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佐々木邦
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Chapter 8 of 12

損と得の開き

卒業証書を貰って来た日の晩だった。心祝いとあって、お赤飯に尾頭つきで、店員達が居並んだ。

「日出男もお蔭で何うにか斯うにか……」

と父親が控え目に披露をした後、

「実は思いの外の成績でしたから、喜んでいたゞきたいと存じまして」

と母親が宣伝した。この挨拶で僕のところの家風が分る。親父は評点が辛い。母親は無暗に甘い。チャンポンだから、変な息子が出来上ってしまった。菊太郎君のところも同じ傾向を免れない。僕と菊太郎君が似通っているのもその為めだろう。

「お芽出度うございます。若旦那、御苦労さま」

と丸尾さんが代表して、一同頭を下げた。爾来十数年、人間の運命は分らないものだ。この丸尾さんが当てた。昨今は立派な店を構えて、僕のところよりも盛大にやっている。

「大学を出れば大学者ですから、もうこの上はありませんな」

「私達小学者とは違います」

「もう学問だけでも一本立ちになれるんですから、豪いものです」

と他の番頭達もそれ/″\お祝いを述べた。お世辞もあったろうけれど、誤解もあった。大学卒業生が未だ今日ほど行き詰まらない頃だった。

「若旦那、大学の免状ってものを一遍拝ませていたゞけませんか?」

と下村君が所望したので、僕は母親が神棚へ上げて置いたのを取りに行った。その折、お燈明を覆えしたものだから、免状に油が夥か沁みた。

「しまった」

「何うしたの?」

と母親が立って来た。

「お燈明をひっくりかえしてしまって……」

「まあ/\」

「拭いて置いて下さい」

と僕は畳の始末を母親に頼んだ。免状が番頭達の手に渡った。

「折角のものが油だらけになって、惜しいことをしましたな」

「いや、それは長年油を売った証です。矢っ張り争われないものですよ」

と父親が笑った。学校のことで小言を言ったことはなかったが、僕の不勉強をよく知っていたのである。

「これはこれから油が乗るという吉兆でございましょう」

と下村君が気を利かした。兜町の連中は兎角縁起を担ぐ。物事を好い方へ抉じつけないと安心が出来ない。

「時に若旦那は何処か会社へでもお勤めになりますか?」

と丸尾さんが訊いた。出世をするくらいの人だから、目が利いている。斯ういうのに店を引っかき廻されては困ると思ったのだろう。果して僕は丸尾さんに並み一通りならぬ迷惑をかけつゞけた。

「いや、店で働きます。何分宜しく」

「私達こそ」

「これからが本当の修業です」

と僕は素よりその積りだった。

番頭達が引き退ってから、

「日出男や、長々御苦労だったな、本当に」

と父親が犒ってくれた。

「どう致しまして」

「これで兎に角、教育の方は仕上った。何処へ出ても、引けは取るまい」

「いや、未だ真の目鼻がついたばかりです」

と僕は警戒した。油の件がピンと利いている。

「これがお父さんの若い時分の頃だと豪いものだけれどもね。学校さえ出れば、直ぐに銀行の支店長ぐらいになれたんだが、現今は然うは行かない」

と親父、果してこの機会をお説法に利用する気だった。

「就職難ですから、平社員でもナカ/\むずかしいんです」

「何うするね? 身の振り方は」

「別にこれって考えはありません」

「しかし遊んじゃいられまい」

「日出男や、お前の思う通りを言って御覧」

と母親が側から言葉を添えた。

「はあ」

「会社へ勤めるなり、店で働くなり、お前の自由で宜いとお父さんは仰有っていなさるんですから」

「矢っ張り家の商売をやるか?」

と父親が先ず持ち出したのは元来その方を希望しているのだった。僕としても兼ね/″\そう理解して貰ってある。

「はあ。家で働かせて戴きます」

「会社へ勤めて月給取になるのも悪くはないよ」

「いや、僕はお父さんの後を継ぎます」

「その方が宜いでしょう。余所へ行って苦労するよりも、家にいれば若旦那で勤まるんですから」

と母親がまた口を出した。

「それがいけないんだよ」

と父親は忽ちむずかしい顔をした。

「何故でございますか?」

「家で働くにしても、店員並みにやって貰わなければ困る」

「それは表向きは然うでしょうけれど」

「表向きも裏向きもない。お前は黙っていなさい」

「…………」

「日出男や、お前が俺の後を継ぎたいと自発的に言ってくれるのは俺も嬉しいが、家の商売はこれでナカ/\楽じゃないよ。お客さまの御用を足して口銭を稼ぐのだから、会社へ時間で勤めて月給を貰うのとは行き方が大分違う」

