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時計屋へ直しに遣つてあつた八角形の柱時計が復た部屋の柱の上に掛つて、元のやうに音がし出した。その柱だけにも六年も掛つて居る時計だ。三年前に叔母さんが産後の出血で急に亡くなつたのも、その時計の下だ。
姉のお節は外出した時で、妹のお栄は箒を手にしながら散乱つた部屋の内を掃いて居た。斯の姉妹が世話する叔父さんの子供は二人とも男の児で、年少の方は文ちやんと言つて、六歳の悪戯盛りであつた。文ちやんが屋外からお友達でも連れて来ると、何時でも斯の通り部屋を散乱して了ふ。お栄は仏壇のある袋戸棚の下あたりを掃いて居ると、そこへ叔父さんが二階から下りて来た。
「子供は奈何したい。」
と叔父さんが聞いた。叔父さんは昼寝から覚めたばかりの疲れた顔付で居た。
「表へ遊びに行きました。」とお栄は物静かな調子で答へた。
「節は?」と復た叔父さんが聞いた。
「姉さんはお墓参り。」
「斯様な暑い日によくそれでも出掛けて行つたなあ。」と言つて、叔父さんは半ば独語のやうに、「お墓参りには叔父さんもしばらく行かないナ……」終に叔父さんは溜息を吐いた。部屋には片隅にある箪笥から其上に載せた箱の類まで、叔母さんが生きて居た時分とちつとも違はずに置いてある。唯、壁を黄色く塗り変へたので部屋の内がいくらか明るくなつたのと、縁先の狭い庭の一部を板の間にして子供の遊ぶ場所に造つたのと、違つたと言へばそれ位のものだ。叔母さんの眼を楽ませた庭の八手は幾本かあつた木が子供に酷い目に逢はされて、枯れて了つた。中で一本だけ威勢の好いのがズンズン生長して、その年も幹のうらのところに新しい若葉を着けて居る。叔父さんは縁先に出て、その葉の青い光を見て、復たお栄の方へ引返して来た。
「へえ、時計が出来て来たネ。」
と言ひながら叔父さんはしばらく柱の下に立つて、親しいものゝ面を仰ぐやうに、磨き直されて来た時計を見て居た。ネヂを掛ける二つの穴の周囲から羅馬数字を画いたあたりへかけて、手摺れたり剥げ落ちたりした痕が着いて、最早お婆さんのやうな顔の時計であつた。でもまだ斯うして音はして居る。硝子の蓋を通して見える真鍮色の振子は相変らず静かに時を刻んで居る。
「随分長くある時計だよ――叔母さんと一緒に初めて家を持つた時分から、あるんだからネ――阿部の老爺さん(叔母さんの父親)がわざ/\買つて提げて来て呉れた時計なんだからネ――」
斯うお栄に話し聞かせて、やがて叔父さんは流許で癖のやうに手や足を洗つて、復た二階へ上つて行つた。姉の結婚は次第に近づいて来て居た。お栄はそんなことを胸に浮べながら独りで部屋を片附け、それから勝手の方へ行つて笊の中に入れてあつた馬鈴薯の皮を剥き始めた。
昼頃に姉のお節は細い柄の洋傘と黄色な薔薇の花束を手にして帰つて来た。何時でもお節が墓参りに行くと、寺の近所の植木屋で何かしら西洋の草花を見つけて、それを買つては戻つて来た。
「栄ちやん、斯ういふ好いもの。」
とお節は妹の鼻の先へ土産の薔薇を持つて行つて見せた。
お節が子供に隠れて外出したのを不平で居た文ちやんは、それと見て表口から入つて来た。そしていきなりお節に抱きついた。長ちやん――兄の方の子供も学校から帰つて来た時で、鞄をそこへ投出すが早いか、弟と同じやうにお節の手を引いたり、肩へつかまつたりした。
「まあ左様二人で取附かないで頂戴よ……姉さんを休ませて頂戴よ……暑くつて仕様が無いんだから……」
さう言はれると、余計に母親の無い子供等は甘えた。
「栄ちやん、栄ちやん――電車の中でそれは好い人を見てよ。髪の恰好と言ひ、身体の容子と言ひ――」
お節の若々しい快活な笑声と、子供等の騒ぎとでヒツソリとした家の中は急に賑かに成つた。お栄は姉から薔薇の花を受取つて、半分は勝手の棚の上に置き、半分は小さな大理石の花瓶に入れて叔母さんの位牌の側へ持つて行つた。
