一
私の妻は乳癌に罹り、築地の癌研附属病院で左胸部の切除手術を受けた。更にコバルトを照射するため、大塚の同病院の放射線科に移ることになった。私達の自動車が大塚の病院の構内に沿って左折した時、道路に面したその石垣の上に、いずれも夥しい花をつけた沈丁花が植込まれているのが、私の目に入った。一瞬、私は噎せ返るような、沈丁花の芳香を幻覚する。
妻の病室は三階の三十八号室である。妻は手術後の経過は良好で、疼痛もなく、至って元気である。勿論、自分で自分に虚勢を張っている点もあろう。築地の時と同じく、妻は荷物を整理したり、事務室や、看護婦室に挨拶に行ったりして、少しもじっとしていない。が、看護婦が入って来たので、妻は漸くベッドの上に上る。看護婦は妻の脈を取り、体温計を渡して、立ち去る。
「やはり奥さまでしたのね。どちらさまかと思っていました」
隣りのベッドの婦人が言う。五十ばかりの上品な婦人である。
「病人にならせるのが、一苦労なんです」と、私が苦笑する。
「奥さまのは、どこですの」
「乳ですの」と妻が言う。
「そうですか。私も十二年前なんですけど、やはり乳癌を患いましたの。片っぽありませんの。今度は、肋膜に水が溜るんです」
十二年、急にその年数が私の頭に貼りついてしまった感じである。私は妻の年齢に十二を足してみる。自分の年齢にも足してみる。しかし妻の場合は、病気の発見が遅れ、腋下にも転移している。更に築地で全部剔出したわけでもない。私が十二年などという年数について考えることは、ひどく甘い考え方であるといわなければなるまい。しかしまた逆に言えば、十二年の年数を経ていても、やはり再発というべきなのであろうか。つまり十二年経っても、再発の恐れはあるのか。
一昨昨年、私はある病院に入院し、放射線の深部治療を受けた。病名は「上顎腫瘍」である。妻の病名が「乳腺腫瘍」であるところからすれば、上顎の癌というべきかも知れない。毎週一度、私は今も病院へ通っている。しかし私は少しも不安を感じていない。私が退院して、まだ満二年半を経ているに過ぎない。再発の危険のあることは十分に知っている。が、私の本心はといえば、俗にいう、けろりとしたものである。他愛のないものだ、とも一応思ってみるだけである。しかしこの婦人はいつも軽い咳をしている。頻りに紙で痰を拭っている。
やや肥満した、温厚そうな容姿の医師が、看護婦を従えて、入って来る。
「私が奥さまを担当します」
妻は寝台の上に坐り、着物を脱ぐ。勿論、左の乳房は切除されて直るので、妻の左胸部は扁平である。しかし切断された乳房の上皮の三分の一ほどを剥ぎ取り、それが縫い合わされているので、さして異常感はない。腋下の傷口の肉が少し盛り上っているに過ぎない。
むしろ異様といえば、右の乳房の方であろう。私の妻は後妻で、実子はない。従って、子女を哺育したことのない妻の乳房には、少しの衰萎の兆もなかった。しかしそれは左右、二つの乳房が描いた均斉の美しさであったのである。片一方だけの豊満な隆起は、却って無気味である。不安でもある。そうして胸部全体から言えば、いかにも歪形の感じで、無慚である。
医師は妻の首根のあたりを押え、私の方に向いて言う。
「おや、ここのは取らなかったんですね」
「放射線科の方に任せるようなお話でしたが」
「そうでしたか。じゃ、とにかく取ってしまいましょう。手術といっても、ごく簡単にすみますから」
医師は看護婦を従えて出て行く。私はその後を追った。
「あそこのは簡単ですから。とにかく取れるだけ取りましょう。後はコバルトで焼いてしまうなり、シードをかけるなりします。シードを取り寄せる関係で、手術は明明後日くらいになるでしょう」
私は一礼して、病室に帰る。隣りの寝台の婦人が妻に言っている。
「加納先生です。副部長さんですの」
妻は寝台の上に仰向いて寝ている。じっと一点を見詰めながら言う。
「どうでした」
「シードとかいうものを取り寄せる関係で、手術は明明後日くらいになるらしい」
