Chapter 1 of 5

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深夜の電話

小酒井不木

第一回

木の茂れば、風当たりの強くなるのは当然のことですが、風当たりが強くなればそれだけ、木にとっては心配が多くなるわけです。

少年科学探偵塚原俊夫君の名がいよいよ高くなるにつれて、俊夫君を妬んだり、俊夫君を恐れたりする者が増え、近頃では、ほとんど毎日といってよいくらい、脅迫状が舞い込んだり脅迫の電話がかかってきたりします。

たとえば俊夫君がある事件の解決を依頼されると、解決されては困る立場の者から、脅迫状を送って俊夫君に手を引かせようとします。あるいは俊夫君がある事件を解決して多額の報酬を貰うと、それを羨んで、金員を分与せよなどという虫のいい要求を致してきます。

俊夫君は、それらの脅迫状や脅迫電話を少しも気にはしておりませんが、俊夫君の護衛の任に当たる私は気が気ではありません。皆さんは多分、私が「塵埃は語る」という題目の下に記述した事件を記憶していてくださるでしょうが、あの事件があって以来、私はできるだけ注意して、俊夫君と一刻も離れないように警戒しているのであります。

まったく、こんなに心配が増しては、有名になるのも考え問題ですが、それかといってどうにも致し方がありません。ことに、解決を望む人々が事件の解決を見て喜ぶ有様に接するたびごとに、私は、俊夫君がいかなる場合にも成功するよう祈ってやまないのであります。

これから、私が皆さんにお伝えしようとする話も、いわば俊夫君の名声の高いのが基となって起こった奇怪な事件です。世の中にはずいぶん物好きな人間もありますが、この事件に出てくる人物のような人間に出会ったことは初めてです。いや、こんな前置きに時間を費やすよりも、早く事件の本筋に入りましょう。

それは年の暮れも差し迫った十二月下旬のことです。諸官庁や諸会社のボーナスが行き渡って、盗賊たちが市中や郊外を横行しようとする時分のある夜、ふと私は電話のベルに眼をさましました。見ると、隣のベッドで寝ている俊夫君が、すでに起きようとしておりましたので、

「まあ、寝ていたまえ、僕が出るから」

と言いますと、俊夫君は、

「それじゃ、一緒に行こう。こんな時分にかかってくる電話は、どうせ僕に用があるに違いないから」

で、二人は、寝衣の上に外套を羽織って事務室に行きました。かねて私は、こういう場合の準備として、寝室に卓上電話を設けて、寝ていながら話せるようにしてはどうかと、俊夫君に勧めるのでしたが、俊夫君は、

「僕に用事のある人はみな重大な立場にいるのだから、寝ていて話すべきではない」

と言って聞き入れません。私はいささか寒さに身震いしながら、受話器を取りあげました。

「もしもし、あなたが俊夫さんですか」

と言ったのは、たしかに男の声です。

「いいえ、僕は大野というものです。俊夫君の代理です」

「では恐縮ですが、俊夫さんに出てもらってください。重大事件ですから」

ここでちょっと申しあげておきたいのは、私たちのところにある電話は、受話器が二つに別れていて、聞くだけは二人で聞けるように装置してあります。俊夫君は、先方のこの言葉を聞くなり、直ちに私と代わって、

「僕、俊夫です。あなたはどなたです?」

「ああ、俊夫さんですか。たいへんです。今、こちらに人殺しがあったのです」

「何? 人殺しが? 誰が、どこで殺されたのです?」

「殺されたのは東京じゅうの人が誰でも知っている有名な人です」

「誰ですか?」

「誰だかあててごらんなさい」

この言葉を聞くなり、俊夫君は私と顔を見合わせました。重大な殺人事件を報告するに、「当ててごらんなさい」とは、たしかにこちらを侮辱した言い方です。俊夫君はしばらくのあいだ返事することを躊躇しました。と、突然、

