上二大夫一と云つても、十惡の罪を犯したものだけは、其の身分の如何に拘らず刑不上大夫などと云つて、特別の扱ひは致しませず、贖罪をも許さないと云ふのが十惡の特徴であります。

以下簡單ながら十惡の説明をします。先づ初めの、

(一)謀反であります。これは謂レ謀レ危二社稷一と註せられて居ります。社稷と云ふのは支那古來からの制度でありまして、王朝が新しく立つと社稷と云ふものを立てます。その社稷を危くすと云ふのは、その王朝を倒さうと云ふ意を間接表現法で書いたのであります。つまり國家を覆へす、王朝を倒すと云ふ意味であつて、今日で云へば國體の變更を企てると云ふのと同じであります。我邦の王朝の律の方では、養老律でも大寶律でも、この社稷と云ふ字に代ゆるに國家を危くすると書いてあります。これは日本には社稷の制度がないから國家と云ふ字を以て代へたのであります。支那の皇宮は何時代でも都城の北に在ります。而してその宮城の南西の方に社稷、南東の側に宗廟があります。宮城から南面して宗廟の方は左に在つて社稷の方が右に在る、宗廟とは歴代祖先の御靈舍で、御靈を祀つて居りますが、社稷の方は御靈舍ではありませぬ、壇を拵へて、その上で天のお祭りをするのであります。

長安の皇宮は都城の北部に南面して建てられ、後部が内裏で前部が百官の集ふ役所である、その眞中が朱雀通りで朱雀門が南面してある、この朱雀の西の側に社稷がある、この朱雀通りの左が左京、右が右京になります。或はこれを左街、右街とも云ひます。唐が亡ぶと云ふのは、この唐の立てた社稷を毀して了ふことを云ふのであります。

(二)謀大逆といふのは、謂レ謀レ毀二宗廟、山陵、及宮闕一と註せられて居ります。これもかかる文字を使つて云ひ表はして居りますけれども、實は天子直接に御身の上に不都合な事を企てるのを云ふのであります。故に直接御身の上でなくとも、不都合な心を抱き、天子に對して不滿な心を抱いて宮闕に爆裂彈を投げるとか、山陵を毀つたと云ふものはこの罪に入るのであります。

(三)謀叛といふのは、謂レ謀二背レ國從一レ僞と註されて居りまして、明律では謂レ謀下背二本國一僭從中他國上とあります。これは他國に裏切つたり、内通することを云ふのであります。第一の謀反の反とは上の者が下になり、下の者が上になることであり、上下顛倒することであります。此の謀叛の叛の方はこれは半分の反ですから、左の者が右になり、右の者が左になるのが叛です。つまり今迄源氏の味方して居つた者が心竊かに平家に心を通ずるの意であります。本國に背いて他國に心を寄せたりするのが謀叛であります。十惡の第一の謀反は國家に對して不穩なこと、第二の謀大逆は天子の御身の上に不都合のことであり、第三の謀叛は矢張り國に背くことでありますが、第四に至つて始めて家族制度と關係があります。

(四)惡逆と云ひますと、「謂下毆二及謀三殺祖父母、父母一。殺二伯叔父母、姑、兄、※、外祖父母、夫、夫之祖父母、父母一者上」と註されて居ります。同じ家族の中のものを實際に殺したり、或は殺さんことを計畫したり又は毆つたりすることが惡逆になるのであります。祖父母、父母は説明を要しませぬ。伯叔父母と云ふことに就いては少しく説明を加へませう。それは日本とは少し意味が違ふからであります。

支那に於いては自分のお父さんの男兄弟の年上の人を伯と云ひ、その伯父の妻になつて居る女を、自分から指して伯母と云ひます。故に伯母と云ふのは多くの場合血縁の關係がないのです。次に父の弟の方は叔父でありまして、その妻は叔母であります。それから姑と云ふのは日本で申します叔母の意味であつて父の女※妹を姑と云ふのであります。母方の人はこの中に入りませぬ。それは男系を重んずるからであります。姑と云ふのは皆他家へ嫁いで了つてその家に居ないのですが、兄、※と共に皆自分より目上の人になるのであります。外祖父母と云ふのは申す迄もなく自分のお母さんの兩親であります。それから妻が夫を殺したり、又夫の祖父母、父母を謀殺するが如き罪もすべてこの中に入ります。

