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『人形の家』解説

島村抱月

『人形の家』の作者ヘンリック・イブセン(Henrik Ibsen)は西暦千八百二十八年三月二十日、ノールウェーのスキーンといふ小都會に生まれ、千九百六年五月二十三日、七十九歳で同國の首府クリスチアニアに死んだ。彼れの生涯中三十七歳から六十三歳まで、人生の最盛期二十七年間は、本國に意を得ないでドイツ、イタリア等に漂泊の生活を送り、『ブランド』以下『ヘッダ・ガブレル』に至る十餘篇の劇をそのあひだに作つた。彼れの著作目録は、

『カチリーナ』(Catilina--1850)『勇士の墓』(Kjaempehjen=The Warrior's Tomb--1851)『ノルマ又は政治家の戀』(Norma eller en Politikers Kjaerlighed=Norma or a politician's Love--1851)『聖ジョンの夜』(Sancthansnatten=St. John's Night--1853)『オェストラアトのインゲル夫人』(Fru Inger til Oestraat=Lady Inger of Oestraat--1857)『ゾルハウグの饗宴』(Gildet paa Solhaug=The Feast at Solhaug--1857)『オラフ・リリヱクランス』(Olaf Liljekrans--1857)『ヘルゲランドの海豪』(Haermaedene paa Helgeland=The Vikings at Helgeland--1858)『戀の喜劇』(Kjaerlighedens Komedie=Love's Comedy--1862)『僣望者』(Kongsemnerne--The Pretenders--1894)『ブランド』(Brand--1866)『ペール・ギュント』(Peer Gynt--1867)『青年同盟』(De Unges Forbund=The League of Youth--1869)『皇帝とガリリア人』(Kejser og Galiloeer=Emperor and Galilean--1873)『社會の柱』(Samfundets Sttter=The Pillars of Society--1877)『人形の家』(Et Dukkehjem=A Doll's House--1879)『幽靈』(Gengangere=Ghosts--1881)『人民の敵』(En Folkefiende=An Enemy of the People--1882)『鴨』(Vildanden=The Wild Duck--1884)『ロスメルスホルム』(Rosmersholm--1886)『海の夫人』(Fruen fra Havet=The Lady from the Sea--1888)『ヘッダ・ガブレル』(Hedda Gabler--1890)『建築師』(Bygmester Solness=The Master Builder--1882)『幼きエイヨルフ』(Lille Eyolf=Little Eyolf--1894)『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』(John Gabriel Borkman--1897)『我等死者の醒むる時』(Nar Vi Dode Vagner=When We Dead Awaken--1899)『詩集』(Digte=Poems--1870)

イブセン詩集

イブセン書簡集

イブセン演説及新書簡集

イブセン草稿集

これ等の作の中でも、殊にその現代の社會を描いた劇において、イブセンは近代劇の父となり王となつたのである。

『人形の家』と言へば、誰でもすぐ婦人問題ということを想ひ出す。イブセンの社會劇は多く問題劇で、『人形の家』はすなはち婦人問題を材料にした劇であるといふ。そして問題を藝術にするのが善いとか惡いとかいふ論爭がそれにともなふ。けれども要するにこの論爭は無用である。すべての劇が問題劇でなくてはならないといふ理由もなければ、一つの劇が問題劇であつてはならないといふ理由もない。劇が藝術としての目的は我々の生命を衝き動かすところにある。それさへあれば、その方法となり、材料となるものが社會問題であると否とは問ふところではない。『人形の家』には婦人問題が材料として用ひられてゐる。婦人の解放、婦人の獨立、婦人の自覺、男女對當の個人としての結婚、戀愛を基礎とした結婚、といふやうな問題が含まれてゐる。そのためこの劇が單なる藝術の力以外に廣く世界を刺戟したことは否まれない。ヱドマンド・ゴッス氏がその『イブセン傳』(Ibsen : Edmund Gosse)の中で、

『人形の家』はイブセンが始めての無條件的成功の作である。ただに世間一般の議論を惹き起した最初の作であるのみならず、その仕組及び描寫法において、イブセンが撓まざる現實的作家としての新理想を發揮した點で、その以前の作よりも遙かに進んでゐる。アーサー・シモンズ(Arthur Symons)君が「人形の家はイブセンの劇中傀儡をあやつる針金の用ひられなくなつた第一の作である。」といつたのは當つてゐる。一歩を進めては、この針金の用ひられなくなつた第一の近代劇であるともいへる。もとよりまだその後の作のごとく完全の描寫法とはいへない。事件の湊合せられる距離がおそろしく短くて、初めの幕の邊では、巧みに面白く出來てはゐるが、まだよほど實人生の不可避性と遠ざかつてゐる。しかし驚くべき最後の幕において、ノラが出て行く支度をして寢室から立ち出で、ヘルマーと見物とを驚倒せしめるところ、悶へてゐる夫婦が卓を圍み面と向つて對決する邊にくると、人をして始めて、劇壇に新しきもの生れたりといふ感をおこさせる。同時にいはゆる「うまく作つた芝居」は、俄然としてアン女王の死のやうに死んでしまつた。凄愴なまでに生の力の強烈にあらはれてゐることは、この最後の幕において驚くばかりである。昔のめでたい終局は始めて全然抛棄せられ、人生の矛盾が少しの容赦もなく出てきた。『人形の家』が非凡の演劇であつたことをあんなに突然認められたのは珍らしいことである。ノラの「獨立宣言」は全スカンヂナヴ※アに響き渡つた。人々は毎夜々々興奮して顏蒼ざめ、議論をしたり、喧嘩をしたり、喰つてかゝつたりしながら劇場を出た。

