発端
先月日向を旅行したとき、宮崎市内の鉄道沿線に「クスリは富山の広貫堂」という広告板を見た。富山の薬は販売員が各地の家庭を一々訪問して薬袋を預けて行く特別な商法であるが、南の果の日向にまでその行商の足がのびているのかと思うと、本拠地を訪問したい意欲がうごいたのである。
私もずいぶん富山の薬をのんだものだ。ちょッとした病気になる。壁や柱に富山の薬袋がぶらさがっているとつい飲むようになるのは人情だ。カゼ薬。よく胃痛腹痛をやったから熊の胆と赤玉。通算すれば相当の量をのんでいる。販売員が年に一度やってきて、袋をしらべ、薬をつめかえ、去年の代金を受けとって行くのも目になれた姿だった。そんなわけで富山の薬は私の生活史に浅からぬ因縁もあるものだから、戦争前にふと古本屋の店頭に「富山売薬業史資料集」という三冊つづきの本をみつけて、特別の必要があるわけでもないのに買いもとめたこともあった。もっとも先年税務署に本を持って行かれてしまったので、いまは手もとにない。
行商は商業の最も原始的な形態だ。現今でも押売りという行商が横行しているが、富山の薬は一風変っていて、代金は後廻しだ。まず薬袋を預けて行く。翌年見廻りにきて、のんだ分の代金をうけとって行くという仕組みである。代金後払いというところが一般の行商と類を異にしているから、どこの家庭でも押売りとは区別して考える。一つは歴史のせいもあろう。夏の金魚売りなぞと同じように、なくてはならぬ土地の風物化している親しさもあって、関東の農村では村々の入口に「押売りの村内立入りお断り」という高札がかかげてあるが、富山の薬売りと越後の毒消し売りは特別だ。毒消し売りは現金引き換えであるが、これもその歴史と、売り子が女という点に親しみがあるのであろう。毒消し売りはちょッとした美人系で、その伝説によっても名物化しているようだ。
私は越後の生れだ。ふるさとは書きづらいもので、よく云うぶんにはキリがないし、欠点は知りすぎているから悪く云うぶんにもキリがない。過不足なく見たり書くにはヤッカイなシロモノだ。だからこの仕事では敬して遠ざけていたのであったが、富山の薬と思いついた瞬間に、ついでに越後の毒消しもやるとふるさとが好便に処置できるということに気がついた。
越後の女はよく働く、と云われている。しかし、よく働く女は越後女とは限らない。日本ではどこの土地でも女が牛馬なみに働いているのである。
越後女の特例といえば、越後には農村にすらも芸者がいる。いわゆるダルマとはちがって、むろんその方の勤めもするが、立派に三味線も踊りもできる芸者である。そして越後の芸者は総じて「私は越後の生れです」ということを誇りとしているのである。他国では誰しも生れた土地で芸者や女郎にでたがらないものだ。ところが越後では土地の女でないと芸者や女郎のハバがきかない。親子代々芸者というのがザラであり誇りですらもあるのである。生れた土地で芸者にでるのが誇りやかである風さえなきにしもあらずである。
越後の聖山を弥彦山という。ここに一の宮弥彦神社がある。越後平野の中央、日本海の海岸に弥彦角田という一連の二ツの山が孤立している。この聖山の裏側、日本海に面した孤島のようなところが毒消しの本拠だ。また表側の越後平野に面して聖山をとりまく山麓の穀倉地帯が越後芸者の本拠、産地なのである。裏と表に毒消しと芸者の本拠地が土地の聖山のまわりを蟻の這いでる隙間もなく取りまいているのだ。越後の国は西蒲原郡という。越後獅子の本拠もここにある。歴史的に独特な越後はここだ。
「来月は富山の薬と越後の毒消しだよ」
と私は日向の高千穂の山奥の宿で宣言した。その高千穂にその日は氷雨が降っていた。冬の越路。私の聯想はいささか物悲しいものがあった。それがこの旅の発端だった。
しかし、この旅の終りは意外であった。読者にとっても、おそらくあまりにも意外であろう。私が北国の旅の終りで目にしたものが、日向に劣らぬ南国風景であったからだ。越後の国の人々すら、その土地の神秘については誰も知っていないのである。私は新潟へつくと、まず新聞社を訪れて、毒消し部落の所在地をきいた。私はほとんど知識がなかったからだ。この新聞の副社長は生ッ粋の新潟ッ子で、少年時代は私と甲乙ないぐらい悪名高いキカンボーで、土地の悪所や名物どころには掌をさすように通じている人物である。ところがこの先生も私の質問には目を白黒させて、
「毒消しはこれを一握りほどグッとのむとフツカヨイにはよくきくねえ。しかし、毒消しの本拠はどこだろうな。たぶん、巻だろう」
と云った。しかし、巻(西蒲原の元郡役所所在地)が毒消しの本拠でないことは私が心得ていた。
「それはちがうね。巻でないことだけは確かだよ。誰か知ってる人はいないかね」
「そうかなア。調べてみよう」
この新聞社きっての土地通、調査部長という人物が現れてようやく解決した。角田村というところであった。しかし、その村を見てきたという人物は誰もいなかった。土地の新聞がそうである。芸者の本拠地を訪れる人は多いが、その裏側の毒消し部落へ足をのばす人はいないのだ。むろんそこには宿屋もない。毒消しは日本の村々を訪れる渡り鳥だ。その鳥の巣は誰も知らない。人は渡り鳥の本拠へ旅行する必要がないのである。そして私がこの旅の終りに辿りついた渡り鳥の本拠は意外きわまるものであったが、旅の順序にしたがって、まず富山の薬から語りはじめることにしよう。