六
日曜日に、駿介は、上原新次のところへ出かけて行つた。歸郷以來、駿介は上原には二度逢つてゐた。それから今日の訪問について云つて來た葉書以外に、やや詳しい手紙を一度もらつてゐた。何れの場合にも、觸れるべき事柄には、まだ深く觸れてはゐなかつた。
傳統の根深い村には、家系のさきのさきまでさかのぼつて尋ねて行けば、そこらあたりの家全體がどこかで縁つづきの關係にあると云ふことは珍らしくはないが、杉野の家が上原と遠縁だと云ふのも、その程度のことである。上原の家が青柳村に移つたのは四十年ほど前のことである。
上原新次は五十ほどの年輩で、髮も口髭ももう半ば白く、小柄な瘠せた男であるが、非常に精力的な風貌だつた。十五町歩ほどの地主で、村長をつとめたことも、縣會議員だつたこともあるが、近年一切さういふ公職からは身を退き、地方政治とも關係を絶つてゐる。田舍に住む老人としては珍らしい讀書家で、好學の心を地方の民俗や土俗の研究で滿たしてゐる。その方ではかなり名を知られてもゐるので、中央からその方面の學者がこの地方をおとづれる時には、よく彼を訪ねることがある。
書齋へ通ると、上原は、机の上にひろげた和綴の古文書のやうなものをわきへ片づけて、こつちへ向きなほつたところであつた。
「暑くなつたな。變りはないかね。」と、おだやかな笑顏で、見上げながら云つた。
「御無沙汰してをります。」
いつ來て見ても同じやうな、ただ積み重ねた書物の山が少し大きくなつてゐるに過ぎない、その部屋にしみついてゐる古い匂ひを駿介は嗅いだ。どういふ動機からか、此頃はとかく引つ籠りがちになつて、この薄暗い部屋に坐り續けてゐるやうな老人の生活の雰圍氣は、駿介が道々考へ、云はうとして來たことが抵抗を感ずるやうなものとも、またはかへつてそれを受け容れてくれるやうなものともどつちとも云へる。
「君等の方は麥はどうだつたかね、今年は。」
「一體に非常に好かつたやうです。」
「それアいい……このへんも好かつたやうだ。作がいいと聞くと、聞いただけでも心があつたまる。わしらのやうなものでもね。植附け時には照らにやいいが。」
「春からあれだけ照つたから、丁度その時分には降るだらうつて、みんな云つてゐますが。」
「うん。」
膝は崩さずにきちんとして坐つてゐるから、駿介の足の方は見えない。その膝のあたりへ眼を落して、上原が、
「いつか、足を怪我したさうだが。」と、訊いた。
「ええ……別になんともなかつたんです。」と、答へながら、父が話したのだな、と思つた。
「ところでどうするつもりなんだね。君は一體。」
靜かに云つて、上原は要件のなかへ入つて行つた。
もう少し色々考へて見たいとの君の手紙であつたから、私もそのつもりでゐたが、東京の平山から、つい此頃も、非常に喧しく言つて來た。腹を立ててゐる樣子で、こつちにだつて都合がある。あの學生は貴下の言葉があつたから特に頼んだが、止めるのだつたら遠慮なく早く云つてよこして欲しい、代りを考へなければならぬから、と、これはもつともな話だと思ふ。君はどうするつもりか、と彼は云ふのだつた。
駿介は、この間から考へてゐたことを、ぽつりぽつり話し出した。
自分の氣持を出來るだけ忠實に相手に傳へたい。自分にも分らぬところは、分らぬとしてそのまま殘しておいて、分つてゐるだけを、瞹昧でなく、嘘いつはりなく傳へたい、さういふ氣持だつた。話の進行につれて今まで分らなかつたところも段々はつきりして行く、といふことを感じた。同時に、はつきりしてゐた筈のことも、案外つかめてゐないことをも感じた。
話してゐる間ぢゆう、非常に氣になつたのは、相手との年齡の差、といふよりは時代の差であつた。相手は口をさしはさまず、默つて聞いてゐるだけなのに、その差が重くのしかかつて、ややもすれば言葉が跡絶えた。一つの言葉、たとへば社會運動の方から出て、今は一般の常識語になつてゐるやうな言葉を使ふにさへ注意した。言葉のはしなどにあらはれる、今の青年に共通な匂ひが、その云ふことの好し惡しは別として、感覺的に老年者に反撥を感ぜしめるものがあることを思つたからである。わるく思はれたくない、といふ氣持からではない。恩を受けた人に、自分の眞意は汲み取つてもらひたかつたから、そしてまた彼は議論は避けたかつたから。さういふふうに色々神經を使つた。
