一
「親分、良い陽氣ですね」
「何んだ、八にしちや、大層お世辭が良いぢやないか。何にか又頼み度い事があるんだらう。金か御馳走か、それとも色の取持か。どつちだ」
錢形平次と八五郎は、斯んな調子で話を始めたのです。
「そんな氣障なんぢやありませんよ。金はふんだんにあるし、うまい物は腹一杯に食べてゐるし、女の子はうるさいほど付き纒ふし、此樣子ぢやどうも身が保てねえ」
「馬鹿野郎、張り倒すよ」
「へツ自分は張り倒されて見てえ位のもので、近頃はもて過ぎてポーとして居ますよ」
八五郎はさう言つて、八つ手の葉つぱのやうな手の平を、自分の耳のあたりでパツと開いて見せるのでした。
「呆れて物が言へねえ。少し何うかして居るんぢやないか、八」
「どうもしたわけぢやありませんよ、今日は、一番親分の智惠を試しに來たんで」
「言ふことが一々疳にさはるな。お前に試されるやうな智惠は、横町の隱居に貸してやつたから、今日は生憎だ」
「へツ、智惠の時貸しは驚いたな、――尤も、こんなのは平常使ひの智惠袋で結構で――、これですよ、親分」
八五郎が懷中から取出したのは、小菊に包んだ小さい品物でした。受取つて開けると、中から出たのは、飴色の鼈甲の――少し時勢遲れの大振りな櫛が一つ。
「これは何んだ」
「櫛ですよ」
「櫛はわかつて居る――まさか熊手と間違やしめえ」
「その櫛に曰くがありさうなんで」
「何處の新造に貰つて來たんだ」
「今頃こんな古風な櫛を差す新造はありませんよ、――私の伯母の知合――と言つたところで、死んだ亭主の墓詣りに行つて懇意になつた、谷中の養仙寺前の茶屋の嫁が、里の母親が死んで一年半も經つてから、形見に貰つた此櫛が、どうも腑に落ちないことがあるから、八五郎親分に見て貰ひ度いつて、伯母のところへ屆けて來たんですつて――さう言はれると、結構な鼈甲の肌に、引つ掻きのやうな、假名文字のやうなものが見えますね」
八五郎の説明が、七面倒に持つて廻る間、平次は指先で撫でたり、陽に透したり、いろ/\の角度から櫛を眺めて居りました。
「ぢや、八五郎親分が鑑定してやるが宜い。お前の智惠試しに丁度誂へ向ぢやないか」
「ところが駄目で」
「兜を脱いだのか」
「あつしの智惠袋が綻びだらけで、へツへツ、おまけに字を讀むことと、新造を口説くことは親の遺言で止められて居ますよ」
「だらしがねえなア、それ御覽」
「へエ」
平次は鼈甲の櫛を斜に、斯う陽にすかして見せ乍ら續けました。
「これほどよく磨いた櫛の背に、傷のやうな、引つ掻きのやうなものが見えるだらう」
「え、え、それは見えますよ」
「針で彫つた假名文字だ、鼈甲は柔らかいから、わけもなく傷が付く――いや待てよ、柔かいと言つても、女の使ふ縫針くらゐぢや、こんな形の確かな字は書けないな」
「すると」
「待て/\、此まゝでは讀めまい、――少しは櫛を汚すが、構はないだらうな」
「構やしません」
平次は八五郎の返事を背に聽いて、お勝手へ行くと、念入りに櫛を洗ひ始めましたが、大方脂を洗ひ落した頃、よく紙で拭き取つて、その上へ磨り立ての濃い墨をたつぷり塗り付けます。
「これを拭きさへすれば宜い、――それ見な」
ざつと乾かした櫛を、紙で柔かく拭いて行くと、櫛の表の針の引つ掻きに墨が殘つて、いとも鮮やに讀み取れるのです。
「へエ、驚きましたね、これが讀めるんですね、へエ」
感に堪へて、八五郎の長んがい顎がそれを差覗きます。
「假名で十九文字、斯う書いてある、『よさくさにやれみりゐけひぬげやいほてぬ』――解つたか、八」
「――あびらうんけんそわか――見たいなもので」
「馬鹿だなア」
「でなきや、火傷の禁呪」
「こいつは隱し言葉だよ」
「へエ?」
「そのお茶屋の嫁の母親といふのが、娘に知らせ度いことがあつたが、あけすけに書けないので、こんな判じ物の隱し言葉で書き遺したのだらう」
「へエ」
八五郎はすつかり感に堪へました。
「それにしちや、文字が確りしてゐるが、餘つ程氣性の確かな人だつたと見える」
「それぢや、親分の智惠で、ちよいと繪解きをして下さいよ――」
「そんなわけには行かないよ、いろ/\の隱し言葉も讀んだが、こいつは少しむづかしさうだ」
平次は深々と腕などを組んで居ります。