Chapter 1 of 7

「へツ、へツ、可笑しなことがありますよ、親分」

「何が可笑しいんだ。いきなり人の面を見て、馬鹿笑ひなんかしやがつて、顏へ墨でもついてゐると言ふのかい」

錢形平次は、ツルリと顏を撫でました。三十を越したばかり、まだなか/\良い男振りです。

「氣が短いなア、そんな人の惡い話ぢやありませんよ、へツ、へツ」

ガラツ八の八五郎は、まだ思ひ出し笑ひが止りません。馬のやうな大きな齒を剥き出して、他愛もなく笑ふ樣子は、どうも十手捕繩と縁のある人間とは思へません。

「イヤな野郎だな。可笑しくて笑ふ分には年貢は要らねえが、顏の造作は臺無しだぜ。そんな羽目を外した相好を、新造に見せねえやうにしろ」

「ね、親分、相好ぐらゐは崩したくなりますよ。三輪の親分が風邪を引いて寢込んだのはいゝが、繩張り内に起つたことの捌きがつかなくなつて、お神樂の野郎が泣きを入れて來たんだから面白いぢやありませんか」

ガラツ八はすつかり御機嫌になつて、手を揉んだり額を叩いたり。

「馬鹿野郎、人樣の病氣が何が面白い」

「――お願ひだから、錢形の親分に智慧を貸して貰つてくれ――つて、あの高慢なお神樂の清吉がさう言ふんだからよく/\でさ。だからあつしがさう言つてやつたんで、――憚りながら、錢形の親分は智慧の時貸しはしねえとね」

「智慧の時貸しつて奴があるかい」

「山の宿の丸屋の主人が行方知れずになつて、もう三十日にもなるが、まるつきり見當がつかないさうですよ。お役人方からお小言が出たんで、三輪の親分假病を使つてゐるんぢやありませんか」

「そいつは放つても置けまい。直ぐ行つて見ようか、八」

こんな調子に運んで來ると、平次も案外氣輕に御輿を擧げます。

近頃すつかり暇で、ろくな掻つ拂ひもないせゐもあつたでせう。

淺草山の宿の金藏といふのは、まだ三十三四の若い男ですが、三年前新鳥越から移つて來て金貸を始め、一寸の間に、メキメキと身上を肥らせて行きました。曾つて新鳥越に榮華を誇つた、菱屋の番頭をしてゐて溜め込んだと言はれ、元手が非常に潤澤な上、金藏は年に似ぬ締り屋で、女房を貰つて、一人口ふやすのが惜しさに、下女一人、小僧一人を相手に、稼業大事と必死と働いてゐた樣子です。

その丸屋の金藏が、丁度一と月前の八月十七日の晩、下女も小僧も知らないうちに、どこへともなく出て行つてしまつたのでした。身扮も平常のまゝ、金は一文も持つてゐた筈はなく、その上心掛のある町人に似げなく、麻裏草履を突つかけて、手拭を一本持つたきりで出て行つたのですから、三輪の萬七が一と月がゝりで嗅ぎ廻つても、この失踪の謎は解けさうもありません。

「ところが、主人の金藏が家出をしてから、四日目の晩に泥棒が入つて、店にあつた主人の財布ごと、有金二三十兩盜つた上、十四になる小僧の要吉に怪我をさせて行きましたよ」

ガラツ八は得意の聽込みを説明してくれました。

「家出してから四日目は變だな」

と平次。

「ね、變でせう。金藏が殺されたものなら、殺した野郎はその晩盜みに入るわけだ」

「殺されたと決つたわけぢやあるめえ」

「兎に角物騷で放つても置けないから、町役人立會の上、七日目に丸屋の身上を調べて見ると、有金が八百兩、外に貸金が千五百兩、抵當流れになつた地所家作を勘定すると、容易ならぬ額です。たつた三年の間に、どんな高利に金を廻したつて五十や百の金ぢやかうは太らねえ。これは新鳥越の菱屋が沒落の時、番頭の金藏奴うまく立廻つてうんと取込んで置いたに違ひありません」

「フーム、菱屋は御法度の拔け荷(密輸入)を捌いて、主人の市兵衞は一番番頭と一緒に三宅島へ遠島になつた筈だな」

「さうですよ、菱屋は缺所。江戸構へになつた母娘が二人、草加とか千住とかにゐると聞きましたが――」

ガラツ八なか/\よく屆きます。

「菱屋の主人はまだ島にゐるのか」

「主人の市兵衞も番頭の清七も六十を越した年寄で、三宅島へ流されると半歳經たないうちに死んださうですよ」

「それつきりか」

「聞き込みはこれだけですが、山の宿まで行つて見ませう」

ガラツ八はもう案内顏に先に飛び出しました。續く平次。

快適な秋の朝風に吹かれながら、神田から山の宿まで、一寸出のある道程です。

「三千兩近い身上を捨てて、行方知れずになるのは變ぢやありませんか、ね親分」

道々、ガラツ八は平次の智慧の小出しをせびりました。

「思ひ立つて旅にでも出かけるといふことはあるだらうな」

平次は少しからかひ面です。

「麻裏を履いて手拭を持つて西國巡禮ですか、親分」

「拔け詣りには、時々そんなのもあるよ」

「金を溜めるより外に望みのなかつた男ですぜ、親分。その晩もお菜に鹽つ辛い鮭をつけると、――こんなお菜は飯が要つて叶はない――つて、下女のお留に大小言を食はせたんですつて。鹽の辛い鮭が贅澤な人間が、三千兩の身代を放り出して、旅へ出るものでせうか」

八五郎は一生懸命の抗辯です。

「だが、江戸の街は廣いやうでも、人間一人殺して、一と月も知れないやうに始末するのはむづかしいぜ。近頃は大川にも身許の知れない死骸が浮んだといふ話を聽かないやうだ」

「でも、あの金藏といふ男ばかりは、信心ごとなんかぢや動きませんよ、――慾得づくなら、どこまでも乘出すでせうが」

「慾得づくで出たのかも知れないよ、――三十三四の強かな男が、誘拐される筈もあるまいから」

平次の話は、含蓄の深いものです。

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