「あはははは」

と、先方の男は笑いだして、

「俊夫君、いかに君でも、こればかりは分かるまい」

がらりと変わった言葉の調子に、俊夫君はむっとしました。

「何? 君は僕を侮辱するのか」

「まあまあ、そんなに怒るなよ。君を有名にしてやろうと思って、わざわざこの夜中に電話をかけたのだよ。この事件を解決するなら、君は、日本は愚か、世界一の探偵になれるぜ。しっかりしてくれよ。いいか」

「君は誰だ?」

「俺か、俺は、君たちのいわゆる犯人なんだ。東京じゅうの人が誰でも知っている、その有名な人を殺した犯人だよ。分かったかい。だから、この俺を捕まえれば、君は世界一の名探偵になれるということだ。だが、おそらく、君の腕じゃ俺を捕まえることはむずかしかろう」

「何?」

「まあ、そのように憤慨するなよ。もう四五時間のうちに、君のところへ、その殺人事件の報告が行くよ。そうしたら、この俺を一生懸命に捜しにかかるんだよ。分かったかい、しっかりやれよ。じゃ、さようなら」

こう言って、先方の男は電話を切ってしまいました。

俊夫君は、このからかい半分の電話をも、真面目に解釈して、すぐさま、中央局に電話をかけ、今の電話がどこからかかってきたかを尋ねました。するとそれは、「小石川、八八二九」だと分かりましたので、すぐさま、その番号を呼びだしました。

が、どうしても通じませんでした。

そこで、今度は、その番号の持ち主が誰であるかを検べました。すると、それは小石川区春日町二丁目の「近藤つね」という美容術師であることが分かりました。

「とにかく、根気よく呼びだしてみよう」

こう言って俊夫君は、約五分おきに呼びだしました。そうしておよそ二時間を経た午前三時十分頃、やっと、こちらの呼びだしに応じました。電話口へ出たのは女です。

「もしもし近藤さんですか」

と、俊夫君は言いました。

「今から二時間ほど前に、あなたの方から、こちらへ電話がかかりましたが、あなたのところに何か事件がありましたか」

こう言ってさらに俊夫君は、こちらの住所姓名などを詳しく語り、先刻そちらから、男の人がこれこれという電話をかけたが本当であるかどうかを尋ねました。

すると、先方の女の返答は意外でした。その返答の要点はこうなのです。

電話口へ出た女は近藤つねその人であるが、今晩一時少し前に、覆面の盗賊が裏口の戸をこじあけて入ってきたので、女弟子とともに悲鳴をあげて逃げだそうとすると、盗賊のために、二人とも苦もなく捩じふせられて、麻酔剤を嗅がされ、そのまま人事不省に陥ったが、やっと今、電話のベルで眼がさめたところだというのでした。

「もし、こちらから、あなたの方へ電話をかけた男があるとすると、その盗賊でなかったかと思います。こちらには、人殺しも何もございません。女弟子は、まだ、麻酔剤のために、すうすう眠っております」

言う声が多少苦しそうだったので、俊夫君は、もし何か紛失したものがあれば、警察へ届け出るよう注意して、電話を切りました。

「兄さん、もう寝ようよ」

とつぜん、俊夫君がこう叫びました。

「こういう時は、考えていたとて無駄だ。それよりも事件の発展するのを待とうよ」

「では、君は事件が発展すると思うのか。あるいは単なる悪戯ではないだろうか」

「人殺し云々は嘘かもしれぬが、近藤という家へ覆面の盗賊の入ったのは事実らしい。それを取り調べるだけでも面白いのだ」

こう言って、俊夫君はさっさとベッドの中へもぐり込みました。そうしてすぐ寝入りました。しかし私は、なかなか寝つかれませんでした。

果たして東京中の人が誰でも知っている有名な人が殺されたのであろうか。もしそうとすると、それは誰であろうか。また、何のために犯人は電話をかけてよこしたのであろうか。などと色々のことを先から先へ考えてゆくと、眼は冴えるばかりでした。