(五)不道と云ひますのは「謂乙殺下一家非二死罪一三人上及支二解人一。造二畜蠱毒一厭魅甲」と註して居ります。不道と云ふのは、人道を無視した惡逆の行爲を云ふのであります。自己と親族關係の全くない他人に對しても、もし極めて殘虐な罪を犯すと、十惡に數へられるのであります。殺下一家非二死罪一三人上と云ふと、能く六人斬とか十人殺しと云ふのがありますが、一家の中で三人を殺す罪であります。從つて、若し隣り二軒に跨つて三人殺した場合は之に當りませぬ。一軒の家で、殺された人が非常な惡人で、先に死罪に當るやうな罪を犯して居たならば不道とはなりませぬ。然らざる良民――奴婢などの賤民はこの内に入りませぬ――を殺す場合に限るのであります。例へて云へば、自分の身内を殺した者を報復にその一家三人殺したなれば、これは相手が既に死罪になるべきものですから、三人殺してもこの例に入りませぬ。又ここに一家と云ふのは現實に同居してゐる家族のみを指すのではありませぬ。同籍及び期親の者で現在は既に別居してゐる者も一家と考へられ、一時にその三人を殺すと不道の罪になります。一家を特に三人に限つた譯ではないが、一家の中三人も殺すと、時に依つてその家が斷絶する惧れがありますから、家族主義から特にこれを重く罰したのであります。

又單に人を殺しただけならばこの不道の中に加へないが、支解と云つて手足をばらばらに斬り離す樣な、殺し方が如何にも殘酷である場合、支那人は前申す通り身體を別々に斬られることを非常に嫌ふ爲に、これを特に不道に數へます。

次に造畜蠱毒の蠱毒と云ふのは南支那に行はれた迷信であります。夏から秋に始めにかけて澤山の蟲を捕つて置いて一つの壺の中に入れて蓋をして置く、さうすると其蟲の中の強い奴が弱いのを喰い殺して一番後に一疋殘る、それだけ功が經て居りますから一種靈妙な働きがあつて、それを使へば人を殺すことが出來ると信ぜられてゐます。この蠱と云ふのは蟲を皿に入れることであり、さう云ふ風にして人を呪つたりするのであります。造畜蠱毒とは蠱毒を造つたり、又これを人から貰つて自分の家に蓄へたりすることを云ふのであります。次に厭魅とは蠱毒ばかりではなく、丑の時詣りの如き、人を呪ふ行ひ總てを指します。蠱毒を造蓄したり、その外の厭魅で人を呪つたり、さう云ふ術を使ふと云ふことを非常に嫌つたので、これらも不道に數へたのであります。

(六)大不敬といふのは天子に對して不謹愼の行爲をしたものを一と纏めにしたのであります。註に由りますると、

謂下盜二大祀神御之物。乘輿服御物一。盜二及僞三造御寶一。合二和御藥一。誤不レ如二本方一。及封題誤。若造二御膳一。誤犯二食禁一。御幸舟船。誤不二牢固一。指二斥乘輿一。情理切害。及對二捍制使一。而無中人臣之禮上。

とあります。先づ大祀神御之物及び天子の乘輿、御衣、御物、御寶を盜んだり僞造したりする罪であります。大祀神御之物とありますが、支那には大祀・中祀・小祀とあつて、この大祀とは天地宗廟の祭りを指します。日本で云へば、伊勢の大廟と同じであります。この大切なお祭りに使ふ物を盜んだり天子の御用の物を盜むと云ふのが大不敬に當るのであります。御藥誤不レ如二本方一及封題誤とは醫者に關することであります。侍醫として御不快の時に、お召上りになる藥の調合を誤つて、處方通りでないのは本方を誤るもので、或は調合はよくとも藥の上書を誤つたのが封題誤であります。また若造二御膳一誤犯二食禁一と云ふのは大膳職に關したことで、誤つて食禁を犯し、食ひ合せのものをうつかりして天子に差上げるが如きであります。御幸舟船誤不二牢固一といふのは、天子が行幸の時、川なり海なりを行かれる途中、故障が起ればその御身の上に思ひもよらぬ事が起りますから、御幸の舟船に手ぬかりがあつたり、水が漏れたりする樣な誤を罰するのであります。次に「指二斥乘輿一。情理切害。及對二捍制使一。而無二人臣之禮一」とあります。これは臣下が、天子に對して無禮をすることを指したもので、指斥すると云ふのは天子に惡口することでありますから大不敬に數へます。及對二捍制使一と云ふのは、天子の勅使に對して抵抗したり、暴力を用ゐるのを對捍と云ふのであります。免職の辭令を渡すと云ふ場合に、それを突返へしたりする、これらは人臣の禮なきもので大不敬であります。

(七)不孝は親の立場から見てよくないものを指したのでありまして、唐律には、

謂下告二言詛三詈祖父母、父母一。及祖父母、父母在。別レ籍異レ財。若供養有レ闕。居二父母喪一。身自嫁娶。若作レ樂。釋レ服從レ吉。聞二祖父母、父母喪一。匿不レ擧レ哀。詐中稱祖父母、父母死上。

