一
「別ぴんさん勘定だよ、……こんなに多勢居る娘さんが、一人も寄り付かないのは驚いたネ、せめて、勘定だけは取ってくれよ」
とてもいい心持そう。珍々亭のスタンド前、一番人目に付こうという場所を一人占めにして、一人の老紳士が太平楽を極めて居ります。
「ヘエ百八十五円頂戴いたします」
そういうのは、十七八の女給、
「百八十五円? それは安い、八百五十円の間違いじゃあるまいネ」
胡麻塩になった山羊髭を喰い反らした人の好さ相な顔を、女給の鼻の先へヌッと突出します。
「間違いなんかいたしません、百八十五円ン」
事面倒と見て、切口上にまくし立てる女給の前へ、かくしから掴み出した、金銀銅銭をザラリと撒いて、
「サア、この中から好きな丈け取ってくれ」
「アッ」
女給は驚いたわけ、その一と掴みの金銀銅銭というのは、悉く古銭ばかり、小判、二分金、一朱銀、天保銭から、文久銭、駒曳銭もあれば、永楽銭もあるという有様、選りわける迄もなく、今日通用する金は一枚も交っては居ません。
「アラ御冗談なすってはいけませんよ。みんな、昔のおあしばかりじゃありませんか」
相手が少々甘いと見たか、若い女給さんなかなか負けません。
「これじゃいけないかネ、困った事に今日は金が無いんだ、尤も金が無いと言ったって無銭飲食じゃないよ、この通り、巡礼お鶴じゃないが小判というものはたんと持って居る……」
「いけませんよ、冗談をなすっちゃ、そうでなくてさえ、時々西洋の銀貨や、支那の銀貨を掴まされて、お帳場から叱られるんです。小判なんかで頂いたら、どんな事になるか判ったものじゃありません」
「相すまん、誠に私が悪かった。が、聞いてくれ、斯ういうわけだ。私は古銭を集めるのが道楽でな、家を出る時は、充分金を持って出た筈なんだが、途中二三ヶ所で古銭に引っかかって、とうとうこの通り。私のガマ口には、明治以後のおあしは一銭も無くなってしまった、ハッハッハッ驚いたか」
卓の古銭の上へ、空っぽのガマ口を投り出してカラカラと笑い出しました。
午後一時頃、珍々亭は人の立てこむ時刻ですから、この小喜劇は、たちまち店中の見物になってしまいました。第一、喜劇の主人公なる、この古銭蒐集家の風采が変って居ります。頭こそ左まで禿げて居りませんが、五十五六年配で、山羊髭で、一番贅沢な布地を一番無恰好に裁ったといったような、ダブダブの背広に、風呂敷ほどある大きなネクタイ、マドロスパイプを脂下りにくわえて居ります。
この現代人離れのした風采で、小判と天保銭を卓の上へ投り出したのですから、店中の客は「ワッ」と声をあげて喜びました。いくら銀座でも、こんな奇抜な図は滅多に見られるものではありません。
「お立会の衆、笑ってはいけないよ、私は古銭研究会の幹事、南市太郎、雅号を愛銭堂老人という者じゃ、家へ帰ると金なんか馬に食わせるほどある、嘘だと思ったら、興信録を見なさい、こう見えたって百万長者だ、……百八十五円が何んだい……」
老人、何処まで発展するかわかりません。その時、
「御免下さい、甚だ失礼ですが……」
隣の卓で茶を飲んで居た中年配の立派な紳士、見るに見兼ねた様子で声をかけました。
「な、なんですかな」
老人はぬからぬ顔をそちらへ向けます。
「甚だ失礼ですが、そのお勘定を私に立てかえさして頂けませんでしょうか」
「そ、それはいかん、あなたは見ず知らずの方じゃ、南市太郎未だ人の恵みは受けん」
「決してそういうわけでは御座いません、何時でも、お序の節お返し下されば宜しいので」
「なるほど、あなたは、なかなか話がわかり相じゃ、宜しい、百八十五円、まさに拝借いたそう、抵当は天保銭が一枚、永楽銭が……」
「イヤ、それには及びません、古銭研究会の幹事をしていらっしゃるなら、丁度鑑定して頂き度いものも御座います、手前の宅まで御一緒を願えませんでしょうか」
これは、南老人とは反対に、巾地は粗末だが、仕立は無類という、身体にピタリと合ったモーニングを着て、赤革のカバンを持った中年の紳士、懐の金と、目尻の微笑は切らした事が無い、といった感じのする人物です。