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国語音韻の変遷
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国語音韻の変遷
橋本進吉
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Chapter 3 of 12

一 奈良朝の音韻組織

奈良朝時代の文献の中に、国語の音を漢字(万葉仮名)で写したものを見るに、同じ語はいつも同じ文字で書いているのではなく、種々の違った文字をもって写している。例えば、「妹」という語は「伊毛」とも「伊母」とも「以母」「移母」「異母」「伊慕」「伊茂」「伊暮」とも書いている。同じ語の音の形はいつも同じであったと思われるから(もっとも、活用する語にはいくつかの違った形があるが、それでも、その一つ一つの活用形は、いつも同じ形である)、これを写した万葉仮名は、いろいろ文字が違っていても、皆同じ音を表わすものと認められる。すなわち、当時は、その音(読み方)が同じであれば、どんな文字をもって国語の音を写してもよかったのである。そうして、右の「妹」という語は、二つの文字で書いてあるのを見れば、その音の形は二つの部分から成立っているのであって、その初の部分は「伊」「以」「移」「異」のような種々の文字で書かれ、後の部分は「母」「毛」「慕」「茂」「暮」のような文字で書かれているから、「伊」「以」「移」「異」は皆同じ音を表わす同類の仮名であり、「母」「毛」「慕」「茂」「暮」も、また同じ音を表わす同類の仮名であって、しかも「伊」の類と「母」の類とは、その間に共通の文字が全くない故、それぞれ違った音を表わしたものと認められる。

かような調査を、あらゆる語について行うと、当時用いられた万葉仮名のどの文字はどの文字と同音であるかが見出され、一切の万葉仮名をそれぞれ同音を表わすいくつかの類にわけることが出来るようになる。かような万葉仮名の類別こそ、当時の音韻の状態を知るべき基礎となるものであって、その類の一つ一つは、それぞれ当時の人々が互いに違った音として言いわけ聞きわけた一つ一つの音を代表し、その総体が当時の国語の音韻組織を示すものとなるのである。

さて、かようにして得られた各類の万葉仮名を後世の仮名と対照するとどうなるかというに、前に挙げた「妹」の語は、後世には「いも」と二つの文字で書かれるが、奈良朝においても「伊毛」「伊母」「以母」その他、二字で書かれているのであって、最初の「伊」「以」等の文字は仮名「い」にあたり、次の「毛」「母」等の文字は仮名「も」にあたる。その他の諸語においても同様である。それ故、奈良朝において同音を表わした「伊」「以」「移」等の一類は後世の仮名「い」に相当し、「毛」「母」「慕」等の一類は後世の「も」に相当するのである。もっとも、これは、書かれた文字の上での対応であって、必ずしも奈良朝の「伊」「以」の類の発音が、後世の「い」の発音と同じであるというのではなく、その発音については別に考究すべきであるが、奈良朝において「伊」「以」の類の仮名で写された音が、後世においては「い」で書かれる音になったということだけは疑いない(その間に音の変化はあったか無かったかはわからないが)。これを逆に言えば、後世の「い」の仮名で書かれた音に当るものは奈良朝では「伊」「以」の類で書かれた音であるということが出来る。この場合に「い」は仮名としての「い」であって、イという音そのものを指すのではない。それ故、「ゐ」は後世の発音ではイであって、「い」と区別がないけれども、仮名としては後までも「い」とは別のものと考えられているが、奈良朝においても、「い」にあたる「伊」「以」の類があると共に、また「ゐ」にあたる「韋」「偉」「委」「位」「謂」の類が別にあって、「伊」「以」の類とは別の音を表わしていたのである。同様に、後には同音に発音する「え」と「ゑ」、「お」と「を」の仮名も、それぞれこれに相当するものが奈良朝には別類の仮名として存在するのであって、それらは、それぞれ異なった音を表わしていたと思われる。

