Chapter 1 of 8

「親分、先刻から路地の中を、往つたり來たり、お百度を踏んでゐる女がありますが、ありや何でせう」

八五郎は自分の肩越しに、煙管の吸口で格子の外を指すのです。

「わけがあり相だな、お前に跟いて來た女馬ぢや無かつたのか、拂ふものは拂つて、早く歸した方が宜いぜ」

毎度のことで、錢形平次は驚く色もありません。

「冗談でせう、あつしは叔母の家から眞つ直ぐに來たばかりで、女馬も雌猫もついて來る筈はありませんよ」

「はてな、それぢやワケがありさうだ、騷ぐと逃出すにきまつてゐるから、お前はそつとお勝手へ行つて、お靜にさう言つて、誘ひ入れて見るが宜い」

「成程、女は女同士だ」

「良い男の八五郎が、うつかり顎を出すと、大概の女は膽をつぶす」

そんな事を言つて居るのを、狹い家のお勝手で聽いたお靜は、そつと裏口から拔け出して、襷を外して前掛を疊んで、小買物でもするやうな恰好で路地へ出ると、どう聲を掛けたものか、間もなく女二人、肩を並べて入つて來ました。

お靜が手を取るやうにして、家の中へ入れた女といふのは、三十五六の大年増で、大家の奉公人らしく、身扮は木綿物の至つて質素なもの、手足もひどく荒れて居りますが、顏容は、清潔で上品で陽焦けこそして居れ、白粉つ氣の無い健康らしさが好感を持たせます。

「お前さんは、何處から來なすつたんだ、ひどく驚いてゐる樣子だね。遠慮することは無い、打ち明けて皆んな話して見るが宜い、私で役に立つことなら、隨分力になつて上げようではないか」

平次は靜かに迎へて、心おきなく、煙草盆などを引寄せます。

押し詰つた暮のある日、凝つと聽いて居ると、師走らしいあわたゞしさが、江戸の街々を活氣づけて、障子に這ひ上がる晝の陽ざしの中を、餌をあさる小鳥が飛び交ふのも、冬の閑居にふさはしい忙しさでした。

「親分さん、お願ひでございます、私にはどうして宜いかわかりません」

女は疊の上に水仕事で赤くなつた、兩手の指を並べるのです。

「たゞそれ丈けぢやわからねえ、何をどうしてくれといふのだ」

「若旦那の徳太郎さんを助けてやつて下さい、三十間堀の猪之助親分が、縛つて行きました。若旦那が、人なんか殺す筈はありません」

女は少し夢中になつて、分別を缺いて居るらしく、話はしどろもどろで、一向筋は通らないのです。

「何處の若旦那が、誰を殺したといふのだ」

「京橋お弓町の雜穀屋、四方屋徳右衞門樣の若旦那徳太郎さんが、御新造のお染さんを殺したといふ、飛んでもない疑ひを受けました、そんな馬鹿なことがあるわけは御座いません」

「よし/\、それは調べて見ればわかることだらう、ところでお前は?」

「四方屋の下女の米と申します」

「それが、京橋から此處まで飛んで來るのは、誰の指圖だ」

「誰の指圖でもございません、皆んなぼんやりしてしまつて、若旦那を助けようとする者もございません。三十間堀の猪之助親分に楯をついて、睨まれるのが怖いんでせう。此上は高名な錢形の親分にお縋りする外は無いと思つて、私の一存で京橋から飛んで參りました」

「お前は、四方屋の身寄りの者か」

「いえ」

「それにしては?」

平次はこの女の出過ぎた態度に、フト疑惑を感じたのです。三十五六――女も實行力を持つ年輩ですが、それにしても、誰からも何んの指圖をも受けず、京橋から明神下まで飛んで來るのは、唯の奉公人には出來ないことです。

「でも、私は四方屋に二十年も奉公をして居ります」

「親許で承知の上か」

「いえ、兩親に早く死に別れて、歸る家も無かつたのです。若旦那の徳太郎さんは、四つの年からお守をして育てました、次のお子さんが近かつたので、夜も晝も、私の手一つで」

「その時お前は、まさか乳母では無かつた筈だが」

「十五でお守の奉公に上りました、それから二十年」

お米はサメザメと泣くのです。十五から三十四まで二十年の間、若旦那徳太郎の成人するのを見て來たお米に取つては、若旦那が人殺しの疑ひで縛られたといふことは、命がけの大事件であつたに違ひありません。

「よし、三十間堀の猪之助親分には濟まないが、念のため覗いて見ることにしよう、詳しいことは、道々聽くとして」

平次は仕度に取りかゝりました。お米の熱心には、何んか斯う平次を乘出させるものがあつたのです。

Chapter 1 of 8