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青年の思索のために
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青年の思索のために
下村湖人
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번역 Pagera AI
원문 Public Domain
Chapter 8 of 193

仕事の心がまえ

牛若流と弁慶流

わたくしは、子供のころはかなりの乱暴もので、学校から帰ったあと、家にじっと落ちついて復習などしていられないたちでした。それでも母の目がこわいので、たまには復習もしましたが、そんな時には、教科書をとびとびに読みちらし、それで母をごまかすことが出来たつもりになり、大いばりで外に飛出していたものです。ところが、ある日のこと母は外にとび出そうとする私をよびとめて、「今日はお前に面白いお話をしてあげるから、お坐り。」という。何事かと内心すこしびくびくしながら聞いていますと、「昔、牛若丸と弁慶とが、ご飯を二人で等分にわけて、それをどちらが早くのりにねりあげるか競争をしよう、ということになりました。そこで、牛若丸は早速のりおし板と竹べらとを持って来て、一粒一粒、丁寧にご飯粒をねりはじめましたが、弁慶の方は、広い板の上に一ぺんに自分のご飯をあけ、その上に一本の大きな鉄の棒を横たえて、それを両手で力まかせにころがしはじめたのです。しばらくたつと、牛若丸はまだちょっぴりしかのりをねっていないのに、弁慶の方のご飯は、もう大方のりになってしまっています。誰が見ても弁慶の方が勝ちらしく見えました。ところが、それからあとはいつまでたっても、弁慶の方ののりの中にはつぶつぶのご飯が方々に残っていて、なかなかりっぱなのりにはなりません。その間に、牛若丸は、にこにこ笑いながら、一粒残らず、見事なのりに仕上げてしまったそうです。お前の勉強も、牛若丸のようでなくてはなりません。一字一字、一行一行を念入りに読んではじめて全体がわかるのです。お前のこれまでの勉強の仕方は、弁慶がのりをねるのと同じです。そんな乱暴な勉強の仕方を一生つづけても、お前は決してりっぱな人間にはならないでしょう。」

母のこの教訓は、かなり強く私の胸にこたえました。そして、それからは、私もいくらか念入りな勉強をするようになり、成人してからも何かにつけそれを思い出し、怠りがちな日々のつとめをおろそかにしないように気をつけています。

人生は散歩

誰かの言葉に、「人生は散歩のようなものだ」というのがあります。これは解しようによっては人生をばかにした言葉のようにも思えますが、実はそうではありません。つまり「散歩はその一歩一歩に大きな意味がある。同様に、人生も現在の一瞬一瞬、一日一日が大切で、充実した一瞬一瞬、充実した一日一日のつながりが充実した一生になる。」という意味なのであります。むろん、一生をどうすごすかということをたえず考えていることも大切ではあります。しかし、現在の一瞬、今日の一日を充実させることを怠って、漫然と一生のことばかり考えていても、真に意義ある人生は送れません。いつ死んでもいいという覚悟で、現在与えられている任務に渾身の努力を払い、ちょうど牛若丸が一粒一粒のご飯粒を完全なのりにねり上げたように、その任務を完全に果して行くことが大切であります。茶道に「一期一会」という言葉があり、論語に、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」とありますのも、おそらくこの気持に通ずるものがあるでありましょう。

偉人と理想

古来の偉人の中には、若いころから大理想を抱いていた人もありましょうが、大ていは、たとえ小さくとも、現在果さなければならない仕事を完全に果すことを理想とし、つぎつぎに新しい大きな理想を生み出して行った人のようであります。福沢諭吉翁なども、決して最初から明治の先覚者として新文明の指導者になろうなどという大理想を抱いていたのではなく、「福翁自伝」にあるますように、最初は、新しい時世の変化に応じて「衣食さえ出来れば大願成就と思っていた」のであります。そして、それに必要な努力を自分の境遇に応じて積んでいるうちに、それがいろいろの著書ともなり、教育的活動ともなって、ついに「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というあの思想を打ち出し、真向から封建思想と戦って、明治の新文明の基礎を作ることに自分の使命を見出すようになったのであります。

そこで、青年時代に高遠な理想を抱くことも決して悪いことではありませんが、それよりも大切なことは、自分の現在の境遇に応じ、現に当面している仕事と一枚になる修養をすることだと思います。

名優の境地

ある名優がこういっています。

「はじめて、舞台に立つと観客の顔が全体にぼうッと目にうつるだけで、一人一人の顔がちっとも見分けがつかない。そのうちに舞台になれ、芸が上達し、肚が出来るにつれて、誰がどこでどんな顔をして見ているかまで、はっきり見えるようになる。こうなるとまずまず一人前の役者になったわけだが、大ていの役者はそこいらで安心するので、名人にはなかなかなれない。名人といわれるほどになるには、もう一度観客の顔が見えなくならなければならないのだ。」

