Chapter 1 of 4

1

関牧塲創業記事

関寛

創業記事端書

世の中をわたりくらべて今ぞ知る

阿波の鳴門は浪風ぞ無き

予は第二の故郷として徳島に住する事殆んど四十年、為に数十回鳴門を渡りたるも、暴風激浪の為めに苦しめらるる事を記憶せざるなり。然るに今や八十一歳にして既往を回顧する時は、数十回の天災人害は、思い出すに於ても粟起するを覚うる事あり。然れども今日迄無事に生活し居るは、実に冥々裡に或る保護に頼るを感謝するのみ。

明治三十四年には、我等夫婦に結婚後五十年たるを以て、児輩の勧めにより金婚式の祝を心ばかりを挙げたり。然るにかかる幸福を得たるのみならず、身体健康、且つ僅少なる養老費の貯えあり。此れを保有して空しく楽隠居たる生活し、以て安逸を得て死を待つは、此れ人たるの本分たらざるを悟る事あり。亦曾て予想したる事あり。夫れ我国たるや、現今戦勝後の隆盛を誇るも、然れども生産力の乏しきと国庫の空なるとは、世評の最も唱うる処たり。依て我等老夫婦は、北海道に於ける最も僻遠なる未開地に向うて我等の老躯と、僅少なる養老費とを以て、我国の生産力を増加するの事に当らば、国恩の万々分の一をも報じ、且亡父母の素願あるを貫き、霊位を慰するの慈善的なる学事の基礎を創立せん事を予め希望する事あるを以て、明治三十五年徳島を退く事とせり。然るに我等夫婦は此迄医業を取るのみにて、農牧業に経験無きを以て、児輩及び知己親族より其不可能を以て思い止むべきを懇切に諭されたるも、然れども我等夫婦は確乎と决心する所あり、老躯と僅少なる資金と本より全成効を得べからざるも、責めては資金を希望地に費消し、一身たるや骨肉を以て草木を養い、牛馬を肥すを方針とするのみ。成ると成らざるとは、只天命に在ると信ずるのみ。故に徳島を発する時は、其困苦と労働と粗喰と不自由と不潔とを以て、最下等の生活に当るの手初めとして、永く住み慣れたる旧宅を退き、隣地に在る穀物倉に莚を敷きたるままにて、鍋一つにて、飯も汁も炊き、碗二つにて最も不便極まる生活し一週間を経て、粗末なるを最も快しとして、旅行中にも此れを主張して、粗喰不潔の習慣を養成せり。故に北海道に着して、仮りに札幌区外の山鼻の畑の内に一戸を築き、最も粗暴なる生活を取り、且つ此迄慣れざるの鎌と鍬とを取り、菜大根豆芋等を手作して喰料を補い、一銭にても牧塲費に貯えん事を日夜勤むるのみ。然るに甞て成効して所有するの樽川村の地には、其年には風損と霜害とにて半数の収益を※じたり。為に悲境を見る事あり、大に失望して、更に粗喰と不自由とを以て勤めて其損害の幾分乎を償わんことを勤めたり。三十六年には主務なる又一は一年志願兵となり、其不在中大雪に馬匹の半数を斃したり。三十七年には相与に困苦に当るの老妻は死去せり。続いて又一は出征し、同秋に至り病馬多く、有数の馬匹を斃したり。為に予は一時病む事あるも、幸に復常せり。又一は三十九年五月帰塲せり。予は三十七年迄は夏時のみ牧塲に在るのみ。故に其概略を知るのみ。片山八重藏夫婦の最初より今日迄の詳細を知るには及ばざるなり。依て予が見聞する処の概略を記して、後年に至り幾分か創業の実况を知るが為ならんか。本より此れを世人に知らしむるにはあらざるなり。我子孫たる者に其創業の困難なるの一端を知らしめんと欲する婆心たるのみ。

明治四十三年八月※別停車塲開通の近き日

八十一老 白里 関寛誌す

十勝国中川郡本別村字斗満

関牧塲創業記事

八十一老 白里 関寛誌す

(一)

明治三十三年八月、又一は札幌農学校在学中シホホロ迄来り、同地にて実地を検して且つ出願せんとす。

三十四年一月、又一は釧路を経て※別に来る。

同年五月、斗満原野三百万坪余の貸付許可を得たり。

同年七月、又一農学校卒業す。直に※別に来る。

同年十月、藤森彌吾吉に左の牛馬を追わせて愛冠に至らしむ。

牛八頭 馬廿一頭。

明治三十五年三月十七日、片山八重藏夫婦樽川を発し、北宝号、耕煙号、瑞号、札幌号の四頭を追うて、落合迄車にて着。(中略)。廿五日藤森彌吾吉夫婦が牛馬を飼育するの愛冠の小屋に着し、同居して雪の溶けるを待つ。五月二十四日早朝発にて斗満に向う。愛冠には我小屋のみにて、夫れより斗満迄十二里間は更に人家無く、………其困難たるや言語筆紙の及ぶべからざるなり。………片山夫婦、藤森彌吾吉夫婦、西村仁三郎、谷利三郎、土人一名合せて七名、同夜九時※別第五十四号にある測量出張員の仮りに用いたるの小屋ありて此れに着す。………四五日にして小屋の木材を切り取り、樹皮を剥ぎて屋根とし、且つ四囲を構い、或は敷きて座敷とせり。………夫れより開墾して六月十八日迄に一反半を開き、燕麦牧草を蒔付たり。

