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三稜鏡 (笠松博士の奇怪な外科手術)
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三稜鏡 (笠松博士の奇怪な外科手術)
佐左木俊郎
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원문 Public Domain
Chapter 3 of 5

3

青年は自動車の窓から煉瓦の建物の方を指した。

「自動車を止めろ!」

自動車は病院の門を這入ったばかりのところで停められた。五人は急いで自動車を降りた。赤煉瓦の建物の前を、銀色の顎鬚の老紳士が、白い手術服のポケットに両手を突込んで、静かに歩いているのが庭の樹木の間に見え隠れた。青年は老紳士を目蒐けて走って行った。署長と三人の刑事とがそれに続いて走った。

「笠松!」

青年は老紳士を目蒐けて飛掛った。

「おっ!」

老紳士は驚きの声をあげて飛退いた。が、もう、遅かった。青年は老紳士の腕を掴んだ。同時に老紳士の鼻眼鏡が地面に落ちて砕けた。

「おうい! 誰か来てくれ! 誰かあ!」

老紳士は大声に人を呼びながら、青年の腕の中に争ったが、青年はどうしてもその手を放さなかった、そして彼も亦、大声に、刑事達を呼んだ。

「早く縄を! 早く縄を、笠松博士を掴まえたから」

刑事達はそのポケットから麻縄を出しながらばたばたっと駈けて行った。――が、しかしその縄は、老紳士にではなく、青年の手首にかかった。

「それは僕の手だ」

青年は叫んで手を引こうとした。同時に、煉瓦の建物の中から、二三人の男達が駈出して来て、毛布の中に青年をぐるぐると包んだ。青年は首だけを毛布から出して最早完全に動くことが出来なくなった。

「おっ! 署長さんもお出で下さったのですか? それはそれは……」

老紳士は微笑をもって云いながら署長の方へ寄って行った。

「実は、岡埜先生に、お話して置き度いことがあったものですから、儂も一緒に来たのですが……」

「それは又……」

「岡埜先生! 御迷惑でも、署までおいで下さいませんか? 私達の前で、この青年の、心理試験をやって頂き度いのですよ。首無し死体事件の端緒が掴めそうですから」

「それは参りましょうが……」

「では、自動車の中で、寛り話します。それはそうと、岡埜先生は、眼鏡が無いと、御不自由なのじゃありませんか?」

「いや! それほどじゃないです」

岡埜精神病院長は鼻梁を押えながら云った。

「それじゃ参りましょうか? それで君達は、その青年を伴れて、別の自動車で来給え、儂は岡埜先生と御一緒に先きに行くから」

署長はそう云って、岡埜博士と一緒に、喚き立てる気狂いをそこに残して門の方へ歩いて行った。自動車は二人を乗せると市立精神病院を出て、直ぐ繁華な街へ出て行った。署長はその軽い動揺に身体を任しながら語りかけた。

「岡埜先生! あの青年は、首無し死体事件の犯人は先生で、被害者は先生のお嬢さんだと、熱心にそう云っているのですよ」

「ほう! それは面白い。私に娘があるものと思っているのですな?」

「――そうなんです。尤も、先生を、岡埜精神病院長と思っているわけではなく、笠松と云う外科の博士と信じていて、その笠松博士の令嬢に恋情を寄せていたらしいのですが、笠松博士と錯覚しての先生を酷く怖れていながら、矢張、令嬢への恋情に繋がれていたらしく……」

「そんなことは知らなかった。それは私の失策だった。恋情が介在していることを知っていれば、極く簡単に済んだのかも知れなかったが、残念なことをした」

岡埜精神病院長はそう云って、溜息を吐くようにしながら、両手の中に頭を抱えた。自動車は街角を彎曲して、一揺れ、大きく揺れた。岡埜博士はぐらりと前の方へよろめいた。

「そんなわけで、あの青年は、岡埜先生と彼女とを、笠松博士親娘と思い込んでいて、先生が令嬢を殺したものと、熱心に思い込んでいるのですよ」

署長は、青年の話を一通り語り終って、煙草に火をつけた。

「全く残念なことをした。恋情が介在していることには全然気がつかなかった。それが私の失策だった」

岡埜博士は残念そうに繰返した。

「あの青年は又、彼女を、何うして先生のお嬢さんだと思っていたのでしょう?」

「彼女は、私の顔を見さえすると(お父さん!)と云っていたのですよ。そして又あの青年は、私の顔を見さえすると(笠松先生!)と云って、直ぐ外科医術上の質問をするのですなあ。あの青年が、私の病院へ来たのは極く最近なのですが……」