「――前には岡島さんとのこともありましたし、私のわがままからでしたが、その時もお叱りなく平山さんにお世話をいただいたのに、今度また御迷惑をおかけするといふのは心苦しいことですが。」
ほんたうにさう感じて云つた。自分の爲によりいい生活の道を拓かうと、心を碎いてくれたこの十年間の彼の好意は、身にしみてゐた。その好意を無にしてしまはなければならなくなつた結果について思つた。
「ふむ……君はそんなふうに考へてゐるのかね……もつとも君が云つたすべてを、わしは充分に理解したとは思はんが。」
上原はむづかしい顏になつて云つた。皺は深くなり、それは顏を小さく陰氣なものにして見せた。不機嫌といふよりは、考へに沈んだ顏であつた。
「平山の家が不愉快だからといふわけぢやないんだね?」
「いいえ、さういふことぢやないんです。」
「もしさうだといふなら、ほかに幾らも方法もあることだが」と、上原はつぶやくやうに云つて、
「かういふことはないかな。古いがよくある考へ方だが……人の世話になる、ことに金持の物質的援助を仰ぐなんといふことを潔しとしない氣持だな。新井白石のいはゆる、一尺の蛇の一寸の傷は、十尺になれば傷もまた十倍になると云ふ奴だ。」
「さういふ氣持はむしろ昔でした。子供の頃です。今はそんなことはありません。」
「君は、志村――志村克彦さ。例の。あの男に逢ひはしなかつたかね?」
急に、彼は別なことを云つた。
「四五日前、久しぶりで逢つたばかりです。」
「ほう――。東京ぢや往き來はなかつたのか。」
「あの人がまだ學校にゐる頃には時々逢つてゐましたが、さう親しいといふほどぢやありませんでした。」
なぜ、突然志村について訊いたのであらう。かつて志村が抱いてゐた思想への、自分の接近の程度を疑ひ、遠まはしに訊いてみたのであらうか。さうして、自分が語つたとは別のところに今の自分を理解する鍵を求めようとするのであらうか。さうだとすれば駿介は否定の答へをするのほかはなかつた。カムフラージの意味でなくさうだつた。
「あの男について君はどのやうに思ふかね。」
上原は志村の近況について二三語つた。彼が何に對しても興味を失つてゐることを立證する、彼自身の口から駿介が聞いたことを裏書するやうなことであつた。
「さア……ここ三四年のあの人については詳しいことは知りませんし、この間逢つた時も、餘り突つ込んだ話はしませんでしたから。」
さうは云ひながら、志村については、この間から考へてゐる次の事だけはどうしても云はずにはゐられなかつた。
「……けれど、今のあの人がそんなだとすると僕は云ひたいことがあるのです。直接あの人に向つて云はうと思つて、つい云ひそびれてしまひましたが、あの人はなぜもう一度新しく踏み出さうとはしないのでせう? 今迄の線に添うて行く道が鎖された時に、それ以外には道はないのだらうか? そりや、僕みたいにあの人のやうな過去を持たぬものにも、あの人の苦しい立場はわかる。ある一つの思想的立場に立つて行動し、挫折しなければならなかつた人が、起ち上らうと云ふのは、今後どういふ生き方の道を辿るにしろ、容易ならぬことで、わきでかれこれ云ふほどさう簡單なことではないでせう。志村君に云はせれば、今その姿勢を正してゐる時だと云ふのでせうが、心の世界で堂々巡りしてゐるのでは何時まで經つてもきりがない。心の世界で、一から十までこれでいいといふところまできまりをつけて、さてそれから何かやらうと云ふのでは、何時まで經つても何もやれるもんぢやないと思ひます、しかし志村君は勿論そのくらゐのことは知つてゐる、だから自分でも云つてゐるやうなことをいろいろやつて見たのでせう。しかし何をやつてもつまらない――批判の眼が働き、やつてることの性質が見え透き、興味も、熱意も持てなくてやめてしまふ、と云つてゐます。