廿七日、仮馬舎に着手して、七月一日出来あがりたり。

七月一日、又一着塲せり。

八月十日、寛は餘作を同伴して初めて来塲す。寛は餘作が暑中休業にて五郎同行来札するを以て、五郎を母の許に残し、同五日発にて牧塲に向う。落合迄車、夫れより国境の嶮は歩行し、清水にて一泊。夫れより帯広に出で、来合わせたる又一に面話し、一泊。高島農塲に一泊。利別一泊。足寄にて渋田に一泊し、西村氏が傷を診す。翌日土人一名を案内として傭い、乗馬にて早発し、細川氏にて休み、後三時牧塲に着す。其実况は左に。

細川氏にて茶を饗せられて径路を通行し、「トメルベシベイ」にて十伏川を渡る。河畔に鉄道測量の天幕あり。一名の炊夫ありて、我牧塲を能く知る。

最も懇篤に取扱いくれたるはうれし。茲にて弁当を喰す。茶を饗せられたり。此迄は人家無く、附近にも更に人家無しと。河畔に土人小屋あり。此れ鱒を捕るなりと。此れより山間の屈曲せる処を通る。径路あるも、然れども予が目には知る事能わざるなり。数回川を渡り、峻坂を登り、オヨチに至る。此処は最も密樹の繁茂せるの間をくぐるには、鞍にかじりつきても尚危く、或は帽を脱せんとする事あり、或は袖を枝にからまれて既に一身は落ちんとする事数回なり。且つ大樹の為に昼尚暗く、漸く案内者の跡を慕うのみ。頗困苦するも、先ず無事に亦河を渡り、平坦の原野に出でたるも、また密林あり。(現今クンベツ)且つ行く処として倒れたる大樹ありて、其上を飛越え、或は曲り或は迂回する等は、迚も言語を以て語り筆紙を以て尽すべからざるあり。亦一の驚きたるあり、オヨチにては蝮多くして、倒れ木の上に丸くなりて一処に六七個あるあり。諸方にて多く見たり。其度毎にゾッとして全身粟起するを覚えたり。

平坦地を通り過ぐるの処に密林あり、湿地あり、小川あり。其傍らに蕗の多く生えたるあり。蕗葉は直径六七尺、高さ或は丈余なるあり。馬上にて其蕗の葉に手の届かざるあり。試に携うる処の蝙蝠傘を以て比するに、其大さは倍なり。此れより川を渉りて原野に出でたり。(今の伏古丹)。行く事十丁ばかりにして湿地あり、馬脚を没し馬腹に至る。近傍の地には蘆を生じ、其高さは予が馬上にあるの頭を掩うあり。此れを過ぎ、東には川を隔てて密樹あるの山あるを見る。亦平坦の地に至る。西には樹木の生ずる山あり。北には樹木無く、平坦なるの高き地に緑草の繁茂するを見たり。更に能く凝視するに馬匹をつなぐ「ワク」あるを覚えたり。故に偶然に此れ我牧塲なるかと思いつつ、更に北に向うて進むに、一の広き湿地あり。馬脚は膝を没するも馬腹に至らず。此れを過ぎて次第に登り、平坦地に至る。少しの高低あるのみなる広く大なる原野あり。内に道路あり、幅六七尺にして十字形を為して東西に分れ、南北に分れたるを見たり。余り不思議なるを以て、かかる無人境にて此道路は何たるやを土人に問う。土人答て曰く、此れは関牧塲にして、馬の往来するが為にかくはなりたりと。爰に至りては予は実にうれしくして、一種言うべからざるの感にうたれて、知らず識らず震慄して且つ一身は萎靡るが如きを覚えたり。此時たるや、精神上に言うべからざるの感を為すは、これ終身忘るる事能わざるべきなり。故に今日に於ても時々思い出す事あり。ああ此現状に遇するに於ては大満足たるや如何なる憂苦困難を重ねたるも、此れにて万難を打消すべきを感じたり。ああ世人は斯くの如きの実境を得る事を知らず、只空しく一身一家を固守するの人にては、予が此現状を得る事無き人に対して自ら誇るのみならず其人をあわれに思うなり。尚牛馬の多く群れたるを遥に見つつ河を渉る。(斗満川)。川畔に牛馬の脚痕の多きを見る。新に柵を以て囲めるを見たり。ここに至りて尚うれし。進んで少し登りて行くに、樹間に小屋を見る。喜んで進んで着するに、片山夫婦谷利太郎は大に喜んで迎えらるるは実にうれし。然るに奇遇にも土人は鱒弐尾を捕りたるを以て、調理して晩飯を喰して眠につけり。此夜は恰も慈母の懐に抱かれたる心地して、大安堵せり。

