三
二十三日。宿を出たのは午前八時だ。空は少し晴れたけれども、雲行は北で面白くなく、五月のように暑い、それで出立も遅れたのであった。九時十五分に昨日雨休みをした小屋に着いて、河原で一休みする。九時半出立。大峠への道と岐れ、左に折れて木立の多い小さな細い尾根を上った。右側にも左側にも小沢がある。前面に茶臼や白谷ノ丸(白岩ノ丸)を望みながら暢気に辿って行くと、大きな破れ小屋のある所で途は絶えてしまった。十時二十分。あたりを探しても道の続きらしいものがない。どうも湯ノ沢峠への分れ道よりずっと上に来てしまったらしい。十五分許り休んでから峠の道へ出る積りで、木立の中を左に搦み気味に下った。この下りではボウダラの棘やイバラや木苺の刺で大に苦しめられた。一時間ももがいてやっと水のある沢に出られたが道の行衛は不明である。もう薮を潜るのは御免だ、此沢を上ろうということになる。昨日中双里から望見したものだ。花崗岩のように真白な石英閃緑岩の露出した細い溝のような沢で、勾配も急である。この沢あるが為に山を白岩ヶ丸と呼び、それが白谷ノ丸となったものであろう。沢を上り切るに一時間以上を要した。夫からの斜面は倒れた茅の上を登るので、滑って危い。三人は思い思いの方向に別れて上った。二十分で漸く白谷ノ丸の頂上に出る。もう茅処続きで、所どころに表土を鋤き取ったのではないかと思わせるような、黒い地肌を露した可なり広い、小石交りの裸地がある。どうして出来たのか不明であるが、まことに歩きよい。小躍りして吸い込まれるように黒木立の中に入り、久しく待望して居た一九八七・五米の三角点に二日懸りで立つことを得たのは午後一時半であった。曇っていて眺望はないが、一時間ばかり焚火をして休憩した。
三角点から北に向っては、予想していたように立派な切明けがある。但し倒木は多かった。ふくよかな苔に埋もれた黒木立の中を辿る足触りの心地よさ、土とも苔とも木ともつかぬ森林の香の漂うているなごやかな雰囲気に体を撫でられていると、いつもながら気がうっとりとなる。然し今日は落付いて身を任せては居られない。足早にトットと進んで行く。一の隆起を踰え、大きなガレの縁を辿り、小笹原を通って茅処の原に出た。これが今いうカワグルミ沢の頭であろう。
嵯峨塩へ下る道のある尾根の分岐点の所で、また迂闊にも滝沢の方へ出ている尾根に紛れ込み、途中でそれと気が付き、右に藪を掻き分けて小笹の繁った賽ノ河原の鞍部に出た時には三時半を過ぎていた。これから大菩薩峠へ出て日のある中に小菅又は萩原に下ろうなどとは思いも寄らないことなので、嵯峨塩へ行くことに極めて、引返して地図の点線の道を下り初めた。余り失錯を繰り返すので、今度は地図を手にして先に立って急いだ。あとの二人は話しながら悠々と来るらしい、次第に遅れる様子だ。一七四七米の隆起の横を廻る時、振り返ると二人の姿が見えない。時々オーイと呼びながら二十分以上も待っていた。初は返事が左の谷の近くで聞えて、木立の間から人影も見えたが、終には遠く且つ気のせいか前方から聞えて来るようだ。二人は左の谷を下って先へ出たのであろう。よし迷ったにした所で二人連れだから心配はない。もう間もなく暮れるというに、不案内の道の途中で暗くなっては困ると思ったので、それからは大急ぎで一散に駈け下りた。長い道は行けども行けども尽きない。其中に真暗な宵闇に包まれて足の進みが鈍る。地図に従えば最早尾根の左側へ下ってもいい筈であるのに、道は反って右へ右へとそれるようで、いつか河の岸へ出た。闇に透すと水面がほの白く光っている、流に手を入れて右の方が上流であることを知った。日川に相違ない。河床は平だから深いこともあるまいと、足探りに徒渉して対岸に渡り、附近を物色すると踏み固められた道跡らしいものがある。それを辿って行くと急に尾根へ登り出す、これは嵯峨塩道ではないらしい。然しこの闇では如何にもならない。「此処に野宿しよう」と独語して、風をよけた木蔭の窪い沙地に、附近の流木を山のように積み上げて、大きな焚火を作り、外套にくるまって横になった。道もない谷間に下り込んだ二人はさぞ困っていることだろう。私はマッチがあって提灯がなく、二人は提灯があってマッチを持たない。この焚火の明りを認めたなら、それをたよりに二人とも寄って来るであろうなどと考えて居る中にも、空模様が絶えず気に懸ったが、時々星の光りが見られるようになったので安心した。耳を澄しても水のせせらぎと小さな獣の足音の外には、心待ちにした人声も聞えずに、長い夜は明けてしまった。
●大菩薩峠附近