一
増田屋金兵衞、その晩は明るい内から庭に縁臺を持出させ、九月十三夜の後の月を、たつた一人で眺めることにきめました。
金があつてしみつ垂れで、人づき合ひが嫌ひで、恐ろしく風流氣のある金兵衞は、八月十五日の名月も、この獨自のシステムで觀賞し、悉く良い心持になれたので、それを又くり返して、その頃嫌つた片月見にならぬやうにと、いとも經濟的な魂膽だつたに違ひありません。
奉公人や近所の者が何んと言はうと、思ひ立つた事は遠慮會釋もなく實行に移すのが、それが金持の特權であり、風流人のたしなみであると信じきつてゐるので、番頭や伜がその不穩當さを非難したところで、耳を傾けるやうな金兵衞では無かつたのです。
この變つた獨り月見の異變を、作者が辛棒強く平敍して行くより、江戸の御用聞、お馴染錢形平次の、明神下の住家で、子分の八五郎をして語らしめた方が手つ取早く埒があきさうです。
「ね、親分、金があつて暇があつて、妾があつて風流氣があるんだから、思ひ付くことだつて、世間と違つて旋毛が曲つてゐますね」
「まるでお前見たいぢや無いか」
錢形平次は相變らずの調子で、半分は冷かし乍ら、適當なテムポで八五郎の報告を聽いて居ります。
「へツ、違げえねえ、こちとらは借金があつて、仕事があつて、情婦があつて、喧嘩氣がある」
「それから先を話せ」
「増田屋金兵衞、二た抱へはたつぷりあらうといふ名物月見の松の下に縁臺を据ゑさせ、松の葉蔭から、ユラ/\と昇る月を眺め乍ら、チビチビと呑んだり、鹽豆を噛つたり、下手な發句を考へたり」
「鹽豆は變な好みだな」
「しみつ垂れだから、一人で呑むんだつて、酒の肴の贅は言はない、――尤も一代に何千兩といふ身上を拵へる人間は、蟲のせゐで刺身や蒲鉾は自腹を切つちや食はないんですね」
「――」
「御存じの通り、昨夜は良い月でしたね、あんな月を見ると、こちとらは袷位は曲げて呑み度くなるが、金兵衞は酒のお代りも言ひつけずに、下手な發句ばかり並べて喜んでゐる――、麻布名物の月見の松の下でね――」
「それからどうしたんだ」
平次は後を促しました。良い月夜の翌る日は、シヨボシヨボした秋雨になつて、夕方はもう眞つ暗、平次と八五郎が相對してゐる、神田明神下の――詳しく言へばお臺所町の路地の奧は、申刻過ぎにもう灯が欲しいやうです。
火鉢を挾んで、寒山拾徳見たいなポーズで、たつた一本の煙管を、平次がすめば八五郎が拾ひ、八五郎が投り出せば、平次が取上げると言つた、世にも氣樂な親分子分風景でした。
「話の前に、増田屋金兵衞は生れ乍らの町人では無く、元は武家の出で、今から二十年前、増田屋の亡くなつた後家に惚れられ、還俗して町人になつたといふことを覺えてゐて下さい」
「還俗て奴があるかえ。――兩刀を捨てるとか、何んとか言ひやうがあるだらう」
「同じやうなもので、――兎も角、侍のくせに弓馬槍劍は空つ下手、ちよいと男がよく、辯舌が達者で、算盤が出來て、風流氣があつた――そこを見込まれて、元々身上の良い増田屋の後家に惚れられ、増田屋の庭先の、鼠の巣のやうな長屋から這ひ出して、披露も御挨拶もなく、ヌツと増田屋に納まつて、浪人髷を町人髷にした」
「――」
「増田屋には先の亭主の遺した、新吉郎といふ今年二十八の伜があり、多與里といふ、今の主人の金兵衞の娘があります。これは十七になつたばかり、可愛らしい娘ですよ」
「お前に言はせると、娘は皆んな可愛らしいから不思議さ」
「それでも妾のお鈴には及びませんよ、これは二十歳か二十一でせう、素人の出だといふが、凄いほどの女で」
「道具建てはそれ位にして、月見の話はどうなつたんだ」
平次も少ししびれをきらしました。
「増田屋金兵衞の人柄から話さなきや、この話は面白かありませんよ、――何しろ二十年前に増田屋の後家のところへズル/\ベツタリ入り込んで、それから増田屋の身上を倍にも三倍にもした男だ、人の怨も隨分買つてゐるわけで、此間からたちの惡い惡戯が引つ切りなしだ、塀や羽目は落書きで一パイだし、石を投る者、店先へ泥を飛ばす者、出入の鳶頭の半次が見張つた位ぢや、防ぎやうが無い」
「――」
「それが嵩じて到頭、昨夜の縁臺の獨り月見で、主人の金兵衞半死半生の目に逢つた」
「――」
「縁臺に腰を掛けて、チビ/\やり乍ら、松の葉越しに昇る月を眺めて下手な發句を――」
「それはもう聽いたよ」
「ところへ、いきなり頭の上からバラリと罠が落ちて來た、――アツと言ふ間もありやしません、氣の付いた時は、首を吊られた主人金兵衞の身體が、縁臺を離れて、フラ/\と宙へ吊り上げられて居たとしたらどんなものです」
「驚くよ、――俺だつてそんな目には逢ひ度かない、誰が一體そんな亂暴なことをしたんだ」
「それがわかれば、あつしがしよつ引いて手柄にしまさア、釣られた主人は一切夢中だし、家中の者は誰も氣が付かない、繩は松の大枝から下つて、五十七歳の増田屋金兵衞、まるで蜘蛛の巣に吊られた一匹の蠅のやうに、月見の松へキリ/\と引上げられた」
「成程、氣味のよくねえ話だな」
「足は大地を離れてゐるから、ジタバタしたつて、踏むのは虚空ばかり、罠で首を締められてゐるから、助けを求めやうにも聲が出ねえ」
「刄物を持つてゐなかつたのか、元は武家だといふから、せめて脇差か何んか」
「そんな物はありやしません、手に持つてゐるのは、筆と短册だけ、――増田屋金兵衞茫となつてしまつた。何刻經つたかわからねえが、實は煙草一服の間かも知れません、松の上から金兵衞を吊り上げた曲者は、繩尻を大枝に止めると安心して逃げてしまつた、あとは金兵衞が死ぬのを待つばかり」
「――」
「が、丁度その時、増田屋の掛り人で、近頃來たばかりの浪人者――用人棒といふにしては人柄の良い、椿三千麿といふ若い武家が、外から歸つて來て、庭木戸の外から此體を見た、月が良いから、庭の中は一と眼だつたといふんで」
「フン」
「いきなり木戸を押し開けて飛込み、脇差を拔いて飛上りさま、金兵衞の頭の上で繩を切つた、金兵衞が蜘蛛の巣から離れた蟲のやうに、ドタリと落ちて來るのを、危ふく宙に留めたといふから大した手際でせう。その時はもう、金兵衞蟲の息も通つて居なかつたが、柔術の方で、落ちた人間の手當を心得てゐる椿三千麿が、背を割つて活を入れ、顏へ水をブツ掛けると、宜いあんべえに金兵衞は息を吹返しました」
八五郎は漸くこの話を終りました。
麻布へ用事で行つた歸り、土地の御用聞から聽き込んで、稼業冥利に増田屋を覗いて來たといふのです。