Chapter 4 of 4
結び
以上を要約すれば、在来の国語学は、ソシュール的言語理論を基礎としたために、具体的な言語的実践を取扱ふ国語教育に対して、極めて間接的な寄与しか主張することが出来なかつた。一方、戦後の国語教育は、在来の国語学に対する不信から、国語に対する考察と分析とをゆるがせにして、教育の場を、ただ、討論と研究発表のはなやかさで塗りつぶすことを指導した。日本の国語教育の正しい道は、教室の学習計画において、たとひ、不手際であつても、教育内容について、何をどのやうな順序において教育されなければならないかといふことが、精密に分析されなければならないことであると思ふのである。そのためには、現場の国語教師は、何よりも、生徒の言語活動を正しく捉へ、そしてこれを克明に分析し、学年に配当することを試みる必要がある。いふまでもなく、これは国語学的作業である。その際、言語過程説の研究態度と方法とが、何等かの参考になることを、私は期待したいのである。この論文全体が、甚しく宣伝的口調になつてしまつたことを、読み返して感ずるのであるが、それは、私の立場を明かにしようとする意図の余りに出たもので、一学説を押付けようとする気持ちは、私においては全く無いのである。言語過程説を詳説せずに、論を進めたことは、この学説に全然未知な方々を少からず、当惑させたことと思ふのであるが、これまた、止む得なかつたこととして御諒恕を乞ふ次第である。
●図書カード