二
文字の発明は疾くに人間世界から伝わって、彼らの世界にも知られておったが、総じて彼らの間には文字を軽蔑する習慣があった。生きておる智慧が、そんな文字などという死物で書留められるわけがない。(絵になら、まだしも画けようが。)それは、煙をその形のままに手で執らえようとするにも似た愚かさであると、一般に信じられておった。したがって、文字を解することは、かえって生命力衰退の徴候として斥けられた。悟浄が日ごろ憂鬱なのも、畢竟、渠が文字を解するために違いないと、妖怪どもの間では思われておった。
文字は尚ばれなかったが、しかし、思想が軽んじられておったわけではない。一万三千の怪物の中には哲学者も少なくはなかった。ただ、彼らの語彙ははなはだ貧弱だったので、最もむずかしい大問題が、最も無邪気な言葉でもって考えられておった。彼らは流沙河の河底にそれぞれ考える店を張り、ために、この河底には一脈の哲学的憂鬱が漂うていたほどである。ある賢明な老魚は、美しい庭を買い、明るい窓の下で、永遠の悔いなき幸福について瞑想しておった。ある高貴な魚族は、美しい縞のある鮮緑の藻の蔭で、竪琴をかき鳴らしながら、宇宙の音楽的調和を讃えておった。醜く・鈍く・ばか正直な・それでいて、自分の愚かな苦悩を隠そうともしない悟浄は、こうした知的な妖怪どもの間で、いい嬲りものになった。一人の聡明そうな怪物が、悟浄に向かい、真面目くさって言うた。「真理とはなんぞや?」そして渠の返辞をも待たず、嘲笑を口辺に浮かべて大胯に歩み去った。また、一人の妖怪――これは※魚の精だったが――は、悟浄の病を聞いて、わざわざ訪ねて来た。悟浄の病因が「死への恐怖」にあると察して、これを哂おうがためにやって来たのである。「生ある間は死なし。死到れば、すでに我なし。また、何をか懼れん。」というのがこの男の論法であった。悟浄はこの議論の正しさを素直に認めた。というのは、渠自身けっして死を怖れていたのではなかったし、渠の病因もそこにはなかったのだから。哂おうとしてやって来た※魚の精は失望して帰って行った。
妖怪の世界にあっては、身体と心とが、人間の世界におけるほどはっきりと分かれてはいなかったので、心の病はただちに烈しい肉体の苦しみとなって悟浄を責めた。堪えがたくなった渠は、ついに意を決した。「このうえは、いかに骨が折れようと、また、いかに行く先々で愚弄され哂われようと、とにかく一応、この河の底に栖むあらゆる賢人、あらゆる医者、あらゆる占星師に親しく会って、自分に納得のいくまで、教えを乞おう」と。
渠は粗末な直綴を纏うて、出発した。
なぜ、妖怪は妖怪であって、人間でないか? 彼らは、自己の属性の一つだけを、極度に、他との均衡を絶して、醜いまでに、非人間的なまでに、発達させた不具者だからである。あるものは極度に貪食で、したがって口と腹がむやみに大きく、あるものは極度に淫蕩で、したがってそれに使用される器官が著しく発達し、あるものは極度に純潔で、したがって頭部を除くすべての部分がすっかり退化しきっていた。彼らはいずれも自己の性向、世界観に絶対に固執していて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどということを知らなかった。他人の考えの筋道を辿るにはあまりに自己の特徴が著しく伸長しすぎていたからである。それゆえ、流沙河の水底では、何百かの世界観や形而上学が、けっして他と融和することなく、あるものは穏やかな絶望の歓喜をもって、あるものは底抜けの明るさをもって、あるものは願望はあれど希望なき溜息をもって、揺動く無数の藻草のようにゆらゆらとたゆとうておった。