七
恵林寺の僧堂では、若い雲水たちが集って雑談に耽っておりました。彼等とても、真面目な経文や禅学の話ばかりはしていないのであります。夜になってこうして面を合せた時には、思い切って人間味のありそうな話に興を湧かすのであります。人間味というのは、なにも色恋の沙汰ばかりではないけれども、ここでは特にそうなるのであります。
厳粛な僧堂生活の反動というわけではない。彼等とても強健な身体に青年の血を湛えているのですから、そんな話に興味を起すことは無理もないのであります。それも話に興味を起すだけでは満足ができないで、事実においてこれらの連中には、垣根を越えて寺の外へ迷い出すものが少なくないのであります。
そうして附近の遊廓や茶屋小屋へこっそりと遊びに行ったり、土地の女たちに通ったりする者がないではありません。それをする時に体よく組を別けて、一組は留守を守り、一組は垣根を越えて行くのでありました。こうして外へ迷い出して歩くものを、彼等の仲間で亡者と呼んでいました。
これらを取締るのは例の慢心和尚の役目であります。けれどもあの和尚は、弟子どもがこんな人間味を味わいはじめたのを、まだ知らない様子であります。或いは知っていてもこの和尚は、それを大目に見ているのかとも思われないではありません。或いはあの通り図々しい和尚のことだから、遣れ遣れ、若いうちはウンと遣ってみるがいい、なんかと言って蔭で奨励しているのだかも知れません。しかし、苟くも宗門の師家としてそんなことがあろうはずはありません。たとえ若気の至りとは言いながら、雲水たちの一部に、こんな人間味が行われはじめたということを知った以上は、和尚として儼乎たる処置を取ることでありましょう。
この晩、右の若い雲水たちは、またも垣根を越えはじめました。垣根を越える時には、留守の当番に当った者が、垣根の下に立つのであります。外へ迷い出す者は、その留守の当番に当った者の肩を踏台にして、垣根を乗り越えることになっているのであります。もしその踏台の背が低い時には、肩でなく頭へ足を載せて乗り越えるのであります。今宵またその通りにして、五人の若い雲水が垣根を乗り越えました。踏台になった雲水は、明晩は自分の当番だということを楽しみにして帰り、その五人の者の寝床を、さも本物であるように拵えておきました。そうして自分は蒲団の中に潜り込んで休みながら、こんなことを考えていました。
「このごろ、向岳寺の尼寺へ、素敵な別嬪が来たとか来ないとか言って仲間の者共が騒いでいるが、ほんとに来たものだか来ないものだか、その辺はとんと疑問じゃ、よしよし明晩は行って、おれが見届けてやる、見届けたところで、どうしようというわけではない、俗人どものように張ってみようとか、振られて帰ろうとかいうような、そんなケチな了簡で見届けに行くのではない、これも修業のためである、僧堂の中で慢心和尚の出鱈目を聞いているばかりが修業ではない、和尚来れば和尚、美人来れば美人……」
こんなことをひとりで考え込んで力んでいるとその時、オホンという咳が聞えました。この咳は確かに慢心和尚の咳でありました。それを聞いた若い雲水はハッとして、ひとり言の気焔と北叟笑みとが消えてしまいました。和尚来れば和尚……と言って力んではいたけれど、その咳の声だけで縮み上ったところを見ると、美人が来ればやっぱり魂を抜かれてしまうでありましょう。そこでこの雲水は気焔と独り笑いとをやめて、蒲団を頭から被っているうちに、昼の疲れでグッスリと寝込んでしまいます。
寝込んでしまってはいけないのです。実は迷い出した五人の亡者が戻るまで眠らないでいて、戻った合図を聞いた時には、また踏台として出て行かねばならぬ義務があるのであります。それを忘れて寝込んでしまいました。
かくとも知らず、迷い出でた五人の亡者は、立戻って来て垣根の外へ立ちました。
合図にトントンと垣根を叩くと案の定、中からもトントンと垣根を叩いて答えます。
外にいた亡者は、仲間の者の肩を踏台にして中へ入ると、中にまた踏台が待ち構えています。
第一に乗り越えたものが、足を卸して、中にいる踏台の肩を踏もうとして、勝手を間違えて頭を踏台にしてしまいました。これは間違ったと思ったけれども横着な心が出て、そのまま両足を頭へ載せてしまいました。下になった踏台はそれでも別に不平は言わないのであります。なぜならば明晩は、自分が同じようにして人の頭を踏台にすることができるのだから、鎌倉権五郎のような野暮を言うものはありません。
しかし、この頭は踏台としてはあまりに円くありました。坊主の頭に円くないのは無いようなものだけれども、それにしてもあまりにまる過ぎたから、危なくツルツルと辷りそうなのを、体を転じて辛くも飛び下りました。
第二の亡者はそれでも幸いに肩を踏んで無事に入りました。第三のはまたツルツルした頭を踏台にして、第一と同じように危なく飛び下りました。そのほか、第四、第五も、肩を踏台にしたり頭を踏台にしたりして、ともかく迷い出でた五人の亡者は、また無事に寺へ舞い戻ったのであります。
勿論、これは深更のことであり、また秘密の行いでありますから、極めて物静かに行われたのであります。外から来た亡者はもとより口を利かず、中にいた踏台もまた一言半句を言わないで、あちらを向いて従容として踏台の役目を果してしまったのであります。
