一
「變な噂がありますよ、親分」
子分の八五郎がまた何にか嗅ぎつけて來た樣子です。
「何んだ、また五本足の猫の子の見世物ぢやあるまいな」
錢形平次は相變らず白日の夢を追ふやうに、縁側に流れて行く、煙草の煙の末を眺めて居るのでした。
江戸の四月、神田の家並も若葉に綴られて、何處からともなく飼鶯の聲が聞えます。
「そんな間拔けな見世物ぢやありませんよ――今度のはお化けで」
「止せやい、馬鹿々々しい。お化けと鎌いたちは箱根から東には居ないことになつてゐるんだ」
平次は煙草の煙を拂ひでもするやうに、大きく手を振りました。
「ところが、現に見た者が三人も五人もあるんだから面白いでせう」
「あわてた奴が居るんだね」
「色模樣の大若衆なんださうで。薄色の振袖に精巧の袴をはいて、長いのをかう抱くやうに暗がりからスツと出て、スツと消える――」
「身振りなんかしたつて、お前ぢや色若衆には見えないよ。そんなのは大方芝居の色子のヒネたのか、蔭間の大年増が道に迷つたんだらう」
平次はまるで相手にしません。
「その化物が堀を越したり生垣をくゞつたり、若くて綺麗な娘のある家ばかりねらつて歩くとしたらどんなもので」
ガラツ八の八五郎は、そんなことをいひながら、長んがい顎を撫で廻すのです。
「嫌な化物だな」
「あんまり意氣な化物ぢやありませんね」
「彌造を二つこせえて、顎で梶を取りながら、町内中の良い新造をおそつて歩く八五郎の方が餘つ程意氣なんだが――」
「へツ冗談でせう」
ガラツ八はこんなことで、大敗北の退散をしてしまひました。錢形平次に取つては、見る眼嗅ぐ鼻の大事な助手には違ひありませんが、時々――いや十のうち八つ九つまでこんな他愛もないネタを持つて來て、平次にからかはれて歸る方が多かつたのです。
それから幾日か經ちました。
「サア、大變、だからいはないこつちやない」
髷節を先に立てて飛んで來たのは八五郎です。
「到頭大變が舞ひ込んで來やがつた。煮賣屋のお勘子が男をこしらへたつて、おれのせゐぢやないぜ、八」
「そんな話ぢやありませんよ。この間の色若衆が、元飯田町で殺されて居るんだ」
「何んだと?」
「槍か何んかで突かれて、無官の太夫敢ない最期だ。今朝近所の衆が見付けて大騷動ですよ」
「――敢ない最期と來やがつたか、お前の話は近頃三味線に乘るぜ――ところで、尻尾は出て居なかつたのか」
平次は手早く支度を整へながら、相變らず無駄をいつて居ります。
「天道樣にさらされても尻尾の出ないところを見ると、間違ひもなく人間だが、その代り男のくせに白粉をつけてゐますよ」
「いゝたしなみだ――どりや行かうか、八」
元飯田町の餅の木坂の中腹、武家屋敷と町家と、妙に入り組んだ路地の奧へ、八五郎は平次を誘ひ込んだのです。
「えツ、寄るな/\見世物ぢやねエ」
そんな事を言ひながら、彌次馬を掻きわけて行く八五郎。その後からついて行く平次を見付けると、
「おや、錢形の親分。いゝところへ――」
町役人が驅け寄ります。
この邊は『人の惡いは飯田町』といはれて安御家人の多いところ、それが町家と道を隔てて、軒を並べてゐるだけに町役人に取つては、まことに扱ひ惡いところでもあつたのです。現に、人一人殺されてゐるのに、御臺所町や二合半坂の辻番からは寄り付かうともせず、中坂の自身番と、餅の木坂の町役人が立ち合つて、兎に角にも檢屍を待つてゐる有樣でした。
平次は一應の挨拶をして、變死體に近づきました。形ばかりの筵を剥いで、目禮をした平次の眼はその異樣な裝束に釘付けになります。
「身許は判つてゐるのか」
「見知り人が多勢あつて、牛込御門内に住んでゐられる三百石の御旗本本多三四郎樣の御舍弟、右馬之丞樣と申すことですが、人をやつて申上げても、覺えはないとおつしやつて引取つて下さいません」
「フーム」
「當家の御舍弟右馬之丞は一と月前から旅へ出て居る――とかういふお言葉で」