これは非常に意味の深い言葉だと思います。

はじめての舞台で観客の顔が見えないというのは芸が未熟なためで、これはお話になりません。しかし、もう一度見えなくなるというのは、観客の目を超越して、自分の芸に自分の魂を打込んでいる境地、つまり自分と芸とが一枚になった境地だと思います。名人になるには、そこまで心境が深まらなければだめだ、というのがこの言葉の意味なのであります。

このことは、芸術以外のおたがいの仕事についても等しくいえることだと思います。周囲の人人の目付が気になるようでは、まだほんとうの仕事をしているとはいえません。ハンマーを握ったらハンマーに、鍬を握ったら鍬に、そろばんを握ったらそろばんに、自分の魂が吸いこまれて、無二無三に働くところに、いわゆる名人の仕事が出来るわけです。

「即興詩人」の一節

アンデルセンという人の書いたのを、森鴎外先生が訳された「即興詩人」という名高い本がありますが、その中に、つぎのような意味の一節があります。

「アントニオという少年が、毎日聖母マリアの像のまえで、まごころをこめて祈りの歌をうたっていた。その声が世にもまれな美しさであった。ある日のこと、外国から来た夫婦の旅人が、その歌声をきいて非常に感動し、歌が終るのをまって、二人でその少年の頭をなでてほめそやした上、いくらかの金まであたえて立ち去った。ところがこの少年は、ほめられたのが無上にうれしくなり、その翌日からは、今日もだれか自分のうしろに立って、自分の歌声をきいてほめてくれるものがありはしないかと、そればかりが気になり、昨日までのように、まごころのこもった、にごりのない心で祈りの歌を聖母マリアにささげることが出来なくなってしまった。」

というのであります。

人にほめられるほどの仕事をやるのは、けなされたり、叱られたりするような仕事をやるよりも、むろんいいことにちがいありません。また、ほめられてうれしくなるのは人情の自然で、その人情に刺戟されて、つぎの仕事に一そう精を出すようになるのも、これまた人情の自然であります。しかし、だからといって、ただほめられたい一念だけで仕事をやるようになったら、もうおしまいであります。ほめられるということは、あくまでも仕事の結果であって、その目的であってはならないのです。仕事の結果ほめられる、それはうれしいことにはちがいありません。しかし、それにとらわれ過ぎて、それを目あてに仕事をするようになると、仕事そのものが不純になります。不純な仕事は決していい結果を生みません。仕事は仕事そのものを目的としてこそ、真にほめるに値するような結果を生むのであります。西郷南州が「人を相手とせず、天を相手とせよ。」と教えたのもここのことだと思います。

天を相手とする人も、人にほめられてわるい気持がするわけはありません。少くとも、くさされるよりは、ほめられる方がうれしいにきまっています。しかしそれは自分の仕事の結果に過ぎないのであって、決して目的ではありませんから、それにとらわれることがありません。目的はあくまでも仕事そのものであります。その仕事が、天意にかなった正しい仕事であると信ずるかぎり、全身全霊をそれにぶちこみ、無二無三につき進んで、ただ一途にその完成を願うのであります。その境地においては、世評をおそれるどころか、時としては一命をなげ出しても悔いないことさえあるのであります。

仕事を拝む

ところで、仕事に関してわれわれのよく聞く訓話の中に「仕事を使え、仕事に使われるな。」という言葉があります。これは、いうまでもなく、いつも仕事に追いまわされて、自主的に、落ちついた気持で仕事を処理して行くことの出来ない人を戒めた言葉でありまして、その意味では、決して無用の訓言ではありません。とりわけ繁雑な事務にたずさわっている人たちにとっては、十分味って見るだけの価値のある言葉だといえましょう。しかし、私にいわせると、かような表現の中には、仕事というものの考え方の不純さが曝露されており、その点からいっても、最上の言葉とはいえないと思います。われわれは仕事というものに対して、もっとつつしみ深くなければなりません。仕事は、われわれにとって生きる手段でなくて、目的であります。仕事を「使って」われわれが生きるのでなく、仕事に仕えてわれわれは生きるのであります。そう考えて仕事に従事してこそ、その仕事に真のかがやきが出るでありましょうし、また従って、われわれの生命にかがやきが出るでありましょう。

そこで、これは私のいつもいうことですが、どんな仕事に従事している人でも、自分の仕事を拝む心をもつことが大切だと思います。仕事を拝む心、それはやがて神を拝み、神の大事業に参加する心であります。利害を超越し、世評にわずらわされず、一日一日をただひたすらに仕事の祭壇に奉仕して悔いざる心、これこそ人間をあらゆる職場において偉大ならしむ唯一至高の道ではありますまいか。

Chapter 8 of 193
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