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45回転の夏 第1章 ローラーコースター、1966年
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45回転の夏 第1章 ローラーコースター、1966年
鶴岡雄二
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Chapter 8 of 17

8 そこは灯もずっと華やかで 心配ごとも気がかりも、みんな忘れられる だから、でかけよう ダウンタウンにいれば、すべてが素晴らしい ほかに、こんな場所など あるわけがない あらゆることがあなたを待っている

〈ダウンタウン〉

ペトゥラ・クラーク

ふたりは、ピカデリーのまえで車からおろしてもらった。『メリー・ポピンズ』の予告が出ている。

「こんど、いっしょに、ここにこよう。親父のところにタダ券がくるから」

と、高志は劇場を指さしながら、めずらしそうに周囲を見まわしている慶一に声をかけた。

劇場のすぐそばで信号待ちをする。

いい天気だ。昨夜の雨も、すでにあとかたもない。

ふたりとも、車のなかで私服に着替え、高志は制服を車においてきたが、慶一は、制服の上下と黒い革靴をバッグに突っこんでもっている。

「レコード屋はどっち?」

「これをわたって、まっすぐいったところだ」

「ねえ、ここは伊勢佐木町でしょ?」

「そうだよ。見りゃ、わかるだろうが」

高志は、ばかばかしそうに、横断歩道のむこうに見える「ISEZAKI CHO」と書かれた、骨組だけの塔のようなものを、アゴでしゃくって示した。

「じゃ、不二家はこっち?」

と、背にした方向をふりかえって指さす。慶一は、何回かこの街にきたことがあるが、方向がよくわからない。

「ちがうよ、こっちだよ」

と高志は、両手をポケットに入れたまま、慶一が指さしたのとは反対になる、正面をアゴでしゃくった。

「じゃ、平和球場はこっちだ」

と、慶一は右を指さす。

「もォ、ちがうよ。いいじゃねえか、そんなこと。田舎モンだと思われるぞ」

慶一は、取っ手の下に派手なストライプが入った、じぶんのデニムのバッグを見おろした。

信号が青になった。

ふたりは飛び跳ねるように、先頭をきって横断歩道をわたる。

そのまま伊勢佐木町の通りに走りこもうとした慶一は、高志に左腕をつかまれた。

「こっちだ」

「どこいくんだよ」

「いいから」

高志は、信号のまえの角店に入っていく。マーケットのように、両側に店があって、通路になったところを抜けると階段があり、そこをのぼる。

二階には本屋があった。日本語の本はない。すべて洋書だ。

慶一は足をとめた。巨大な胸をした、赤毛の女の写真を表紙にした、「カウ・ガールズ」というタイトルの雑誌が、扇風機の風にめくれそうになりながら、棚に飾られている。

高志に腕をひっぱられたとき、慶一はじぶんが、表紙からはみ出しそうになった、とても人間のものには思えない胸を見つめていたのに気がついた。

高志は慶一をひっぱって、反対側の棚のまえに立たせた。

こっちの棚にある雑誌の表紙では、赤毛やホルスタインではなく、服を着たままのブロンド女が、カメラをあざけるように見ていたり、B-52が爆弾を落としていたりする。

高志は、表紙にハーマンズ・ハーミッツの写真を飾った雑誌をとりあげた。

「ガキ向けだけど、これは写真が多いからな」

そういって、高志はとなりにいる慶一にも見えるように、ページをめくってみせる。

「これ、このヤング・ラスカルズって、ほら、こないだナンバーワンになった曲のさ……」

高志は、子どものような服を着た大人たちの写真があるページを、慶一のほうに傾けてみせる。

「ああ、〈グッド・ラヴ〉?」

「ちがう、〈グッド・ラヴィン〉だ。ここに書いてある」

高志は、“The Beatles Monthly” という、薄くて小さい雑誌をとりあげて、カウンターの小太りのおばさんに差しだした。

慶一はまわりを見わたした。回転ラックには、裸の女のイラストを表紙にした、青い地の新書版の本がならんでいる。

「おい、いくぞ」

と、雑誌を受けとった高志が、ひとりで出ていく。

「なんだよ、もうちょっと見ようよ」

慶一は、階段のところで不満そうにいった。

「いいから。おまえ、家に電話すんだろ」

そこからすこし歩くと、一階をレコード売り場にした、大きな楽器屋がある。きょうのほんとうの目的はここだった。高志は、通りの赤電話を指さし、おれはレコードを見てる、といった。