「はあ」

「水鳥は唯見ると何でもなく浮いているようだけれど、足に小休みがないという。丁度それだと思う。お客さまから大きな責任を引受けているんだから、些っとも油断がならない。気骨の折れること夥しい」

「その辺も分っている積りです」

「お前がやってくれゝばこの上なしだ」

「やらせて戴きます。余所へ勤めるよりも、その方が手っ取り早いです。もう地盤が出来ているんですから」

「それは然うさ」

「一つ僕が当てゝ御覧に入れます」

「それがいけない」

「しかし当てなければ、ドカッと儲からないでしょう?」

と僕は本気だった。

「飛んでもないことだよ。家で働くからには断って置くが、手張りは一切無用だ。口銭だけを稼いで貰う」

「はあ」

「一口に株屋というと無暗に儲かって派手な商売のようだけれど、実はこれぐらい地味な稼業はない。又地味にやって行かなければ、立ち行かないように出来ている」

「はあ」

「ところが口銭を稼ぐだけじゃ手間仕事だと思うから、ついドカッとやって、ドカッと損をする。兜町に三代目なしという諺は実際だ。親が口銭で叩き上げた身代を息子がドカッとやって失くしてしまう。俺は家の商売をやって貰うのは嬉しいけれど、それが心配でならない」

「大丈夫です」

「その大丈夫が当てにならない」

「地味にやります」

「それはドカッと儲ける人もある。しかしその裏に丁度それだけ損をしている人があるんだから、表ばかり見て羨ましがっちゃいけない。お前なんか手を出せば、どうせ損の方へ廻るんだ。手張りは一切やりなさんなよ」

「承知しました」

「それじゃ明日から丸尾について、場へ出て見なさい」

「はあ」

「当分は見習だ。月給は要るまい?」

「さあ」

「ハッハヽヽ」

と親父、それは冗談だった。

僕は月給五十円で店の見習から叩き上げることになった。今から考えて見ると、この商売は何よりも性に適っていた。抜け駈けだったが、直ぐに初陣の功名をした。手張りをやるなと言われても、やらないでいられるものでない。僕は三四日場へ行っている中に、もう食指が動いて来た。一人のお客さんが二千円ばかり儲けたのである。

「丸尾さん、僕もこの人と同じにやって置けば、二千円儲かったんですね」

「然うです」

「簡単なものですね」

「儲けるのも簡単、損をするのも簡単です」

「僕も一つやって見ましょうか?」

「やって御覧なさい」

「本当ですか?」

「えゝ」

「責任を負ってくれますか?」

「そんな度胸のないことじゃ駄目ですよ」

「しかし見つかると親父に叱られます」

「それならお控えになることです」

「おや/\」

僕は丸尾さんの胸中を察し兼ねた。諫止するようでもあり、奨励するようでもある。しかし若旦那として使用人の掣肘を受ける必要はないと思った。もう決心をして機会を待っていた。この相場は買だという直観が動いたのである。直観といえば、丁度菊太郎君が悪い最中だった。チブスをやって苦労をかけるよりも、手張りをやって損をかける方が親不孝の罪が軽かろうと考えた。斯う一々理窟をつけて行動する程度だったから、無論大きなことは出来なかった。お客さまから新東三百買という註文を受けた時、三百五十にして置いた。