「掛り合ひが面倒なのだらう。武家は薄情だな」
平次はうなづきます。その當時無闇に家名を重んじた武家方では、家來や家族に不所存なものがあつて、それがうるさい問題になりさうになると、恩愛も人情もかなぐり捨てて『當家に左樣な者は御座らぬ』と簡單に責任を回避するのが、一つの例になつてゐたのです。
「困つたことで――」
平次は町役人の愚痴を背後に聞いて、その異樣な變死體を調べ始めました。
變死の異裝な人間は、年の頃二十歳にもなるでせうか、それが大前髮も變ですが、男のくせに薄化粧をして、口紅まで含んでゐるのが、初夏の朝陽に蔽ふところなく照らし出されて、グロテスクにさへ見えるのでした。
女物を直したらしい、大振袖の紫の褪せて居るのも淺ましい限りですが、精巧の袴は血に浸つて、前半に差した短いのはそのまゝ、細身の長い刀は、鯉口でもきることか、自分の身體が芋刺になつてゐる癖に、鞘ごと二、三間先へ投り出してあります。
「好い男ぢやないか、八」
平次は下らないことに感心して居ります。
「業平右馬之丞といつて、名題の色師ですよ。二本差のくせに」
町役人はそつとさゝやくのでした。
傷は下からグサツと突き上げた胸の傷で、殆ど背中へ突き貫けるほどの凄まじいもの。
「恐ろしい手際だ――この近所に槍のうまい人は?」
平次は四方を見まはしました。
「――」
町役人達がそれを迎へるやうに、默つて顏を見合せます。
「この邊は御武家のお屋敷の多いところで、槍の名人も數限りなくありますが――」
町役人の一人は四方をはゞかるやうにいふのでした。何にか仔細のありさうな口調です。
「八」
「へエ」
「お前がいつた、色若衆の化物はこれに違ひあるまいが、この色若衆と掛り合ひのあつた家を聽き込んで來てくれ。いづれ二軒や三軒ぢやあるまいが」
平次は八五郎を顧みました。町役人を相手にしては埒があかないと思つたのでせう。
「そんな事なら譯はありませんよ。ちよいと待つて下さい」
八五郎はそのまゝ、遠卷にしてゐる彌次馬の中に吸ひ込まれて行きます。
町役人の手を借りて、なほも調べて行くと、死骸には突き傷の外に打ち傷があり、腰から肩のあたりを餘つ程ひどく打たれた樣子です。
「打ち身のひどいところは、着物まで破れてゐるが――唯打たれたのではなくて、突きのめされて倒れたのかも知れないな」
平次は自分にいひ聽かせるやうに、獨り言をいふのです。
一應懷中を見ましたが、錢などは百も持つてはゐず、その代り内懷中からズルズルと引出した袱紗の中から出て來たのは、十何本といふ夥しい手紙――その中には紅筆で心のたけを綴つたのもあり、天地紅のなまめかしいのへ、夢のやうな事を書いたのもありますが、悉くが若い女の書いた戀文といふことがわかります。
「何んです、親分それは?」
町役人達も顏を持つて來ました。よく禿げたのや、無精髯のや、虫食頭のや、この町役人と稱する人種は、土地や家作は澤山持つて居るにしても戀文などといふものとは縁がなささうです。
「みんな戀文だ」
「それを何んにするんで?」
「まさか質草にもなりやしめえが、唯もう温めて良い心持になつてゐたんだらう」
「へエ」
戀文が温石の代りにならうなどとは、この人達には永久にわかりさうもありません。
そこへガラツ八が飛んで來ました。
「大變ですよ、その怪物は、この町内だけでも噂の立つたのが、ザツと十五、六人。名前を讀み上げませうか」
「止せよ、殺生ぢやないか――こんなのに因縁をつけられた女が可哀想だ」
「すると、下手人は?」
「追々わかるだらう――ところで死骸の懷中にこれだけの手紙があつたんだが――」
「へエ、恐ろしい野郎ですね。ちよいと一本讀まして下さいな」
八五郎は物欲しさうに手を出しました。
「止さないか、お立會の衆が笑つてるぜ――女の子の手紙をもらつたことがないやうで、見つともない」
平次は、手紙の束をさつと自分の懷中へ入れてしまひました。