「私、何度でも切ってもらう。徹底的にやってもらう」
「そうだ。切ると言われれば、切ってもらおうね。何も彼も、病気のことは医者まかせだ」
駅前の広場を越して、斜め真直ぐに、一本の道が通じている。私は躊躇なくその道を歩いて行く。道の両側には商店が軒を接して並んでいる。いずれの店頭にも種種雑多な商品が、豊富に積まれている。しかしどこの商店街でも見られる、中小の小売屋である。戦後、復興されたものらしく、街全体にも陰翳がなく、至って表情に乏しい。毎日、往復するのには、あまり愉しい道とは言い難い。
しかしこの頃、私はできるかぎり歩くことに努めている。少しでも足を強くしたいからである。年寄の冷水と笑われるかも知れない。しかし妻のために、私は少しでもより健康になりたいのである。今日はひどく暖い。少し歩いただけで、私の肌はもう汗ばんでいる。
この一本筋の街を行き過ぎると、病院の構内の東北隅に突きあたる。私は心竊かに沈丁花の高い香りを期待していたのである。しかし今日の暖気の中には、花の香りはなかった。やはりこの花の香は、早春の寒冷な空気の中に、漂い匂うのがふさわしいのか知れない。私は病院の正門を入り、沈丁花の植込の方へ行ってみる。沈丁花の花弁の紫色はすっかり色褪せてしまっている。盛りを過ぎた花の香りは極めて儚い。
妻の病室に入ると、妻は微笑を浮かべて起き上り、いきなり言った。
「こちら、花井先生の奥さんでしたのよ。びっくりしました」
花井氏は関西のある大学の教授である。妻とは以前からの知合いである。また、辻本という私の友人も同じ大学の同じ学科の教授である。従って花井氏のことは、私もしばしば聞いた。
「そうか。それは、実に、偶然でしたね。辻本君とは高等学校からの、親しい友人なんです」
「そうですってね。しかし、お互に、こんなところで、お目にかかるなんて、ねえ」
花井夫人は仰向けに臥したまま、淋しげに微笑した。
翌翌日、午後一時五分、妻は手術室に入った。私は廊下の椅子に腰かけている。午後になると、外来患者の数は少くなり、廊下は急に閑散になる。私が腰かけている椅子の横に、担架を載せた患者運送車が置いてある。その上には妻の寝巻が裏側を拡げて、敷いてある。人の身に纏うものは、不思議にその人の風情を移しているものである。私の視線はともするとその方へ向おうとする。
築地の病院で、妻が最初の手術を受けた時にも、私はこのように椅子に腰かけていた。しかし今の私の感情は、その時のようには高ぶっていないつもりである。少し横着な言い方かも知れないが、私は時間潰しにもなると思って、先刻の不思議な妻の心理を思い返してみる。
先刻、妻は看護婦に附きそわれ、手術室の控室に入った。直ぐ看護婦に促され、妻は着物を脱ぎ、上半身裸になった。その時、自分から白ネルの腰巻に手をかけ、妻が言ったのである。
「これも取るのでしょうか」
妻の着物を抱え、看護婦の後に立っていた私は、瞬間、少からず驚かされたものである。あの時、何故妻はあんなことを言ったのであろうか。築地の時は、妻は全裸体で手術台に乗せられたようである。しかし控室から手術台まで全裸で歩かせられるはずはなかろう。妻は至って気丈な性質である。が、流石に手術を前にして、妻は興奮していたのではないか。更に言えば、勝気な性質だけに、却って一種のマゾヒズム的な興奮状態にあったのではないか、とも思われなくもない。妻が哀れでならない。
「いいえ、それはいいんです」
確かに看護婦はそう言った。妻は片っぽだけの乳房を揺りながら、直ぐ背中を見せて、手術室に入った。
私は左の手に妻の腕時計をはめている。時計を見ると、既に一時間近く経過している。手術は至って簡単である旨を告げた、加納副部長の言葉を思い出し、少し不安になって来る。
廊下を男の患者が歩いて来る。その顔面には小さい絆創膏が数知れず貼ってある。顔色もひどく悪い。廊下を突きあたると、その左側が地階に下りる階段になっている。突きあたりの窓からは明るい陽光が差し入っている。従ってそれと対蹠的に、階段の下方には暗い空間が開いている感じである。男の患者は明るい光線の中に歩き入ったが、直ぐ左折して、階段を下りて行く。
