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私の恩人は遂に私を捨てませんでした。私は大學へ進みました。其頃の私の一家はもう形容が出來ません。養父は依然とした投機的の成功を夢想して豪語して居ます。家族とは殆んど交渉がなくなりました。私が大學へはひつてから妻は幼い子を抱いて上京しました。落魄の身を故郷に曝すことが堪へなかつたのと、一つは私を見ることの機會があるといふ心の慰藉があつたからであります。東京からは歸省するといふことは私には出來なかつたのです。私の長い暑中休暇は悉く糊口の資を得る爲に費されました。私は遠く離れて居るために妻を忘れようとはしません。だから妻の近く來たことが幾分私の心を丈夫にしました。然し私は憔悴した顏を見ることは却て苦痛の種でありました。妻は裏長屋の一隅に潜んで居ました。僅かばかりの賃仕事をして居たのですけれどもそれで糊口の出來ないのは勿論のことであります。私は止むなく學資の内から其時六圓づゝ割いて與へました。雜誌へ筆を就ることも絶えず止めませんでした。此が私の家族に取つては重大な資本でありました。此は私の成績に少なからぬ影響を蒙らせました。其時まだ表面の成績といふことを冷視する程に私の修養は積んでありません。私は時々妻に會ふ機會はありました。然し妻の姿は只私を泣かせるだけであります。それよりも私の心を抉ぐつたのは私の幼い子であります。高等學校に在學中私の子は腦膜炎に罹りました。幸に生命は繋ぎましたが、土地に良醫がなかつたのと落魄の境涯とで十分の加療が出來なかつたのです。其爲め病後の私の子は白痴のやうになりました。女の子が六つといへば相應に物心がつかねばならぬ年齡であります。然し私の子はまだ言語も不明であります。到底發達の見込はありません。
妻が私に一身を捧げ燐みを請ふ有樣は私をしていぢらしく思はせます。だが私は私の子に對して衷心からの愛情が薄いのです。多年別離して居たことが愛情を惹き起す動機を與へなかつたのでせう。私が強ひて抱かうと思つても恐れて近づきません。數次其子の歡心を買ふ方法をとつて見ましてもすべての機能の遲緩した私の子は他の幼い子に見る樣に快く懷くといふことはないのであります。それでも私の子であります、仕方がありません。子に對する妻の苦心を私も身に分たねばなりません。遂に屡父からは離婚を迫まられました。然し私に子のあるといふことが何時でも父の口を箝ませました。かういふ間にも養父の態度は益父の律義な怒に火を點じました。父は我慢し兼ねた時に其離婚のことを私へ劇しく迫つて來ます。私は止むなく本姓に復歸することにだけは成りましたが然し私は落魄の故に貞淑な妻を捨てることは出來ません。私が岡山に往つた頃知名の牧師が來られたことがあります。私は其牧師の演説を聞いて感動しました。さうして牧師の宿所を訪ねました。それから私は深く基督教を信ずるに至りました。妻を去ることを基督教は大なる罪惡として戒めて置きます。妻は私が父から受ける壓迫を知つて居ます。時にはあなたの將來のために私を捨てゝくださいと要求することがあります。此が女の口から泣かずにいはれませうか。私が妻を去る時には即時に此の世の人ではありません。妻は死を決して居ます。白痴の子を抱いて深夜に彷徨つたことが幾度だか知れないといひました。懷にした剃刀をとつて死なうと決心して見ても子を殺すに忍びなかつたといひます。私の妻は意志の鞏固の女であります。動機を與ふれば死するにちつとも遲疑しないでありませう。さうすれば私は更に殺人の大罪を犯さなければ成りません。此が私に忍ばれませうか。私のかういふ境遇から私の腦髓は思索に耽る習慣がついて居ました。私にも功名心は沒却することが出來ません。だから勢ひ研究の餘地が多い學科を選ばせました。さうしてまだ發達の途上に在る社會學が私の心を惹いたのです。卒業してからも私は直ちに收入の方法を立てなければならないのでありました。一つは私の虚弱な身體を少しでも改善の途に赴かしめるには田舍が尤もいゝと信じましたから私は此の中學へ赴任することに成りました。