=暗転=

彼が病房に落着いていると云う報告を受けると、私は部屋を間違えたような風を装って、彼の病房へぶらりと這入って行った。私は常々から、患者の日常行動をそれとなく注意していて、その行動によって病状を診断鑑定し、或る一つの仮説を立て発病の原因を探り、それからその仮説に基いて療法を研究するのであるが、彼の場合は、その発病の原因徴候が極めて濃厚に露出していた。彼は、私が部屋を間違えたような風を装って這入って行ったのにもかかわらず、私の顔を見ると、驚きと欣びとの眼を瞬りながら腰を上げた。

「おっ! 笠松先生! 西谷です」

彼はそう云って丁寧にお辞儀をした。

「やあ!」

私は軽く会釈した。私は、彼が私を笠松と云う人と錯覚していることを知ったが、今の場合、彼の想像を奔放して置いて、彼の脳の中を覗いて見る必要があった。そのために、私の方からはなるべく語りかけないようにして、彼の話に対しては私は全然受身の態度に出た。

「それじゃあ、僕をここへ拉れて来さしたのは、笠松先生だったのですね?」

彼は暗い疑惑の中から、漸く安堵したようにして、微笑を含みながら云った。

「あ!」

「何か御用だったのでしょうか?」

「あ!」

私は簡単にそう云ったが、その先を、何う進めていいかわからなかった。折角そこまで押拡げて来た彼の空想を、そこで壊して了っては、全然手も足も出なくなるからである。

「実験のお手伝いなのでしょうか?」

「君でないと困るものだからね」

「併し、僕のような不器用な人間が、果して、外科医として立つことが出来るのでしょうか?」

「今は、手先の問題じゃなく、頭脳の問題だからなあ」

「僕も、頭脳の方には自信を持てますが、手先の方には全然自信を持てないものですから。この前も、僕は、自分の不器用なのに悲観して逃出したんです。先生の研究の助手にして頂いて、先生と一緒に研究の出来ることは僕に取っては非常に嬉しいことですが、併し、何時までやっていても、外科医として立つことが出来ないのなら、全く仕方のないことですから。でなかったら、僕だって、逃出すのではなかったのですが」

「手先よりも、君、頭脳の問題だよ」

「笠松先生! 併し、外科医術の理想が、首と胴との接合として、そんなことが果して出来るのでしょうか?」

「研究は要するだろうが……」

私はそんなことを云ってお茶を濁した。併し、私には、それで、患者の発病の原因が、朧気ながらわかって来て、患者は、外科の医学生か、或いは大学を出たばかりの外科医者で、笠松と云う医者の助手をしていたのに相違なかった。併し、患者は、外科医に取っては極めて重要な手先が、思うように動かないのを気に悩んで、神経衰弱から、次第に現在の病状に進んで来たのであろう、何れにしても、患者が(――手先が不器用でも外科医として差支えが無いかどうか?……外科医術の上に頭脳の方を必要とする分野はないだろうか?……外科医術の最大の理想とする首と胴との接合は果して可能かどうか?……)と云う問題を、酷く気に悩んで来ていることは確かであった。同時に、患者は、酷く小心の者で、手術の光景を目撃することの出来ないのは勿論のこと、自分の最初の目的である外科医が、自分には不適当であることを知りながらも、世間体を怖れて思い切れずにいることなどが、私には判然と感じられた。これはむしろ、小心者の、何事をも躊躇ばかりしていて、結局は何事も決断の出来ないような、藻掻くような焦燥に起因している病状であった。

