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少将滋幹の母
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少将滋幹の母
谷崎潤一郎
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Chapter 9 of 11

その九

乳人は滋幹に、若様がお母さまをお慕いになるのは御尤もですが、ほんとうにおいとおしいのはお父さまでございますよ、と云い、お父さまは淋しがっておいでゞすから、大切にして、慰めてお上げにならなければいけませんよなどゝも云った。彼女は別段母を悪くは云わなかったが、平中とのことを知っていて、彼と母との媒介をする讃岐に対しては反感を持っていたようであった。そして、滋幹までがその媒介に利用されていることに気がついてからは、いよ/\讃岐を憎み出したようであったが、滋幹が母の館へ行けないようになったのは、或はそんな関係から乳人が左様に取計らったのでもあろうか。若様がお母さまに会いにいらっしゃるのは致し方がございませんが、人に頼まれてお取次などをなさってはいけませんよ、と、滋幹は乳人にそう云われて、恐い眼で睨まれたこともあった。

母が亡くなってからの父は、出仕を怠っている日が多く、晝間から一と間に閉じ籠って病人のようにしていることがしば/\であったし、餘所目にもひどく憔悴して、鬱々としているように見えたので、そう云う父が子供にはひとしお薄気味悪く、近づきにくい感じがして、なか/\慰めに行くどころではなかったのであるが、お父さまはお優しい人なのですよ、若様が行ってお上げになればどんなにお喜びになりますことか、と、乳人は云って、或る日滋幹の手を執って、父の部屋の前まで引っ張って行き、さあ、と、障子を開けて無理に中へ押し込んだことがあった。もとから痩せていた父は、一層痩せて眼が落ち窪み、銀色の鬚をぼう/\と生やして、今まで臥ていたのが起きたところらしく、狼のような恰好をして枕もとにすわっていたが、その眼でジロリと見られた途端に、滋幹は体がすくんで、口もとに出かゝっていたお父さま、と云う声が、咽喉の奥に痞えた。

親子はしばらく、互に眼で探りを入れながら見合っていたが、でもそのうちに、滋幹の心を壓していた恐怖感が次第に和らいで、或る云い知れぬ甘いなつかしい感覚に代った。それが何に原因するのか滋幹にも最初は分らなかったが、間もなく彼は、あの、母が常に薫きしめていた薫物の香が、此の部屋の中に満ち/\ていることに気づいた。そして、よく見ると、父がすわっているあたりに、むかし母が身に着けていた袿や、単衣や、小袖や、さま/″\な衣裳が取りちらかしてあるのであった。と、突然父が、

「和子はこれを覚えているかね」

と云いながら、鉄の棒のようにコチ/\した腕を伸ばして、花やかな一枚の衣の衿をつまんだ。

滋幹が傍へ寄ると、父はその衣を両手で捧げるようにして滋幹の前へ突き出したが、次にはそれに自分の顔を押しあてゝ長い間身動きもせずにいた。それから漸く顔を上げると、

「和子もお母さんに会いたいだろうね」

と、しんみりした、同感を求めるような口調で云った。滋幹は父の容貌を、それほど仔細に見たことはなかったのであるが、眼のふちには眼やにが溜り、前歯があらかた脱け落ちていて、そのうえ声が皺嗄れているので、何を云うのか、ちょっとは聞き取りにくかった。それに、父はそんな風に云うのだけれども、その顔は笑ってもいなければ泣いてもいなかった。たゞもう一途な、執心の強い生真面目な表情で、じっと此方の眼の中を視すえているので、滋幹は又気味悪くなって来て、

「うん」

と、頷いたきり立っていた。すると父はだん/\深く眉根を寄せて、

「もうよい、彼方へおいで」

と、不機嫌そうに云い切った。

そんなことがあってから、又滋幹は当分父の傍へ寄り着いたことはなかった。お父さまは今日もお内にいらっしゃいますよ、と云われると、却って父の部屋の方へは行かないようにしたくらいであったが、父は一日閉じ籠って、殆ど姿を見せないのであった。たま/\部屋の前を通り過ぎる時、耳をすまして中の様子を窺っても、生きているのか死んでいるのか、コトリとの音も聞えなかったが、恐らく此の間のように、母の衣裳の数々を取り出して、そのなまめかしいかおりの中に埋まっているのであろうと、滋幹は推した。

