Bundestag
登山準備を山登りと殆ど同程度に愉快に感ずるのは決して私一人ではあるまい。一日がかりでシュタイクアイゼンに鑪をかけたり、靴の曲った釘を打ちかえたりするような、はたから見るとたわいもない労力までが、もう岩角へとっついたように緊張させる。久しぶりに登山服を取り出して、いつの夜営の記念だろう、偃松の烟の染み込んだのを頬にあてると、遠のいていた華やかな日を呼び帰したように生き生きする。「オバケだと思やしないか」と云いながら、会員のゴースデンがひょっくりやって来たのは、こんな仕度をしていた雨の日であった。昨日ベルンでモリエーに逢ったら、君はまだ来ないだろうと云っていたなど話した。まだ日本にいることと御互いに思っていた二人が、ここで山の計画を語り合うのは実際思いがけないことだった。那須皓君が来て、二、三日するとまたあわただしく山の方へ行ってしまったのも、その間のことであった。
私は「船の上で幾度も山を讃美した」と書いた、その話対手は横浜から隣のケビンで一緒にジュネーヴまで来た会員の那須であったのだ。然し湖水の藍色の水を一眼見ると、ものにつかれたようになって、私達のとめるのを振りきって、どうしても二、三日遊んでゆくと云い出したその二、三日が、四、五日となり五、六日と変って、明日は行くと云う日付の異った幾枚かの絵葉書が湖畔のあちこちから送られて、山へも行かず待ち暮らした私のところにやっと着いたのは、うそ寒い日が幾日か続いた七月も末となって居た。そしてジュネーヴに比べると夏と春ぐらい陽気の違うオーベルラントは、湖水の照りかえしで日に焼けて来た那須には余程意外であったらしい。
私達は晩餐のあとかかさず湖畔の草原へ出て、奇麗に露を綴った羽衣草を踏みながら、黄昏の長い北国の夕を味わった。曾て対岸の――シュピエツベルクに遮ぎられてここからは見えないが――オーベルホーフェンの小さな宿で、近藤君と一と月近く負傷後の身を養っていた時は、よく那須のことを憶い出しては叱られたものだ。此間も横浜まで見送りに来たとき、今度は那須君と一緒で本当にいいねと皮肉を云われて苦笑したが、こうして見ると矢張り何となく寂しい。
高野にしても武田にしても、眼を閉じれば俤は彷彿とするが、今は距たること実に五十日の旅程にある、頼りはしてもおいそれと返事は来ないから、まるでツンボと話してるようにいらいらする。私は那須の側にいながら、いつか
恨むらくは雪の嶺こそ眉にあれわが側に君まさぬこと
と大井川の奥から呉れた中村の消息を思い出した。
このあきたらぬ感じを突きつめれば、私達がこの雪をめぐらしたスウィスに生れなかった不運をかこつ外はない。自分の生れた国を置いて怪しからん奴だと、まさか友達にはあるまいが、世間には思う者があるかも知れない、あったってこの事実をどうすることも出来ない。
グロース・シュレックホルンの雪崩で負傷した時グリンデルワルトで世話になった三十四聯隊(Gebirgs-Artilleri)の兵士達を思い出した。私の国だったらどうだろう。或人は親切に慰めて呉れるかも知れない、ある人は、いやどうも飛んだ御災難でと恰も災難ででもあったかの如くまともに慰問の言葉を浴びせるかも知れない。然し私達を知らぬ人は異邦人を見るよりもなおうとましく私には感ぜられる。山を知らない人の言葉は要するに多ければ多いだけ私達の間を阻隔するばかりだ。あの時は故郷にいるより遥かに愉快に兵士達の看護をうけてインテルラーケンの病院へむかった、それだのに私は、ただ一人の旅人として、別れてしまわなければならなかった。