赴任と共に妻は高知へ歸らせました。妻子と同棲することには父の頑強な反對があつたからであります。父に對する遠慮から故郷とはいひながら妻子を遠く逐うたのです。それと共に一方には妻を慰めるために俸給から十二圓を割いて送りました。妻は高知へ去る時決して泣きませんでした。妻の鋭くなつた眼光は却て私の心を強く刺戟しました。さうして妻に送るべき十二圓は私の收入から分割し得べき最大限度であります。私はまた恩人へ學資の返濟をしなければならぬ義務を有して居ます。私は更に又父の老後を慰めるために若干を割いて居ます。私の生活が此でどれだけの餘裕がありませう。それで止むを得ず雜誌の寄稿に勉強しました。私の周圍と私との間を圓滑にして幾らでも幸福に接近せしめるには切實に正當な方法から得る金錢の必要を感ぜしめます。私の家族に福音を齎らすものは金錢の外に何もありません。私は此の暑中休暇に上京して或る講習會に臨みました。其時知人から此の程設立になつた九州の商業學校に教鞭を執ることを勸誘されました。俸給の増額が心を惹きました。私は講習會の畢ると共に其報酬を旅費にして歸省しました。故郷に近く關東を去るといふことに依つて父の心を動かしました。哀訴の結果私が妻子を迎へることの承諾を得ることに成功しました。私の收入は一ヶ年に就いて二百四十圓を増すことになりました。私も教育者として金錢を目的とすることの卑劣な行爲であることを知らないものではありません。それで九州に去ることは一たび私の良心を苦めました。然し私の行爲は罪惡ではないと思ひ返しました。それは妻子を復活せしむることが出來るからです。家庭を形ることによつて妻は長い困難から救はれます。唯頑固な私の父は妻子と同棲することを許容する條件として父が養父との交際を絶對に拒絶することに就いて決して容喙してはならぬといふことでありました。私が父に服從してもしませんでも兩方の父は到底交誼を全うすることは出來ないのです。それは私が苦慮しても及びません。私は私の燐むべき妻を救ひ得たことを以て滿足せねはなりません。俸給の増收はまた私の恩人に對する義務を果す時間を短縮することが出來ます。貧窮な父の老後を慰めるに大なる便宜を有します。かうして私は斷然九州に去ることを決しました。然しながら教育者として僅に一年で辭し去るといふことが私の良心に創痍を蒙らしめねばなりません。私はあなたに羞ぢなければなりません。無言で去るに忍びません。それ故私はこれだけを聞いて頂きたいと思つたのでした…………」
佐治君は姿勢を少しも崩さない。其低い聲が自分の教室の内に充滿して強く自分の耳を刺戟するやうに感じた。佐治君に此の如き事實が存在して居やうとは夢想だもしなかつた。自分は佐治君を疑つて居たことの不明を衷心から羞ぢた。佐治君に於てはじめて人格といふものを認め得た如く感じた。自分は此から後の佐治君が漸く幸福の生涯を送りうべきものと想像せられた。さうして其一事を以て佐治君を慰めようかと思つた。然し自分は佐治君のために心から身體から捉へられて自分は竦縮んだやうな状態に在つた。一語をも發し得なつた。自分も俯向いて沈默を守つて居た。
「然し私の煩悶はそれでも永久に去りません」
佐治君の聲がひどく自分に響いた。
「私は父の條件に就いては暫く忍びませう。私の家庭に於ける煩悶は永久に去ることはありますまい。私の嗜好は碁を打つ以外には何もないのです。私は睡眠状態に在る時の外は絶えず私の腦髓を苦めて居ます。私の腦髓を苦しめねば私は淋しさに堪へません。碁は私の腦髓を休ませるものではありません。私の一日責任ある時間を除いてはすべて苦悶であります。私には以前から一種の癖があります。衣類も唯一着でも品質の善良なるものを叮嚀に所持して居ることに滿足したいのであります。器物の如き物でも見て快いものでなければ私は日常の使用に堪へません。順境に立つて私が專門の學術を攻究することが出來たとしても到底私は間斷なく腦力を消耗して行かねばなりません。さういふ時にせめて妻の容貌が美しかつたならば私は妻に對することによつて私の疲勞を恢復することが出來るでありませう。