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大衆文芸作法
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大衆文芸作法
直木三十五
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Chapter 6 of 13

6

近習等は我勝ちに答案を提出した。是も随分おかしな話である。まるで根拠が無しに、いくつと云うのだから当るはずも無く、当ってもマグレ中りである。占のようなもんだと謂いたいが、占だって占者に謂わせればドウして仲々大そうな根拠があるのだから、此の答案は先ず、占よりも以上に、あてずっぽうの方である。

問う者も問う者なら、答える者も、こんにゃく問答以上の、やみくも問答に暫し市が栄えた。

信長は快心の笑を浮かべつつ

「うむ、それから」と順々に答案を促して居たが、心の中では、この脇差を蘭丸に与うる時の自分の満足と蘭丸の喜びとを予想して、すこぶる幸福であった。

ところが蘭丸は最後まで口をつぐんで答えようとしなかった。

これは同じ日の報知新聞の夕刊の矢田挿雲の「太閤記」の一節である。この文章は如何? これは、確かに解りいい文章である。然も一脈の諧謔味を湛えている。ユーモアに富んだ軽快な文章であると云える。大衆文芸の求める、よき文章の一例であろう。

最後に、同じ報知新聞の、吉川英治の「江戸三国志」から引用しよう。

やっとそこらの額風呂の戸があいて、紅がらいろや浅黄のれんの下に、二三足の女下駄が行儀よくそろえられ、盛塩のしたぬれ石に、和らかい春の陽が射しかける午少し前の刻限になると、丁字風呂の裏門からすっと中に消え込む十八九の色子がある。

曙染の小袖に、細身の大小をさし、髪はたぶさに結い、前髪にはむらさきの布をかけ、更にその上へ青い藺笠を被って顔をつつみ、丁字屋の湯女たちにも羞恥ましそうに、奥の離れ座敷に燕のように身を隠します。

そこの小座敷には、初期の浮世絵師が日永にまかせて丹青の筆をこめたような、お国歌舞伎の図を描いた二枚折の屏風が立て廻されてあって、床には、細仕立の乾山の水墨物、香炉には冷ややかな薫烟が、糸のようにるるとのぼっていました。

「おうお蝶か。きょうは来ぬかと思うていたが」

ふと見ると、屏風の蔭に、友禅の小蒲団をかけて、枕元に、朱羅宇のきせるを寄せ、黒八を掛けた丹前にくるまって居た男がある。

日本左衛門です。――むっくりと起て「一風呂浴びて来るから、待っていてくれ」と、手拭をとる。

「ええ、ごゆっくり」

お蝶はニッコとしながら、袴腰の若衆すがたで、何もかも打解けた世話女房のように、あたりの物を片づけます。

この額風呂の庭には植込もかなり多いので、離れの一棟も母屋からは見透されません。手拭を持った日本左衛門は軽い庭下駄の音を飛び石に遠退かせて、向うに白湯気をあげている風呂場の中へかくれました。

それを、濡れ縁の端から見送っていたお蝶は、彼の姿が隠れると、キッと眠くばりを変えて、部屋の四方を見廻しました。

(中略)

(そうだ! 今のうちに)

彼女のひとみに、そう言うような意志のうごきが険しく見えたかと思うと、お蝶の手はすばやくそれを元の通り包み込んで自分の袖の下へ抱えようとしかけます。

すると、不意に濡れ縁の障子が開きました。

「おやっ?……」

「あっ……」とお蝶はあわてて地袋の中へそれを戻して、何気ない顔を作ってひとみを上げますと、日本左衛門ではありません。

「こいつはいけねえ、座敷ちがいをしてしまった。へへへへへ、つい酔っているもんですから、飛んだ失礼をしてごめんなすっておくんなさい」

無論、額風呂の客にはちがいありますまいが、作り笑いをした眼元に一癖のある町人が、ヒョコヒョコ頭を下げながらぷいと縁先から姿をかくしました。

ですが、町人の去ったあとも、何時までもお蝶の胸は動悸が納まらないように、あの睫毛の濃い眼を見ひらいたまま、

「ああ、よかった……」

と、暫く、胸騒ぎをおさえています。

こうして、ある時は女のまま、ある時は若衆の男姿で、恋に寄せて、彼に近づいておりますが、もし今の挙動をあのけい眼な日本左衛門にちょっとでも見られたならば、もう彼女の運命も長くは無事で居られません。