「丸尾さん、この五十だけ僕です」

「おやりになったんですか?」

「はあ。度胸を据えました。運試しです」

「矢っ張り買でしょうな、こゝ当分は」

「僕も然ういう直観です」

「早速ながら、証拠金を戴いて置きましょう」

「お客さまのと一緒に立て替えて置いて下さい」

「お父さんが御承知ですか?」

「いや」

「それじゃ困ります」

「そこを何うか」

「これが危いです」

と丸尾さんは首を叩いて見せた。

「何うしましょうか?」

「お父さんに一言申上げて来て下さい」

「駄目です」

「お母さんでも宜いです。私は使用人ですから、一存では計らえません」

「それじゃ一寸行って来ます」

しかし僕は単に家へ帰る風をしただけだった。丸尾さんもそれぐらいのことは分っていた。名目さえ立てば宜いのだった。直ぐに融通をつけてくれた。三四日たって、そのお客さまが仕舞った時、僕も仕舞ったら、手取り百五十円ばかり儲かった。さあ天狗になってしまった。

「丸尾さん、どうですか?」

「恐れ入りました。運試しとしてはこの上ありません」

「百やって置けば三百円でした」

「千やって置けば三千円。一寸凌げます」

「一万やって置けば三万円。十年ぐらい凌げます」

手初めが成功だったから、直ぐに病みついて又やった。今度は百だった。しかし然ういつも柳の下に泥鰌はいない。その日の中に下り始めたから、慌てゝ手放した。前に儲けただけを悉皆吐き出してしまった。

「若旦那、何うですか?」

「危いところでした」

「しかし見切りのお早いには感心しました。明日まで頑張っていて御覧なさい。百五十円じゃ済みません」

「矢っ張り、うっかりはやれませんね」

「お分りになりましたか?」

「いや、思いがけない悪材料が出たからです。直観は当っていたんですけれど、運がなかったんです」

「これが儲けっきりに儲かるものなら、こゝにいる人は皆金持になってしまいますよ」

「理窟は無論それに違いないんですけれど」

「違いないけれど、自分丈けは何うにかなりそうに思うのが弱味です。尤もそれがあるから各自斯うしていられるんでしょう」

取って取られたのだからトン/\だ。僕は一向悲観しなかったが、直ぐに又手を出す勇気がなかった。これは形勢を見極めてからやれば必ず思い通りに行くと考えた。相場は毎日下り気味だった。慎重な観察をつゞけた後、百売って、

