二
浪切不動の丘の上に立つ高燈籠の下まで来た盲法師は、金剛杖を高燈籠の腰板へ立てかけて、左の手首にかけた合鍵を深ると、潜り戸がガラガラとあきました。杖は外に置いて、釣燈籠だけは大事そうに抱えて中へ入った盲法師、光明真言の唱えのみが朗々として外に響きます。
阿謨迦毘盧遮那摩訶菩怛羅摩尼鉢曇摩忸婆羅波羅波利多耶――
コトコトと梯子段を登る音が止んで暫らくすると、六角に連子をはめた高燈籠の心に、紅々と燈火が燃え上りました。光明真言の唱えは、それと共に一層鮮やかで冴えて響き渡ります。
その余韻が次第次第に下へおりて来た時分に、前の潜り戸のところへ姿を現わした盲法師の手には、前と同じような青銅の釣燈籠が大事に抱えられていましたけれど、持って来た時とは違って、その中には光がありませんでした。そのはずです、中にあった光は、高くあの六角燈籠の上へうつされているのですもの。その光をうつさんがためにこうして、トボトボと十町余りの山道を杖にすがってやって来たのですから、今はその亡骸を提げて再び山へ戻るのが、まさにその本望でなければなりません。
「え、何ですか、どなたか、わたしをお呼びになりましたか」
前に腰板へ立てかけておいた金剛杖を、再び手に取ろうとして盲法師は、また聞き耳を立てました。これがこの盲法師の癖かも知れません。誰も呼ぶ人はないのにまず自分の耳を疑わないで、あてもないところを咎め立てしてみるのは、今に始まったことではありませんでした。金剛杖は手に持ったけれども、やはりその場は動かないで、怪しげな頭を振り立てて、前後左右の気配をみているようです。
しかしながら、ここは前と違って、あたりに大木もなければ人家もありません。往来の山道よりは少し離れて高く突き出したところですから、わざわざでなければ、この夕暮に人が上って来ようとは思われないところです。
それにもかかわらず、盲法師はその人を見つけたかのように、いったん手に取った金剛杖をまたもとのところへさしかけて、
「どう致しまして、これは、わたしから御前にお願いして、強ってやらせていただく役目なんでございます、決して言いつけられてやっているお役目ではございません。わたしですか、今年十七になりました、エエ、このお山へ参ったのが日蓮上人と同じことの十二歳でございました。こんなに眼の不自由になったのはいつからだとおっしゃるんですか。それは、つい近頃のことですよ。もっとも小さい時分から眼のたちはあまりよくはございませんでしたがね、この春あたりからめっきり悪くなりました、桜の花の咲く時分に、ポーッとわたしの眼の前へ霞がかかりましたよ、その霞が一時取れましたがね、秋のはじめになると、またかぶさって参りましたよ、今度は霞でなくて霧なんでしょうよ、その霧がだんだんに下りて来て、今では、すっかり見えなくなりました。へえ、そりゃ随分悲しい思いをしましたよ、心細い思いをしましたよ。けれども泣いたって喚いたって仕方がありませんね、前世の業というのが、これなんです、つまり無明長夜の闇に迷う身なんでございますね。その罪ほろぼしのために、こうやって毎晩、この燈籠を点けさせていただく役目を、わたしが志願を致しました、自分の眼が暗くなった罪ほろぼしに、他様の眼を明るくして上げたいというわたしの心ばかりの功徳のつもりでございますよ。ナニ、雨が降ったって風が吹いたって、そんなことは苦になりませんよ、毎晩こうやってお燈明をつけに行く心持と、高燈籠へ火をうつして油がぼーと燃える音、それから勤めを果して、こうしてまた帰って来る心持と、それが何とも言えませんね……雨風といえば、近いうちに大暴風雨があるって、あの茂太郎がそう言いました、大暴風雨のある前には、蛇が沢山樹の上へのぼるんだそうですがね、本当でしょうか知ら、まあ、お気をつけなさいまし」
誰も相手が無いのに、盲法師はこう言ってから、金剛杖を取り上げてそろそろ歩き出しました。