そうして彼等は無言のうちに寝室へと急ぎ、踏台もまた、いつか知らない間にどこへか片づいてしまいました。広い寺の境内は森閑として、静かなものになってしまいました。
ここに寝室へ帰って来た五人の亡者が、ハッと度胆を抜かれた出来事が一つありました。今、ここで雷のような鼾をかいて口をあいて寝ている雲水は、たしかにいま踏台になったはずの雲水なのであります。明晩は亡者となって迷い歩くべき権利の保留者であって、今晩は踏台となるべき義務者なのであります。たったいま踏台となった男が、自分たちより先廻りをして、もうここに鼾をかいて口をあいて寝ているということは、悪戯にしてもあまりに敏捷な悪戯でありました。ましてそれは悪戯ではなく、事実そこに今まで寝込んでいたものと見るよりほかはないのでありましたから、五人の亡者は面を見合せて、なんとなく気味の悪い思い入れであります。
この踏台がここに寝込んでいたのなら、今の踏台は何者であったろうと、彼等は言わず語らず、その踏台を訝りました。
「おい愚蔵、起きろ」
と言って揺り起すと、
「うーん」
と言って眼を醒ますと共に、
「あっ、失敗った!」
と言って刎起きました。自分が踏台となるべき義務を忘れて寝込んでしまった怠慢を、さすがに慚愧に堪えないものと見えて、その周章て方は尋常ではありませんでした。しかし五人の亡者が踏台無しに帰ってみれば、やはり解せないのは同じことで、誰か自分に代って踏台になった者があると見なさなければなりません。
もとより当番であるとは言いながら、踏台となることは歓迎されていないのであります。なるべくならば踏台となる義務だけを免れて、亡者となる権利だけを持っていたいというのが人情であります。人の亡者株を奪ってさえやりたいという世の中に、自分から進んで踏台を引受ける者があろうとは、それはあまりに殊勝な振舞と言わなければなりません。
六人は、ここで面を見合せたが、そのとき思い出したのは、道理でその頭の辷り方が少し変であったわいというくらいのところで、別にその殊勝なる踏台の何者であるかを考えてみるまでに至らずに、寝込んでしまいました。
その翌日の定刻に、慢心和尚は講義をするといって、例の二三冊の振仮名の書物を持ち出しましたけれど、その本を開かないで、円い頭をツルリと一撫でして、細い目でジロリと席を見渡しました。
「愚蔵、連十、英翁、甲論、乙伯、この頭をよく見てくれ」
と言い出したから、集まった雲水たちは今更のように慢心和尚の面を見ました。和尚の面も頭も、いつも見慣れている頭や面であるけれど、そう言われて見れば見るほど円いものであります。和尚はその円い頭を撫でながら、細い眼で一座の連中を見廻して、ニヤリニヤリと笑っているのであります。そうすると、
「あっ!」
席の一隅に、思わず、あっ! と叫んで面色を変えたものが六人ありました。この六人は、あっ! と言って面の色を変えて、我を忘れて和尚と同じように、自分たちの頭を撫でました。
「オホホ」
と慢心和尚は面白そうに笑いました。この和尚の、オホホという笑い方は、握拳を口の中へ入れるのと同じように、余人に真似のできない愛嬌がある。
「あっ!」と言って自分たちの頭を撫で廻している六人というのは、そのうちの五人は昨夜の亡者であって、他の一人はその亡者の踏台となるべき義務を怠った雲水でありました。
「オホホ」
和尚は再び笑いました。六人の顔色はいよいよ土のようでありました。自分たちの円い頭を自暴になって撫で廻しているけれど、その円さにおいて、とうてい慢心和尚に匹敵するものではありません。
そうすると和尚は、妙な手つきをはじめてしまいました。それは両手を幽霊でも出たように上の方からぶらさげて、自分の円い頭の上へ持って来て、そこでツルリと辷らしてみるのであります。それも一度でよせばよいのに、ゆっくりゆっくりやって、二度も三度も同じことを繰返して、
「オホホ」
と笑うのであります。やりきれないのは五人の亡者と一人の踏台でありました。もうたくさんだと思っているのに、意地のよくない慢心和尚は、五度も六度も繰返すのだから真にたまらないのであります。
こうして六人の人間は、やりきれない土壇場に迫って、九死一生の思いをしているのに、ほかの連中は一向そのことを解することができませんでした。これはお師家さんが何か深甚の意味を寓するために、手真似を以て公案を示しているのだと解する者もありました。
倶胝和尚は指を竪て、趙州和尚は柏の樹を指さしたということだから、慢心和尚がああして幽霊のような手つきをして、自分の円い頭を辷らしているところに、三世十方を坐断する活作略があるのではなかろうか。これは一番、骨を折らずばなるまいと、汗水を流して本気になって、慢心和尚の妙な手つきをながめながら唸っている真面目な修業者もありました。
「オホホ」
ようやくのことで、慢心和尚はその妙な手つきをやめてしまいました。五人の亡者と一人の踏台はホッと息を吐きました。
「さあ、お前たち、これができるようになったら、裏口から忍んで出るには及ばない、大手を振って山門を突き抜けて通るがよいぞ」
と言いながら、和尚はその拳を固めて、あなやと見ているまにその拳を、ポカリと口の中へ入れて見せました。
これには一同、
「あっ!」
と言って驚きました。