一
「親分、お早やうございます。――お玉ヶ池の邊に、妙な泥棒がはやるさうですね」
ガラツ八の八五郎は、朝の挨拶と一緒に、斯うニユースを持つて來るのが、長い間の習慣でした。錢形平次に取つては、まことに結構な順風耳ですが、その代りモノになるのはほんの十に一つで、あとは大抵愚にもつかぬ、市井の噂話に過ぎなかつたのです。
「妙な泥棒は苦手だよ。此間もうちの三毛猫を盜んだ野郎を縛つて拷問にかけて、猫の子を何處へやつたか白状さしてくれと、氣違ひのやうになつて飛込んで來たお神さんがあつたが、あんなのは困るよ」
少しばかり青葉が覗く縁側の障子を開けて、疊に腹ん這になつたまゝ、黄表紙を讀んでゐた平次は、起き上がると煙草盆を引寄せて、こればかりはよく磨いた眞鍮の煙管と共に八五郎の方に押しやるのです。
「今日は良い煙草がありますよ、この通り手刻みなんかぢやありません。毛のやうに細かくて山吹色だ」
ガラツ八はさう言ひ乍ら、懷中から半紙に包んだ一と握りの煙草を取出して、指先でちよいと摘んで見せ乍ら、平次の方へ押出します。
「成程こいつは良い葉だ。國分か、水戸かな、――何處でくすねて來たんだ」
「人聞きの惡いことを言つちやいけません。お玉ヶ池の變な泥棒のことを調べに行つて、百足屋市之助の店に坐り込んだ時貰つて來ましたよ」
「成程、お玉ヶ池には百足屋といふ大きな煙草問屋があつたな、――だが、その術をチヨクチヨク用ゐちやならねえ。煙草屋だから宜いが、同じ山吹色でも、兩替屋などの店先に坐り込んで、小判といふものを半紙に包んで出されたら、どうするつもりだ」
「大丈夫ですよ、そんな氣障なものは振り向いても見やしません」
「ところで變な泥棒といふのは何んだ」
平次は思ひ直して話を本筋に引戻しました。
「お玉ヶ池から小泉町へかけて、今月に入つてから五六軒泥棒に入られましたよ」
「盜られたのは?」
「それが不思議なんで、大きい家を狙つて、雨戸を外して入り、泥足で家中荒し廻るのに、大した物を盜るわけでもなく、精一杯のところで、藥鑵を持出したり、洗濯物の包をさらつたり、子供の玩具を盜んだり、――それも盜みつきりにするわけではなく、少し離れたところへ捨てて行くから變ぢやありませんか」
「泥棒の姿を見た者はないのか」
「二人三人あるやうですが、恐ろしく素早い泥棒で、促まへるどころか、人相も見定めた者もありません。何んでも、五尺七八寸もあるだらうと思ふやうな、肩幅の廣い大男だつたさうで――」
「それだけぢや惡戯としか思へないな。暫らく樣子を見る外はあるまい」
「物騷で叶はないから、何んとかしてくれと、町役人がうるさく言つてますが」
「手の付けやうはないぢやないか。盜んだ品を皆んな捨てて行く泥棒ぢや、――だが、そいつは何んか企らみのあることだらうよ、――藥鑵も玩具も捨石に違ひないやうな氣がするが――」
平次は何やら考へ込んでしまひました。八五郎はその顏を眺め乍ら、プカリプカリと所謂山吹色の國分の煙を輪に吹いて居ります。
この變な小泥棒事件が、思はぬ發展を遂げて、世にも奇怪な結果にならうとは、さすがの平次も氣が付かなかつたのです。
それから四五日經つて、一と雨降つた後のよく晴れた朝のことでした。
「親分、お玉ヶ池の泥棒は、到頭大變なことをやりましたよ」
ガラツ八の八五郎は、例の髷節を先に立てて飛んで來たのです。
「何んだ、いよ/\猫の子でも盜んだといふのか」
「冗談ぢやありません。昨夜百足屋へ忍込んで、主人の市之助を殺して逃げましたよ」
「到頭やつたか――今までの變な仕事は、皆んなその大仕事へ運ぶ捨石だつたに違げえねえ」
「出かけますか、親分」
「行かなきやなるまい、お玉ヶ池は鼻の先だ。それに、お前は百足屋に國分煙草一と摘みの恩があるぢやないか」
そんな事を言ひ乍らも、平次は手早く支度をしました。捕繩を袂に落して、十手を懷中に、單衣の裾を七三に端折つて、新しい麻裏を突つかけます。
「あい」
後ろから戀女房のお靜が、カチ、カチ、カチと鎌を鳴らして切火を掛けてくれるのでした。