慶一が電話を終わり、二階まで吹抜けになった、天井の高いレコード屋に入っていくと、高志はすでに、二枚のシングルを手にしていた。

ママズ&パパズの〈マンデイ・マンデイ〉と、スペンサー・デイヴィス・グループの〈キープ・オン・ラニング〉だ。

「これ、おまえのぶん」

といって、高志は〈キープ・オン・ラニング〉を慶一にわたした。これは、ラジオで聴いて、すごいすごいと大騒ぎした曲だ。

「おまえ、もう一枚、好きなのを選んでいい。きょうは金をのこしたいから、それでガマンしろ」

「なんで、お金とっとくの」

「いいことがあるんだ」

慶一はシングルの棚を素早く見ていき、結局、ホリーズの〈アイム・アライヴ〉を選んだ。

高志が見ている列のわきには、ジョニー・リヴァーズのLPと、マインドベンダーズの〈グルーヴィー・カインド・オヴ・ラヴ〉、シェールの〈バン・バン〉がおいてある。

「シェールなんか買うの?」

「わるいかよ」

「わるくはないけどさ、へんなメロディー。中近東みたい」

慶一は、ヤードバーズの〈ハート・フル・オヴ・ソウル〉といい、これといい、ビートルズといい、このところ中近東ばかりだ、と考えた。

「これはさ、歌詞がいいんだ」

「わかるのー?」

「わかりますよ。『ミュージック・ライフ』に大意がのってたじゃねえか」

高志は小さく笑った。

「なーんだ」

中間試験の英語は、慶一は九二点だったが、高志は九五点をとって、学年で二番だった。三点の差に、慶一は大きなコンプレクスを感じている。

それにしても、ワラの英語の成績がじぶんより悪いのが、慶一にはよくわからない。

「これくらいにしておくか」

高志は、慶一の二枚もいっしょに、カウンターにもっていく。

棚を見つづけている慶一のところにもどると、高志はシングルの袋を手わたした。

「おまえの二枚。家に帰ったら聴けよ。あした、忘れずにもってくるんだぞ。KWTSの備品だからな」

高志は、LPの袋をわきの下にはさみ、領収書を大切そうにサイフにしまった。

冷房のきいたレコード屋から出ると、外はムッとする。

「腹へったな」

と、ひさしの隙間から飛びこんでくる陽射しに、高志は目を細めた。

「うん、でも、もう帰らないと」

「なにいってんだよ。まだ、真っ昼間じゃないか」

「もう、四時半だよ。晩ご飯までには帰らなきゃ」

「大丈夫だ。一時間あれば帰れる」

高志はさっさと、入ってきたのとは反対の方向に歩きだす。しかたなく、慶一はそれを追った。

せまい道路をはさんだ、反対側の大きな本屋のまえで、中学生らしい女の子がふたり、なにかいいあっている。といっても、ケンカしているわけではなさそうだ。

慶一はそのひとり、花柄のプリントのワンピースを着た子の、頭のうしろでたばねた、長い、艶のある、豊かな髪の毛に見ほれた。

横顔を見せていたその子が、慶一のほうに正面をむけた。

かわいい。『ハニーにおまかせ』のハニー・ウェストは、中学生のころは、こんなじゃなかったのだろうか。かりに、そんなことができるとしての話だが、この子を二五歳にして、色情狂にしたら、ハニー・ウェストになるんじゃないか、という気がする。

その女の子が、こちらを見て、おどろいたような顔をした。すぐに、その表情がほほえみに変わり、手をふったので、慶一は仰天した。

「お兄さん」

と呼びかける幼いハニーちゃんに、慶一は思わず返事をしそうになる。

「おう、なにやってんだ」

そういって、いきなり高志が立ちどまったので、わき見をしていた慶一は、あやうく、ぶつかりそうになった。高志の返事におどろいて、そちらを見なかったら、たぶん、モロにぶつかっていただろう。