そのうち、うとうととしたかと思うと、来訪者を告げるベルの音に、はッとして私は飛び起きました。俊夫君も同じく飛び起きました。もう夜はすっかりあけておりました。

来訪者というのは、俊夫君が、「Pのおじさん」と呼ぶ、警視庁の小田刑事でした。私たちは思わず顔を見合わせました。

「Pのおじさん!」

と俊夫君は、小田刑事が席に着くなり言いました。

「小石川区春日町の殺人事件で来てくださったでしょう?」

「え? どうして君は知っている? では、君の方へも通知があったか?」

と、小田刑事は驚いて言いました。

「別に通知というほどのことではないのですが、ちょっと、変なことがありました。それはあとでお話ししますから、まず、用件を聞かせてください」

小田刑事は語りました。

「ゆうべ、僕は宿直だったが、二時頃に電話がかかって、春日町一丁目の空家に人が殺されているから、すぐ出張してくれというのだよ。そのまま先方は電話を切ってしまったので、たとい悪戯であるとしても、捨ててはおけぬので、二人の部下をつれて、行ってみると果たして空家があり、中へ入ると、やっぱり本当だったよ」

「殺されたのは誰です?」

「殺されたのは、T劇場の女優川上糸子さ」

「ええッ、川上糸子が?」

俊夫君の驚いたのも無理はありません。川上糸子はかつて高価な首飾りを盗まれて、俊夫君に捜索を依頼し、俊夫君は犯人を明るみへ出すことなしに、首飾りだけを取りかえしてやったからであります。川上糸子の名は東京じゅうの人は誰でも知っております。だから、電話をかけた男が、そう言ったのは当然のことです。

小田さんは頷きながら続けました。

「ざっと調べたところによると、川上糸子はどうやら毒殺されたものらしい。そうして多分、他所で殺されて、空家の中へ運ばれたものらしい。が、それよりも、奇怪なことは、仰向けに横たわった胸の上に一枚の名刺が置いてあったことだよ。

その名刺に印刷された名を僕は知らぬが、ただその名刺の上の右の隅に『進呈』という文字が書かれた左の上の隅に何と君、『塚原俊夫君』と書かれてあるではないか」

私たちはまたもや顔を見合わせました。

「つまり、川上糸子の死骸を君に進呈するという意味なのだ。そこで僕は、少なくとも、この事件は君に多少の関係を持っているだろうと考えて、電話で総監の許可を得て一切の捜査を君に依頼することにした。君もそれには異議はないだろう」

俊夫君は嬉しそうに頷きました。

「どうも有り難うございました。全力をつくしてやります。で、その名刺をお持ちでしたら見せてください」

こう言って俊夫君はふるえる手を差しだしました。

第二回

小田刑事はポケットの中に手をさしこんで一枚の紙片を取りだし、俊夫君に向かって言いました。

「これが、女優川上糸子の死骸の上に、俊夫君に進呈と書いてあった名刺だよ」

こう言って、小田刑事はその紙片を裏がえして見ましたが、たちまち、

「おやッ!」

と叫びました。それもそのはずです。名刺の裏も表も真っ白で、何にも書いてはなかったからです。

「おかしいぞ!」

言いながら、小田刑事は、さらにポケットの中に手を入れてしきりに捜しましたが、求めるものはありませんでした。

「Pのおじさん」

と、俊夫君は叫びました。

「やっぱり、それが死骸の上にあった名刺だったのでしょう。ちょっと見せてください」

こう言って、俊夫君は、その名刺様の白紙を受け取りました。

「これは隠顕インキで書いたものに違いありません。あなたがご覧になった時は、たしかに文字が書かれていて、それが一定の時間を経て消えたのです。ちょっと待っていてください」

呆気にとられた小田刑事を残して、俊夫君は、その紙片をもって次の部屋へ行き、何やらしきりにやっておりましたが、やがて出てきて、小田刑事に渡した紙片の上には、「頭蓋骨」の絵が、赤い色の線で書かれてありました。

「今、ある薬品をかけてあぶりだしたら、こんな絵があらわれたのです。これについて何か心当たりがありませんか」

俊夫君が、こう言い終わらないうちに、小田刑事の顔色は変わりました。

「やっぱり、あいつらの仕業か」

と、小田刑事は吐きだすように言いました。

「え?」

と、俊夫君は、小田刑事の顔を、つよく見つめました。

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