Chapter 1 of 7

「親分、世の中に怪談というものはあるでしょうか」

八五郎はまた、途方もないことを持込んでくるのです。五月も過ぎたある日、青葉によし、初鰹によし、そして時鳥によしという結構な日をぼんやり籠っていると、ときどきはこんな災難にも逢わなければならぬ平次です。

「ケエダン――それはなんだい、まだ食べたことはないが――」

「怪談ですよ、心細いな、こいつは食べるものじゃありません、それ、よく言うでしょう、猫が化けたとか、鼬が屁を垂れたとか」

「それは怪談だろう、着前に言わせると、ケエダンになるから埒が明かないのさ、――世の中のことは順当すぎるよ、借りたものは返さなきゃならないし、家賃は毎月払わなきゃならずとね、――少しは怪談が付き纏っても宜いが、広い江戸にただで住める家はないものかね」

「親分が世帯染みるのは、晦日が近いからだ。頼むからしっかりして下さいよ、まだ二十六日ですよ」

「ところで、その怪談というのはどこにあるんだ」

平次はようやく居住いを直しました。八五郎が持って来た話というのは、妙に心を惹きます。

「左内坂ですよ、早く言えば牛込見付、市ガ谷と言っても宜い、――二、三日前、あの辺をのぞくと、怪談でいっぱい」

「待ってくれ、怪談でいっぱいはおかしいな。誰が手桶でいっぱいの怪談をぶちまけたんだ」

「親分は揚足をとるから叶わない、その辺がケエ談だらけで、足の踏みどころもないとしたら、怪談で一杯でしょう」

「まア聴こうじゃないか、どんな怪談が出たんだ。三つ目小僧か、傘のお化けとか、たいがい怪談話には筋も眷族もあるものだ」

平次と八五郎の話は途方もなく発展して行きます。お静は心得たもので、二人の話に邪魔をしないように、井戸端に避難をして、せっせと洗い物の支度をしております。

「筋もけん族もなく、こいつは変っていますが、笛を吹くと、いきなりフッと髻が切れる、変っているでしょう――」

「何を言やがる」

「近頃これがまた自棄に流行るんだってね――総領は尺八を吹く面に出来、ってね――川柳点にはうまいのがあるよ」

「尺八になんに祟るというのか、こいつは変っているぜ。首を振りながら、あいつを吹く図は、あまり色気のある図じゃないが」

「尺八じゃありませんよ、お神楽笛の横笛なんで、能管でもあることか、ただの横笛ですよ。こいつをヒョロヒョロとやって、左内坂を登り、市ガ谷八幡の境内に入ると、右は長竜寺で、左は茶の木稲荷、淋しいところで」

八五郎は妙に講釈張りになりました。

「それがどうした、いっこうに凄くはないが」

「陽は当っているし、腹はいっぱいだ、どうメリヤスを入れたって、凄くなりっこはありません。精いっぱい、凄いつもりで聴いて下さいな」

「いったい笛を吹いてるのは誰なんだ」

「船河原町の喜三郎ですよ。そう言ったところで親分は知らないでしょうが、こいつは横笛の名人で、篠笛を吹かせては、並ぶ者はないという」

「それがどうしたんだ」

「笛を吹いていると、水を浴びせられたようにゾッとした、――こんなことは滅多にあるものじゃない、振り向いて見ようとしたが、思うようにならない、――もう四方は暗くなっていたそうで、首を返して、茶の木稲荷の境内を覗こうとしたが、それも叶わない、わずかに眼の隅から眺めると、茶の木稲荷の千本格子の前、鈴の緒にすがってこっちを見ているのは、真白な人の姿――ヘッヘッ」

「脅かすなよ、果し眼になると、お前でも怖いぜ」

「――喜三郎は横笛を止すこともできなかった。――憑かれたもののように、吹きに吹いたんだってネ、可哀想に」

「お前の尺八もときどき吹きやまなくなる、あれは憑かれたのかなア」

「違いますよ。隣町のお崎坊が顔を出すと、弾みがついて止らなくなるんで、あっしの尺八は怪談のせいじゃありません」

「お崎坊も怪談と縁のある顔だぜ」

「冗談言っちゃいけません、――ところで肝腎の喜三郎だ、あとで気が付くと髻は切れて、ザンバラ髪、それも知らず笛を吹いていたというから、こいつはまったく凄味たくさんの怪談じゃありませんか」

八五郎の話はそれでお仕舞いでした。

「耳よりな話だ、それで向う三軒両隣が空家になったと言う話が落ちだろう。さっそく俺がいの一番に越すぜ」

平次はまだからかっております。

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