Chapter 5 of 5
五
この実験に力を得て、その後二年間に二十三回同じような実験をくりかえし、いよいよ牛痘をうえれば、天然痘にかからぬということがわかったので、これを書物に書いて学界に報告したのであります。その中には次男のロバートにほどこした実験も書かれてありました。
ところがこの報告を読んだ人たちは、感心すると思いのほか、かえってあざわらいました。「牛痘をうえるのは人間を牛あつかいにすることだ、けしからぬ」「牛痘をうえると、その子は牛のような顔になって、モーモーとなく」というようなことをいいふらすものもありました。そうしてわざわざ手紙を送って、ジェンナーにくってかかる者もありました。
けれどもジェンナーは、じっと辛抱して、なおも実験をかさね、そのうちには、世人がみとめてくれるであろうと確信しました。ただかれのかなしかったことは、かれを激励してくれた恩師ハンターがその五年前に死んだことです。恩師が生きておられたらまっ先に賛成してくださったろうにとさびしい思いをしたのであります。
けれども、正しいものはついに勝ちます。かれの種痘法は、欧州諸国およびアメリカで採用されて、その説の正しいことがたしかめられました。さあ、そうなると、本国では、じっとしてはおられません。議会は、一八〇二年と一八〇七年の二回に、約二十万円の金を提供して、ジェンナーに実験費としてあたえることになりました。そうして一八二三年かれが死ぬまでには、かれの説は不朽のものとしてみとめられ、かれは大満足のうちに、瞑目したのであります。
種痘法が日本へ輸入されたのは一八四九年すなわち嘉永二年のことでありまして、それ以後日本国民もジェンナーの恩恵に浴することになったのであります。げに偉大なるものは人の力ではありませんか。
(昭和三年五月号)
●図書カード