と註して居ります。親に對して孝道上から面白くない行爲を十ばかり數へたのです。祖父母父母を告言すると云ふのは、罪を官に訴へて出ることで、例へば私の親は斯う云ふことをしたなどと密告したり、或は親を相手に裁判訴訟を起すが如きは告言であります。詛詈の詛と云ふのは呪詛の意で、親に向つてこんな年寄は死んで了へなど云ふのが詛に當りますから、詛詈とはつまり惡口です。親を訴へて出たり、さうでなくとも親を惡口したりするのは皆不孝の部類に入ります。又祖父母や父母が未だ在世中に分家すれば徒刑に處せられますが、これも質が惡いから不孝になるのであります。それから供養有レ闕と云ふのは、子として自分の養つてゐる親に對して十分御馳走しないことであります。

又「居二父母喪一。身自嫁娶。若作レ樂。釋レ服從レ吉」と云ふのは、父母の喪中にあつて子としての義務を怠つた罪であります。第一の「身自ら嫁娶する」とは、父に對して誠に宜しくないことでありますから不孝であります。第二の「作レ樂」は、父母の喪に逢うて音樂を聽き、樂器を弄ぶことでありまして、親の忌中と云ふものは悲んで、かかる慰みなどする暇がない筈であるにも拘らず、それを忘れて作レ樂と云ふことは、親に對して不都合な話であるとして、是は道徳上のことであるが不孝に加へます。第三に「釋レ服從レ吉」と云ふのは喪服を釋いて平常の着物を着ることであります。祖父母、父母の喪に逢へば三年間――支那には喪が五通りありまして、親の時には一番重く三年間喪服を着けます――必ず喪服を着けて家の中に蟄居して居らなければならぬ。故に一寸何かの用事で、都合が惡いからと云ふので、喪服を脱いで外に出るならば、それは不孝になるのであります。

「聞二祖父母、父母喪一。匿不レ擧レ哀」の祖父母、父母の喪を聞くと云ふのは、例へば官吏になつて故郷を遠く離れて居る時のことを謂ふのであり、匿不レ擧レ哀の哀を擧ぐは、支那では親が死んだと云ふ知らせを聞くと、哭と云つて――泣くと云ふのは涙を流すのでありますが――聲を立てて近隣に聞えるやうに大聲で泣かねばならぬことになつてゐます。何故こんなことをするかと云ふと、支那では哀を擧げると云ふことがつまり葬式發表になるからであります。既に發表をしますと、三年間は喪に服さなければならぬ。所が、時と場合に依つては三年間も喪に服するのは困ることがあります。官吏は親が死んだならば直ちに其日から辭職して、家に蟄居し親の喪に服せなければならぬ。辛うじて官吏の職に就いた計りのものもありますから、親の死んだのを當分匿して置くと云ふことが支那では實際よくあります。これを匿不レ擧レ哀と稱し、自分の一身の利害の爲めに匿すのであるから、不孝の中に數へるのであります。それから次ぎの詐二稱祖父母、父母死一といふのは前項の正反對であります。即ち親が死んで居らぬけれども死んだと云ひ觸らすのです。これも亦自己本位からです。支那では親子の間のことに藉口すれば大抵の願は許して貰へるのですから、仕官して厭な役を仰付けられ、私は厭だと云へないときには、私は甚だ行きたいのですが、郷里からの通知に依りますと、親が死んだと云ふことでありますからと云ふと、それぢや仕方ないと願の通りになります。遠い故郷の實状などは仲々分らぬのですから、屡さう云ふことを行ふ者があります。これは朝鮮人などにも能く行はれた所で、徳川時代には李朝から將軍家に使に來る使者がありました。その時日本の漢學者中には朝鮮の使者が來たならば一つ自分の學力を示してやらうと云ふので、豫め詩やら文を作つて用意し、九州から東海道を經て江戸に至る途中、朝鮮の使者に對して詩文を示して和し下さいとか返事を呉れとかいつたり、又能く議論を吹つかけたりして、それには朝鮮の使者が閉口しました。それが爲め幕府の末年には朝鮮で日本へ使に行くを肯ずる者がなくなりました。日本へ行けばいぢめられるといふので、大抵は親の喪に藉口して逃げて居ります。他に逃れる言譯がないから親の喪を云つて逃げたのであります。これらは甚だ不都合であるから不孝とせられるのであります。