「高志の妹?」

「あれが弟に見えるかよ」

高志は、車がこないのを確認して、慶一を反対側の妹のところへひっぱっていく。

「おまえら、なにやってんだ」

ふたりの女の子を等分に見て、高志がいった。

「西口にいこうっていうのに、レイ子が帰るっていうの。この子、つきあい悪いのよ、高志さん」

と、もうひとりの髪をショートカットにした子が、わきからこたえた。短い髪に合わせたのか、男物のような、チェックのボタンダウンのシャツを着ている。

慶一は高志に、「レイ子って名前なんだね」といいそうになり、思いとどまった。

「そうか、もう、遅くなるから、西口はやめとけ。それより、おまえら、腹へってないか」

「へってる、へってる。おごって」

と、またショートカットが返事した。

「トモ子、おまえ、いまにブクブクに太るぞ」

トモ子は、イーだ、と鼻をクシャクシャにし、長いひものついた、巾着の親玉のようなバッグをふりまわし、高志を一撃した。

「お兄さん、うちによってきたの?」

と、レイ子が高志の私服姿を見とがめる。

「まあな。レイ子、こいつは――」

と、慶一の袖をつまんだが、レイ子は、

「あ、わかったわ。いわないで、あてるから。――慶一さんでしょう?」

と、ほほえみかけた。

レイ子に名前をいわれたので、慶一はおどろきのあまり、紹介されたら披露しようと思っていた、とっておきの微笑を引っこめた。

「あたり」

「いつも、兄からお話をうかがっています。兄がたいへんお世話になっております」

といって、おとなのように頭を下げる。

おそろしく大人びた挨拶をされたので、慶一は、いや、とか、そんな、とか、なにか不明瞭な、しり切れとんぼのことばを口のなかで転がした。

なんて、きれいな髪なんだろう。近くで見ると、ハニー・ウェストには似てない。どちらかといえば、髪を黒く染めたパティ・ボイドという感じだ。

「こっちはトモ子だ。しようのねえ跳ねっ返りだ」

高志が、もうひとりを紹介する。

トモ子は、慶一にぺこりと頭をさげてから、高志にむかって舌を出し、またバッグをふりまわしたが、こんどは高志もこころえていて、ひじでブロックし、バーカ、と笑う。

「よし、ハンバーガー食いにいこう」

四人は伊勢佐木町通りを出て、堀割にかかった橋をわたった。国電のガードをくぐり抜けると、ファサードが丸みをおびた、異常に縦長の濃灰色のビルがある。

それを見て、慶一は、ここにはきたことがある、と思った。どことなく鉄人28号の顔のようなこのビルのたたずまいと、「帝国秘密探偵社」という名前は、印象にのこる。

さらに、架線をはりめぐらせた広い道をわたった角にある、赤白の浮き輪やロープを飾った、カウンターだけの店に、高志は三人をみちびいて入った。

奥から、慶一、高志、トモ子、レイ子の順に留まり木に腰を落ちつけると、

「みんな、バーガーでいいな」

と、高志が宣言した。

「あたし、チーズバーガーも。もちろん、バーガーもだけど。それにストロベリーシェイク!」

と、トモ子がいう。

「わたしは、ハンバーガーをひとつ。それと、冷たいコーヒー」

レイ子が、ひとつといったことに、慶一は安心した。

「おまえは?」

高志は、壁に張られたメニューを、めずらしそうにながめている慶一をうながした。

じっさい、慶一は、こんな店に入ったことがなかった。「サブマリンサンド」とか、「チーズバーガー」とか、「ペストリー」とか、「ワッフル」とか、知らない食べ物ばかりだ。

「ぼくもひとつでいい。飲み物は……コーラかな」

「チョコレートシェイクにしろよ」

と、高志が押しつける。

慶一は、いったい、それはどういうものなんだろうと思ったが、いいよ、それで、と返事をし、店内をさまよわせていた目を、外の広い交差点にむけた。ここも見覚えがある。

「高志さんとおなじ学校なんですかぁ」

というトモ子の質問が、じぶんにむけられたことに気づいた慶一は、高志のむこうに坐ったトモ子に顔をむけ、うん、とこたえながら、視線をすこしそらしたとたん、そのむこうのレイ子と目が合ってしまった。

