Chapter 1 of 6
湯川君の受賞
昭和二十四年十一月四日の諸新聞は、湯川秀樹博士が中間子の研究により、十二月十日ノーベル賞を受けらるゝ決議が、ストックホルム學士院で通過したことを傳えた。學界はもちろん日本國民は、この吉報に對して歡喜の聲を發せざるものはなかつたろう。
由來ノーベル賞は、世界で優秀な科學研究を蒐集檢討して授與するものであつて、研究としては粹の粹なるものを選拔するにより、賞を受くるものの名譽は論ずるに及ばず、またその半面には各國でノーベル賞を受けた學者を數えて、その國の文化程度に輕重を付するに至つた。
しかるにわが國では、未だ一人もその選に當つたものはなかつたから、或る日本人は、ノーベル賞は東洋人に與えないのか知らんとまで僻目で臆測した。まことに恥かしい邪推であつた。こんど湯川君が受賞者に當選されたのは、正しく人種の區別を離脱し、專ら論文の價値を標準となす方針を表示し、顏色の黄白を區別せざるを明確にした。殊に湯川君の攻究された中間子は、宇宙線や原子核に存在するもので、初めは單に理論的に演繹された。その研究方法は斬新にして、實驗的に原子核の構造を探求するに欠くべからざる知識をもたらすものであれば、その重要視さるゝはもちろんである。