僕はこれは實に重大なことだとおもふのです。批判の眼といふ、その眼が間違つてゐるのだ、と云ふことが第一に云へるとは思ひますが、それよりももつと深いところに根ざしたものを僕は感じます。生活に對する愛を持ち得ないやうな人間になつてゐるのではないかと云ふおそれです。人間生活の美しさや醜さや豐かさや貧しさやに對して、喜びや悲しみや怒りや憎しみやを素直に生々と感じることの出來ないかなしい人間にです。人間としてこれは一番に大切なものです。さういふ愛があつてはじめて積極的な生活者になれる。生活のなかから益々さういふ愛を深め、それは又逆に彼の生活を豐かな立派なものにして行く。挫折してもまた起ち上つて行く力もそこから汲み出せる。それは理論や思想と無關係ではない。結びつかねばならぬものだけれども、一應別にして考へることも出來るし、實際の場合としてその兩者がバラバラな、あるひはその一方を缺いてゐるやうな生活者は多いと思ふんです。……志村君なんか、今はあんなふうですが、僕はあの人の昔だつて、どれだけさういふ人間への、生活への深い愛に基づいた行動であつたか疑問だと思ふんです。さういふ深い根がなくては、思想も冷やかで、觀念的であることを排してゐながら觀念的でないわけにはいかないでせう。支柱であつたその思想さへ失へば今のやうなことになるのは當然な氣がします。……志村君より一時期あとの僕等のなかの不感症的存在よりは、或ひはもつと治癒し難いかも知れません。……ともかくさういふ、生活に對する愛と憎しみとを失つた無感動な人間はふえて行つてゐます。それは普通一口に生活力が無い、といふことだけでは覆ひ得ない内容です。それは一種の現代病でせう。それの原因はおそらく複雜なものでせう。それは社會的な根據を尋ねられなければならないものでせう。……今の僕にはそれはよく分らない。しかし僕はさういふ人間にだけはなりたくはない。……しかし僕は東京にゐて、何となく自分も知らぬ間にさういふ人間に落ち込んで行きさうなおそれを感じたんです。さういふことが今度の事の大きな理由の一つになつてゐます。」
駿介は、はじめのうちのやうに相手に對して細かな顧慮を拂ふ餘裕は、もはや持たなかつた。
「――生活してゐる、と自ら感じ得る生活がまづ必要であり、その結果ならば、それがたとひ何であらうとそこからまた道は拓けよう、とさう思つてゐるのです。自分に對してまづ忠實でなければならないと思ふんです。さうでなければまた、どんな結果に對しても自分が責任を負ふといふ氣持にはなれないでせう。」
上原は身じろぎもせず默つて聞いてゐた。彼は駿介をぢつと見つめた。そして云つた。
「他人の經驗だけでは納得は出來ない。他人の經驗はあく迄も他人の經驗だ。自分で一々踏みしめて見ねば承服できない。さういふ氣持はたしかに尊重さるべきものだ。氣持だけでもさういふものさへ此頃は段々少くなつて來てゐる。それを君はその上に思つたことを實際にやつて行かうと云ふのだ。志村とか、……それからうちの哲造とか、いふものよりは、生きて行く上の態度が積極的だといふただその一點からだけでもたしかに立派だ。方向の如何にかかはらずだな。ぢやが、それを一應認めた上で、やはり方向は問題にせずには居られん。」
「哲造さんは今どうしてゐらつしやるんです? しばらくお噂さを聞きませんが。」と、話の途中ではあつたけれども、駿介は訊いた。哲造の名を云つた時の彼は、ちよつとためらつたやうな、ぎごちないやうな調子であつた。
しかし上原は問には答へようとせずに續けた。
「他人の經驗で滿足できないと云つたところで、君は結果を生んだ原因を無視出來まいし、原因が一つならいやでも他人が經驗したと同じ結果になることをあらかじめ認めないわけにもいかないだらう。君は歴史を信じないわけにはいかんだらう。わしの結論を云へば、わしは君が、君のいはゆる新しい生活、實のある生活を求めて、今さら田舍へ歸つて來た、百姓の仕事に歸つて來た、といふことにまづ賛成するわけにはいかんのだ。」
彼の調子には、詰問的なと云つていいものがあつた。彼と話す機會は多くはなかつたにしろ、このやうな何か激しい調子でものを云ふ上原を見るのは駿介ははじめてであつた。かういふ内容を彼の口から聞くと云ふことも無論はじめてのことである。
「君の轉換、君の實行といふものは、はつきりした理論とか、思想的立場とかの上に立つたものぢやない。むしろこれからの生活のなかからさういふものを求めて行くんだ。といふか、そこにこそ君の積極面と消極面がある、矛盾があるとわしは思ふ。君一個に關する限り、君は積極的にはちがひない。ぢやが、さういふ君を、廣い社會のなかにおいて見たとき、君は果してさうか? 志村が云つたと同じことをわしもさういふ。志村やわしが云つたとすれば、力も持たぬが、云つた人間を考へず、その中身だけを好う考へて見い。