(八)不睦とは註に「謂下謀レ殺二及賣三麻以上親一。毆中告夫及大功以上尊長、小功尊屬上」とあり、これは麻以上の親屬を殺さんと謀りたるもの、及び妻として夫の罪を告訴したり、或は毆打したりするもの、及び大功以上と云つて親族關係で日本で云ふならば三等親以上の尊長を――尊長の尊と云ふのは自分と同じ祖先から出て居る一族の者で輩行が自分よりも上の者を指すので、これは尊族と云うて餘程尊ばなければならぬことになつて居ます。長と云ふのは自分の祖先から見て自分も五代ならば、その男も五代で輩行は同じであるが自分より年が老けて居るのを云ふのであります――毆つたり訴へたりするものが不睦とせられて居ります。これらの同じ家族、親族の間でありながら甚だ其間が睦じくないものを一括して不睦と云ふのであります。支那の親屬は次の如く分類せられてゐます。

一等親 斬衰(三年)┐

二等親 齊衰(期) │

三等親 大功(九月)├五服

四等親 小功(五月)│

五等親 麻(三月)┘

等外親 袒免

支那の方では血の濃いほど長い期間喪服を着けることになつて居ります。一番重い喪服を斬衰と云ひます。衰と云ふのは喪服のことです。次は齊衰、大功、小功、麻、一番輕いのは袒免と云ひます。袒免は日本の五等親には入らぬけれども、喪服の方では袒免と云ひ、服喪の一種に數へるのであります。その中斬衰は三年、齊衰は期と云つて十三月、一年であります、大功と云ふのは荒い麻、小功は荒くない麻、麻は細かい麻を用ゐて作つた喪服でありまして、袒免とは喪服は着けずに單に肩の所に印を付けるのみであります。

(九)不義とは、

謂下殺二本屬府主、刺史、縣令。見受レ業師一。吏卒殺二本部五品以上官長一。及聞二夫喪一。匿不レ擧レ哀。若作レ樂。釋レ服從レ吉。及改嫁上。

と註されて居ります。

この不義と云ふのは直接血縁の血はかかつて居らぬ他人であつても、甚だ恩義を受けてる人であるのに、義理に背くと思はれるやうな行爲をするのを云ふのであります。本屬府主と云ふのは丁度今日の軍隊で從卒とその仕へる士官との關係であつて、從卒の方から士官を指す言葉です。唐の時には士官ばかりではなく、文官でも勅任以上には政府からその人の隨身として身廻りをする爲めに小使の如きものを付けて、その小使は若し大臣であるならば何人、高等官一等ならば何人と云ふやうに規定されて居ました。かかる從卒のやうに側に附いていろいろ仕事をする者がその本府屬主を殺したり、又刺史、縣令の如き地方官をその管下の者が殺すことがあります。支那の政治組織は親子の關係が根本ですからこれらは正にその親に當る人を殺したものであります。又現に業を受けてゐる弟子たる者が教を受けて居る師匠を殺したり、それから吏卒が――吏卒と云ふのは今日の判任官で、吏の方は文官、卒と云ふのは武官でありますが共に身分の低いものであります――自分の所屬して居る所の五品以上の官長を殺した罪も不義であります。それから「聞二夫喪一。匿不レ擧レ哀。若作レ樂。釋レ服從レ吉。及改嫁」と云ふのは妻が夫の喪を聞いても匿して哀を擧げず、三年の喪である斬衰に服すべきであるのに、自分一身上の都合で知らぬ顏をし、その間に音樂を弄んだり、夫の忌中に喪服を釋いて平服を着たり、又若し夫の三年の喪を勤め終つてから後ならば他に再婚しても差支ないが、夫の忌中にありながら改め嫁したりすることであります。これらは何れも不義の中に數へられるのであります。

(十)内亂とは「謂下姦二小功以上親、父祖妾一。及與和者上」と註せられて居ります。ここに内亂とは近親の間で姦淫することを云ふのでありまして、亂とは姦通するの意であります。小功以上の親屬、或は父祖の妾を姦したり、又與に和する者を指します。姦とは男が主となるもの、與に和するろは男女合意で行ふものを云ひます。支那では男女の別は仲々やかましく、殊に一族間の相往來する者の間に於ける男女の別は一番やかましく申します。普通の見ず知らずの他人とは初めから交際もないのでありますから、間違の起ることも寡いのですけれども、身内の者となると交際が頻繁な爲、その身内の親しい者同士が姦通すると云ふことは珍らしいことではありませんから、餘程やかましく禁ぜられて居ります。支那では一族で姦通する者を非常に嫌ひます。結婚は必ず先祖を異にする異姓から娶らなければならぬと云ふ聖人の教に基いて居るのでありまして、從つて内亂と云ふことは非常にやかましく禁止されてゐるのであります。今日から見て、これらのものは果して十惡の中に入れなければならぬかは、恐らく議論の餘地もあると思ひますが、唐律は明かに破廉恥罪と考へて、これらを犯したものは、如何に身分のよい者でも特典を與へないと云ふのであります、これと同樣の方針は明律・清律に至る迄繼承されて居ります。これで大體十惡の説明を終りました。

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