小屋は四間に六間にして、堀立柱に樹皮を屋根とし、草を以て四囲を構え、草を敷きて座敷とし、外に便所一つあるのみなり。片山夫婦、彌吾吉、利太郎の四名なり。家具着類は不自由ながらも僅に用を便ずるのみ。臥して青草を握り、且つ星を眺むるなり。

此際は殊に小虫多く、眼口鼻に入る為めに、畑に出るには何れも覆面して時々逃げて小屋内にて休息す。便処にても時々「タイマツ」の様なるものを携うる事とせり。此れは小虫は火を嫌うを以て、小虫を避くるの為めなり。

十二日、七時より放牧塲(ノフノヤウシ)即ち昨日見る処に至りて馬匹を観んと欲し、彌吾吉王藏同行せり。現塲に至り、彌吾吉は馬匹の群を一見して馬匹中に異動あり、或は不足なりとて、尚調査するに、仔馬一頭は熊害にて臀部に裂傷あるを見たり。尚瑞北宝も見えざるを以て、或は昨夜熊害の他馬匹にも及ぼす事あるかとて、王藏に命じて尚馬匹を集めて調査するに、瑞北宝両種馬の見えざるをもって深く案じたるも、両種馬は遥に他群馬中に見えたり。且つ数十頭の遠くより揃うて急馳するの勢い盛なるを見、且つ其迅速なるを見ては、実に言うべからざるの大快楽を覚えたり。且つ予は幼時小金原にて野馬捕とて野に放ちたる馬を集めて捕るを見たる事を想起せり。然れども彼時は只眼にて観るの楽なるのみなりしも、現今我牧塲としてかかる広漠の地にて、且つ多数の我所有たる馬匹の揃うて進みて予に向うて馬匹等は観せたしとの意あるが如きを感じて、更に一種言うべからざるの感あり。其内に追々進みて近きに来り、瑞北宝は無事に群中にありて大に安堵せり。然るに彼の両種馬は、予が傍らに来りて心あるが如く最も親く接したり。他馬匹も同く、予は群馬の中に囲まれて、何れも予に接せん事を欲するが如く最も親しく慣るるは、此れ一種言うべからざるの感あり。

昨夜熊害は仔馬一頭を傷めたるのみなり。創は裂創にして、熊の爪にかけられたるも逃げ出して無事なりと。

熊は時々馬匹に害を与うるを以て、甞てアイヌ一名を傭置き、一頭を捕れば金五円宛を臨時賞として与うることとせり。

十七日、又一帰塲せり。依て又一を先導として、餘作同道にてウエンベツ山に登る。川を渉り、或は沿岸を往き、或は樹間或は湿地を通行するに、熊の脚痕臥跡あり。漸く進んで半腹に至るに、大樹の多きに驚けり。中には我等の三囲四囲等の老樹多きに驚けり。山頂に登り、近くは斗満※別、遠くは阿寒山を眺め、近き渓々は緑葉樹の蓊鬱たるを望み、西に斗満の蓊鬱たるを望み、近き西には斗満川を眺めたり。帰路※別に出でたるに、土人小屋あり、一人の住する無きも、傍らに熊送りの為め熊頭を木に刺して久しく晒したるを以て白色となれる数個を見たり。珍らしく覚えて一個を携え帰れり。昨夜仔馬一頭斃れたり。此れ熊害にかかりたるものなり。

十八日、餘作と共に寛は発足す。又一、八重藏は、放牧塲迄見送りくれたり。放牧の牛馬は、予を慕うが如きを覚えたり。

十一月七日、又一札幌に向うて発す。此れ三十六年志願兵として一ヶ年間騎兵に服役する為めなり。

*        *

*        *

本年は樽川の畑は風損霜害にて収穫大に※じたり。依て我等夫婦殊に老妻は大に此れを憂いて、此損害の為めに収穫※ずるを以て、牧塲に大に関係するを以て、此れを償わんが為めに、我等夫婦は未だ慣れざる畑仕事を為し、屋敷内にて菜大根及び午蒡人参等を植付けて喰料を助けて、一日に責めては我等夫婦の喰料たる白米を五勺宛にても※ずる時には、一ヶ月には何程か費用を※じて、其金員を貯えて又一が手許にて牧塲の資本たらしめん事を日夜怠らず。更に初めて寒地に来りて彼此に慣れざるが為めに、知らざる裏に空費あるをも省略せんと欲して、或は夕食には干菜を粉として雑炊とし、或は製粉処にて粗末にて安価なるものを求めて団子として喰する等は、実に恥ずべきの生活を為したるも、却って健康なるを以て、日中は夫婦共に畑に出で鍬鎌を握る為めに、手掌は腫れ、腰は痛むも、耐忍して怠らず。然れども本年は最初たるを以て、樽川の収入にて若干の予定を※ずるを補わんが為めにて、决して焦眉の急を防ぐの為めにはあらざるなり。我等の子孫たる者は、此れを忘るる時は、必ずや家を亡すに至るべきなり。

Chapter 1 of 4