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婚姻の媒酌
榊亮三郎
(一)毎々聞くことではあるが、世の中に、何がつまらぬ役目と云つても、祝言の仲人ほど、つまらぬものはない、祝言すんで、新婦新郎仲好く行けば、仲人には用事はない、善く行かずに苦情が出來たときは雙方の家の間に立つて、あちら立てれば、こつちが立たず、こちらの申條を立てやうとすると、あちらの申條を潰すことになり、心配なものである、だから、仲人するやうな愚者は、またと世の中にないと云ふ樣な述懷を、ときどき、耳にするやうなことがある、しかし愚者であつても、賢者であつても、結婚のときに、仲人がなくて、年頃の男女が、夫婦となると云ふことは、將來はいざ知らず今日の日本では、禮即ち善良な風俗慣習でないことになつて居る、法律では、媒酌人と云ふものの存在は、結婚の一要素にはなつて居らぬが、元來日本の法律は、日本の文化の程度に比して、非常に進み過ぎて居る、日本で善良なり、道徳的なりと認められて居る風俗習慣も、日本よりも經濟上、政治上、又學術上進歩した國々では、種々の理由から、夙に消滅してしまつて居るものがある、これらを先進國と云ふが、先進國とは、何もかも先進して居る國と云ふ意でない、殊に道徳などから云へば、經濟上、政治上の影響から、却つて後進國と云はるゝ國より劣つた點もある、斯かる先進國の法律を輸入した結果、一方では先進國との交際に就いては、彼我の便宜鮮くないが、他方では、其の法律智識は未だ國民の間に、充分に浸潤洽浹して居ないから、動もすれば、法律上の智識は、少數者の占有物に歸し、其の少數者は、これを惡用する恐はあつて、道徳上からは社會に批難すべきことであつても、法律上制裁はないことは、どしどしやつて耻ぢないと云ふことが出來る、法律上、結婚の媒酌人の有無は問はぬが、今日の日本で、相當の媒酌人なくして、年頃の男女が結婚すると云ふことは、道徳上善良なることとは云へぬ、又相當の家で正式に縁組をする際、媒酌人のないと云ふことは、先づない、今日の日本では兎も角、古代の支那、印度では、殊に然りである、支那の古代では禮を以つて縁組せねば、野合と云つた、現に孔子の父は叔梁と云つて、顏氏の女と一所になつて、孔子の樣な聖人を生んだが、禮を以つて結婚しなかつたと見えて、野合したと歴史家は云つて居る、如何なる點に於て、禮に缺くることがあつて、孔子の父の結婚を野合と云つたかは知らぬが、いづれの國、いづれの時代でも、年頃の男女が結婚する場合に、相當の媒酌人の存在は、禮に於て必要なことと思ふ、然るに小乘律ではあるが、佛教では、堅く佛弟子に對し媒嫁即ち結婚の媒酌をなすことを禁じて、犯すものには、女人の身に觸るゝことや、男女淫樂のことを説くと同樣に、僧殘罪を以つて問ふて居る、隨分重き罪となつてある、常情から見ると、男女の淫樂の幇助となるやうな媒介は、惡いことに相違ないが、正式の結婚を媒酌することには、何等の支障のありやうはない、戒律上にこれを嚴禁して居るは如何なる理由に基くか、種々支那譯や、「パーリ」文の律典を參照して見ると、假令ひ正式の結婚の場合であつても、結婚後、うまく行けば論はないが、若しうまく行かぬときは、媒酌人は、嫁の兩親眷屬からいろ/\批難せられ、其の媒酌人が、佛弟子であつた場合には、累を僧團に及ぼすからとの事である。
これを機として、少しく、結婚が其の當事者、當事者の家庭に及ぼす影響に就いて述べて見、引いて、佛教の戒律と、古代印度の法典とを比較して見たい思ふて、本論を草した次第である。
kany varayate rpam mt vittam pit rutam|
bndhavh kulam icchanti mistnnam itare janh||
(二)中世印度の諺に云ふてあることだが、婚姻の場合に際し、一家の人々の意見がまちまちになることを叙した詩がある、この詩の意義は、大正の今日我が日本にても隨分適用せられ得べきことゝ思はれるから、古代の詩で、しかも梵語で書いたもので、現代式の文明人には迂濶千萬だと思はるゝこともあらうが、こゝに譯出することにした、まあざつとかうである、
