七
二十五年冬(一月)の出來事一つ。
うと/\してゐた耳で時計の音を數へる。七、八と途中から數へ始めて九、十、十一、十二、十三、十四と際限も無く鳴る。十五、十六と數へてしまつて、何の事だ、まだちつとも眠つてはゐなかつたと思つたのに、うと/\として居たのだな、と初めて氣がつく。大方今のは十二時であつたらう。此頃どうも寢つきが惡くて困る。きのふ加藤に學校で逢つたら、君此頃大變顏色が惡いよ、ちと鐡棒にでもぶら下つたらどうかといつた。あすは日曜だから一つ散歩に出掛けうか。散歩なら何處に行かうか。東山はもう二三度行つたし、西山の方も卜翁にすゝめられて一度行つたし、行くのなら北山の方へ出掛けうか。馬鹿に寒いやうだが雪にでもならねばよいがと、三藏は蒲團を頭から被つて縮かまつた。時計のきち/\いふ音も遠くなつたと思ふうち一時の鳴るのは聽かずに寢た。
翌朝寢坊をして起きると、今朝迄まだ降つてをつたといふ雪が霽れて、午前九時頃の日が日當りの惡い座敷の一枚の障子に半分ばかり當つてゐた。三藏は朝飯を濟ませて、行李の中から松山から持つて來てまだ一度も締めなかつた脚絆を出して締めて、草鞋を一足買つて穿く。
それから雪を踏んで出町橋を渡つて鴨川傳ひを北へ取つて、山端を過ぎて八瀬を過り大原の里へ行く。京都の市中で見る大原女より此八瀬大原で見る大原女の方がなつかしいやうに思はれる。去年の秋嵯峨を散歩した時も斯ういふ時に發句でも作れたら面白いだらうと卜翁を思ひ出したが此日もまた思ひ出す。其後増田の話ではあの卜翁はもと靜岡の男であつたのが東京にも暫く居つたので、その時分發句を作り覺えて、それから京都へ來て、寧ろ卜翁が中心になつて五六の同好者が出來た位であつたのだとの事であつた。三藏は、それにしてはあの言葉つきが全く京都人らしく聞えたのが不思議だといつたら、増田は、又あれで江戸詞も大變旨いさうだよといつた。そんな事を三藏は思ひ出しつゝ足に任せて歩く。頭に黒木や風呂敷やいろ/\なものを載せて續々と大原女が來る中に、角に赤や黄ろい木綿を卷きつけた美しい牛も澤山來る。
三藏は東山を散歩した時は勿論、此秋西山へ出掛けた時もいゝ心持はしたが、それでも今日のやうな心持はしなかつた。今日は何だかのんびりした生れ更つたやうな心持がする。何故だらうと三藏は考へた。尋中を卒業した當時の心持も餘程ゆつたりしてゐたが、其時とは又大變趣が違ふ。時計を出して見ると十二時を過ぎてゐる。朝飯を食つてまだたいした時間も經たぬのにもう空腹を覺える。三藏は掛茶屋に腰を掛けて握飯を取出して食ふ。叡山は隆起した背中を三藏の方に向けてゐる。三藏はその大きな叡山の麓の小さな掛茶屋の床几に自分は今腰かけてゐるので、叡山の大に比べると自分は今豆人形の樣に小さいと思ふと、一種の悲しいやうな快感が腹の底から湧き起つて來る。さう思つて手にしてゐる白い握飯を見ると、此處から見た叡山と同じやうな三角形をしてゐる握飯の、白い上にも眞白い米の粒々として相重なつてゐるのが涙が零れるやうに面白い。三藏は暫くそれを眺めてゐて、其飯の白いのにも負けぬ白い齒を徐ろに其一角に當てる。氷のやうな冷たさがぢつと其齒に浸みる。
擲げ出した草鞋の爪尖を小さい川が流れてゐる。岸の枯草には雪が積つてゐて汀には氷が張つてゐる。三藏は又この川に沿うて流るゝ時の悠遠を想うて、この狹い山間に歴史が印した足跡を繰る。
「寂光院はまだ遠いですか」と三藏は茶店の婆さんを顧みる。
「寂光院さんどすか。もうすぐどす。そこの橋をお渡りやしたら、小さい徑が分れとりますさかい、其處を右へお出でやすとお寺があります。それが寂光院さんどす」と婆さんは答へる。