日に幾度となく叔父さんは子供のことを心配して、二階から見廻りに下りて来た。叔父さんは仏壇のところへ首を突込んで、別にそれを拝むでもなく、唯金箔の剥げかゝつて来た位牌や、薄く塵埃の溜つた過去帳などを眺めて、悄然として居た。
「どうだネ、お墓は綺麗に成つて居たかネ。」と叔父さんは仏壇に倚凭りながら、お節に尋ねた。
「えゝ、すつかり掃除がしてありましたよ。」とお節が答へた。
「お墓も古くなつたらうネ。でも節は感心にお参りするよ。これで遠方へでも行くやうに成ると、またしばらくお参りも出来ないからネ。」
お節は黙つたまゝ立つて居た。
「三年経てばヒドイものぢやないか。」と叔父さんは寂しさうに笑つて、「叔母さんのことも余程忘れて来た――正直な話が、左様だ――」
お節は思出したやうに、「私がこの家へ帰つて来たのは丁度去年の今日でしたよ。」
「さうだつけかなあ。」
「私はお母さんの側には半歳しか居ません。ホラ、叔父さんのとこから電報を寄して下すつたでせう。あの時はお母さんは私を離したくないやうな風でしたけれど……」
「なにしろ彼様な田舎にクスブつて居たんぢや仕様がないからと思つて、叔父さんが東京へ出られるやうにして遣つたんサ。愚図々々して居る時ぢやない、うつかりすると栄ちやんまでお嫁に行き損なつて了ふ。左様思つたから、ドシンと一つ電報で驚かして呉れた。お前がずつと田舎に居て御覧、今度のやうなお嫁さんの話は聞かなかつたかも知れないぜ――女の一生といふものは、考へて見ると妙なものサネ。」
叔父さんは仏壇の側を離れて、箪笥の置いてある方へ行つた。一番上の引出から叔母さんの遺して行つた着物を取出して見た。
「どれ、お形見を一つ呉れようか。」と叔父さんが言つた。
「叔母さんの着物も皆なに遣るうちに、段々少くなつちやつた。」
「栄ちやん、被入つしやいつて。」とお節は妹を呼んだ。
其時叔父さんは叔母さんの長襦袢だの襦袢だの其他こまごました物を姉妹に分けて呉れた。
「それはさうと、御祝言の時の着物は奈何するか。」と叔父さんが言出した。「四月の末に来るといふお婿さんが一月延びることに成つた。綿入の紋附を袷に直して、またそれでも間に合はないなんて、大変な話だぞ。弱つたナ、こりや。」
「根岸の伯母さんにも相談して見ませう。多分間に合ひませう。」とお節が言つた。
「でも五月の末となりや暑いんですよ……大抵単衣物よ。」とお栄が言葉をんだ。
「待てよ。五月の末だなあ。俺は大丈夫と見た。もし暑かつたら成るべく曇つたやうな日を見立てゝ結婚するんだネ。晴天日延とやるか。」
斯の叔父さんの串談は姉妹の娘を笑はせた。
勝手の方からは涼しい風が通つて来た。お栄は古い簾の外に出て、鉢植にしたシネラリヤの可愛らしい花を眺めたり、葉を撫でたりして居た。その草花もお節が根岸の伯母さんの家へ行つた序に買つて来たものであつた。お節は長ちやんを膝の上に抱きながら、勝手の板の間に出掛けた。叔母さんのお墓へ行く途中で行き逢つた知らない顔……電車の窓から見た種々な若い人の後姿……急いで熱い往来を過ぎ行く影……あれか、これかと思ひ比べて来た人のことが激しい日光の感じに混つて、お節の眼を眩むやうにさせた。今にもそこへ身を投出したいやうな、荒い、しかも娘らしい願ひが彼女の胸に湧き上つて来た。お節は自分の胸の鼓動がしつかりと抱いて居る子供の身体にまで伝はつて行くことを感じた。
「長ちやん、好いものを嗅がして進げませうか。」
とお栄は流許へ来て、棚の上にある黄色い薔薇の花を一寸自分で嗅いで見て、それから子供の鼻の先へ持つて行つた。
「あゝ、好い香気だ。」と長ちやんは眼を細くした。
「生意気ねえ。」とお節は笑つて、抱いて居る子供の身体を動するやうにした。
「長ちやんだつて、好いものは好いわねえ。」とお栄も笑つた。
「さう言へば、奈何な兄さんが被入つしやるでせうねえ。」と復たお栄が言つた。