未婚の乙女は、とかく姿のよきを撰び、母たる人は、財の多からんことを、父たる人は吠陀(ベーダ)の智識の博からんことを希ひ、親族の人々は門地を、あかの他人は食膳の旨からんことを希ふ
と云ふのである、未婚の乙女子であるから、父母の温き保護の下に生ひ立ちて、深き慈愛の光に青春の氣が溢れて居る、まだ生活とは如何のことであるか、渡世と云ふことは如何ほど苦しいことであるかは知らぬ、米のなる木も知らねば麥のきやうも知らぬ、接する人とては、七光もすると云ふ親の威光にあこがれて、何かうまいことにありつかふとて出入する人々であり、讀むものとては稗史小説に現はれた才子佳人の奇遇談か、金殿玉樓に住む人々のいきさつか、ぐらひのもので、夏畦に勞作する農夫のことも、秋旻に澣濯する漂母のことも、きくことはすくない、きくことはあつても自分でやつて見ないから、ほんとの智識とはならない、であるから自分の將來の夫となり、婿となる人は姿は清く、顏たちがよくあることは第一に心に起るべき問題で、働きがあるとか、金儲がうまいとか云ふやうなことは思ふにしても第二にすると云ふは、おしなべての女の情である、これにひきかへ、嫁入頃の娘もつ母親の方にしては、四十歳前後の年頃であるから、舅姑への奉養、主人へのつかへ、兒子の養育、使用人の操縱、出入のものどもに對する心勞、一家の活計等につき、所謂渡世の辛酸はなめた結果、貧しければなほさらのこと、富んで居たからとて、欲には際限がないから、金さへあればと思ふことは常に心一杯になつて居るは、大方の主婦の心情である、支那の話ではあるが、戰國の時代蘇秦が遊學して困んで歸家したとき妻も嫂も見むきすらしなかつたが、後六國の相印を帶びて家に歸つたとき、嫂は、季子が位が高くて錢が多いから、自分は尊敬すると云つたと大史公が書いて居るこのときの位は高いと云ふのはつけたりで、錢が多いと云ふ方が主であると云ふのは後世の史記の文を鑑賞する人々の定評である、由來、世話女房と云ふものは蘇秦の嫂のやうなものである、だから、己が娘の婿となる人は、なるべく富裕で、生活に不自由なく、衣裳萬端の調辨等にも、己の娘をして他に引けをとらさぬやうに思ふから、婿がねを定める上にも、子を思ふ母の慈悲には婿たるべき人の容貌はともかく、普通であれば別に異論はないが、貧乏で人なみの生活は出來ぬやうな人は、後日、己の家に厄介のかゝつてはといふ心配と、さしあたり、娘が生活にこまるやうではと云ふ懸念から、女子の婚姻の話がはじまると、第一に母親の心に浮ぶは己が女子のかたづく家の財産如何を問ふは、なべての母親の情である、母親に引きかへ、父親の方では、自分は普通は家を守ると云ふよりも、世間に出てはたらいて居るのが多いだけに、世間の事はわかつて居る、世間は必ずしも財産あるものばかりの世間でない、智慧材能あるものは、財産はなくとも世間で尊敬もせられるし、又、財産も造ることは出來る、財産はあつても學問はなくば、世間に出でゝ詐欺にかゝつたり脅迫に遭つたりして、ある財産もなくしてしまうなれば、まだしも、財産の爲に却つて身に殃を致す事例も知つて居るし、恃むべきは財にあらずして智識にあると云ふことも會得して居る、殊に古代印度に於ては吠陀は、一切の科學、宗教、法律、歴史、哲學に關する智識を收めた藏であるから、今日から見れば、日常生活には不適當な智識ではあるが、古代ではこれに勝るべき智識はなかつたから、吠陀に關する學問または智識あるものは非常に尊敬せられ、出でゝは卿相となり、處りては王者の封爵を受くることもあれば、己が女子の婿としては容貌よりもまづ古代の印度ならば吠陀の智識、大正の日本ならば人物學問に重きを置くと云ふことは、眞に己が子を愛する父親の情として、至當の事であると思はれる、これらと異りて、親戚の人々は婚姻の際、主として目を付けるは、婿たるべき人の容