そのゝち、その同じ年であったか、明くる年であったか、晴れた秋の日の爽やかな午過ぎに、父が珍しくも前栽に出て、萩がたわゝに咲いている遣り水のほとりに、ぼんやりと石に腰かけていたことがあった。滋幹はその時ほんとうに久振に父を見かけたのであったが、そうして石に憩うている父の恰好には、長い道中を歩いて来て、くたびれ切って道ばたに休んでいる旅人のようなところがあった。衣服などもひどく垢づいて、よれ/\になっていて、袂や裾が綻びたりちぎれたりしていたのは、もうその時分、身の周りの世話をする女房などがいなくなっていたのか、いてもそう云う女たちに手を触れさせることを厭ったのであろう。滋幹は、少しく傾きかけた日があか/\と父の半身を照らして、痩せ衰えた頬がつやゝかにかゞやいているのを見ながら、それでも敢て近寄ろうとはせず、五六歩離れて彳んでいると、父が小声で何かぶつ/\呟いているのが聞えた。

その、呟いているものが、普通の言葉ではなくて、何かの文句に節をつけて、口のうちで暗誦しているのであるらしいことは察しられたが、滋幹が傍で聞いているのには全く気が付かないかのように、何となく水の面へ眼を落して、同じ文句を二三遍も繰り返していたかと思うと、

「和子」

と云って、やっと少年の方を向いた。

「わしは和子に此の詩を教えて上げる。此れは唐土の白楽天と云う人の作ったもので、子供にはむずかし過ぎて意味が分らないであろうが、そんなことはどうでもよい。わしが云う通りに覚えさえしたらよいのだ。今に和子が大人になったら、自然に分る時が来る」

滋幹は、

「さ、こゝへおかけ」

と云われて、父と並んでその石の端へ腰をかけた。父は最初、子供に覚え易いように、一句ずつ句切ってゆっくりと云い、滋幹が一句を唱え終るのを待って次に進むようにしたが、そうしているうちにだん/\教えていると云う心持を忘れ、己れの感情の赴くまゝに声を張り上げ、抑揚をつけて朗吟し出した。―――

失うて庭の前の雪となり

飛んで海の上の風に因る

九霄応に侶を得たるなるべし

三夜籠に帰らず

声は碧の雲の外に断え

影は明けき月の中に沈む

郡斎これより後は

誰か白頭の翁に伴はん

滋幹は他日成長してから、此の詩が白氏文集にある「鶴を失ふ」と云う題の五言律詩であることを発見したので、当時は何のことか解し得なかったのであるが、しかし此の文句はそれから後も、父がたび/\酒に酔っては口号んでいたことがあるので、耳に胼胝が出来るほど聞かされたものであった。今になって考えれば、父は逃げ去った母を鶴になぞらえ、悶々の情を此の詩に托していた訳であるが、父がこれを吟ずる時の悲痛な声の調子を聞けば、子供心にも父の胸にある断腸の思いが自分に伝わりて来るのを感じた。前にも云うように、父の声は皺嗄れていて高い音が出せなかったし、息切れがするので声を長く引くことも出来なかったので、その吟じ方は技巧的には拙劣であったが、「九霄応に侶を得たるなるべし」と云う句、「声は碧の雲の外に断え、影は明けき月の中に沈む」と云う句、「誰か白頭の翁に伴はん」と云う句などを誦する時は、技巧を超絶した凄愴な実感が籠って、そゞろに人を動かさないでは措かないものがあった。

父は滋幹がその詩を暗誦し得るようになったのを見て、

「それが覚えられたら、もっと長いのを教えて上げよう」

と云って、もう一つ、ほんとうに前のよりはずっと長いのを授けてくれたが、それは「我念ふ所の人あり」と云う「夜雨」の詩であった。―――

我念ふ所の人あり

隔たりて遠き/\郷にあり

我感ずる所の事あり

結ぼれて深き/\膓にあり

郷は遠くして去くことを得ざれども

日として瞻ぎ望まざることなし

膓は深くして解くことを得ざれども

夕として思ひ量らざることなし

況んや此の残燈の夜に

独り宿りて空堂にあるをや

秋の天殊に未だ暁けず

風と雨と正に蒼々

頭陀の法を学ばざれば

前よりの心安んぞ忘る可けん

此の終りの句の、「頭陀の法を学ばざれば、前よりの心安んぞ忘る可けん」と云う言葉を、父はやゝもすれば独語のように詠じていたが、それから間もなく佛道に心を傾けるようになったのは、恐らく此の句などに影響されたせいであろう。なお滋幹は、何と云う題の詩か不明であるが、「夜深うして方に独り臥したり、誰が為めにか塵の牀を払はん」「形羸れて朝餐の減ずるを覚ゆ、睡り少うして偏へに夜漏の長きを知る」「二毛暁に落ちて頭を梳ること懶し、両眼春昏くして薬を点ずること頻りなり」「須く酒を傾けて膓に入るべし、酔うて倒るゝも亦何ぞ妨げん」等々、いろ/\とそれに似たような句があったことを、きれ/″\に覚えているのである。父はそれらの句を、悄然として庭の片隅に彳みながらこっそり吟誦していることもあり、人を遠ざけて独りで酒杯を挙げながら、感極まった声を放って泣いて謡っていることもあったが、そんな折には父の両頬に涙が縷々と糸を引いていた。