今の農村へ歸つて來て、一部自作し、一部小作してかつがつ食ふとる、お前の親の家さ歸つて來て、お前は一體何をしようといふんだ? そりや今からでも百姓仕事は覺えることは出來る。飯だけは食へる。難儀はあつても、都會のサラリーマンよりは厭な思ひせずと、食うて行くことは出來よう。ぢやが、それだけがお前の望みぢやなし、かといつてお前の家を昔のさかんな時にまで再興するといふのが目的でもありやせん。お前の眼は内へと同時に外へも向いとる、むしろそれがお前の出發點なんぢやから。その外への動きにおいてお前は一體何が出來る? わしは何もお前を見くびつたり、お前の能力を輕視したり、するんぢやない。お前にいい頭があり、勇氣があり、いい方法があるとしてもお前一人の力ぢや何事も出來やしない。お前は果して協力者を求めることが出來るか? お前はお前が歸つて來て、そのなかに身をおいてゐる農村といふものがどんなものだか知つとるか? 知らんからこそ、それを知るために歸つて來たんだと云ふぢやらうが、それを知つた時は、同時に、さきの日の夢も希望も失つた時でないとは云へんぞ。そりやお前にだつて、若い時にや、村の青年團の幹事、年を老りや篤農家なみの仕事は出來ようさ。――しかしわしを見んかい、わしを!」
彼は激しく叱るやうに云つた。
「わしは地主ぢや。この地方では先づ中どこの地主といふことになつとる。親から受け繼いで、わしの代になつて失うた土地は、その四分の一がほどだ。わしに代つて今は信託會社が地主で、昔のわしとこの小作の衆は會社を旦那にしとるわけだ。わしは失うたばかりでなく、ふやしたものもある。わしの借金は今、一萬圓の餘だ。その大部分の貸主は勸業銀行と信託會社だ。秋期年賦償還で、年五分五厘から六分の利子だ。何れは今の持地のうちの何んぼかも、會社のものになるんぢやろ。わしはこんなに他人事みたいに云うて、ぢつと手を拱いてその時を待つとる。ぢたばたして見たところであきやせん。われとわが足をぬかるみに踏ん込むばかりぢやから。
わしはどの道かでだらしが無かつたか? わしは怠けものだつたか? 利殖の道にたくみだつたとは戲談にも云へんにしろ、世間普通の地主と變つた地主でもなかつた。多少變つたところがあつたとすれば、昔から、大正の末から近年まで絶え間なかつた地主と小作の間のもめ事の起るずつと以前から、わしは温情主義で、わしところの貢米はほかに較べて少し安かつたといふぐらゐのもんだ。少し、それもほんの少しだ。ぢやが、その少しが、地主仲間のあるものからは、新しがつてせいでもいいことを異を立てるの、ありや縣會へ出る野心からぢやのと、わしの柄でもない本讀みのことまで一緒に持ち出されて、うるさう、惡しざまに云はれたもんだ。さうして、今となつては、上原の左前になつたなあ、そのせゐぢやと云ひくさる。ぢやが、さういふ者等は一體何だ? 連中は、わしと同じ地主だが、同時にまたわしが借りとる信託會社や地方銀行の株主でもあるんだ。そのほかいろんなものと結んどるが、ともかく昔から見て左前にならずにすんどるものは、ただの地主のほかの何かにきまつとる。わしがさういふものになれなんだのを、嗤ふと云ふんなら、話はわかるがな。
わしはまた、お前の祖父さんみたいに、政治騷ぎに金を使ひもせん。……上納金をはじめ土地の諸掛りは、これらはすべてでまづ地主收入の半分を食ふぢやらう。それから子供の教育費だ。女の子は女學校だけですむとして、男の子は專門學校、大學だ。一人あたまいくらかかると思ふ? わしら程度の地主の借金の大半はこの教育費だが、さて卒業してどうなる? 卒業したあとあとまでなほしばらくは土地を食ひ荒すのをむしろ普通とせんならん。それからこれは何も地主には限らんが、少し大けえ病氣でもするものがあつて見い。うちの死んだ婆さんの醫療代は米五十俵分だつた。そのほか冠婚葬祭何につけても、それぞれのしきたりに從ひ、その家の格式に從つて出費がある。町の者らの知らんバカげた出費がある。……米が入るぢやらう。産業組合さ持つて行つた米劵に代へる。ぢやが賣り時が來て、預けた我が米が賣られる迄米劵で持つとることなんどありやせん。米穀統制法による公定價格といふのがある。その最低の二割天引の條件で金に代へてすぐに右から左だ。いざ精算といふ時にはいくらも殘つとりやせん。そこへどかツと大きな物入りがありや、いやでもまた土地に手をつけるといふことになる。土地が狹いけに、幸か不幸か、たとひ引き合はんでもこの地方では土地は賣れるんぢやけに。」