かようにして、奈良朝には後世の仮名の一つ一つに相当する四十七の違った音があったことが、その万葉仮名の類別の上から知られるのであるが、仮名には以上四十七のほかになお濁音の仮名があって、清音の仮名と区別せられている。奈良朝の万葉仮名においてはどうかというに、例えば、「まで(迄)」の「で」に当る部分には「弖」「」「田」「低」「※」「泥」「」「提」「代」「天」「庭」「底」等を用い、「そで(袖)」の「で」の部分には「」「弖」「低」「田」「泥」「提」等を用いているのであって、これらの文字を、「て」にあたる一類の文字、例えば「てる(照)」の「て」に当る部分に用いられた「弖」「提」「」「底」「天」、助詞「て」に用いられた「天」「弖」「提」「代」「」「帝」などと比較するに、その間に共通の文字が甚だ多く、到底「て」の類と「で」の類とを区別することが出来ないようであるけれども、仔細に観察すると、「で」に当るものには「田」「泥」「」のような文字があるに反して、「て」に当るものには、かような文字はない。このことは、あらゆる語における「て」と「で」とに当る万葉仮名について言い得ることである。さすれば、「て」は時として「で」と読む場合に用いられると等しく、「て」にあたる万葉仮名は「で」に当る場合にも用いられることがあるが、「で」に当るものには、「て」に当る場合には用いられない特殊の文字を用いる場合があって、この点で両者の間に区別があり、その表わす音にも違いがあったことがわかるのである。「で」以外の清音の仮名と濁音の仮名との場合もまた同様であるから、当時は、後世の仮名において区別せられる濁音の仮名二十に相当する音が清音のほかにあったこと明らかである。

以上、奈良朝において、後世のあらゆる清音及び濁音の仮名に相当する諸音が区別せられていたことを明らかにしたが、なお当時は、後世の仮名では区別しないような音の区別があったのである。

第一は、「え」の仮名に相当するものであって、これにあたる万葉仮名には、

衣依愛哀埃……………(甲)     延曳叡要……………(乙)のような文字を用いているが、奈良朝においては、これらは無差別に用いられているのではなく、「得」「可愛」「榎」「荏」などの諸語の「え」には衣依愛哀埃など(甲)類に属する文字を用いて延曳叡要などを用いず、「兄」「枝」「江」「笛」「越え」「見え」「栄え」「崩え」等の「え」には延曳叡要など(乙)類の文字を用いて(甲)類の文字を用いることなく、その間の区別が厳重である。すなわち、当時は、この二類は、それぞれ別の音を表わしていたのであるが、後世の仮名にはこれを混じて、同じ「え」で表わすようになったものと認められる。

次に「き」の仮名にあたるものも、奈良朝では、

岐支伎妓吉棄枳弃企祇………(甲)     紀記己忌帰幾機基奇綺騎寄貴癸………(乙)などの文字を用いているが、当時は岐支等の類(甲)と紀記等の類(乙)との二類に分れて、「君」「雪」「御酒」「杯」「沖」「切る」「垣」「崎」「翁」「昨日」「清」「常盤」「明」「幸」「杜若」「行き」「蒔き」「分き」「吹き」「着」「来」などの「き」には「岐」「支」の類の文字を用い、「木」「城」「月」「槻」「調」「霧」「新羅」「尽き」「避き」などの「き」には「紀」「記」の類の文字を用いて、他の類のものを用いることは殆どなく、これも、奈良朝においては、それぞれ別の音を表わしていたと思われるが、後世の仮名ではこれを併せて一様に「き」の仮名で表わすようになったのである。そうして、「き」における二類の別に相当する区別は、濁音「ぎ」の仮名においても見られるのであって、奈良朝に用いられた、