他に嗜好のない私には妻の美貌といふことが私を慰むべき唯一の條件であるのです。だが私の妻は見るも厭はしい醜婦であります。逆境に立つて苦鬪した結果内に潜んで居た鞏固な意志が歴々として容貌の上に表現されて來ました。私は妻に逢ふ時最初の一瞬間は必ず嫌惡と恐怖との念を起さないことはありません。家庭を形つたならば生活の安心から幾分女らしい優しさを恢復することが出來ませう。其他に於ては年齡が絶對に許しません。從來私は妻の爲に悲しみ妻を救ふことにのみ專ら私の心を傾けて居ました。さうして稍恢復した私の運命は私を妻と同棲せしめることになりました。それと同時に私の心には切實に妻を厭ふの念が湧起しました。私は九州に去ることに依つて愁眉を開きうる筈でなければなりません。然しながら妻に對する煩悶は私の心を更に掻き亂しました。私は此の幾年來自分自身のすべてをも公平に判斷しうると思ふ程煩悶に伴ふ思索と考慮とを養つて來ました。それでも私には私の家庭に光明を發見することは出來ないのであります。妻は商人の家に唯奢侈な少時を送つたゞけであります。俗用の書状だけでも私の代筆が出來るならばまだしものことであります。私の机の上の整理さへ安心して任せることは出來ません。私の後天性の道義心は頑強な父の反對をも顧みず此の如き絶望に近い妻と共に家庭を形らせるのです。さうして私は白痴に等しい私の子を發達せしめるために父たるものの義務として能ふ限りの力を盡さねばなりません。養家に人となつた當時の私は妻の愛情を味ひ得た外どうして私の眼が美醜を分ち得たでありませう。私は後日の悔を貽すことに餘り無邪氣であつたのであります。私は不滿足な妻を腦裡に浮べては絶えず憂鬱に陷ります。妻と私との間を繋いて放たないものは一片の道義心に過ぎません。私の信ずる程度に於ける基督教は毫も私の煩悶を解決してはくれません」
涙がぼろ/\と憔悴した頬を傳はつて流れた。
「此の數年來私は幾度私の境遇に就て心のうちに解決を求めたか分りません。さうして何時でも無効に畢つて居るのであります。私の理性が築き上げたものを感情は直ちに根柢から破壞し去るのであります。破壞されつゝ私は身を處理し來つたのでありました。私は煩悶して憂鬱に陷る時そこに私の住居を求め得る如く感ぜられます。憂鬱の状態が私に快感を與ふる樣になりました。私の身體は同時に損はれなければ成りません。悲しい快感を得るために私の細胞は減少します。私は私の肉を殺がねばなりません。」
佐治君は暫く默した。
「私はすぐに福岡へ移ります。私の去つた後聞いてくれる人がありましたらどうか私を語つて下さい。私は從來嘗て人に打明けたことがありませんでしたが、あなたにだけはお話しせねば心が濟みません」
又暫く間を措いて
「どうも御迷惑なことでしたらう」
佐治君の噺は途切れた。自分はかういふ場合どう挨拶していゝか分らなかつた。實際の處自分の心は弱いのである。自分は唯困つてしまつた。ふと見ると窓の外から沼崎君がホーレーキを擔いた儘微笑しながら覗き込んで居る。放課後にも學校に止つて日を暮すことのあるのは沼崎君と自分ばかりである。
「君はまだかい」
沼崎君がいつた。
「もう歸らう」
自分は答えた。三人は一緒に學校の門を出た。
自分は家に歸つてからもぼつとして同情に堪へぬ佐治君の身の上を思つて居た。自分は座蒲團を枕にしてごろりと横に成つた。妻は私をどうしたのかと疑つた程である。自分は從來なかつたことが頭を往來した。心理状態の變化を自覺した。自分の少年時代からの友人で文藝といふ方面に志した男がある。二年前に逢つた時彼は頻りに人生の意味といふことを語つた。自分には固より解らない。又解らうともしなかつた。彼は市ヶ谷とか牛込とかの見附を始終往復したといつた。あの見附の附近には大雨の後などにはよく土手の半腹が墜落するのを見る。それから土手の榎の木には鴉がとまる。落葉の後には寄生木のホヤがあからさまに見える。少年が空氣銃を持つてそこらを彷徨ふ。或日そこを過ぎると少年の空氣銃が一羽の鴉を打つた。鴉はすつと落下した。