「丸尾さん、何んなものでしょう?」

と今度は大丈夫の積りだった。その口の下から相場は反対に上り始めた。しかし見どころがあるから五六日辛抱したのみならず、難平と出てもう百売り足したら、又々上った。

「若旦那、何うですか?」

「困ったよ」

「今お仕舞いになると、両方で五百円ばかりの御損ですよ」

「何うしたものだろう?」

「二百円で五百円なら、二千で五千円、二万で五万円。御損をなさる時も、桁数を考えて御覧になる必要がありましょう」

「お説法は後のことにして貰って、君なら何うするね?」

「見切ります」

「仕方がないかね?」

菊太郎君が退院したのは丁度その頃だった。日毎に元気づいて、夜分僕を呼びつける。

「何うだい? 景気は」

と病み上りは丈夫で活動しているものが羨ましいのらしい。

「悉皆いけない」

「やっているのかい? 今」

「うむ。場にいると何うしても手を出す」

「僕も早く手を出して見たい」

「しかし見込が外れると実に厭なものだぜ。取って取られたから、今度は勝負の積りで、少し大きくやったら見事引っかゝってしまった」

「売ったんだね?」

「うむ。二百だよ。売と出たら直ぐに上り始めやがった」

「僕に相談すれば宜かったんだよ。僕は何うも上るような直観があった」

「それじゃこれから先は何うだい?」

「まだ上るね、ジリ/\と。今度の相場は底力がある」

「豪いね、君は矢っ張り」

「斯う目を瞑っていると、一々直観の明鏡に映って来る」

「店の人の話を聞いたんだろう?」

「ハッハヽヽ」

「冗談じゃないぜ」

「幾らの損だい?」

「五百円を少し越すかも知れない」

「僕も病院で丁度それぐらい使っている。君は苦しい思いをしなかっただけ徳だ」

「然うとでも思って諦める外仕方がない。しかし厭なものだぜ。損をするのは。胸に鉛か何か痞えているような心持がする」

と、これが僕の実感だった。それから今日まで月に一度ぐらい宛大きな鉛が痞えるのだから始末が悪い。尤も損の裏は儲けだ。両方へ廻るから大したことはない。

「ところで例の件は何うしてくれる?」

「乃木坂かい?」

「当り前さ」

「威張ったものだ」

「口先で受合ってばかりいても駄目だよ。早く行動を執らなければ、機会を逸してしまう」

「その中に何とか方便を考える」

「これから考えるのかい?」

「然うさ。知っている間柄なら話が早いけれど、今のところ些っとも切っかけがない。蔓から蔓を辿って行くんだから、手間が取れる」

「手間の取れるのは仕方がないけれど、早く行動を開始しなければ、待っているにも当てがない。着手丈けは直ぐにして貰いたいものだ」

「その辺も僕に一任してくれ給え。決して悪いようには計らわない」

「厭に落ちついているよ。人のことだと思って」

「話が始まったって、その容態じゃ見合なんか出来ないぜ」

「容態? 僕はもう病人じゃないよ。もう悉皆癒ったんだ」

「いや、地獄から抹香の相場を訊きに来たような顔をしている。それで見合をしたんじゃ問題はないよ」

「そんなかい? 未だ少し瘠せているには瘠せているけれど」

「目の下や鼻の両脇が凹んでいる。生きた人間よりも骸骨って印象の方が強い」

「厭だな」

「もう少時待ち給え。僕も一儲けしないと元気が出ない。自信がついた時行動を開始すると、トン/\拍子に事が運ぶ」

「それじゃ一生待っても駄目だろう」

「生意気を言うな」

「早く儲けてくれよ」

「うむ」

「早く太りたいものだ」

と菊太郎君は頻りに顔を擦っていた。

手も足も出なくなって、新東二百を仕舞ったら、六百円近くの損だった。月給一年分に当る。当然父親に知れて、ひどく叱られた。僕のようなものが儲かるようなら、世間に損をする人間はないということだった。斯うなって見ると、然うも思える。丸尾さん初め番頭一同は、

「日出男の為めに融通をつけることは一切なりませんよ。見習に手張りをさせて何うするんですか? 俺は監督を頼んで置いた積りだった。これからはもっと本気になって指導して下さい」

と改めて申渡された。

僕は差当り懲りた。しかし見切ってしまった後は気持が清々した。清算という言葉が当っていると思った。

「若旦那、何うですか?」

と丸尾さんがニヤ/\笑った。

「飛んだ御迷惑をかけました」

「いや、そんなことは構いませんが、これで大体がお分りになったでしょう?」

「えゝ。もう懲りました」

「それは嘘です」

「もうやりません」

「それも嘘です」

「本当ですよ」

「それなら結構ですが、兎に角、今度の御損を生かしてお使い下さい」

「何ういう意味ですか?」

「第一は只今の御決心通り、一切手をお出しにならないことです。しかし周囲が周囲ですから、それは無理です。屹度また謀叛心が起ります。そこで第二です。第二、損は儲けよりも必ず大きいということです」

「大きいから用心しろと仰有るんですか?」

「その辺でしょう」

「必ず大きいって理窟はないでしょう」

「しかし事実が然うなっています」

「僕の場合は偶然う廻り合せたんですけれど」

「私達も今までのところ皆然うです」

「しかしこゝで成金になる人もあるじゃありませんか?」

「その成金ですよ、私達が小さく儲けて大きく損をする差額を悉皆攫って行ってしまうのは。つまり私達は上ったの下ったのと言って、交叉点の信号のように赤くなったり青くなったりしながら、大勢がかりで成金のために寄進についているんです」

「此方だって、その成金の方へ廻れないことはありませんよ」

「それがナカ/\むずかしいんです」

「なあに」

「運次第でしょう」

「運と直観です。見ていて御覧なさい。今に寄進につかせてやります」

「成程。懲りていらっしゃいますな」

「いや、議論としてですよ」

と僕は誤魔化した。

丸尾さんはその後成金の方へ廻って僕にも可なり寄進につかせたくらいだから、元来頭の好い人だった。僕は肝胆相照らして、他の若い番頭達よりも丸尾さんに信頼した。年が少し多いだけに時々意見めいたことを言い出す。しかし分らない人ではない。父親に内証でチョク/\融通をつけてくれた。