「学校、どんなですか。あたしも、あそこに入ろうかなって、思ってるんですけど」

というトモ子のことばで、慶一はレイ子から目をそらした。

「まだ、来年から女子を入れるって、決まったわけじゃない。だいたい、おまえはウルサイから、こなくていい」

と、高志が口をはさんだ。ということは、ふたりとも六年生か、と慶一は納得した。

「ヘーンだ。高志さんと話してんじゃないもーん」

トモ子は、慶一の名前を忘れたようだ。慶一さんと話してんだもーん、とつづけたかったらしい。

よく見ると、レイ子は、ハニー・ウェストなんかにはまるで似てない。唇の右下にある小さなほくろが、そんな印象をあたえただけだ。この子は、大人びているけど、清潔だ。

慶一は、レイ子をじぶんの理解できる範囲に収めようと、頭のなかで「美人名鑑」をめくった。

フランス・ギャル、芦川いづみ、シェリー・フェブレー(ワラの発音だとシェリー・ファーベアズだけど、そんな名前で〈ジョニー・エンジェル〉を歌っているすがたなんて、どう考えても想像できない)、パティ・デューク、浅丘ルリ子、シルヴィー・ヴァルタン、マリー・ラフォレ……。どうも、ちがう。

慶一の頭に、さっきから気になっていたことを探りだす手順がひらめいた。

「トモ子ちゃんて、どういう字を書くの?」

ミキサーがうなりをたてるので、慶一は大声をださなくてはならなかった。

こいつは、ちゃん、なんて代物じゃないよ、という高志を無視して、トモ子は、

「知ってる子って、書くのよ」

と、にこやかに慶一を見る。

なんも知らねえクセして、という高志のわき腹を、知子がヒジでえぐった。

慶一がほんとうにききたかったのは、レイ子の字だった。これで、自然にレイ子に尋ねられる。

「ぼくは、慶応の慶に、数字の一で、けいいち。レイ子さんは? どういう字?」

ミキサーが止まり、大声でいった「レイ子さん」が宙に浮いてしまい、慶一はあわてた。

「おい、知子、きいたかよ。おまえは “ちゃん” なのに、レイ子は “さん” だってよ。ナメられたぞ」

と、高志がニヤニヤしながら、知子にいう。

「いいんだよ。なれてるもん。レイ子といるとさ、いつも差がつくんだってば」

慶一は、大失策に舌を噛みそうになった。

「あの――」と、レイ子はことばに詰まる。

「命令の令だよ。ほかにいいようがないのに、こいつは命令の令っていうの、いやがんだよ」

と、高志がかわりにこたえる。

じぶんがスペードのエースを握っているのに気づき、失策をとりもどせそうだと、慶一はうれしくなった。

「そんなことないよ。令嬢があるじゃない」

知子が、キャッハッハと素っ頓狂な声で笑った。

令子が真っ赤になる。

「それはいっちゃいけないの。まえにも、こいつに笑われたんだとよ」

と、高志が知子の二の腕をつついた。

また、ミキサーがまわりだした。

「だってえ、じぶんで令嬢なんていうからさあ」

と、知子がまた笑う。

一二塁間突破をねらったヒットエンドランは、ライナーになって、ジャンプした二塁手にとられ、飛び出した一塁走者も刺されて、一瞬にしてチェンジになってしまった。

全員のまえに、つぎつぎと飲み物がおかれていき、慶一は救われたような気になった。

そのチョコレートシェイクという飲み物を、白地に赤のダンダラがついたストローですこし吸いあげた慶一は、困惑を忘れた。

これは、うまい。高志が、これにしろというわけだ。

つづいて、ハンバーガーがおかれていく。

チーズバーガーというのは、どういうものかと、慶一は知子の皿を見た。ハンバーグの上にチーズがのっている。それで、チーズバーガーか。なーんだ。

〈アイ・ゲット・アラウンド〉を歌いながら、高志はハンバーグの上に、トマトとたまねぎの厚いスライスをのせ、カウンターにおかれた真っ赤なチューブをとってしぼった。

うれしそうだ。こういうときは、さすがの高志も年相応に見える。