彼は茶を啜つた。そしてまた續けた。彼は胸にたまつてゐることが多いのであつた。しかしそれを吐き出すべき相手に逢ふことが多いとは思へなかつた。さういふ相手として自分が見られてゐることを駿介は感じた。すると駿介は、胸が熱くなつて來た。
「……困つとるのは小作ばかしぢやない。地主かて困つとる。わしなど愚物ぢやから、自分一個の事よりや、少しでも外へ廣く眼が向き、社會の事などを考へるやうになつたのは中年になつてやつとのことだ。それも人の不幸を見てといふよりや、段々尻つぼまりの我が家の經濟に刺※されてのこつた。わしはもつとどうにかならぬものかと思つた。村のもの全體が更正出來る道を知りたいと思つた。かう借金がふえて行きよつてはどうもならん。かう作つたものの値が安うてはどうもならん。その人その人の心がけの善え惡いといふことだけぢやない。ほかに原因がありやそれを除きたい、おれのやうなものにも出來ることがありや、何なとしたいとかう思つたのだ。
わしが郡會へ出たのを手始めに、縣會に出たり、縣信聯の役員になつたり、村長にもなつたり、身の程も知らんと、いろんな公共團體に關係するやうになつたのは、それ以後のこつた。今から考へて見りや、全く冷汗もんさなあ。なんちや知りやせんのだ。本を讀んで理窟を知つとるわけぢやなし、經驗があるわけぢやなし。ただ、何とかしたいといふ、熱心な眞面目な氣持だけはあり、やつて行くうちに、わからんこともわかつて來ようと思つた。つまり、今の君に似てゐたと云へると思ふ。君はその當時のわしよりや、較べものにならんほど本は多く讀んどる。しかし社會も亦わしらの時代よりは、比較にならんほど複雜にもなつて來とる。君はまだ據り所とする社會理論は持たぬと云ふ。つまりは誠意だけで社會の波のなかに身を投げ、溺れるとも乘り切るとも、人も我も知らんといふわけだ。……わしもやつて見たさ。一生懸命やつて見た。まる十八年間やつて見た。分らんことも追々には分つても來たさ。ぢやが、分ればわかるほど、それに從つて分らん事も亦多くなつて行くといふふうな分り方なのだ。これはつまり、分つたことを實現して行く能力が無い、そのためにその間の大きな開きの自覺がそのやうに思はせたのだらうがね。
郡會や縣會に出て、地方政治に關係した時には、わしは政友會にも憲政會にも所屬してはゐなかつた。自分でじつくり考へて、考へたことを踏み行ふ過程とその結果の上で、一つづつ新しく學んで行かうとした。かうして身につけて行つたものに嘘はない筈ぢやからして。わしに據り所が無かつたとは云へん。わしはいはば社會の健全な常識に頼つてゐた。健全な常識の終局の勝利を信じてゐた。政治が、黨派と黨派との爭ひだといふことぐらゐ、何ぼわしかて知らんかつたわけではないが、わしは何ものにも掣肘されたくなかつたし、それに社會の大多數の常識の上に立つてゐる自分は、たとへ一人でも事を行へぬ筈はないと考へてゐた。健全な常識は社會正義を覆ひはしなからう。社會正義は健全な常識を越えた向うにこそ求められることもあらう。ぢやが、常識は固定したものぢやなし、それが高まつて行くといふことは、社會正義にそれだけ合致して行くと云ふことだらう。まづ、今日の常識に立脚したところで不都合はなからう。では社會正義とは何か? それを突きつめて考へることはわしは避けてゐた。それを考へ、そこから今の常識へ戻つて來ると云ふのではなかつた。そのへんのところがわしの拔けてゐた點だらう。さういふわしの健全なる常識は、實際の政治の世界では一體どんな眼に會はねばならなかつたか? 手近かなところでさつき米劵のことを云つたな。産業組合へ米を預けて適當の時に賣つてもらふ。小作には預ける米なんぞ無い。一俵二俵と引つ擔いで賣りに行くんぢやが、少し多く作つとる自作から地主までは大方預ける。賣る潮時は縣の組合から村の組合へ云つてよこす。ぢやが、一度に賣れるこつちやない。ところで値がまだ餘りせんうちに、もつと高くなること必定と云ふ時に賣るのはきまつて、わづかしか預けとらん小者の米だ。大きな地主の分は一番いい値の時に賣り出す。これは誰が考へても不公平と云ふものぢやないか? まさしくこれとは反對にこそ賣られねばならんぢやないか? だからわしはそれについて喧しく云つた。しかし疑はれ、嗤はれたのはわしの『常識』なんだ。上原は地主だ。それもまづ中どこの地主だ。自分が損をしてゐるのでもないことに、なにもさうムキにならんかていいぢやないか、おかしな奴ぢや、とまアさういふわけだ。一々擧げりや、きりながい。一事が萬事だ。わしは先づこの引つくり返つとる彼等の常識と戰はねばならなくなつた。
