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イーリアス 03 イーリアス
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Chapter 7 of 24

第七歌

アテーネーとアポローンの二神戰を終らんがためヘクトールを促し、敵の最勇者に一騎討を挑ましむ。 アカイアの勇將九人應じて立てる中、籤によつてテラモニデース、アイアース撰に當る。 兩雄の勇戰。 夜に到りて中止、アガメムノーンの陣に食事の後ネストール休戰して屍體を焚かんとす、又城壁と塹濠とを設けしむ。 トロイア軍にアンテーノール和議を提出しヘレネーを返さんとす、―パリス反對す。 翌日プリアモス使をアカイア陣に送る。 談判成らず。 兩軍屍體を葬る。 アカイア軍土工を起す。 海神ポセードーン怒る。 兩軍眠る間雷鳴はげし。

しかく陳じて城門を急ぎて出づるヘクトール、

弟アレクサンドロス之に伴ふ、兩將は

情念切に激烈の奮戰苦鬪こゝろざす。

譬へば水夫海上に善く琢かれし楫使ひ、

波浪の上を長く漕ぎ疲勞に四肢の弱る時、5

神憐みて順風を望める彼に惠むごと、

しかく二將は待望のトロイア勢に現はれぬ。

其時パリス打ち取るは*アレーイトオス王の息、

アルネーに住むメネスチオス、父は巧みに矛使ふ、

目は牛王のそれに似るプュロメヅウサは彼の母。 10

エーイオニュウス黄銅の甲戴く其へりの

下に其頸鋭刄の槍に貫くヘクトール。

ピポロコスの子*グラウコス、リキエー軍に主たる者、

亂軍中に槍投げて、デキシアデース、イーピノス、

速き戰車に飛びのれる彼の肩射て貫ぬけば、 15

眞逆に戰車より地上に落ちて息絶えぬ。

8 VIII 137.13 第六歌の二二九。

斯く猛烈の戰にトロイア諸將アルゴスの

軍を破るを眺めたる藍光の目のアテーネー、

ウーリュンポスの頂を降り聖なるイリオンに

着きぬ。其時ペルガモス丘上高くアポローン、 20

神女を眺め、トロイアの戰勝願ひ降り來つ、

二神斯くして樫の木の傍互に相向ひ、

銀弓の神アポローンまづ口開き宣んし曰ふ、

『クロニーオーン、雷霆の神の息女よ、新なる

何等の思念切にしてウーリュンポスをおり來しや? 25

戰運決しアカイアに勝利を惠むためなりや?

ああ亡び行くトロイアの運命、君は憐まず。

さはれ君もし諾はばその事遙かに善かるべし、

今日はしばらく兩軍の戰爭こゝに止めしめよ、

後日再び奮鬪を初めて遂にトロイアの 30

亡滅あらむ、此都城破壞し去るは、君及び

他の諸の神明の心に協ふことなれば』

藍光の目のアテーネー其時答へて彼に曰ふ、

『しかあらしめよ、勁箭を遙かに飛ばす君―われも

同じ思にトロイアとアカイア陣のたゞ中に 35

來りぬ、さはれいかにしてこの戰鬪をとゞむべき?』

ヂュウスの神子アポローンその時答へ陳じ曰ふ、

『戰馬を御するヘクト,ルの勇氣を奮ひ起たしめよ、

彼はアカイア陣中の勇士に挑み、まのあたり、

戰慄すべき戰を一人と一人決すべし、 40

黄銅鎧ふアカイアの軍勢はたまたいきどほり、

猛きヘクト,ル敵とする一人の勇士勵さむ』

藍光の目のアテーネー其言聞きてうなづきぬ。

しか計らへる二位の神、神意悦ぶ計らひを

王プリアモス生める息*ヘレノス胸に感知して、 45

行きて英武のヘクトール訪ひて向ひて陳じ曰ふ、

『王プリアモス生める息、智は神に似るヘクトール、

君と我とは同じ胞、君今我に聽くべきか?