妹は血肥りのした娘らしい手で自分の乳房の辺を着物の上から押へて、遠くから海を越してやつて来るといふお婿さんのことを姉と一緒に想像した。
三年も独りで考へて居る二階から、復た叔父さんが下りて来た。叔父さんは流許へ行つて、水道の口から迸るやうに出て来る冷い水を金盥に受けて、それで顔を洗つた。
叔父さんは手拭で顔を拭き/\勝手に近く居る姉妹の娘に向つて、
「あゝ、あゝ、これでいくらか清々した……今日は阿部の老爺さんに手紙を書いて、斯う自分の身の周囲のことを報告しようと思つてサ……お園さん(亡くなつた甥の妻)もいよいよ東京へ嫁いで来たし、節も近いうちにはお娵さんに成るし、皆な動いて来た……その中で自分ばかりは相変らず……なんて、そんなことを書いてるうちに、涙が出て来て困つた……」
斯う言ひかけて、叔父さんは胸を突出しながら独りで荒い溜息を吐いた。言葉を継いで、
「でも、俺は未だ泣ける――さう思つたら嬉しかつた……余計に涙が出て来た……今日は頬辺が紅くなるほど泣いちやつた。」
「真実に。」
とお節は叔父さんの顔を覗き込むやうにした。叔父さんは笑ひながら物を言つて居たが、その頬はめづらしく泣腫れて居た。
狭い町の中で、風通しの好いやうに表の戸を開けひろげると、日に反射する熱い往来の土が簾越しに見える。勝手に近い処へ膳を据ゑて、そこで叔父さんは昼飯をやつた。
「あれも仕なけりや成らない、これも仕なけりや成らない……仕なけりや成らないことは、ちやんともう解つてますけれど……気ばかり急いちやつて、身体が動かないんですもの……」
給仕しながらお節は笑つた。
叔父さんの側へは文ちやんが来て立つた。叔父さんはその頑是ない容子を見て、
「ほんとに文ちやんも大きく成つたネ。」
「あんなに着物が短くなつちまひました。」と勝手に居たお栄も子供の方を見て言つた。
「姉さん達には余程御礼を言はなけりやならないネ。」と叔父さんは自分の子供に言つた。
何を思ひ附いたか、急に文ちやんはお節の方へ行つて、身体をこすりつけるやうにした。
「また愚図り始める。誰も笑つたんぢやないの。あんたが大きくなつたつて、皆な褒めるんぢや有りませんか。」
とお節は子供を膝の上に載せた。
「節の子供の時分に、叔父さんは一度お前の家へ訪ねて行つたが、覚えて居るかネ。」
「覚えて居ますとも。」
「幾歳だつたらう。今の長ちやん位のものぢやないか。」
「長ちやんよりはすこし大きかつたでせう。」
「なにしろお前のところの老爺さんが未だ達者で居た時分だ……あの薄い髯を撫でゝ居た時分だ……何か好きな物を御馳走しよう、御風呂を焚いたから俺に入れなんて、老爺さんが云つて呉れた時分だ……あの頃にお前は未だ髪の毛などを垂げて居たよ、その人が最早お娵さんに行くんだからねえ。」
多くの人から尊敬された老爺さんの話が出る度に、お節は自分の学校友達などの知らないやうな誇りを感じた。
身内のものゝ話がそれからそれへと引出されて行つた。お節姉妹は叔父さんの側でお父さんのことやお母さんのことや、それから年を取つた老婆さん、叔父さんの子供と幾つも違はない末の弟の噂などをしきりとした。
「しかし、お前達はまだ可い。」と叔父さんが言つた。「叔父さんを御覧な。叔父さんは十三の年にお父さんに別れて了つたよ。お母さんとしみ/″\暮して見たのも僅か二年位のものだ。その二年の間も二人で苦労ばかりして……それを思ふと、お前達は仕合せだ……なにしろ両親がピン/\して居るんだからネ……」
「ほんとに、よく遅れる時計ね――栄ちやん、お肴屋さんへ行つて聞いて来て下さいな。」
と姉に言はれで、妹は家の向ひ側にある肴屋へ尋ねに行つた。
店頭に刺身を造つて居た肴屋の亭主から正しい時間を聞いて来た後、お栄は年を取つた時計の下に立つて長針を直さうとして居た。呉服屋の番頭が入つて来た。それを聞いた叔父さんも下座敷へ来て、チョイ/\外出に着て行かれるやうな女物を見せて貰つた。番頭は糸織の反物、鬱金の布に巻いた帯地などを皆なの前に取出した。
「節、どれが好い?」