貌ではない、それも、不具とか、廢疾とか乃至嫌惡すべき疾病ある人とか云ふならば、嫁に行かんとする女子のために、つながる親族の縁もあれば、一應は兩親に異議を申し立つるかもしれぬが、嫁にゆかうとする本人、又は其の兩親が承知の上との事ならば已むを得ぬことゝして引きさがるまでのことである、又財産にも必ずしも目をつけぬ、あればこの上ないことではあるが、あつたからとて、金錢は他人と云ふことであるから、親戚の女子が嫁に行つたさきが、財産家だからとて、自分が金に困つたとき、無心にゆけるものでもなし、いつたからとて、貸てくれると定つた譯でなく、親族つきあひの上から見て、一族の中に財産家があれば、體面上却つて瘠我慢をして、ない袖でも振らねばならぬことがあり、却つて迷惑することがある、だから親族どもは、婚姻のときは、必ずしも婿となる人の財産に目をつけぬ、又其の智識如何にも注意せぬ、婿に智識があつては無學の親戚どもは却つてこまる、平生から使用する言葉も違ふ、理想のおきどころが違ふから、下手すると、卑陋な言葉を自分がつかつて、御里が暴露する恐がある、第一、てんで話があはぬ、殊に古代印度の樣に、吠陀の智識は、或る一階級に限られて他の階級には窺ひ知ることすら出來ない國土ではなほさらである、して見ると一族の女子に容貌がよくて、若い女のすきさうな婿が出來ても、財産があつて、年頃の女もつ母親のすきさうな婿が出來ても智識があつて其の父親が惚れるやうな婿が出來ても、其の女子の親戚にとつては何の利益はない、例外もあるであらうが、おしなべて云へば兩親が子を思ふことは自我を忘れて思ふものである、世の中にこれほど純潔の愛はない、しかし親戚同志となると、さう純潔にはいかぬ、幾分かは、自家本位がまぢる、それは無理からぬことで、自分の方も獨立して扶養すべき妻子眷族を有して居る以上、これをすてゝまで、從兄弟、再從兄弟のことを世話する譯にはいかぬ、だから一女子の婚姻によりて、親戚の人々に及ぶ利害關係はといへば、たゞ其女子の婿となる人の門地の尊きか、卑きかと云ふことであつて、これと姻戚の關係が出來たとすれば、自分等の門地も、社會一般の目から見れば、幾分あがつたりさがつたりするやうにも見らるゝし、社會上の位置にも多少の影響があるから、もし其の名門が清貴であると同時に勢利の家であつたら、おしなべての親族どもは、これに依りて光輝を生ずる次第であるし、卑くて社會から爪彈せらるゝやうなことがあつたら、氣のよわい親戚どもは幾分肩身が狹くなつた心地がするから、一族中の女子が結婚をする際、其の親戚としては、餘事はともかく門地だけは將來の交際上、大に注意するは、當然のことゝ思はれる、
以上は婚姻の當事者と其の兩親親族とのことを述べたのであるが、赤の他人となると、中には、例外もあるであらうが、おしなべてまた、みづくさい話で、自分の知り合ひの家の年頃の女子は、どういふ婿を貰ふがどこへ嫁入しやうが、かれこれ云ふべき筋合でもなく、いづれにしても、めでたいことには違ひないから、相談を受けたり、問ひ合はされたときはさして自己に利害關係がないときは、これもよろし、あれもよろしで、なるべくのちのさゝはりのないやうにしておくが一番巧みな方法であるが、いよ/\となつて、日本ならば結納もとりかはし、結婚式もあげ、披露の饗宴にでも、自分が招かれて列席するとなると、茲にはじめて利害關係が生ずる、それは御料理のまづいか、うまいかの問題である、だから古代印度の詩人は「他人は食膳の旨からんことを希ふ」と謳ふた次第である、詩は極めて短く、日本の歌の卅一文字に一つ多い三十二綴音から成り立ち普通首廬迦と云ふ詩體で人生の大禮の一たる婚姻のときに立合ふ人々の心をわづかの文字で叙し去つたものであるから、やまと歌のやうに天地を動かし鬼神を泣かすと云ふやうなはたらきはないが川柳のやうに寸鐵骨をさすやうな妙は、たしかにある、古い詩ではあるが人情には變異はない、其の機微を穿つたもので、大正の日本の今日でも適用の出來る詩であると自分は思ふ。