トロイア及びアカイアの軍勢ひとしく坐らしめ、

アカイア勢の中にして至剛の者を君挑め、 50

戰慄すべき決鬪に來りて我と戰へと。

死の運命は未だなほ君に到らず、しかくわれ

天上不死の神靈の聲を正しく聞き取りぬ』

45 VI 76.

しか陳ずればヘクトール聞きておほいに歡喜しつ、

陣中行きて其槍のもなかを握り、トロイアの 55

すべての部隊おし留む、衆は即ち地に坐しぬ。

黄銅鎧ふ自方をばアガメムノーン坐せしめぬ。

藍光の目のアテーネー、銀弓の神アポローン、

兩軍眺め喜びて、アイギス持てる天王の

聖なる樫の樹の上に、身を*猛禽の形にして、 60

坐せばトロイア、アカイアの兩軍おの/\密集の

部隊をなして地に坐しぬ、盾と兜と槍並めて。

60 神々の變形、XIV 290, XIII 62 にも。

あらたに起るゼピュロスの氣息巨海にかかる時、

下に海潮その爲めに黒むが如き樣見せて、

アカイア及びトロイアの兩軍共に原上に 65

坐せり。其時ヘクトール間に立ちて宣し曰ふ、

『われに聞けかし、胸中の心の命を今曰はむ、

トロイア勢よ、脛甲の善きアカイアの軍勢よ。

高き位のクロニオーンわが*盟約を遂げしめず、

禍難心にたくらみて、こを兩軍に課せんとす。 70

やがて汝等壁高きトロイア城を奪はんか、

或は汝等水軍のほとりわれらに敗れんか。

全アカイアの軍勢の諸將汝の軍にあり、

其中一人其心わが敵たるを望むもの、

こゝに來りてヘクトールわれと勝敗決せずや? 75

今われ宣んす、わが言の證者たれかしクロニオーン!

若し黄銅の鋭刄に我を倒さば、わが武具を

剥ぎ取り之を水軍の中に持ち去れ、然れども

われの屍體は返すべし、かくてトロイア城中の

男女ひとしくわが死屍に火葬の禮を行はむ。 80

若しアポローン光榮を我に與へて、我彼を

打たば*武裝を剥ぎ取りて聖イリオンに運び行き、

神、銀弓のアポローン祭る祠堂に掲ぐべし、

而して死屍は汝等の水師の中に返すべし、

さらば長髮のアカイアの衆人之を葬りて、 85

*ヘレースポントス廣原のほとりに墓を築くべし。

さらば將來生るべき人のあるもの、舟にのり、

暗緑そむる大海を漕ぎめぐりつゝ見て曰はむ、

「こは古の遠き日の人の墳塋、すぐれたる

彼を光榮のヘクトール戰ひ勝ちて倒しぬ」と。 90

かくこそ曰はめ、かくありて我が名聲は亡ぶまじ』

69 IV 64―72 參照、本篇 69―72 を後世の添加とするはリーフ。又曰く先に III に於てメネラオスとパリスとの決鬪あり、而してトロイア軍の盟約の破壞あり、今また再度の決鬪は詩作上一貫の道に非ず、IIIよりも本篇は古き作なるべし云々。82 鹵獲の武具を神に捧ぐるは古來の習。86 廣き意味に於ての。

しか宣んすれば默然と衆人共に鳴靜む。

其挑戰を拒まんは恥辱、うくるは身の危難、

やがて勃然メネラオス身を振り起し、憤慨の

吐息もあらく衆人を罵詈の言句に叱り曰ふ、 95

『ああ嗚呼汝ら大言者、汝ら今はアカイアの

男兒に非ず、婦女子のみ、ダナオイ族の一人も、

彼ヘクト,ルに向はずば何ら無上の屈辱ぞ!