山を思う人だけが、永遠の氷に鎖された山岳の間に一国をつくろうとするのは果して不合理であろうか。今私達の新しい希望としては余りに空想的であるかも知れない、然しそれを実現した一人を過去に見出すことが出来る、それは我が Helvetia である。まだもっとも可能性に富んでいた一人を知っておる、それは彼のナポレオンである。然しサン・ベルナールに氷雪の洗礼をうけた時、この古今を絶した山岳の懐にいだかれて、なお人間の暗い性情にとらわれていなければならなかった彼は、彼の努力がすばらしいものであっただけに、いかにも浮かばれないように私には感ぜられる、山上の静寂に黙思する暇もなく、馬に曳っぱられてアオスタの谷へ下りてしまった彼の運命は、神が予期したより遥かに悲惨であったのは已むを得ない。この意味に於て、アルプスの天地に国家をきずきあげたヘルフェツィアを私は心から愛する。彼女の後裔には、アルプの雪にかこまれて幾百年を送って来たスウィス民族には、その胸底に私達と共鳴する何ものかを蔵していなければならない。
彼等がうたうヨーデルを聴け、何れの歌章にも山を讃美しているではないか。彼等の中に一人でも山を愛さないものがあるだろうか――気の毒なことには無いと云い切ることは出来ない――白痴や狂人がそれだ、これ等の気の毒な人達は我国の多数の人と同様に山を知らずに死んで行くのだ。然しノルマルな人間なら女子供でも、山を去ることの苦痛を知って居る、或いは時に、それを明らかに意識していないかも知れない、然しこころみに彼等を山岳から引き離して見るがいい、その時初めて、秘露のインカ族を山地から追い下した白人のように、どんな罪を彼等に対して犯したかが分るだろう。郷愁は山岳国民の通性である。郷愁を主題としたスウィスの民謡を聞いて、あのやるせない曲に涙を落さないものは、山に縁の遠い人間だ、スウィス国民の中の狂人か白痴に等しい部類だ、冷静に観察すればどこにか欠けている或るものを見出す、そしてそれを感ぜずに生きてゆかねばならぬ彼等の運命に同情するようになる。
こういう人達が、期節に入った今頃はよくこの辺をうろうろするが、いずれも流行で山奥までまぐれ込んだ遊覧客である。見ると私はいつも平原の水流を想い起す。汐のさし引きで当てもなく曳かれてゆく塵あくた、犬猫の屍骸まで一所になって、ぶくりぶくり無気味な泡を立てながら、さすでも無く曳くでもなくただようて居る。それによく似た流行を趁う人の群だ、自分の趣味でも主張でもなく、人のあとにくっついてうろうろする、煩わしいが罪のない気の毒な人達だ。
パリジアンらしく眼のふちをぼかした女を抱くようにして、大それた、羚羊の角など飾りに付けた杖を得意げに振りながら、クールサールをうろついて、大通りで宝石――輸入品の――を冷やかして、べちゃくちゃ云いながら日を暮してしまう。アルプスの連嶺が雲の上に表われようが消えようが、ゼンマイ仕掛のような唇は動きつづけて止む時はない。彼等がスウィス人でないのはせめてもの心やりではあるが、いずれにしても余りいい気持はしない、恐らく諸君も不快な感じにいらだった眼をあげて、顔をそむけずにはいられまい、と、そこに君は何を見るだろう!