藝儀蟻※……………(甲)     疑擬義宜……………(乙)は、共に「ぎ」にあたる文字であるが、それが二類にわかれて、「雉」「我妹」「剣」「鴫」「陽火」「漕ぎ」「凪ぎ」「継ぎ」「仰ぎ」などの「ぎ」には(甲)類に属する文字を用い、「杉」「萩」「柳」「蓬」「過ぎ」などの「ぎ」には(乙)類の文字を用いて、その間に区別がある。そうして、「肝」「衣」の「き」に(甲)類の文字を用いるに対して、「むらぎも」「ありぎぬ」の「ぎ」に(甲)類の文字を用い、「霧」の「き」に(乙)類の文字を用いるに対して、「夕霧」の「ぎ」に(乙)類の文字を用いているのを見れば、「ぎ」に当る二類はちょうど「き」にあたる二類に相当するもので、「ぎ」の(甲)は「き」の(甲)に、「ぎ」の(乙)は「き」の(乙)に当るものであることがわかるのである。

そのほか、「け」「こ」「そ」「と」「の」「ひ」「へ」「み」「め」「よ」「ろ」の一つ一つに相当する万葉仮名においても、同様におのおの二つの類に分れて互いに混同せず、その濁音の仮名「げ」「ご」「ぞ」「ど」「び」「べ」に当るものにおいてもまた同様であって、これらの各類は、おのおの、違った音を表わしたものと考えられる。

以上、奈良朝においては後世の「え」「き」「け」以下十三の仮名、およびその濁音である七つの仮名の一つ一つに相当する万葉仮名がおのおの二つの類に分れて、語によって、そのいずれの類を用いるかがきまっていて互いに混同しないといったのであるが、しかし、厳密に言えば、このきまりには一つの例外もないのではなく、多少の例外は存する。それも、一つ一つの仮名によって、多少状態を異にし、「え」「け」などはただ一、二の例外に止まるが、「そ」「と」などは比較的例外が多く、殊に、奈良朝末期においては相当に多くなっている。しかし、これは全体の数から見れば、甚だ少数であって、決して、二類の区別の存在を否定するものではなく、少なくとも奈良朝前期まではそれの表わす音の区別が意識せられていたであろうと思われる。

かように、万葉仮名に基づいて推定し得た奈良朝時代の国語の音韻はすべて八十七である。その一つ一つを表わす万葉仮名の各類を、その類に属する文字の一つ(ここでは『古事記』に最も多く用いられている文字)によって代表せしめ、且つ後世の仮名のこれに相当するものと対照して示すと次のようである。