その時分、讃岐はいつからか館にいないようになっていたのであるが、思うに彼女は母が逃げ去ると間もなく、自分も父を見限って母の方へ身を寄せたのではあるまいか。滋幹の記憶する限りでは、乳人の衛門が滋幹のことも父のことも、何くれとなく面倒を見てくれていた。どうかすると彼女は、頑是ない滋幹をたしなめるのと同じ口調で父をたしなめたりしたが、彼女が最もやかましく云ったのは父の飲酒のことであった。

「お年を召して、外には何もお楽しみがおありにならないのでございますから、少しはお宜しゅうございますけれども、………」

乳人がそんな風に云うと、父はしお/\と、子供が母に叱られたようにうなだれて、

「心配をかけて済まないな」

と云いながら、大人しく聴いているのであった。全く、老年に及んでいとしい人に背かれた父が、前から好きであった酒を一層嗜むようになり、それを唯一の伴侶とするに至ったのは是非もないことだけれども、その酔い方がだん/\狂暴に、常軌を逸するようになって行ったので、乳人が案じるのも無理はなかった。父は乳人に諫められると、その時は素直に詫びるのであるが、その日のうちに直ぐもう正体もなく酔いしれると云う有様で、詩を吟じたり、泣き喚いたりするくらいはまだしも、夜中にふら/\と何処かへ出て行って、二三日も帰って来ないことがしば/\だったので、

「何処へおいでになったのでしょう」

と、乳人や女房たちが額を鳩めて相談しながら溜息をついたり、それとなく人を出して捜索させたりしていることも珍しくなかった。滋幹もそんな時には、子供は子供なりに胸を痛めたものであったが、二三日すると、夕方にひとりでひょっこり帰って来たこともあり、誰も気が付かぬうちに、部屋に戻って臥ていたこともあり、人に見付けられて連れて来られたこともあった。一度などは、都を離れた遠い野末に行き倒れていたのを捜し出されたとやらで、戻った時の姿を見ると、髪は乱れ、衣は破れ、手足は泥にまみれて、乞食坊主のようになっていた。乳人は呆れて、

「まあ」

と云ったきり、涙をぽろ/\零しているばかりであったが、父も極まり悪そうに下を向いて何も云わず、こそ/\と部屋へ逃げ込んで、夜着に顔を埋めてしまった。

「あんな風にしていらっしゃったら、しまいにはほんとうに気狂いにおなり遊ばすか、体をお損じ遊ばすか、………」

と、乳人は蔭で云い暮らしていたが、そう云う父が、それほど溺愛していた酒を、或る時からふっつり止めてしまったのであった。

滋幹は、父がどう云う動機から酒を断つに至ったのか、その間の事情を詳かにしないのであるが、彼がそれに気が付いたのは、

「お父さまは近頃殊勝におなりなされて、一日しずかにお経を読んでいらっしゃいます」

と、乳人が彼に語ったことがあるからであった。思うに父は、母恋しさに堪えかねて、酒の力で紛らそうとしたのであったが、酒では到底紛らしきれないことを感じて、佛の慈悲に縋ろうとしたのであろうか。つまり、「頭陀の法を学ばざれば、前よりの心安んぞ忘るべけん」と云う白詩の示唆に従った訳なので、それは父の死ぬ一年ほど前、滋幹が七つぐらいの時のことであった。その時分になると、父はもう狂暴性がないようになり、終日佛間にいて、冥想に耽るとか、看経するとか、何処かの貴い大徳を招いて佛法の講義を聴聞するとか、云うような日が多くなったので、乳人や女房たちは愁眉を開いて、どうやら殿も落ちついておいでになった、あの御様子なら安心ですと云って喜んでいたのであったが、しかし滋幹には、そうなってからでも矢張何となく近づきにくい、薄気味の悪い父であることに変りはなかった。

