Chapter 1 of 10

「八、あれを跟けてみな」

「へエ――」

「逃がしちやならねえ、相手は細くねえぞ」

「あの七つ下りの浪人者ですかい」

「馬鹿ツ、あれは何處かの手習師匠で、佛樣のやうな武家だ。俺の言ふのは、その先へ行く娘のことだ」

「へエ――、あの美しい新造が曲者なんですかい。驚いたな」

「靜かに物を言へ、人が聞いてるぜ」

錢形の平次と子分のガラツ八は、その頃繁昌した、下谷の徳藏稻荷に參詣するつもりで、まだ朝のうちの廣徳寺前を、上野の方へ辿つて居りました。

「ガラツ八、よく見て置くんだよ、心得の爲に話して置くが――」

「へエ――」

平次は一段と聲を落しました。

「武家はちよいと怖い顏をして居るが、よく/\見ると顏の造作の刻みが深いといふだけのことで、まことに人相に毒がねえ、――牙のある獸に角がなく、角のある獸に牙がねえのと同じ理窟で、あんな怖い顏をした人間は、十中八九は心持のいゝものだ。ところが本當の惡黨とか、腹の黒い人間といふものは、思ひの外ノツペりした顏をして居るものだよ。見るがいゝ、あの武家の袂の先には、此處からでも見える位、朱が付いてるだらう、あれが手習師匠の證據だ。子供の手習を直す時朱硯に袂の先が入つたんだらう」

「へエ――、するとあの美しい娘が惡人てえ證據は?」

「あの娘と摺れ違つた時見ると、袖の先に同じやうに赤いものが付いてるが、それは朱ぢやなくて血だ。それにあの娘は廣徳寺前で、袂から泥燒のお狐樣を落したらう」

「それは、あつしも見ましたよ。あれは徳藏稻荷の門前で賣つて居ますね、素燒のお狐に泥繪具を塗つて、一つが十二文。あれは懷中へ忍ばせて置くと、願事が叶ふとか言つて、手弄みをする手合がよく持つて居ますが――」

「それだよ、そのお狐を若い女が袖に忍ばせて居るのも可笑しいが、何かの機みで落つことすと、乾き切つた往來の上で尻尾が缺けた。――この通り」

平次は何時の間に拾つたか、内懷から尻尾の缺けた素燒の狐を出して見せました。

「何時の間に拾ひなすつたんで、早業だね、親分は?」

「馬鹿、靜かに物を言へ、往來の人が顏を見るぢやないか、――ところで、女が物を落すと、どんなに忙しい時でも大抵踏み止つて一應は拾ひ上げるものだ。そして、役にも立たないことだが――毀れたものなら、元の通り繼いでみるとか何とか、どんなにつまらない物でも、それ位の未練は持つて居るものだ。ところがあの娘は何うだ」

「お狐を落として、尻尾が缺けると、ちよいと振り向いたつ切り、拾ひ上げようともせずにサツサと行つて仕舞つた――成程、こいつは可笑しいや」

「解つたか、八。あの女は馬鹿か豪傑か、でなければ腹の中に容易でない屈託があるんだ。それも並大抵のことではない、女が願事が叶ふといふ禁呪のおコンコン樣を捨てゝ行くのは容易ぢやない」

平次の明察は、すつかりガラツ八を景氣付けました。

「ね、親分。この仕事を私に任しちや下さいませんか」

「何だと」

「八五郎の手柄初めに、根こそぎ洗ひ出してみませう」

「大丈夫か、ガラツ八」

「大丈夫かは心細いな」

「――」

「第一、あんな吹けば飛ぶやうな新造を、錢形の平次親分とその一の子分の八五郎とで跟けたとあつちや、世間の聞えもよくねえ」

「それもさうだな。萬に一つの間違ひはあるまいが、あの娘を見失つちやならねえよ。俺は徳藏稻荷へ行つて、お前の歸つて來るのを待つて居るから」

「有難てえ。それぢや任せて下さるんだね、親分」

「ドヂを踏むな、相手が綺麗な新造だと思ふと間違ひだぞ」

「だ、大丈夫――」

ガラツ八は平手を額にかざすと、平次に別れて娘の後を追ひました。

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