Chapter 1 of 6

一 希臘テルモピレーの温泉

「旅人よ、ラコニヤ人に告げよ。我等は其の命に從ひて此處に眠れりと」これはスパルタ國王レオニダスが紀元前四八〇年、寡兵を以てマケドニヤの強敵と戰ひ、テルモピレーの險に其の屍を埋めた戰場に立てられた記念の碑銘であつたことは、苟も希臘史を學んだものは記憶するであらう。併し此のテルモピレーが温泉の湧出地であることは、往々にして注意せられないかも知れない。「テルモ」は「熱い」と言ふ義であり、「ピレー」は門の意であれば、テルモピレーは即ち熱門とも譯す可きで、オエタの山がマリオコス灣に逼つて、ロクリスからテスサリヤに入る道が丁度此のテルモピレーの險阻を過ぎるのである。レオニダスの時より二千五百年の星霜を經て、桑田碧海の變と言ふ程では無いが、地形の變化は此のテルモピレーも埋められ、嶮崖は海岸線から稍々遠く距つて、緩傾斜になつて仕舞つた。併し名に負ふ温泉は、今も華氏百〇四度の温度を保つて硫黄泉として存在して居る。其の水の色は青緑色の海水の如く、「キトロイ」と稱する陶槽を用ゐて此地の住民が之を利用して居つたことは、紀元一世紀の「希臘のベデカー」であつたパウサニアスが夙に記して居る處である。私は二ヶ月の希臘旅行中、此のテルモピレーを訪ね得なかつたことは、最も殘念に思つた處の一であつて、ケロニヤから南下する時にテスサリヤの山を望んで幾度か嘆息した所であつた。

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