乳人はよく、佛間が餘りひっそりしていることがあると、

「若様、お父さまの所へいらしって、何をなすっていらっしゃいますか、そうっと覗いて御覧遊ばせ」

と、そう云ったので、滋幹が恐る/\佛間の前へ行って、閾際に跪いて、音を立てぬように障子に手をかけて、一寸ばかりする/\と開けて見ると、正面に普賢菩薩の絵像を懸け、父はそれに向い合って寂然と端坐していた。滋幹の方には後姿しか見えないのだけれども、暫くじっと窺っていても、父は経を読むのでも、書を繙くのでも、香を薫くのでもなく、たゞ黙然と坐っているだけなので、

「お父さまはあゝして何をしていらっしゃるの?」

と、或る時乳人に尋ねると、

「あれは、不浄観と云うことをなすっていらっしゃるのです」

と、乳人が云った。

その不浄観と云うのは大変むずかしい理窟のあることなので、乳人にも委しい説明は出来ないのであったが、要するに、それをすると、人間のいろ/\な官能的快楽が、一時の迷いに過ぎないことを悟るようになる、そして、今まで恋しい/\と思っていた人も恋しくなくなり、見て美しいとか、食べておいしいとか、嗅いで芳しいとか感じた物が、実は美しくも、おいしくも、芳しくもない、汚わしい物であることが分って来る。お父さまは何とかしてお母さまのことをお諦めになろうとして、その修行をなすっていらっしゃるのですよ、と云うのであった。

そう云えば滋幹は、父について生涯忘れることの出来ない或る恐ろしい思い出を持っているのであるが、それはちょうどその前後のことであった。その頃父は幾日間も、晝夜の別なく静坐と沈思をつゞけていて、いつ食事をし、いつ眠るのであろうかと、滋幹は不審に堪えかね、夜中乳人に気付かれぬように寝間を忍び出て、佛間のところへ行って見ると、障子の中にはかすかに燈火がともってい、父は晝間と同じ姿勢で坐っていた。例の如く隙間から覗いていた滋幹は、いつ迄たっても父の姿が彫像のように動かないので、再びそうっと障子を締めて、部屋へ戻って寝てしまったが、その明くる晩も気になって覗きに行くと、依然として父は昨夜の通りにしていた。が、たしか三日目の夜中のこと、又しても好奇心に駆られて、足音をさせないように爪先立てゝ歩いて行って、障子をいつも程に細目に開け、じーっと息を凝らしていると、燈台の灯先が風のないのにゆら/\としたと思った途端に、父が俄かに両肩を揺がして、身じろぎをした。父の動作は甚しく緩慢なので、どう云う目的で動き出したのか最初は察しが付かなかったが、やがて、片手を床につき、非常に重い物を引き扛げるような息づかいをして、自分の身をそろ/\と真っすぐ起して、立ち上るのであった。老年の結果、それでなくても立ち居がのろくなっているのに、長い間端坐の形を崩さずにいたので、そう云う風にしなければ急には立てなかったのであろうが、さて立ち上ると、よろけるように歩きながら部屋の外へ出るのであった。

滋幹が訝しみながら跡をつけると、父は脇目もふらずに前方を視つめ、階を下りて、金剛草履を穿いて、地上に立った。月が皎々と冴えていたのと、そこらに虫の音が聞えていたのとで、季節が秋であったことは確かであるが、つゞいて庭に下りた滋幹は、自分もあり合う大人の草履を突っかけたけれども、足のうらが冷え/\として、水の中を渉っているような感じがし、月の光で地面が霜を置いたように真っ白だったので、冬ではなかったかと云う気もするのである。父が歩くにつれて、地上にくっきり映っている父の影が揺れて行ったが、滋幹はそれを蹈まないように可なり離れて附いて行った。父がうしろを振り返ったら見付けられたかも知れなかったが、父の様子は、歩きつゝなお冥想に沈んでいるような工合で、いつの間にか館の門を出て、何かはっきり目指すところがあるらしく、すうっと歩いて行くのであった。

八十歳の老翁と七八歳の幼童の足であるから、そう遠くまで行ったのではないであろうが、それでも相当の道のりを来たように滋幹は感じた。彼は父からはずっとおくれて見え隠れに跡をつけたが、深夜の路上には親子の外に全く人影が絶えていたし、父の姿が遥かに白く月光を反射していたので、見失う恐れはなかった。路は、初めはいかめしい築地の邸がつゞいていたのが、だん/\みすぼらしい網代の塀や、屋根に石ころを置いた佗びしい低い板葺の家などになったが、それも次第に疎らに、ところ/″\に水たまりだの空地だのが多くなり、芒やその他の秋草が丈高く伸びていたりした。そしてそれらの叢にすだく虫の音が、二人が近づくとふっと止み、遠のくと又鳴き出しながら、町はずれへ行けば行くほど雨のようにしげく喧しくなって行った。そのうちに、家が一軒もなくなって、見渡す限りぼう/\と草の生えた中に、細い野道がひとすじうねっている所へ出た。一本道であるけれども彼方へ曲り此方へ曲りしている上に、草が人間の背よりも高く、父の姿がとき/″\それに没してしまうので、今度は滋幹は一二間の距離まで近寄って行ったが、両側から路の方へ蔽いかぶさっている草を掻き分けながら行くので、袂も裾もしたゝか露に濡れて、つめたい雫が襟もとまで沁み入るのであった。