長い間わしは孤獨で、無力な戰ひを續けて行つた。しだいにわしは周圍を見まはしはじめた。協力者を求めはじめたのだ。しかしさういふ者は見當らなかつた。あるひは協力者たり得たかも知れなかつた者も、ある事情から、その頃は急速度にわしに背を向けて離れて行つた。ある事情、それは、のちに無産黨の地盤になつた勢力が漸く擡頭しつつあつたことだ。
わしは新勢力の味方ではなかつた。わしの常識は、既成政黨による地主群を批判したやうに、新勢力をも批判した。しかし新勢力に對立してひどく硬化して行つたやうな者とわしとの間に、おのづからな相違があつたことは云ふまでもない。わしはこの二つの力の間にはさまつてしまつた。どつちからもよくは云はれなかつた。わしの常識は結局一つの政治的力にはならなかつた。議員に出てゐるわしの背後には勿論選擧民がある。だが、彼等は、わしには、すべての選擧民中のもつとも無氣力なもののやうに見えてならなかつた。
遂にわしの引退の時が來たが、それの動機は、地主と小作との間の、ある大きな紛議だつた。わしは調停者として間に立つて奔走した。おれが責任を持つから任せろといふことを、双方の代表に向つて云つたのだ。しかし苦勞して作つたわしの解決案は、結局、當事者を喜ばせることは出來なかつた。解決案は蹴られる。調停を任したばつかりに、勝利の時を逸したと云つては責められる。實に散々だつた。調停と云ふ以上、わしが心を碎いたのは、双方が立つ道を、共存共榮の道を、見出さうとすることのほかにはなかつた。わしは双方に讓り合ふことを求めたのだ。そして破れた。だが考へて見ればわしはそもそもの最初から、常に調停者であつたのではないか? 調停者はわしの本質であつたのではないか?
それを限りにわしは一切の公けの仕事から手を引いてしまつた。
村々はこれからどうなつて行くものかね。わしにはどうもわからん。わしはただ默つてかうして坐つて、見てゐるばかりだ。わしも年々逼塞して行く。しかしわしらは困るなんぞと云つても、小作とはまだたちがちがふ。子供を大學へ入れ、娘の嫁入りには千兩かけ、病氣すりや病院さ入れて、さうして困ると云つとるんぢやからな。しかしさうでない、ほんたうの困り方といふものも、年と共に、段々に來るやうに思ふ。學校へやつたわしの子供等は、みな揃つてやくざだし、土地も無うなつて行く。だがそれが何ぢやい。土地持たずの、借金持ちの困りやうが來たところで、そりや、村の普通の者らとなみになつたといふにすぎんぢやないか。まア、なるやうになれと、そんなふうに思つて見てゐるのさね。」
駿介は、ほかとはちがつてゐる、地主としての上原を思つて見た。それは噂に聞き知つてゐるところである。彼の土地の小作料は、近在に較べやうもない安さであつた。その上、違作引きや、土地や灌漑についての修理費など、耕作者が要求して可かれないといふことはなかつた。みんな、はじめは圖に乘つて要求したが、しまひには氣味わるがり出したほどであつた。小金を工面した小作人がゐて、耕してゐる土地をわがものとしたい願ひを持つたとき、上原は二つ返事で土地を手放した。たとへやうもない安い價格で。彼は何か投げ棄ててかかつてゐるやうに見えるのであつた。
上原が近年民俗や土俗の學に身を入れてゐるといふことも、駿介には新しい關心で考へさされた。それは逃避ではあらう。しかし政治と社會生活の表面から身を引いた田舍の地主が、暇をつぶすためにならほかに多くのものがあるだらう。知識欲を滿足させたい要求が、かなりに高度だとしても、ほかのものでもいいわけだらう。