阿  あ

伊  い

宇  う

愛┐

├ え

延┘

淤  お

加  か   賀  が

伎┐     藝┐

├ き    ├ ぎ

紀┘     疑┘

久  く   具  ぐ

祁┐     牙┐

├ け    ├ げ

氣┘     宜┘

古┐     呉┐

├ こ    ├ ご

許┘     碁┘

佐  さ   邪  ざ

斯  し   士  じ

須  す   受  ず

勢  せ   是  ぜ

蘇┐     俗┐

├ そ    ├ ぞ

曾┘     叙┘

多  た   陀  だ

知  ち   遅  ぢ

都  つ   豆  づ

弖  て   伝  で

斗┐     度┐

├ と    ├ ど

登┘     杼┘

那  な

爾  に

奴  ぬ

泥  ね

怒┐

├ の

能┘

波  は   婆  ば

比┐     毘┐

├ ひ    ├ び

斐┘     備┘

布  ふ   夫  ぶ

幣┐     辨┐

├ へ    ├ べ

閇┘     倍┘

富  ほ   煩  ぼ

麻  ま

美┐

├ み

微┘

牟  む

売┐

│ め

米┘

母  も

夜  や

由  ゆ

用┐

├ よ

余┘

羅  ら

理  り

琉  る

礼  れ

漏┐

├ ろ

呂┘

和  わ

韋  ゐ

恵  ゑ

袁  を

○以上奈良朝の八十七の音韻を後世の仮名を標準にして言えば、伊呂波の仮名四十七と濁音の仮名二十と、合せて六十七のうち、エキケコソトノヒヘミメヨロの十三と、その中の濁音ギゲゴゾドビベの七つと、合せて二十の仮名は、その一つがおのおの奈良朝の二つの音に相当する故、奈良朝の四十の音にあたり、その他の仮名は、おのおの一つの音に相当する故、すべて四十七の音にあたる。合せて八十七音となる。 奈良朝においては、以上八十七の音が区別され、当時の言語は、これらの諸音から成立っていたのであるが、それでは、これらの諸音の奈良朝における実際の発音はどんなであったかというに、これは到底直接に知ることは出来ないのであって、種々の方面から攻究した結果を綜合して推定するのほかない。それにはこれらの音を表わす為に用いられた万葉仮名が古代支那においてどう発音せられたか(勿論その万葉仮名は、漢字の字音をもって国語の音を写したものに限る。訓によって国語の音を写したものは関係がない)、これらの音が後の時代にいかなる音になっていたか、これらの音に相当する音が現代の諸方言においてどんな音として存在するか、これらの音がいかなる他の音と相通じて用いられたかなどを研究しなければならないが、今は、かような研究の手続を述べる暇がない故、ただ結果だけを述べるに止める。その場合に、奈良朝の諸音を、当時の万葉仮名によって「阿」の音(「阿」の類の万葉仮名によって表わされた音の意味)、「伊」の音など呼ぶのが正当であるが、上述のごとく、当時の諸音は、それぞれ後世の伊呂波の仮名で書きわけられる一つ一つの音に相当するものが多く、そうでないものでも、当時の二つの音が、後の一つの仮名に相当する故、奈良朝の「阿」の音、「伊」の音を、「あ」の仮名にあたる音、「い」の仮名にあたる音ということが出来るのであって、その方が理解しやすかろうと思われるから、そういう風に呼ぶことにしたい。そうして、五十音図は後に出来たものであるけれども、五十音図で同行または同段に属する仮名に相当する奈良朝の諸音は、その実際の発音を研究した結果、やはり互いに共通の単音をもっていたことが推定せられる故、説明の便宜上、行または段の名をも用いることとした。

「あ」「い」「う」「え」「お」に相当する諸音は、大体現代語と同じく、皆母音であってaiueoの音であったらしい。ただし、「え」に相当する当時の音は「愛」の類と「延」の類と二つにわかれているが、そのうち、「愛」の類は母音のeあり、「延」の類はこれに子音の加わった「イェ」(ye、yは音声記号では〔j〕)であって、五十音図によれば、「愛」はア行の「え」にあたり「延」はヤ行の「え」に当る。(このことは、これらの音に宛てた万葉仮名の支那・朝鮮における字音からも、また、ア行活用の「得」が「愛」の音であり、ヤ行活用の「見え」「消え」「聞え」等の語尾「え」が「延」の音であることからも推測出来る。)

以上、「あ」「い」「う」「お」にあたる音および「え」にあたる音の一つは母音から成立つものであるが、その他の音は子音の次に母音が合して出来たものと認められる。まず、初の子音について考えると、カ行、タ行、ナ行、マ行、ヤ行、ラ行、ワ行の仮名にあたる諸音は、それらの仮名の現代の発音と同じく、それぞれk t n m y r wのような子音で初まる音であったろうと思われる。ただし、タ行の仮名の中、「ち」「つ」にあたるものは、現代の東京・京都等の発音とは異なり、「ち」は現代のようなチ(chi、chはチャチョなどの子音で、分解すれば、タの最初の子音tとシの最初の子音shとの合したもの。音声記号では〔t〕)ではなくして、ti(英語・独逸語などの発音。仮名ではティ)であり、また「つ」は現代語のようなツ(tsu、tsはタ行の子音tと、サソなどの子音sとの合したもの)でなくしてtu(独逸語などの発音。仮名ではトゥ)であったと考えられる。またヤ行には、前に述べた「延」の音(ye)が加わり、ワ行には、現代語にない「ゐ」「ゑ」「を」にあたる音(wiwewo)があったのである。