父は、小川に橋のかゝった所へ来ると、それを渡って、なお真っ直ぐにつゞいている路の方へは行かないで、川のふちへ降りて、少しばかり河原のようになっている砂地を、川下の方へ歩き出した。と、橋から一丁ばかり下のちょっと小高く盛り上った平地に、土饅頭が三つ四つ築いてあって、それらはいずれも土が柔かで新しく、頂上に立てゝある卒塔婆も真っ白な色をしており、折柄の月に文字まではっきり分るのであった。卒塔婆を立てないで、代りに小さな松杉などを植えたのもあり、土饅頭でなく、柵で囲って、石を積み上げて、五輪の塔を据えたのもあり、簡単なのは、屍体を一枚の莚で蔽うて、しるしの花を供えたゞけのものもあったが、中には又、此の間の野分で卒塔婆が倒れ、土饅頭の土が洗われて、屍体の一部が下から露出しているのもあった。

何かを捜し求めるように土饅頭の間をうろ/\している父の跡から、滋幹は殆ど踵を接するくらいに附いて行ったが、父は附けられていることを意識しているのかいないのか、さっきから一度も振り返ったことがなかった。屍骸の肉を貪っていたらしい犬が一匹、不意に叢の間から跳び出して慌てゝ何処かへ逃げ去ったが、父はそんなものにも眼もくれなかった。彼が何かしら異常に緊張し、それに精神を打ち込んでいるらしい様子は、後姿からでも判断が出来た。そして、程なく滋幹は、父の足が止まったので、自分もピタリと歩みをとゞめた瞬間に、体じゅうが総毛立つものを眼前に見た。

月の光と云うものは雪が積ったと同じに、いろ/\のものを燐のような色で一様に塗り潰してしまうので、滋幹も最初の一刹那は、そこの地上に横わっている妙な形をしたものゝ正体が掴めなかったのであるが、瞳を凝らしているうちに、それが若い女の屍骸の腐りたゞれたものであることが頷けて来た。若い女のものであることは、部分的に面影を残している四肢の肉づきや肌の色合で分ったが、長い髪の毛は皮膚ぐるみ鬘のように頭蓋から脱落し、顔は押し潰されたとも膨れ上ったとも見える一塊の肉のかたまりになり、腹部からは内臓が流れ出して、一面に蛆がうごめいていた。晝を欺く光の下でそう云うものを見た凄じさは、凡そ想像に難くないが、滋幹は恐さに顔を背けることも、身動きすることも、まして声を発することも出来ず、その光景に縛りつけられたようになって立っていた。が、父はと見ると、しずかにその屍骸に近寄って、まず恭しく礼拝してから、傍に置いてある莚の上にすわるのであった。そして、さっき佛間でしていたように凝然と端坐して、とき/″\屍骸の方を見ては又半眼に眼を閉じて沈思し出したのであった。

その時月はひとしお研ぎすまされたように冴え、四辺の寂寞は前より一層深まっていた。風がおり/\かすかに渡って、すゝきがざわ/\する外には、虫の音が際立ってひゞくばかりであった。そう云う中でひとり影の如く孤坐している父を見ることは、何か奇怪な夢の世界に引き入れられた感じであったが、でもあたりには鼻を衝く屍臭が瀰漫していたので、そのために滋幹は否応なしに現実の世界へ呼び戻された。

此の、滋幹の父が女の屍骸を見た場所と云うのは、何処のことか明かでないが、蓋しその頃の京都の街には、こう云う風な屍骸の捨て場が方々にあったのであろう。当時は痘瘡とか麻疹とか云う疫癘が流行って死人が多く出たりすると、一つには伝染を恐れるのと、一つには処置に困るのとで、何処と云うことなく、空地があれば病人の屍骸を運んで行って、しるしばかりに土をかけたり、莚で蔽うたりして葬ったものらしいので、これもそう云う場所であったかと察しられる。

Chapter 9 of 11
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