「手張りを封じたんじゃ人間を殺すようなものです。口銭々々って、堅いことを仰有っていても、お父さんだって実は手張りからお仕上げになったんです」

と自分も好きだから話が分っている。尤も帳簿が合わなくなると僕が権太をやる。権太というのは母親に泣きついて出して貰うことだ。

「丸尾さん、僕は一つあなたの智恵を借りたいことがあるんですが、相談に乗ってくれますか」

と僕は或日改まって切り出した。一寸手隙になって、食堂へお茶を飲みに行った時だった。

「いけませんね、幾つやっていらっしゃるんですか?」

「いや、商売の方じゃないんですから御安心下さい」

「これは又情けない若主人ですな」

「何故ですか?」

「店の信用に関係しますよ。商売の方じゃないから安心しろなんてのは」

「寄進についてばかりいるから仕方ありません」

「何ですか? 一体」

「恋愛問題です」

「ヘヽエ。これはお出なすった」

「ハッハヽヽ」

「手張りをやったり、恋愛をやったり、ナカ/\お忙しいんですね」

「僕じゃないんです」

「おや/\」

と丸尾さんは失望したようだった。

「親友が悩んでいるんです」

「市岡さんですか?」

「はあ。御相談申上げるんですから、匿しても置かれません。市※の菊太郎君が重役の令嬢を見初めてしまったんです」

「成程。それで私に一つ意見をしてくれと斯う仰有るんですな?」

「ハッハヽヽ」

「何ですか?」

「あなたは矢っ張り自信家です」

「廻り冗い貶し方はよして下さい。仰有るんですなと訊いた丈けで、それから先は未だ白紙ですよ」

「纏める方の御相談ですよ」

「乗りましょう」

「矢っ張り分る」

「煽てちゃいけません」

「いや、お言葉に甘えるんです。実は安請合に引受けたんですけれど、何処から始めて宜いのか、見当がつきません」

と僕は乃木坂の一部始終を物語った。

「成程。これは一寸むずかしいですな」

「切っかけのつけようがないんです」

「お待ちなさいよ」

と丸尾さんは腕組をして考え込んだ。

「誰か知っている人があると宜いんですけれど」

「それですよ。これは屹度あるに相違ない」

「あるには定っていましょう」

「いや、この手近にです。会社の重役なら金を銀行に寝かして置きませんから、株を買いますよ。買うとすれば、同業のものが誰か出入しているに相違ありません」

「成程」

「二三日待って下さい。何処のお得意か突き止めます。株屋ってものは御主人に直接喰い入っていますから、場合によっては、その人に橋渡しが頼めます」

「何分宜しく」

と僕は好い相談相手を見つけた。その後、菊太郎君に報告して、名前を出したことを断ったら、

「宜いとも。久子さんを貰えさえすれば、兜町中へ発表しても宜いんだ。斯うなれば恥も外聞もない」

と菊太郎君は大威張りだった。その後温泉へ往って来て、悉皆肥立っていた。もうソロ/\商売を始めることになっていた。

「若旦那、世の中は狭いものですな。高野君が矢田さんへ出入していました」

と日曜を置いての翌日、丸尾さんがもう突き止めた。高野君は米喜という店の番頭さんだ。丸尾さんとは同郷で、二人申合せておっ走って来た間柄だった。後の話になるが、丸尾さんが成功して店を出してからは、高野君が入って支配人を勤めている。僕も見知り越しだから、お昼に食堂で話しかけたら、用件がもう徹底していると見えて、

「私ですよ、矢田さんへ始終伺って、御贔屓に願っているのは」

と先方から切り出して、ニコ/\した。

「どんな人ですか? 矢田さんってのは」

「さあ。これってこともありませんが、一寸取っつきの悪い人ですよ」

「はゝあ」

「しかし私は年来ですから、可愛がって貰っています」

「一つお願いがあるんです」

「市※さんの御縁談ですってね」

「はあ。話が込み入っていますから、こゝじゃむずかしいです。今夜如何ですか? 御ゆっくり」

「実は今晩矢田さんへ伺うことになっていますから、なんならお勧めして見ましょうか?」

と高野君は気が早い。しかしボロ株と一緒に勧められては大変だ。

「未だ/\慎重です」

「その方がいゝでしょう。兎に角、今晩は追敷をいたゞきに伺うんですから外せません」

「短期をやっているんですか?」

「はあ。チョク/\」

「話せるんですね」

と僕は有望に思った。短期をやるくらいなら、株屋の息子だからといって嫌うまい。

「内証ですよ」

と高野さんは人柄が好い。初めから追敷だと口走っている。

「はあ」

「このところ曲りつづけで、お気の毒です」

「買ですね?」

「えゝ。今月に入ってから三千円ばかり引っかゝっています。今晩あたりは御機嫌が悪いでしょう。『第一、手前の洒っ面が気に入らない』なんて来るんですから、曲った時は難儀をします」