そのチューブを高志が黙ってわたし、慶一はトマトとオニオンのスライスをのせ、ケチャップをかけた。

高志は、こんどは黄色いチューブをしぼった。マスタードを慶一にわたそうとして、そのバンズが閉じられているのを見た高志は、

「おまえ、マスタードつけろよ。抜きはガキだぞ。いつもつけないんだからな」と、とがめた。

慶一は、いいんだよ、といって、その厚いハンバーガーにかぶりついた。

令子は、ものすごく真剣な表情で、バーガーをふたつに割っている。その指が細く、すっと伸びているのに、慶一は気づいた。

令子に見とれていた慶一は、突然頭のなかで、令子の指と、バーガーの味が、スウィッチを切り換えたように入れ替わったので、むせそうになった。

このハンバーガーは、とんでもない!

「これ、うまい」

慶一は、小さな声でいった。

「気に入ったか」

「うん」

あっ、高志がわかりきったことを質問した、と思ったが、なにもいわずに咀嚼をつづけた。

「じゃ、二、三個もって帰れ」

と、慶一の返事もきかずに、

「すいません。バーガーを四つ、テイクアウトにしてください。マスタード抜きで」

と、レンジのまえに立っている女の子にいった。

カラシ抜きで食べたことを、慶一は後悔した。

「いいよ、いらないよ」

そういいながらも、慶一は「テイクアウト」ということばを記憶しようと、頭のなかで転がす。

「いいから。もう、たのんじゃったよ」

慶一は、また十字路を見た。

「おまえ、さっきから、なに外ばっか見てんだよ」

「考えてたんだよ」

「なにを」

「この道をさあ――」

と、慶一は左手にバーガーをもち、右手で外の通りをさした。

「この道をあっちにいくと、球場じゃないの?」

「バーカ」

「ちがった?」

「あってるさ。なんだっていうんだ。地図でもつくる気かよ」

たしかに、その道のつきあたりには、かつてのゲーリッグ球場、いまの平和球場がある。

知子が、あした、午後から西口にいこうと、令子に話しかけている。

もち帰りのハンバーガーが四つ入った、白い紙袋が出てきて、高志がそれを受けとり、全員のぶんの勘定を払ってしまう。

「よし、じゃ、おまえらも慶一を送るのにつきあえ」

高志が立ちあがりながら、知子と令子にいう。

慶一は、夕食までに帰らなくちゃ、などといったことを後悔した。

「令子、慶一は荷物が多いから、おまえ、これ、駅までもってってあげな」

と、高志はバーガーの袋を、立ちあがった令子にわたす。

令子は、三つにたたんだ口のところを右手でもち、左手を袋の底にそえて、たいせつそうにかかえて、出口にむかった。

球場のほうにむかう横断歩道は、信号が赤になっていて、さきにいった令子と知子が立ちどまる。

外にあるウィンドウを見て、慶一は納得した。サブマリンサンドというのは、大魔神のホットドッグのようなものだ。こんなの、だれが食べるんだろう。

「おい、令子、知子、ちょっと待った」

といって、高志は左側に頭を倒して、こっちへいこうと、馬車道通りのほうを示す。

「慶一、あと五分ぐらい、いいだろう」

「うん」

その方向には、『スパイがいっぱい』という映画の看板が見えている。さっき、店に入るときにも、それは気になっていた。

高志はどんどん、そちらへ足を運んでいく。

ふりかえってみると、令子たちも歩きだしたので、慶一もそうした。

「映画なんか見る時間、ないよ」

と、慶一は高志の背中に声をかけた。

「五分でどうやって見るんだよ」

高志はふりかえらずにいう。

映画館のわきで立ちどまった高志が、おい、といってポスターを指さした。

それは、「近日上映」という細長い紙が貼りつけてある、ビートルズの四人の背中に、残像のようなものがついているポスターだった。そのとなりには、黒ずくめの四人が、真っ白な背景のなかで、てんでに手をひろげているポスターもある。