寛容な自然はこの人達をもさすがに見捨てずに、雪をかずいた連峰は漂々と霞の上から、君とそして彼等を見下ろしているではないか。茫然としてこれに対すれば、名状しがたい歓びに君の胸はふるえて来る。そしてふと眼を落して再び彼等を見かえる時――何と云うやさしい君の眸だろう! ――麓に集る彼等が騒がしければ騒がしいほど静かに、君は、聖者のように彼等を見かえって、人間を嘲笑することなしに、なお偉大なる山岳を讃美するであろう。
スウィス国民を理解するためには八月一日のブンデスタークを見て置く必要がある。然しその為には通り一遍のこういう遊覧客の多い町にばかりいない方が宜しい。
この日は開国の記念日である、然し人間の働くべき昼の間は殆ど平常と違うところを見出さない。徒に典礼ばかり重んじて、虚偽な煩瑣な形式にばかりとらわれた祝日らしくないのがうれしい。子供はいつもの通り学校へ行く、歴史の時間でもあれば格別、さもなければ授業もふだんの通りで、別にいかめしい式や訓示みたいなものは絶対にない。然し少しセンシブルな人であれば、往来で逢う朴訥な村人の顔にも隠すことの出来ない喜びを見出すだろう。
前の宵から降り初めた氷雨は午頃になって漸く晴れた。八月一日の日記としてこんな文字を使うのは適当でないかも知れない、しかし寒かったのは事実だ。私達は多少の好奇心も手伝って、ストーヴの側で樅の根株のパチパチはねるのを気持よく聞きながら、静な朝を迎えた。窓から見ると、雲の這い上っては消え失せてゆく前山の、中腹から上は真白に新雪に覆われて、湖水に面した絶壁にしがみついた樅の木立は若芽の緑が斑に雪をかずいて居た。
が、日が照るにつれて、さすがに陽気は目に見えてゆるんで、外にいても外套の必要を感じない位になった。私達は湖水のふちを、山毛欅の多いビュルクの裾を廻って、Faulensee の水に臨んだ芝生で休んだ。静かな日だ、湖水の水は平らに、鏡のように雪の影を宿して、インテルラーケンのあたりから、船のホルンがかすかに湖を渡って響いて来る。
雨上りの空は一点の曇りもなく、湖と等しく濃く深く澄み切っていた。眼をあげて虚空を見れば、無辺際に築き上げた氷の山岳が、屹として強い日ざしにさえかえっている。そこに何等の雲影もなく、万象は光明を象徴せる如く感ぜられる。その何処にも罪悪をかもすような陰影はない。この透明な蒼空の下に、この至純な盛夏の新雪の間に、建国の日を祝う国民を私は羨まざるを得ない。
日暮からはいかにも祝日らしい光景を呈する。アーベントグリューンが消える頃、丘のあちこちに建てられたホテルには一斉にイルミネイションが輝り初める、そして村の楽隊の Berner-Marsch が大通りの坂道を城の方へ動いて行く時分には、村中の男女は手に手に赤地に白十字の国旗を染めた提灯をかざして、光の一団となって、静かに湖の方へ下りてゆく。湖畔の家はいずれも窓を開け放して、昼をあざむく光線が奇麗に水面に反影する。空には満天の星が下界を祝福する如く輝いている、空もまた光の海だ。山岳は夜の帳をかかげて、下界の子の歓びにほほえむように、この群集を見下ろしておる。
ふと私達は山頂にいくつかの火光を見出した、星ではない、明らかに火だ。ファウルホルンの方角にはシンニゲ・プラッテの附近が際立って明るく、ニーセンの頂上にはアーク灯らしい光が天狼星のように光る。火の数はますます増して、思いがけない高所にもあちこち光り初める、モルゲンベルクホルンの山腹、シュトックホルンの絶壁の直下、遠く小さく恐らくブリュムリスアルプのホートュルリの小屋あたりと思われる地点にも火星のような光がまたたき出した。
私はこの山上の火を見て、山岳を中心として結び着いたスウィス人の温かい心を直視する如く感じた。麓へ下りられない人達が、アルプに牛を飼っているため今日の祭に加わり得ない山ゥ人が、幾日も幾日も仕事の合間に運び上げた薪に火を放って、山にいる彼等も祖国を思うことの変りなきを示すのだ。火は小さく、然し鮮かに輝いている、恰も彼等の胸のように……。
湖畔の群衆は粛然とこの火光を仰いで帽を脱した、船に移った楽隊は荘重な国歌を奏する、私達は声高くその一節を唱った……。(未完)
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