サ行の仮名にあたる音の子音は、決定に困難である。現代語においてはサスセソの子音はsであり、シだけはsh(シャシュ等の子音と同じもの。音声記号では〔〕であるが、方言にはセをすべてsheと発音するものもある。この音を写した種々の万葉仮名の支那古代音もtsで初まるものや、chで初まるものや、sで初まるもの、shで初まるものなどあって、一定しない。それ故、或る人はtsであったとし、或る人はchであったとし、またsあるいはshであったと説くものもある。極めて古くは最初にt音があったかとおもわれるが、奈良朝時代にもそうであったかどうか、決定しがたい。あるいはshで初まる音であったかも知れない。

ハ行の子音は、現代ではhであるが、方言によってはFであって「は」「ひ」「へ」をファフィフェと発音するところがある。更に西南諸島の方言では、p音になっているところがある(「花」をパナ、舟をプニなど)。ハ行の仮名にあたる音を写した万葉仮名の古代漢字音を見るに、皆pphfなどで初まる音であって、h音で初まるものはない故、古代においては今日の発音とは異なり、今日の方言に見るようなpまたはFの音であったと考えられる。音変化として見れば、pからFに変ずるのが普通であって、その逆は考え難いから、ハ行の子音はp→Fと変化したものと思われるが、奈良朝においては、どうであったかというに、平安朝から室町時代までは、Fであったと認むべき根拠があるから、その直前の奈良朝においても多分F音であったろうと思われる。すなわちファフィフゥフェフォなど発音したであろう。そうしてハ行の仮名は、後世では、語の中間および末尾にあるものは「はひふへほ」をワイウエオと発音するが(「いは」「いへ」「かほ」など)、奈良朝においては語のいかなる位置にあっても、同様に発音したものである。

次に濁音の仮名に相当する諸音については、ガ行の仮名にあたる諸音の子音は多分現代の東京・京都等の「がん」「ぎん」「ごく」「げんき」「ぐん」などの「が」「ぎ」「ぐ」「げ」「ご」の子音と同じg音(音声記号では〔〕)であったろうとおもわれる。現代の東京・京都などの「ながさき(長崎)」「くぎ(釘)」「かご(寵)」「すげ(菅)」などの「が」「ぎ」「ぐ」「げ」「ご」の発音に見られるガ行子音ng(音声記号では〔〕)は、当時はなかったのではあるまいかと思われる。

ザ行の仮名にあたる諸音の子音は、サ行にあたる諸音と同じ子音の有声音であろうが、当時の発音は、その清音と同様に未だ決定し難い。ずっと古くは最初にd音を帯びていたかとおもわれるが、奈良朝にはあるいはshの有声音j(音声記号では〔〕)であったかも知れない。

ダ行の仮名にあたる諸音は、現今のダの子音と同じdであった。ただし「ぢ」「づ」は、現今の発音とは異なり、「ぢ」はdi(英語独逸語の発音。仮名はディ)、「づ」はdu(独逸語の発音。仮名はドゥ)であったと認められる。

バ行の仮名にあたる諸音の子音は、現代と同じくbであった。

次に、子音の次に母音がついて成立つ諸音における母音について見るに、奈良朝時代の諸音のうち、その一音が後世の一つの仮名にあたるものにおいては、ア段の仮名に相当する諸音は、現代の仮名の発音と同じくaの母音で終り、イ段ウ段エ段オ段の仮名にあたる諸音も同様にそれぞれiueoの母音で終ったものと考えられる。次に当時の二つの音が、後世の仮名の一つに相当するものの中、「え」にあたる「愛」の音と「延」の音とが、それぞれeとyeであって、ア行のエとヤ行のエとの別に当るものであることは既に述べた通りである。さすればこの二音の別は、五十音では行の違いに当るのである。しかるにその他のものにおいては、必ずしもそうでない。この種に属するものは、これにあたる仮名を五十音図に宛てて見ると左の通り、イエオの三段にかぎられて、ア段とウ段とにはないのである。

き ぎ ひ び み         (イ段)

け げ へ べ め         (エ段)

こ ご そ ぞ と ど の よ ろ (オ段)