それと入れ違いに、空の担架を抱えた担送夫が階段を上って来る。彼等は担架を運送車の上に載せると、一人がそれを押し、一人がその傍に附きそって、談笑しながら、私の前を過ぎて行く。暫くすると、老婦人が孫娘のような少女に抱えられ、ひどく緩りした足取りで階段を上って来る。老婦人が私の前を通り過ぎた頃、反対の方から、洋装の中年の婦人が歩いて来、かなり軽い歩調で階段を下りて行く。その後から、先刻の担送夫が、男の患者を乗せた運送車を押して来る。その患者の鼻腔には管が差し入れられているのが見える。二人の担送夫は運送車から担架を持ち上げると、いかにも慎重な足配りで、階段を下りて行く。先刻の男の患者が上って来た。
初め、私はひどく閑散なように思ったが、こうして見ていると、この廊下にもなかなか人通りのあることに気がつく。階下には放射線の照射室でもあるのであろう。が、妻の方はどうなっているのか。時計を見る。二時三十分を過ぎている。あまり簡単な手術ではないようである。が、ふと、あの時「とにかく取れるだけ取りましょう」と言った、加納副部長の言葉が、私の頭に閃いた。つまり手術が長びくのは、切除する可能性の多いことを示すものではないか。思わず、喜色が溢れ出ようとする。しかし私は私の発病以来、病気は医者任せ、運は天任せ、と心に決めた。そうして自分の一喜一憂を厳しく自戒したはずではないか。私は心の冷静を取り戻すために、静かに目をつむる。
暫くの時間が経つ。漸く私は目を開ける。丁度、その私の前を運送車が押されて行く。車の上には女の患者が乗っている。が、瞬間、私は慄然となる。その片方の目は刳り取られている。そうして、その眼に詰められたガーゼの端が覗いている。私はあわてて再び瞑目する。が、小さい絆創膏が沢山貼られていた、あの男患者の青黒い顔が目に浮かぶ。私はまた急いで目を開く。突きあたりの明るい光線の中で、二人の担送夫は担架を持ち上げ、階段を下りて行くところであった。
時計は三時を過ぎている。既に二時間を経過したわけである。築地の時も二時間は要しなかった記憶がある。しかし気持の動揺するようなことはない。三時十分、二十分。控室の方が少し騒がしくなって来る。三十分、廊下の向うから、先刻の二人の担送夫が歩いて来るのが、私の目に入る。が、その時、意外にも加納副部長が私の前に立っている。いつ加納副部長が出て来たか、いつ私が椅子から立ち上ったか、全く記憶がない。
「奥さんの、取ったものを、お見せしましょう」
私は副部長の後から蹤いて行く。一室に入る。三四人の若い医者がいる。加納副部長は、例の盤の中の妻の切り取られた筋肉を撮みながら、言う。
「まだ、こんなに残っていました。随分、こしらえたものですよ。しかし、一つだけを残して、後は全部取りました」
私は感謝の言葉が言葉にならず、頭だけを下げる。
「その一つは、強いて切り取れば、大出血をする恐れのあるところにできていましたから、それにはシードをかけておきました。つまり金の線を八本巻いてやりました。それで、大丈夫、取れると思います」
若い医師達は妻の手術に加わった人達であろうか。机上に女の上半身が書いてある。何枚かのカードを拡げ、手術の後を検討しているようである。
「更に、手術の傷口と睨み合わせ、コバルトを掛けます」
「いろいろ有難うございました」
私は一礼して、その部屋を出る。喜びの感情が込み上げて来る。しかし築地の診断とは少し異なる。更に加納副部長の言葉のように、全部取り除き得たとしても、再発の可能性は十分にある。妻の運命がどうなるか、もとより知る由もない。しかしともかく人事を尽し得た感じである。二時間半にもわたる医者達の努力に対して、私は感謝するより他はなかろう。自分ながらいかにも他愛ないとは思う。しかしともすると私の顔に微笑が浮かぼうとするのを、やっと制しながら、妻の病室へ私は階段を上って行く。