ああああ汝悉く*水と土とに成りはてよ、

汝ら全く譽なく皆茫然とこゝに座す。 100

いざ今彼に向ふべく武裝を我は整へむ、

勝敗いづれ、天上のたゞ神明の旨にあり』

99 咒詛の意を包む、「空しく元の水土に歸せよ」此罵詈の言メネラオスに相應せず、全軍は彼のヘレネーの故に惱む。

しかく宣んしてメネラオス華麗の武具を身に裝ふ。

ああメネラオス! その時にアカイア諸王立ちあがり、

なんぢを止め、更にまたアガメムノーン自らも、 105

汝の右の手を取りて汝に叫ぶなかりせば、

汝の命はヘクト,ルの手中に遂に落ちつらむ。

トロイア名將ヘクトール、はるかに汝の上にあり。

アガメムノーン叫び曰ふ、『汝狂へり、メネラオス、

その狂何の要もなし、扣へよ怒はげしとも、 110

汝に優る英豪に敵し戰ふこと勿れ、

プリアミデース・ヘクトール、彼を諸將は皆恐る、

ペーレーデース・アキリュウス遙かに汝に優るもの、

それすら恐るヘクトール、彼に敵すること勿れ、

汝今行き友軍の間に汝の席占めよ。 115

アカイア軍は敵すべき他の勇將を起たしめむ。

其者誠に勇にして戰つねに飽かずとも、

凄き兵亂、恐るべき挌鬪逃れ出でん時、

*思ふに彼は喜びて疲勞の膝を息ませむ。』

119 ヘクトールと戰ひ生還せば幸ならむ。

アガメムノーンかく宣し、その愛弟を説き諭す、 120

理の當然にメネラオス聽けり、その時喜びて

彼の肩より戰裝を從者ら共に解きおろす、

ついで老將ネストール立ちてアカイア軍に呼ぶ、

『ああああ悲し、*大哀はアカイア軍に降り來ぬ。

ああ汝等ヘクト,ルを恐れ震ふを耳にせば、 125

いかに嘆かんペーリュウス、騎馬の老將すぐれたる

ミルミドネスの評定者、また辯論者、そのむかし、

*其館中に我に問ひ、アルゴス族の血統と

素生を聞きて喜べるああかれ老雄ペーリュウス、

高く手を擧げ神明に祈り求めん、魂魄の 130

肢體を離れ暗深き冥王の府に落ち行くを。

ああわが天父クロニオーン、又アテーネー、アポローン、

むかしペーアの城壁のほとり、急流ケラドーン、

又*ヤルダノス岸上に*ピュリオイ族と槍使ふ

アルカデス族戰ひし、其時我は若かりき。 135

其日眞先に戰ひて猛勇神の如くなる

*エリュウタリオーン穿ちしはアレーイトスの着し武裝。

アレーイトスは戰爭に弓を用ゐず、長槍を

使はず、獨り鐵の矛揮ひて敵の堅陣を

破るが故に人々は、帶美はしき女性まで、 140

矛の勇士と綽名しき。アレーイトスを勇將を

力に因らず計略に因り、狹隘の道の上、

打ち倒せしは*リュコルゴス、そこには彼れの鐵の矛、

彼の破滅を救ひ得ず、不意に襲ふてリュコルゴス、

槍もて腹部貫けば彼れは地上に打ち斃る、

かくて軍神アレースの賜へる鎧剥ぎ取りつ、

その後つねに戰亂の場に其武具身に着けつ、

やがてさしものリュコルゴスその殿中に老いし時、

エリュウタリオーン愛臣に之を讓りて穿たしむ。

之を穿ちて傲然とあらゆる勇士挑みしも、 150

勇士等共に恐ぢ震ひ彼に抗するものあらず。

其時衆中年齡に於て最も若かりし

我奮然と進み出で、かの勇將に手向へる

戰の果、光榮をわれに賜へりアテーネー、

躯幹最も大にして、勇氣最も勝れたる 155

彼はわが手に倒されて大地の上に身を延しぬ。

其時の如我れ若く勇力今に續き得ば、

堅甲光るヘクト,ルに忽ち向ひ戰はむ。

汝らアカイア全軍の中の至剛と誇るもの、

汝ら立ちてヘクト,ルと戰ふことを敢てせず』 160

124 I 254.128 ネストール先にペーリュウスの舘に來りアキリュウスを訪ひトロイアに向はしめき。(XI 765)134 ヤルダノスはセミチク起原ヨルダンと同じ。134 ネストールの族。137 矛の勇士アレーイトスをリュコルゴスは倒して其鎧を奪ひ後之をエリュウタリオーンに讓る。其エリュウタリオーンをネストール打ち取る143 六歌一三〇のと同名異人。