彼の選擇は偶然ではなく、五十を越えた彼がさういふ學問に身を入れはじめたといふことのなかには、何かかなしいものがあるやうに思へた。地方の民衆生活に對する深い愛から出てゐるもののやうに思はれた。彼はさういふ自分の愛を、廣く民衆の現在の生活のなかに注ぎ込まうとした。それが失敗に終つたとき、彼の眼は過去に向つた。過ぎ去つた時代に生れて、今に傳はつてゐる、民間の風俗、習慣、言語、傳説、信仰等を一つ一つ調べて見ることのなかに、せめてもの心やりを求めた。民間の風俗や習慣や傳説のうしろに、どんなにその當時の物質上の關係が探られたところで、それが現在の何人の利害の意識をも刺戟しないばつかりに、昔彼を責めた人々も、風變りな地主だとして彼を見逃すし、彼も亦氣安くてゐることが出來るのだ。彼はいよいよ、地主といふ自分の存在をいとひはじめて來たのかも知れない。彼はまたこのぶんで進んで、いつかは故郷を喪失する自分を今から見てゐるのかも知れない。彼のそのやうな學問への身の入れ方のなかには、やがて失はるべき郷土への愛が噎んでゐるのかも知れない。
「君はわしぢやない。しかしまたわしにならぬとも限るまい。失敬だが、わしからどれほど拔けて出れるかも、これは分らんとせにやなるまい。わしの時よか、むづかしくともやさしくはこれからなりやせんからな。内と外との調和を求めて、一心にやつて見て、さて一度破れてしまふと、それからはケロツとして、我が身の利益ばかり追つかけすやうになるんならこれはまた別だ。さういふものはある。一切を若さからの夢であつたとしてだな。さうなり切ることが出來さへすりや、そりやある意味ではむしろ幸福だらう。が、なかなかさうはなれん。そこでさきの道へ向つて再び氣力を呼び醒さうと思つても、一度蹉跌したあとといふものは、どうもこの身うちの精髓をどこかに吸ひとられた感じで、だめなものだ。かうして失つたものはどうも二度とは取り返せんものらしい。その結果はわしとか志村とかいふものになる。」
「ぢやあ、一體どうしたらいいとをぢさんはおつしやるんです? それぢや僕が取らうとしてゐる形式なんかは第二の問題で、そもそも僕らがさういふ要求を持つに到つた、それでもつて心を燃したといふことが、惡い、もしくは不幸だといふことになるぢやありませんか? 不幸かどうかは知りません。それはどうでもいいことです。持たずにすまし得ればともかく、持つてしまつた以上は仕方のないことです。その要求を貫かうとするために、いろんな形式があるでせう。そのどれを取るにしろ、蹉跌と成就とはあるでせう。このやうな時代に、一度蹉跌したらあるひはそれつきりであらうといふこともわかります。……しかしさうであつても構はないのです。自分の行動が自分に生じた結果に對しては、自分が責任を負ふだけのことです。僕はさつき、志村君についてあのやうに云ひましたが、一方には、たとひ今後志村君が蛻の殼のやうになつて生きて行くとしても、それはそれとして默つて見送らねばならぬとする氣持も、僕にはあるのです。」
上原は答へなかつた。自分の言葉が若ものを納得させる力を持たぬことを彼自身よく知つてゐた。説得が力なく曖昧なのは、説得の内容に自信が持てぬからであつた。多くの言葉を費しても、つまるところはただかう云ひたいのだつた。
「よけいな心を起すな。脇見をするな。まつすぐ、今迄の道を、俗世間一般の道を行け。」彼はそれを露骨には云はなかつた。云へなかつた。彼自身さういふ道を憎んでゐたからである。彼は世間から離れて住む自分の現在を苦とはしてゐなかつた。さういふ現在をもたらした過去を悔いてはゐなかつた。しかも、彼の後から來る青年に向つては、ならうことならやはり危なげのない世間の道を行くことをすすめたい。
「……お前をはじめて岡島の家に世話した時には、わしはお前の將來については、さう大して深く考へてゐたわけではなかつた。成績のいい、學問好きな子を、このまま草深い田舍に、埋もれさせるのは可哀さうだし、惜しい。何とかして學問の道を開いてやりたい、とそれだけの氣持だつた。わしが若い時お前の祖父さんに非常に世話になつたといふことは、無論さういふわしの氣持を進めた。しかしお前がやがて青年期にはいるに及んで、わしはお前の將來には無關心ではゐられなくなつた、騷がしい時代の空氣が、わしの周圍の若い者をまで引つ攫つて行く事實を幾つか見るやうになつたからだ。