土手に近づいた時鴉は最後の力を振はんとして羽を動かしたが其體は枯芝の中にどさりと大きな響を立てた。少年が駈けよつて攫へた時鴉は悲しい聲をあげて鳴いた。此の見附の現象に何等かの意味があるやうに感ずるといふのであつた。自分はそれは引力の作用だといつた。地殼の一部に空虚を生じた時陷落といふ現象の生ずるのは當然のことである。ホヤの木があつても何でもないぢやないか。鴉が落ちた時に大きな響を立てたのは落下率が加はつたからだと半分は戲談にいつた。此でも自分は天然を愛すること位は知つて居るのだといふと彼は天然の皮相を見たつて何になるといつた。去年の夏に逢つた時彼は又いつた。此の間或る不幸な女に逢つて其經歴を聞いた。女は泣いて訴へた。自分は其時女に向つて徒らに慰安の道を求めるよりも悲しめるだけ悲しんで運命に服從しなさい。さうすれば生存の意味が深くなる。それと同時にあなたの値打が増すのだといつてやつたといつた。自分にはどうしても分らん君等はつまらぬことに苦勞したものだとさういつてやつた。さうすると彼は君は百姓のことを知つて居るだらうといふから勿論だといつた。百姓が作物を栽培することに僞があるかといふからそれは神聖なものだといつた。百姓のすべては努力に在るぢやないかといふから努力の最高位に居るものだらうといつた。さうすれば神聖なる努力だらう。百姓は苗の一把は惜むまい。然しながら此を田に植ゑた時其一株を踏まれても怒るだらう。穗が出て花が咲いた時は一夜の嵐にも心を勞するだらう。稻が竹竿に掛けられた時更に之を惜むの度は加はるだらう。籾が玄米になつて玄米が更に白米に變じた時はどうである。白米の一粒だに惜まるゝ所以のものは百姓の力が段々そこに加はるからである。即ち神聖なる努力の値打である。物質の値打ではない。籾からさうして白米に至る程物質は却て滅却しつゝあるではないか。神社であつても佛閣であつても莊嚴の氣人を壓するものは之を造營した各の人及び爾後の繼續せる長い時の間之に奉仕する人々の敬虔なる態度の具體的表現である。人の力が人を壓するのである。君は態度といふことが解らぬと見える。研究する目的物の尤も大なるものは天文の學だらう。小なるものは檢微鏡の學だらう。さうして兩者の間に値打の差別があると思ふか。そこに差別を見出さぬのは目的物に對する研究者の敬虔なる態度の全く同一なるが故である。學問といふものは神聖なる努力の結晶であると彼はいつた。自分はそれはそれに相違ないが、同一の努力をしても成功するものとせぬものとが有るぢやないかといつたら、それは天分の問題だ、各自に天分を盡すまでのことだ、其盡すといふ處が神聖なる努力だ、其態度に値打が存在して居るのだと彼はいつた。それぢや下手に生れたものは損ぢやないかといふと、損益といふ語はそんな處へ用ゐるものぢやないと彼はいつた、彼は又十日徒手安坐して之を一年半年若くは一ヶ月後に囘顧してそこに何物がある。唯一日の旅行で十分である。努力は孰れに多い。追憶の分量が孰れに多い。さうして其旅行に事件が加はれば加はる程、苦痛が加はれば加はる程、其事件や苦痛に對して旅行者の心理の働きが波打てば波打つ程そこに分量も意味も値打も生じて來るのぢやないか。意味ある人生、値打ある人生を微細な一點にも發見するのが我々の本領である。さうしてそれに努力することに依つて我々の意味も値打も増して來るのだといつた。自分は少し茶化して聞いて居た。小學校の生徒にでもいつて聞かせるやうにいふのが面白くなかつたからである。少年時代から隔てない間柄ではどうも頭にはひり憎いものだ。だがこんなことも其後はすつかり忘れて居た。佐治君の噺を聞いてふつと思ひついた。どうかすると廿年も前のことをふつと思ひ浮べることがある。心理學者は此の状態を何とかいつて居るのだらう。佐治君を見るとひどく自分がちつぽけな樣に見えてならぬ。大學出身は幾人か見た。佐治君のやうな人には逢はぬ。それで居て佐治君は絶えず家庭の煩悶ばかりして居る人だ。狹い一局部に限られて居る人に過ぎないのだ。そこには何があるのだらう。自分はぐたりと成つた儘起きられなかつた。