Chapter 1 of 1

Chapter 1

吾儕のこの新聞紙を発兌するや、まさに以て海内三千五百万の兄弟とともに共に向上の真理を講求して、以て国家に報効するあらんと欲せんとするなり。乃ち尋常紙上に記載する事件の首において次を逐ふて我儕の所見を叙述し、以てあまねく可否を江湖の君子に問んとし、ここにその目を掲するに左の数項の外に出でず。曰く自由の説、曰く君民共治の説、曰く地方分権の説、曰く外交平和の説、曰く教育、曰く経済、曰く法律、曰く貿易、曰く兵制なり。これ固より一朝一夕の能く尽す所にあらず、まさに日を積み月を累ねてまさに始て自ら尽して余りなきことを得べし。今や第一号を発するに臨み、先づ吾儕社名の義を取る所の自由の説を述べて以て端を啓くといふ。

自由の旨趣その目二、曰くリベルテーモラル(即ち心神の自由)、曰くリベルテーポリチック(即ち行為の自由)なり。請ふ先づひろく自由の本義を説き、しかる後二者の自由に及ばむ。

それリベルテーの語はこれを訳して自主、自由、不羈独立等といふ。しかれどもその意義の深微に至りてはこの数語の能く尽す所にあらず。けだし古昔羅馬にありては政権を有する士君子即ちいはゆる良家子に当つるにこの称を以てして、以為らくわが天然に得る所の情性に従ふてその真を保つことを得る者独り以てこの称に当るべしと。意けだし此を以てその束縛箝制を受けたる奴隷囚虜の属に別たんと欲するなり。

第一、リベルテーモラルとは我が精神心思の絶ゑて他物の束縛を受けず、完然発達して余力なきを得るをいふこれなり。古人いはゆる義と道とに配する浩然の一気は即ちこの物なり。内に省みて疚しからず、自ら反して縮きもまたこの物にして、乃ち天地に俯仰して愧するなく、これを外にしては政府教門の箝制する所とならず、これを内にしては五慾六悪の妨碍する所とならず、活溌々転轆々として凡そその馳するを得る所はこれに馳し、いよいよ進みて少しも撓まざる者なり。故に心思の自由は我が本有の根基なるを以て、第二目行為の自由より始めその他百般自由の類は皆此より出で、凡そ人生の行為、福祉、学芸皆此より出づ。けだし吾人の最もまさに心を留めて涵養すべき所この物より尚なるはなし。

第二、リベルテーポリチックは即ち行為の自由にして人々の自らその処する所以の者、及びその他人とともにする所以の者皆この中にあり。その目を挙ぐ、曰く一身の自由、曰く思想の自由、曰く言論の自由、曰く集会の自由、曰く出版の自由、曰く結社の自由、曰く民事の自由、曰く従政の自由なり。

心思の自由は天地を極め古今を窮めて一毫増損なき者なり。しかれども文物の盛否と人の賢愚とに因り、その及ぶ所あるいは少差異なきこと能はず。行為の自由に至りては気候の寒熱、土壌の肥硬、風俗の淑慝等に因り、その差異更に甚しき者あり。ああ心思の自由なり行為の自由なりこれ豈少差異あるべけんや。しかして古より今に及ぶまで差異なきこと能はず。これ正に我儕の慷慨悲憤する所以にしてこの新紙の設くる所以なり。けだし自由の物たる、これを草木に譬ふればなほ膏液の如し。故に人の干渉を恃み人の束縛を受るの人民は、なほ窖養の花、盆栽の樹のその天性の香色を放ち、その天稟十分の枝葉を繁茂暢達せしむること能はずして、遽かにこれを見れば美なるが如きも、迫りてこれを※るときは生気索然として、かつて観るべき者あることなきが如し。もしそれ山花野艸に至りてはこれに異なり、その香馥郁としてその色蓊鬱たり。隻弁単葉といへども皆尽く霊活ならざるなし。自由の人におけるその貴ぶべきことけだしかくの如し。

凡そこの二個の自由は見今衣冠文物の最と夸称する欧米諸国にありては、これを保有すること果して何らの層に至れるや。またその諸国の中いづれか最も高層に至れるや。いづれか最も下層に居るや。また本邦を把りてこれを比するときはそのいづれに擬するを得るや。これ皆我儕のまさに号を逐ふて論述せんと欲する所なり。古徳言ふあり、任重ふして道遠しと。また曰く、斃れて後已むと。我儕の任ずる所もまた甚重からずや。斃れて後已むに至りては固より我儕の薺甘する所なりといへども、独り恐らくは真理の終に獲べからざることを。切に冀くは世の覧博物の君子、指教を吝まず我儕の足らざるを補ひ、以て世に益するあらば幸甚。

●図書カード

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