志村の父親とわしとは、往き來のある間柄だ、忰の哲造がぐれ出し、學校も途中で投げてしまつて、おかしな女と一緒に暮してゐるとはじめて知つた時には、わしは一時に疲れが來て、年を老つたやうな氣がした。哲造は子供等のなかでは一番出來が良かつただけになあ。わしはお前のことを思はないわけにはいかなくなつた。わしはお前が、志村や哲造などからは唾棄されるやうな、世間人の道を、あるひは俗物の道を、歩むことを敢て望んだ。物質的援助を與へてくれる者の機嫌はこれを損じないやうにと努め、學校では成績順を氣にし、一切を就職に向つて備へ、就職してからは、月給と地位の向上が生きてゐることの目的となる。君は堪へがたい侮辱を感ずるだらうが、わしは君にさういふ人間を敢てのぞんだのだ。
今が今まで、今日の君との話においてさへさういふ君をのぞむわしの氣持がものを云つてゐた。それが君の家にとつても仕合せだし、わしが君を東京へ送り出した責任もそれで果されるかに考へたんだ。わしにはそんなところがある……しかし、君は幸にもわしの望む通りにはならなかつた。わしは今云つたやうに望み、口に出しても云ひながら、腹の一方では、さういふわしに激しく反撥するやうな君を期待し、願つてもゐたんだ。君がわしの云ふ通りの人間になつて行つたら、わしは上べでは喜びながら、腹では輕蔑してゐただらう。しかし君は反撥した。岡島にも平山にもわしにも、君の十年の過去にもすべて反撥した。君は眞實を愛する心を持つてゐる。自分の心にきざした疑ひをいいかげんにしてすますことの出來ぬ性質だ。自分をいつはることの出來ぬ人間だ。この機會にさういふ君を發見したことがわしには何よりも嬉しいんだ。血だな。やつぱり血だ。さういふのは杉野の家が代々受け繼いでゐるものだ。祖父さんの伊與造、親父の駒平、みんなその點では頑固なんだ……」
上原は次第に興奮し、その顏には若々しい血さへのぼつた。駿介はびつくりして老人を見つめてゐた。
「血と云へば、しかし、あの哲造の奴はどういふものだらう?」
それを云つた時、老人の顏にはにはかに苦しさうな、頼りを失つたものの弱々しさがうかんだ。輝いてさへ見えた顏からそれへの突然の變化は駿介をもう一度驚かした。幾度か避けて來た息子の名を、もはや避けようとはせぬのである。
「君達はいい。君にしても志村にしてもともかく何等かの確信を得ようとして努めてゐる。自分の身體をかけて實驗して見るだけの氣力を持つてゐる。今の志村はいかにもあの通りだ。しかしあれはおそらくは君等のうちの誰よりも激しく心を燃え立たせ、激しく實行した。その反動として今はああなんだ。……ところが、わしとこの哲造奴はどうだ! 奴ははじめつから今みたいなふうなんだ。何をやつて見る元氣も、興味も、生れた時から持たぬやうな顏をしくさつてゐる……やつて見ないで何もかも小馬鹿にしくさつてゐる。まるで氣拔けだ!……青年らしい、ぢつとしては居られぬ、何かをやつて見ずには居られぬ、はずむやうな氣持なんぞはまるで一度も知らんと云つたふうだ。無論馬鹿ぢやない、物の理解はよう出來とる方だ。何といふけつたいな奴が出來たもんだらう。あれもやつぱりわしの血だといふのか。……あれらはつまりあんまり多く見たり聞いたりして、物事に素直に驚いたり感心したりすることがなくなつて了つたんだな。」
駿介は哲造について深く突つ込んで訊く氣はなかつた。彼等はしばらく默つてゐた。
やがて老人は聲を落して云つた。
「ああいふ奴等は飯を食ふためにほんたうに苦しんで見ることが必要なんだらう。しかし遲かれ早かれその時は來るさ。宿り木は宿つてゐる木が枯れりや自分も枯れるんだ。その時になつてもなほ枯れたくなけりや、いやでも自分から動き出してほかに根を下ろさにやなるまいよ。」
老人は興奮からふるへてゐるやうにさへ見えた。大きく見開いた眼は涙でうるんでゐるやうであつた。駿介は物を云はうとして云へぬ、その心をこめた眼差で老人を見た。すると駿介の心には、この老人に對する、何ともいへぬ親しみ、いぢらしいやうな感じ、敬愛と感謝の念などのごつちやになつたものが一時に湧いて來た。瘠せて細つそりした膝の上の兩手や、鬢の毛が眞白で額には太い苦勞の皺を、眼尻には柔和ないつも笑つてゐるやうな皺を、刻んだ老人の小さな顏を、自分の兩手のなかに包んでしまひたいやうな衝動を感じた。