Chapter 1 of 16

「親分の前だが、江戸といふところは、面白いところですね」

松もまだ取れないのに、ガラツ八の八五郎はもう、江戸の新聞種を仕入れて來た樣子です。長んがい顎を撫で廻して、小鼻をふくらませて、滿面の得意が、鼻の先にブラ下がつてゐる樣子でした。

「面白いに違げえねえな、お互ひに江戸に生れて江戸に住んで、大した退屈もせずに、また年を一つ取つたぢやないか」

錢形平次は、近頃、暇で/\仕樣がなかつたのです。勝負事は大嫌ひ。細工や片付け事は生れながら不器用で、御上の御用のない日は、小原庄助さん見たいに朝湯に入つて、酒の代りに番茶を呑んで、氣の減るほど煙草ばかり吸つてゐるのでした。

たまには黄表紙を出したり、八五郎とヘボ碁も鬪はせますが、何べんも何べんも讀んだ黄表紙が、夢中になるほど面白い筈はなく、八五郎と一局圍んでも、申分なく人間の甘い八五郎に、三番立て投げなどを喰はされては、親分の平次の沽券に拘はるだけのことです。

女房のお靜も、取つて二十三になつた筈ですが、相變らず若々しくて健康で、一日一杯目立たないやうに、靜かに働いてをります。神田明神下の家庭は、靜謐そのものですが、八五郎が時々やつて來ては、頓狂な調子で事件の匂ひを持込み、錢形平次を、靜から動に、隱者のやうな生活から、大波瀾大活躍の舞臺へと誘ひ込むのです。

「第一、元日から大晦日まで、お祭や催し事のない日はなく、何處かに火事があつて、何處かで喧嘩が始まつて」

「物騷なことを面白がるぢやないか」

「その上、女の子が綺麗で料理がうまい、氣に入らないのは、いつでもこちとらの懷中がピイピイだ」

「落がきまつてゐる。――話は、それつきりか」

「今のは枕を振つただけで、話はこれから始まるんですよ」

「フーム」

「山谷の聖天樣、――むづかしく言へば歡喜天樣、――降魔招福、歡喜自在の御利益があるといふ、大した佛樣だ」

八五郎の話には、珍らしく筋がありさうです。

「それが?」

「江戸の喉首、吉原への通ひ路、山谷堀へ緒牙船で入らうといふ左手に鎭座まします、江戸城から見るとこれが鬼門に當る」

「そんなことはどうでも宜い」

「宜かアありませんよ。鬼門除けがあつて、裏鬼門の未申になんにも無いといふのは變だ、――といふので、江戸に吉原を開いた、庄司甚内の子孫、庄司三郎兵衞といふ大金持が、目黒のお不動樣の近くに住んでゐるが、先祖の甚内樣にあやかつて、目黒川のほとりに江戸一番の盛り場を押つ開かうと、先づ自分の屋敷の中に、歡喜天を勸進し、この正月の十五日には、開眼供養とかのお祭があるんださうで、嬉しいぢやありませんか」

「何んにも嬉しいことはないぢやないか、盛り場が増えるのは、女房共の惱みの種だ」

「へツ、女房共の惱みは嬉しいね」

八五郎はチラリとお靜の顏を見て、龜の子のやうに首を縮めました。

「たつたそれだけのことで、お前は江戸が面白くなつたといふのか」

「面白いぢやありませんか、歡喜天といふのは、象の頭で人間の身體の和合神ですつてね。男體は大荒神で、女體は觀音樣の化身、――その聖天樣の像といふのは、天竺傳來の大した御本尊ですぜ」

「――」

「像は子供ほどの大きさで、木像に色をつけたものだが、男體、女體それ/″\の額に夜光の球がはめ込んである、これが大變だ」

「夜光の球なんて、日本にそんなものがあるのか」

「大層な光ださうですよ、灯を側へ持つて行くと眩しいほど、――男體の方のは梅の實ほどで火のやうに光り、女體の方は銀杏の實ほどで青光りする。あつしは見たわけぢやないが、氣味が惡いほどだと言ひますよ」

「フーム」

「最初は、難破して堺の浦に流れついた、異人の船が持つて來たもので、その船の繕ろひや、歸りの路用に困つて、他のいろ/\の品物と一緒に、土地の商人に賣つたものだが、あんまり値段が高いのと、夜なんか不氣味で傍へ置けないので、堺の商人が江戸まで持つて來て、三百兩で賣りに出た品だといふことです」

「三百兩は大したことだな」

その頃の三百兩は、通用價値から言へば、今の三百萬圓以上になるでせう。

「堺の商人はその聖天樣の額の寳珠を、水晶か何んかと思つて、五十兩か三十兩に値踏みしたことでせう。引取つた他の品は、思ひの外高く賣れたから、聖天樣の像は百兩で宜いといふことになり、目黒の庄司三郎兵衞がそれを買ひ、さて見る人に見せて驚きました。この珠は水晶やギヤマンではない、これは夜光の珠と言つて一國一城にも替え難いものだと言はれて、庄司三郎兵衞も膽をつぶし、急に目黒川のほとり、自分の家の後ろに堂を建てて、江戸裏鬼門の聖天樣として、祀ることになつた――と斯んなわけですよ」

それは八五郎が面白がるほどのことか、それとも、大袈裟に傳へられた、市井の雜事の一つか、其處まではまだわかりませんが、兎も角も大きな事件の種らしい匂ひがするのです。言ふ事もなく夜光の珠といふのは、今で言ふダイヤモンドで、梅干大のダイヤが何百カラツトあるか、一寸想像も出來ません。

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