「今月の二十六日からだね」

高志は苦笑した。見りゃあ、わかる、といいたいのだろう。

「おまえ、もういちど見ないか」

「うん。いいよ」

武道館のささやかな埋めあわせだ。

「あたしも!」

と背中で、知子の声がする。知子は令子に、あんたもでしょう、といっている。

慶一がふりかえると、令子は知子にうなずいていた。

高志は、二十六日が火曜で、水、木、などとつぶやいている。

「じゃ、いちおう、二十八日の木曜の朝いちばんにしよう。オーケイ?」

知子だけが、元気よく、わーい、やったあ、と返事する。

そこから関内駅までのわずかな時間、慶一は令子と肩をならべ、ぎこちない、とぎれとぎれの会話を交わした。

「学校は?」「六年生?」、「ええ」といった、高志なら、「無意味」と一蹴するはずの会話をだ。

改札口で、慶一は困惑した。左手にバッグ、右手にレコードをもって、令子がわたそうとするバーガーの袋を見つめた。

「レコードをバッグに入れろ」

高志は、うんざりした顔だ。

「だって、クツが入ってんだよ」

「大丈夫だって、割れないよ」

慶一には、靴といっしょにレコードを入れてはいけない、立派な理由があった。そんなことをしたら、レコードに失礼じゃないか!

ほかに方法がないので、あきらめて、慶一はバッグを開いた。できるだけクツとレコードが離れるよう、ごそごそやりながら、みっともなさに、顔から火の出るような思いを味わった。

「いいな、二番線に乗れば、どの電車も横浜にいくから、わかったな、大丈夫だな」

「わかったよ。ガキじゃあるまいし」

「反対側の電車に乗ったら、磯子が終点だ。引きかえせばいいんだからな」

「大丈夫、磯子なんか、いかないってば」

いくわけがない。階段が目のまえに見えているっていうのに、どうやってまちがえろっていうんだ。

女の子ふたりがクスクス笑って、高志のうしろから見ているので、慶一はすこし頭にきた。

「それ、温めなくてもうまいけど、オーヴントースターかなんかあるなら、ちょっと温めろ。今晩中に食べるんだぞ」

「うん」

「じゃあな。知らないおじさんに、ビートルズを見せにつれてってやる、なんていわれても、ひょこひょこついてくんじゃないぞ。もう、まにあいっこないんだからな」

「わかってるってば、そんなバカじゃないよ」

慶一は忘れていた。これから、日本で最後のステージに立つはずだ。あしたはフィリピンにむけてたつ。

「ねえ、あした、羽田にいかない?」

「ダメだ。うちの用がある。それに、空港へいったって、豆粒が手ェふってんのが見えるだけだろうし、オマワリと女どもがうるさいだけだ。おまえ、ひとりでいったりするなよ」

慶一はあきらめた。今回は縁がなかった。来年か、再来年には、みんなで見にいこう。ハガキをたくさん出せば、きっと当たるだろう。

帰宅を急ぐサラリーマンが、慶一に突き当たった。それをしおに慶一は、じゃあ、と手をふった。

階段を昇りきって、ホームに立つと、そこへ電車が入ってきた。

左手にレコードの入ったバッグ、右手にハンバーガーをもっているので、混んでいたらどうしよう、と思ったが、幸い、空いてはいないものの、押しつぶされるほどには混んでいなかった。

慶一はドア際に立って、走りだした電車から、一瞬だけ見える下の通りに注意した。だが、三人のすがたは、どこにも見えなかった。

ハンバーガー屋を出たときには、まだ昼間の感じだったが、もう、太陽がビルのかげに隠れる寸前で、西側にいる慶一を、正面からオレンジ色に染めあげる。

舎監室に呼ばれたのがきのうの夜だなんて、信じられない気がした。きのうからきょうにかけて、いろいろなことが起こりすぎた。ものすごく長い二十四時間だった。

ビートルズはどうしてるかな、と考えたとたん、たいへんなことに気づいた。

いまこうして電車に乗っているということは、きょうの切符をもっていれば、見にいけたんだ!

はじめからあきらめたのが、まちがいだった。こんど来日するときは、なにがなんでも申し込まなくちゃ。

もう、昼までの憂鬱は吹き飛んでいた。

バッグには二枚のレコードが入っているし、いままで食べたこともないすごいハンバーガーを、四つももっているし、あんなかわいい子とも友だちになったし、来年か再来年には、ビートルズも見られるだろう。反省文を書くのも、もう、それほど苦には思えない。

夏の夕方、高架線路の湾曲に沿ってながめるこの街は、ほんとうにきれいだ。

Chapter 8 of 17
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