これらの仮名が、それぞれ奈良朝の二つの違った音に相当するのであるが、その二つの音に宛てた万葉仮名の漢字音を支那の唐末または五代の頃に出来た音韻表である『韻鏡』によって調査すると、この二つの音の違いは、支那字音においては、転の違いか、さもなければ等位の違いに相当する。転および等位の違いは最初の子音の相違ではなく、最後の母音(またはその後に子音の附いたもの)の相違か、または、初の子音と後の母音との間に入った母音の相違に帰するのである(例えばkopoの類とkpの類との差、またはkiapiaとkapaとの差など)。奈良朝の国語における二つの音の相違を、漢字音における右のような相違によって写したとすれば、当時の国語における二音の別は、最初の子音の相違すなわち五十音ならば行の相違に相当するものでなく、母音の相違すなわち五十音の段の相違か、さもなければ、直音と拗音との相違に相当するものと考えられる。それでは実際どんな音であったかというに、諸説があって一定しないが、しかし、一つの仮名に相当する二音の中、一つだけはその仮名の現代の発音と同じもので、すなわち、イ段の仮名ならばiで終り、エ段ならばe、オ段ならばoで終る音であることは一致している。他の一つについては右の-i-e-oに近い音であることは一致しているが、あるいはこれに近い開音(それよりも口の開きを大きくして発する音)-I-ε-であるとし(吉武氏)、あるいはこれに近い中舌母音(舌の中ほどを高くして発する音)であるとし(金田一氏)、あるいは、母音の前にwの加わったワ行拗音-wi-we-woであるとし、あるいは、イ段エ段では母音の前にy(音声記号〔j〕)の加わったヤ行拗音-yi-yeであるとし、オ段では中舌母音-であるとする説(有坂氏)などある。私もイ段は-iに対して-i(は中舌母音)、エ段は-eに対して-iまたは-e(は英語にあるような中舌母音)、オ段は-oに対して中舌母音であろうかという仮定説を立てたが、まだ確定した説ではない。

以上述べた所によれば、奈良朝における諸音の発音は、これに相当する仮名の現代における発音に一致するものが甚だ多いのであって、これと異なるものは「ち」「つ」「ぢ」「づ」およびハ行の仮名に相当するものであり、サ行およびザ行の仮名にあたるものも、或るは現代の発音と違っていたかも知れない。当時の音で、現代普通に用いられないものはヤ行のエにあたるye、ワ行の「ゐ」「ゑ」「を」にあたるwiwewoであり、「ぢ」「づ」と「じ」「ず」とは、現代語では普通発音の区別がないが、奈良朝には、おのおの別々の音であった。「き」「け」「こ」「そ」「と」「の」「ひ」「へ」「み」「め」「よ」「ろ」および「ぎ」「げ」「ご」「ぞ」「ど」「び」「べ」の十九の仮名の一つ一つにあたるそれぞれ二つの音は、一つは現代語におけると同じ音またはこれに近い音であるが(ただし「ひ」「へ」の子音は現代語と違い、「そ」「ぞ」の子音も現代語とちがっていたかも知れない)、他の一つは、これに近いがそれとは違った(現代の標準語には普通に用いられない)音であった。

以上のように奈良朝においては、現代よりは音の種類が多かったのであるが、しかし、それはいずれも短音に属するもので、「ソー」「モー」のような長音に属するものはない。またキャシュキョのような拗音に属するものは多少あったかも知れないが、その数も少なく、また性質も違っていたかも知れない。「ン」のような音や、促音にあたるものもない。またパ行音もなく、行音(ngで初まる音)も多分なかったであろう。ただし、以上述べたのは、当時、おのおの別々の音として意識せられ、文字の上に書きわけられているものの正式な発音であって、実際の言語においてはそれ以外の音が絶対に用いられなかったのではない。現に、「蚊」のごとき一音の語が、今日の近畿地方の方言におけるごとく「カア」と長音に発音せられたことは奈良朝の文献に証拠がある。けれども、正常な言語の音としては、以上のごときものであったろうと思われる。

Chapter 3 of 12
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