非常に解り易い文章である。挿雲のそれの様にユーモアとか諧謔味は無い。だが正面から簡単明瞭に描きだすこの作者の表現には、作者独特の正統性と、加うるに柔らかな潤いをもっている。大衆文芸の文章法のよき手本の一つである。

一般の人達が好むのは、要するに、文章の「朗らかさ」であり、「明快さ」である。大衆文芸の第一の使命が、むずかしい思想や論議を解説的に、通俗的に事件の興味によって、読者を惹きつけながら説明することがあるからには、文章は絶対的に、出来得る限り「話すように書くべし」という原則を破ってはならぬ。

之を、芸術小説の例に取っても、菊池寛の作品が一般に持てはやされるのは、その一面に於て、明らかに彼の明快にして適確な、無駄のない文章が与って力ありと謂わねばならない。もし、難かしい文章と明快な文章との価値比較をするような者があるとすれば、夫は全く無用なことで、馬鹿の至りであろう。何故なら、名文とは、難渋な表現、難解な形容詞を使った文章をのみ指すのでは絶対に無いからである。話すように書くことは、一見あたかも最も平易に見えるが、事実は、反対に最も困難なことであるのを、諸君は知るであろう。

最後に、今一つ注意すべきことは、平易な文章というのは、自分の文章の特色を没却することを意味するのでは断じてない、ということである。矢田君に、文の独特の明快さがあるとすれば、吉川君にも亦彼自身の明快さがある。よき文章家には、必ず隠そうとして隠し切れないであろう特色が、自らその文章に浮び出るものである。要は明快であることだ。だが、これは一般論であって、その小説から文章だけを切り放して、内容と別個のものとして論じることは不可能なことである。以下、私は各論にはいるのであるが、そこで各種類の中に、内容と文章とを合せて詳論したいと思っているから、ここではこれ位に止めることにしよう。

第五章 時代小説

時代小説は、歴史小説と大衆小説に分類して考えられなければならないことは、先に一応説明を試みて置いた。

即ち、伝記物、或は髷物、所謂現在の大衆小説と呼ばれるものは、正確なる時代的考証を全く欠き、何等厳密なる史的事実に基礎を置いて書かれてはいない。だから、歴史的にも、風俗的にも無意義であり、従って無価値である。

処が、仮令事件そのものは伝説上に置いても、考証学的知識に依って当時の風俗、歴史が適確に描かれ、その時代の空気を彷彿させるような作品であれば、これを歴史小説と呼んでもいいと思う。

例えば、メレヂコフスキイの「神々の死」は、宗教小説であると同時に、立派な歴史小説であり、それと反対に、アンソニ・ホウプの「ゼンダ城の捕虜」なぞは大衆小説に入るべきものであるように――

で、この区別は、講義の進行に従って、愈々明瞭になって来るであろう。

一 歴史小説について

顧るのに、由来日本には、歴史小説と認めらるべきものは一つもないようである。所謂、何々物語と称せられる軍記物の類いは、事件の推移を語るばかりで、その事件の真実そのものに対する洞察が全く無いのである。且、小説的構成がなされていない。

それから、ずっと降って、江戸時代の作者のもの、明治年間の各大衆作家、例えば、弦斎、渋柿園、浪六等の達人の作品、更には現在の耀ける大衆作家諸君の小説、それ等を検べても解るように、我国には西洋に於ける歴史小説の標準より観察して、歴史小説なるものの水準に達した作品は無いのである。

歴史小説の第一条件として、歴史小説は大衆小説と違って、飽くまで厳正な史実の上に立っていなくてはならないと云うことが云える。史実上に立って、自分の描き出そうとする適当な世界をその史実の中に発見しようと努力すること、そこに歴史小説を書こうとする大衆作家のよき意図が見出だされるのだと思う。

例えば、

坪内逍遥氏の「桐一葉」、或は「沓手鳥孤城落月」とか、

その他、

真山青果氏の維新物の諸作品「京都御構入墨者」「長英と玄朴」「颶風時代」。

等は、歴史家としての専門的知識、並びに考証が充分になされていて、その史実を基礎として、史実を少しも歪曲することなくして而も文学者としての正しき解釈を加えたものと見ることが出来るのである。