といつてゐるのは、もつて、この劇がはじめてイブセンの本國で演ぜられた時、世間の問題を刺戟したことの如何に激烈であつたかを想見するに足る。ただにスカンヂナヴ※アのみならず、歐洲の諸國にわたつて、近代の婦人問題を刺戟した、最も有力なものの一はこの劇である。問題劇としての效果はこれで遺憾がないといつてよい。

けれども、唯それだけでは藝術としての特權がない。その問題なり思想なりの奧から放射してゐるものがなくては、これと似た效果を生ずる一場の煽動演説と何の區別もないことになる。藝術の力はもつと根柢から發するものでなくてはならない。そもそもそれがあればこそ、一篇の『人形の家』もあれほどの刺戟力を有し得たのである。

藝術の奧から放射してゐるものは生命の光りであり、生命の熱である。藝術は生命の沸騰そのものである。

生命の沸騰はその個人の全人格に震動を與へて、そこに思想感情の深い覺醒を生ずる。ほとんど思想であるか感情であるかわからないほど深奧な心持を經驗する。假りにこれを説明していへば「人生を如何にすべき」「我が生を如何にすべき」といふやうな、もだもだしい心持である。この心持の中には、社會問題でなく、人生問題が包まれてゐる。人生觀の思想が暗示せられてゐる。すべての近代藝術は、この意味において思想藝術であり、問題藝術である。『人形の家』も先づこの意味において問題劇でなくてはならない。イブセンが千八百九十八年五月二十六日クリスチアニアのノールウェー女權同盟の祝賀會でした演説に、

「私は女權同盟の會員ではありません。私の書いたものには一として主張を廣めるためと意識して書いたものはありません。私は世間の人が一般に信じようとしてゐるよりもより多く詩人で、より少く社會哲學者であります。皆さんの祝杯に對しては感謝いたしますが、ことさらに女權運動のために働いたものとしての名譽をば辭退するほかございません。私は一體女權運動のいかなるものであるかをすら、實際十分に明かにしてをりません。私はこれを廣く人間の問題であるとみました。注意して私の著述をお讀み下すつたら、この意味がわかるだらうと思ひます。もとより女權問題も、他の諸問題と同じく、これが解決は望ましいことでありますが、しかしそれが目的の全部ではありません。私の仕事は「人間の描寫」といふことでありました。勿論、かういふ描寫が合理的に眞實だと思はれると、讀者は自分の感情や氣持をその詩人の作中に入して、それ等がみんな詩人のものであつたことになりますが、しかしそれは間違ひです。すべて讀者は皆てんでんの人格に從つて、その作を非常に美しい、綺麗なものに作りかへてしまひます。ただに作者ばかりでなく、讀者もまた詩人なのでありまして、彼等は作家の助手であり、時としては詩人みづからよりも一層詩的なのであります。(下略)」

といつたのは、その「人間の描寫」といふことで、人生問題を暗示する意味を述べたものとみられる。けれどもそれと同時に、婦人問題を婦人問題として材料に用ふることも、初めからのイブセンの計畫であつたことは明かである。千八百七十九年すなはちこの劇の出來る年の七月、ローマからゴッス氏に宛てて送つた手紙は、

「小生は去る九月から家族とともにこの地にをります、そして大部分の時間は新に作りかけてゐる劇のことで塞いでゐます、もう間もなく出來上つて、十月には出版の運びになりませう。眞面目な劇で、近代の家庭状態、ことに結婚とからんだ諸問題を取り扱ふ、本當の家庭劇です。」

と書いてある。たゞこんな結婚問題、家庭問題、婦人問題をとほして、その上に一段奧深い人生問題の氣持を加へたものと見ればよい。この種の思想なり問題なりは、藝術の中の粘着性となり眞實性となつて殘留する。普通の娯樂的藝術にはこの粘着性と眞實性とがない。感興藝術、情緒の遊戲、感情發散機關、これらの意味を有する娯樂的藝術と眞の藝術との間には、踰ゆべからざる、類の相違がある。

『人形の家』の骨子となつてゐる着想は、早く十年前すなはち千八百六十九年の彼れの作『青年同盟』に現はれてゐる。傳記家イェーゲル氏は更にこれをその前の作『ペール・ギュント』に求めて、ヘルマーがノラに對する利己的性質は、ペール・ギュントがアニトラの愛に對する心持と同じであるとしてゐる(Henrik Ibsen : Jaeger)が、しかし中心人物たるノラの方からみた、婦人問題としての端緒はこゝにない。やはりこれを『青年同盟』に尋ぬべきである。すなはちその第三幕の終りで、ゼルマが夫のエーリック及びその父と別れて家を出るところに、

「ほんたうにまあ、私はあなたがたから殘酷な目にあつてゐました! あなたがたみんな、――卑怯な! 私はいつも貰ふことばかりで、――ついぞあげることがない。あなたがたの中にまじつた物貰ひのやうでした。私のところへきて犧牲を出せとお求めなすつたことは一度もない。私は何をすることも出來ないものになつてゐました。私はあなたがたがいやになりました! あなたがたが憎くなりました!」

といふのはノラが「あなたには少しも私といふものを理解してゐらつしやらなかつたでせう? 私は今まで大變不法な取扱を受けてをりました、第一は父からですし、その次はあなたからですよ」といふのと同じである。またゼルマが

「どんなにか私はあなたがたの苦勞や心配をたゞ一滴でもいゝからわけて貰ひたいと思つたでせう! けれどもそれを私が頼むと、あなたは笑つておしまひなさる。私を人形のやうにくるみ上げて、子供と遊ぶやうに私とお遊びなすつた。あゝ、私どんなにかあなたと苦勞を一緒にしたいと騷いだでせう! どんなにかこの世の廣い、高い、強いこともしたいと、一生懸命念がけたでせう!(下略)」

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