私はその療法に就いていろいろと考えた。併し、結局は、彼に、外科医として立つことを諦めさせるのが、一番いいように思われるのであった。彼が最も気に悩んでいる問題を、徹底的に否定し、無理にも(……手先が不器用では外科医には全然なれないし……外科医は職工のようなもので頭脳などは第二第三の問題であろう……理論的には容易に出来そうに思われる胴と首との接合も実際には不可能である……魔術師のように器用に動く手の持主だけが外科医として成功するのだ……)と云う風に思い込ませて、思いきれずに迷っている希望を全然断念させなければならなかった。同時に、外科医の仕事が如何に怖ろしい戦慄的な仕事であるかを、彼の頭の中に叩込まないといけなかった。そのためには、恐怖的で而も惨虐的な手術をやって、その手術が結局は失敗に終るのを見せるのが一番よさそうに考えられた。具体的な例としては、私が、首と胴との接合を研究する医学者になって、彼を研究助手にし、最も惨酷的に恐怖的にその実験をやり、何度でも失敗することであった。併し、実際問題としては、その実験の材料を手に入れることが困難であった。――が、ふと、私の頭の中には或る一つの考えが浮んで来た。私は直ぐ病房の一つを片付けさせて、解剖研究室のような、或は手術室のように、それぞれの調度を据えさせた。そして初めて、私は医員達や看護人達や看護婦達に、極端で而も奇怪な私の療法を打明けたのであった。勿論のこと、それに就いては、誰も反対する者が無かった。そこで私は、初めて、その治療にかかった。

「西谷君! 今日は一つ生きている人間で実験をやるから来てくれ。果して首と胴との接合が可能なものかどうか?」

私は厳粛な顔をしてそう云うと、彼はもう、驚異の表情でわなわなと顫えていた。併し私は、そんなことには構わずに、彼を伴って、応接室に待たしてあった看護婦の一人を、無理矢理に実験室へ引立て行った。看護婦は(きゃあきゃあ!)と声を立てながら拒むのを、私は悪魔のように無理矢理に引込むので、彼は実験室の扉の前に立って顫えているだけであった。私はその間に、看護婦の代りに、等身大の人形を手術台の上に縛りつけた。それから彼を扉の中に引込んで来て、その人形を、混乱しきっている彼の頭に、麻酔剤によって仮死状態にある人間のように思わせることは容易であった。

「麻酔剤の他に何か薬品を作用させたのですか?」

彼はそんな質問をしながら怖々とその人間に触って見るのであった。彼は、それを人形とは感付かないで、仮死体が、薬品のために固くなっているように思っているのであった。それは非常に都合がよかった。

「勿論じゃないか?」

私は呶鳴るように言った。

「何をお使いになったのですか?」

「そんなことを知らないでどうするんだ」

私は再び呶鳴った。そして私はメスを持直してその首を切断した。切口には血の色の絵具を塗った。そこへ麻酔剤やその他の薬品のようにして持込んであった小瓶は、実は皆んな血の色の絵具で、それを彼が気付かないうちに切口へ塗ることも亦容易であった。そして更に、私は、その首と胴とを接合しようと努力して見せるのであるが、その切口に血管も神経もなく固くぼろぼろになっているのを見て、彼は尚も混乱して来るのであった。そこで私も狂乱したように見せかけ、私はメスを持直して、その人形の脚を切落し、両腕を切落して見せるのであった。すると気の弱い彼は、私をそこに残して研究室から逃出して了うのであった。

併し、私の療法は、決して失敗ではなかった。西谷青年は、何んなにかその実験を怖れ戦いて、実験室から自分の部屋に逃込むと、それなりもう、一週間位は部屋の外へ出なかったのだから。そして彼は、その一週間の間を、寝食を忘れるようにして自分の途を迷っているのであった。ここに何等の夾雑物的な感情が無ければ、彼が外科医としての希望を断念して了うことは、当然のことであった。断念と同時に、そして気が軽くなり、放心状態が次第に快復へ導くことも亦当然であった。

私はしかし、尚その上にも、彼が自分の手先の不器用なことを、徹底的に、真価以上に自覚するような、実験を課してやった。それは二片の豚肉を与えて、その肉片の中の神経と神経と、血管と血管とを接合することであったが、死肉の神経や血管を接続することは余程よく熟練している外科医にも容易に出来るものではなく、尚且つ、私は前もってその血管や神経を抜取ってあるのだった。全く悪魔の課題のようで、可哀想ではあったが、彼の病気を癒すためには仕方がなかった。が、しかし、彼は熱心にその課題をやるのだった。両腕を血まみれにして、鼻が肉につきそうになるまで眼を近寄せながら、神経を探り血管を探っているのであった。そして彼は精も根もなくへとへとに疲れて、その二片の肉の間に顔を突込んだまま殆んど気を失って了うのであった。

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