然るに、一方、現在瀰漫するところの大衆作家諸君の作品は、史上実在の人物、例えば近藤勇の名前を方便上借り来って、史実を曲げ、気儘な都合よき事件を創造し、剰え勝手なる幽霊主人公を自由自在に操り来り操り去る等、歴史小説としては許されざること甚だしきものが少くないのである。もし、斯ることが許容されてよきものとするならば、極端にいえば、題材を何も時代に取る必要なく、現代小説で書いても充分こと足りるし、その方がかえって楽なわけである。要するに歴史を取扱う意味が無い訳であろう。

では、小説に於て、歴史に題材を選ぶことは、何を意味するのか。くだけて云うと何んな面白さがあるのだろうか。ということが、次に問題となって来る。つまり、題材を時代に取ることは、一方では人々の懐古的興味を湧かすと同時に、他方現代起りつつある事実で、自ら興味を惹かれる時、既に昔に起っている事実を持ち来って、現代のその事件に当篏めようとする所に、歴史小説の面白さがあるのだと云えよう。又は、一つの事件中の関係者に現代人と同じ心理を発見せんとする所に興味深いものがある、とも云えるだろう。即ち、歴史小説に於ては、それを適当な事件上に見出して、史家の研究の許されし範囲内に於ては史実の上に立ち、史家の研究範囲外なる人間性の発展と云う点に於て自らの独創性を発輝し、展開せしめ得るのである。だから、歴史小説を書かんとする大衆作家は、専門史家と同等の、或は以上の専門的知識、換言すると、当時の時代思潮、現在と異っている当時の地理的事実、風俗、習慣、言語、服装、食いもの飲みものの細末に到るまでの考証的知識が必要となるのであって、現在の怠惰な、安佚な大衆文芸家と云って悪ければ、自然主義以後の日本の各作家、と云っても悪ければ、日本伝来の文人気質、云い換えれば学究的研究を軽蔑する文学者諸氏にはとても堪え切れない努力が要求される訳である。

併し、大衆作家にして現在の大衆文芸の安価、狭隘さにあきたらないで前進せんと欲するならば、かかる歴史小説に進むより他ないのであるが、尚それ以上に、この程度の心得は、現在、並びに将来に於ける大衆作家として当然持つべきものであろうと考える。

だからと云って、史家の研究せる範囲で描くということは、学界の定説を毀さないという意味であって、それに捉われろということでは勿論ない。歴史家は歴史の事実上に於て必ずしも絶対権威ではない。だから史家の手のとどかない範囲外に出て、その延長を自然に感じさせ得るなら、そんな風な延長は許されるべきであろう。又、一連の事件に於ける史上のある人物を芟除したり、或は、事件の史的事実を毀さない限りに於て、興味的に又は事件を紛争させる点から、伝説的な、姓名のみ実在して史実の不詳な人物に活躍させることもあるではあろう。それ等は全くその小説自体の歴史的空気を乱さない範囲に於て、即ち、史実を曲げない限りに於て、最大限度に許されてもいいことであると思う。

以上、私は声を大にして、真の大衆作家の普通の教養としての学究的研究、考証的知識の必要、具備を叫んで来たのであるが、併しながら、この史的知識の涵養ということは、殊に日本に於て甚だ困難なのである。もし諸君が足利時代以前の歴史小説を書こうとするとしよう。すると、諸君は、幾多の興味ある題材の存在しているにも拘らず、その外観に歴史的光輝を与える、言語、住宅、衣服、食物、習慣、等に関しての伝記的書物の甚だ僅少なのに驚くであろうと思う。当時の上流社会のものはまだしも相当に残されているものがあり、それによって見、或は想像出来るのであるが、平民生活のものに至っては愈々少いことを痛切に感じるであろう。日本の史家の大部分が官僚であったが故に、当時の政治的中心の関係事項等は可成残されているに拘らず、全般的に於て欠ける処甚だ多いのである。この事実は、時代を遡るに従って愈々甚だしく、且簡単極るのである。

Chapter 6 of 13
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