「我儘な人ですね」

「その代り好い時には又馬鹿に好いんです。『御褒美だよ』なんて言って、ポンと投げ出してくれます。奥さんがまた気前の好い人です。これは売の方へ廻っていますから、今晩は鼻息が荒いでしょう」

「何ですか? 夫婦ともやっているんですか?」

「はあ」

「これは驚いた」

「妙にお二人の見込が違うんです。御主人が売ですと、奥さんは大抵買です。御主人は実業界の人ですから、大勢が分っている積りでしょう。ところが奥さんは御主人を然う豪いと思っていませんから、この男の反対をやれば屹度儲かると思うんでしょう」

「成程」

「御主人から見れば奥さんはズブの素人です。『なんだ? 此奴が』って気がありますから『お前が売なら、おれは買だ』ってことになります。考えて見ると、安全な方法ですよ。片一方が損をしても、もう一方が儲けるんですから、長年やっていらっしゃるけれど、トン/\でしょう、殆んど」

「売買両方じゃやらないのも同じことじゃありませんか?」

「そう思うんですけれど、何方もお好きですから、好いお楽みになるんでしょう」

「面白い家庭ですね」

「迚も朗かですよ」

「お嬢さんの下に息子さんが二三人あるようですね」

「三人です」

「差当りのところ、お嬢さんに縁談があるかどうか、それを一つ確めて来て下さいませんか?」

「承知しました。それとなく当って見ましょう」

「明日の晩は如何ですか? 御都合は」

「さあ」

「御遠慮には及びませんよ」

「丸尾君も見えるんですか」

「はあ。市岡君も引っ張り出します」

「それじゃお言葉に甘えましょう」

「大勢がかりで一つあなたの智恵を絞りたいんですから、何うかそのお積りで」

「有り合せで宜しければ、幾らでも御用立て致します」

と高野さんは応じてくれた。

翌日から菊太郎君が見習を始めた。僕は早速高野君に紹介してやった。

「何分宜しく。お目にかゝらない中から飛んだ御厄介をかけました」

と菊太郎君、如才ない。

「金子さんにも申上げましたが、御縁談は未だこれってのがないそうです」

「有難いです」

「何れ今晩又」

と場が開いたばかりだから、高野君は忙しそうだった。

「日出男君、僕は買だよ」

と菊太郎君は直ぐに向き直った。

「もうやるのかい?」

「第一日に百買って、一生の運勢を試す。病院にいる時から然う考えていたんだ」

「しかし買いってことはないだろう? 今日あたり」

「いや、直観だ」

「危いぜ」

「ケチをつけるなよ。初陣だ」

「初陣だから特別念を入れる必要がある。見給え。三十銭下った」

と僕が諫めている口の下から、菊太郎君は百買ってしまった。経験のない奴は度胸が好い。

「君のところは手張りをしても宜いのかい?」

「無論いけない」

「証拠金はどうする?」

「買ってしまえば店で払わずにはいられまい」

「乱暴だね」

「初陣だ。親父だって大目に見てくれるだろう。近所に損をしたお手本さえあるんだから」

「僕は損はしないよ、初陣には兎に角」

「おや/\、また二十銭下った」

「言わないことじゃない。もう五十円損をしている」

「引けまでには跳ねっ返すだろう。今日は午の日だぜ。尻っ跳ねだ」

「僕はこの頃は五十銭引かれたら、直ぐ逃げることにしている」

「意気地がないんだね」

「何分内証でやっていることだから」

「手張りをしちゃいけないと言うのも要するに結果論さ。儲ければ、親父だって、サッと斯う日の丸の扇を開く。天晴れ/\!」

と菊太郎君は当るべからざる勢いだった。脳症が未だ多少残っているのかも知れない。

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