Chapter 1 of 22

金網の張ってある窓枠に両手がかゝって――その指先きに力が入ったと思うと、男の顔が窓に浮かんできた。

昼になる少し前だった。「H・S製罐工場」では、五ラインの錻刀切断機、胴付機、縁曲機、罐巻締機、漏気試験機がコンクリートで固めた床を震わしながら、耳をろうする音響をトタン張りの天井に反響させていた。鉄骨の梁を渡っているシャフトの滑車の各機械を結びつけている幾条ものベルトが、色々な角度に空間を切りながら、ヒタ、ヒタ、ヒタ、タ、タ、タ……と、きまった調子でたるみながら廻転していた。むせッぽい小暗い工場の中をコンヴェイヤーに乗って、機械から機械へ移っていく空罐詰が、それだけ鋭く光った。――女工たちは機械の音に逆った大きな声で唄をうたっていた。で、窓は知らずにいた。

――あらッ!

「田中絹代」が声をあげた。この工場の癖で、田中絹代と似ているその女工を誰も本名を云うものはなかった。彼女は窓際に走った。コンヴェイヤーの前に立って、罐のテストをしていた男工の眼が、女の後を辿った。――外から窓に男がせり上がっている。その男は細くまるめた紙を、工場の中に入れようとしているらしい。

女が走ってくるのを認めると、男の顔が急に元気づいたように見えた。彼女は金網の間から紙を受取ると、耳に窓をあてた。

――監督にとられないように、皆に配ってくれ。頼みますよ。

男は窓の下へ音をさして落ちて行った。が、直ぐ塀を乗り越して行く悍しい後姿が見えた。

昼のボーが鳴ると、機械の騒音が順々に吸われるように落ちて行って――急に女工たちの疳高い声がやかましく目立ってきた。

――何ァによ、絹ちゃん、ラヴ・レター?

――ラヴ・レターの見本か? 馬鹿に太ッかいもんでないか。

それを見ていた男工も寄ってきた。

――そんな事すると、伝明さんが泣くとよ。

――そうかい、出目でなけァ駄目とは恐ろしく物好きな女だな?

皆が吹き出した。

田中絹代がビラを皆に一枚々々渡してやった。

――な、何ァんでえ、これはまた特別に色気が無いもんでないか。

――組合のビラよ。

失業労働者大会

・市役所へ押しかけろ!

・我等に仕事を与えよ!

・失業者の生活を市で保証せよ!

仕上場の方から天井の低い薄暗いトロッコ道を、レールを踏んで、森本等が手拭いで首筋から顔をゴシ/\こすりながら出てきた。ズボンのポケットには無雑作に同じビラが突ッこまされていた。

――よオッ! 鉄削りやッてきたな!

連中を見ると、製罐部の職工が何時もの奴を出した。

――何云ってるんだ。この罐々虫!

負けていなかった。

――鉄ばかり削っているうちに、手前えの身体ば鰹節みてえに削らねェ用心でもせ!

製罐部と仕上場の職工は、何時でもはじき合っている。片方は熟練工だし、他方は機械についてさえいればいゝ職工だった。そこから来ていた。普段はそれでもよかったが、何かあると、知らないうちに、各々は別々に固まった。――例えば、仕上場の誰かゞ「歓迎」か「観迎」か分らなかったとする。すると、仕上場全部が「一大事」でも起ったように騒ぎ出す。彼等はこんな事でも充分に夢中になった。頭を幾つ並べてみたところで、同じ位の頭では結局どうしても分らず、持てあましてしまう。然し彼等は道路一つ向うの「事務所」へ出掛けて行って、ネクタイをしめた社員にきくことがあっても、製罐部の方へは行かないのだ。

相手の胸にこたえるような冗談口をさがして、投げ合いながら、皆ゾロ/\階段を食堂へ上って行った。上から椅子の足を床にずらす音や、女工たちのキャッ/\という声が「塩鱒」の焼ける匂いと一緒に、賑やかに聞えてきた。

この日、Yの「合同労働組合」のビラは「H・S工場」へ三百枚程入った。職場々々の「職長」さえもビラを持っていた。然し、そのビラのことは食事中ちっとも誰もの話題にならなかった。

飯が終って、森本が遅く階段を降りてくると、段々のところ/″\や、工場の隅々に、さっきのビラが無雑作にまるめられたり、鼻紙になったり、何枚も捨てられているのを見た。――彼はありありと顔を歪めた。

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