老將しかく罵れば勇將九人立ち上がる、

眞先きに早く衆の王アガメムノーン身を起し、

次にチュウヂュウス生みなせるヂオメーデース、又次に

勇氣飽く迄逞しき同名二人アイアース、

彼らの後にイドメネー、また彼の友英豪の 165

メーリオネース、其勇はアレース神に似たるもの、

*ユウリュピロスは之に嗣ぐ、ユウアイモーン生める息、

つづくは*トアス、其父はアンドライモーン、また次に

神明に似るオヂュシュウス、みなヘクト,ルと戰はん。

167 II 638.168 II 736.

ゲレーニャ老將ネストール其時彼らに告げて曰ふ、 170

『何人撰に當るべき? そを籤に因り決めしめよ。

善き脛甲のアカイアの全軍彼を喜ばむ。

彼また自ら心中に深く喜悦を感ずべし、

凄き兵亂、恐るべき挌鬪逃れ出でん時。』

しか宣んすれば諸將軍おのおの籤に記號附け、 175

アガメムノーン總帥の兜の中に之を入る。

その時衆は高らかに其手を擧げて大空を

仰ぎ、各神明に祈願捧げて陳じ曰ふ、

『神、願くはアイアース、ヂオメーデース、あるは又

黄金富める*ミケネーの王に此籤落ちしめよ』 180

180 アガメムノーン。

衆は斯く曰ふ、ゲレーニャの老將兜打振れば、

籤は兜の外に出づ、正しく衆の望むもの、

アイアースのそれ、傳令使即ち之を手に取りて、

右より始め順々に諸將のもとを巡り行く。

アカイア陣中他のものは之を認めず、こを知らず、 185

かくてあまねく經りて、末アイアース其籤に

記し兜に投じたる勇士のもとに到るとき、

アイアース手をさしのぶる、使者近よりて其籤を、

渡せば*記號認め得て勇將軍そゞろ歡喜しつ、

脚下に之を地に投じ衆に向ひて叫びいふ、 190

189 これに因らば當時文書の術あることは明かならず。 VI 168 と矛盾す。以上はある評家の説なれど此場合は記合を用ゐるが正當なり。

『見よや同僚この籤を! 嬉し正しく我の者、

『我は正しく大豪の彼ヘクト,ルに打ち勝たむ。

さはれ今我戰裝を着くる間にわがために、

クロニオーン雷霆の神に祈願をたてまつれ、

聲をな立てそ、トロイアの軍勢之を聞き取らむ、 195

否、公然と曰ふもよし、我何ものも恐れねば。

何もの敢て勇力にはた計略に意のままに、

我を敗らむ、サラミスに生れ育ちしアイアース、

我甘んじて敗れむや! われ戰術に暗からず。』

しか陳ずれば雷霆のクロニオーンに祈りつゝ、 200

アカイア軍勢天上を仰ぎてかくも叫び曰ふ、

『イデーの嶺にまつらへる至上至高のクロニデー!

勝利並びに光榮を賜へ、われらのアイアスに。

さはれ等しくヘクト,ルを愛さば共に兩雄に

賜へ、等しき勇力を、賜へ等しき光榮を』 205

然く衆軍祈るまに黄銅光る鎧着つ、

武具一切を身のめぐり整へ了るアイアース、

さながら巨大のアレースの進むが如く驅けいだす、

雷霆の神クロニオーン荒き戰果すべく、

命じ進むる諸の勇士の中に軍神の 210

進むが如くアカイアの堅き城壁アイアース、

大身の槍を打ち揮ひ、顏面凄く笑浮べ、

歩武堂々と軍勢の中より立ちて馳け出づる――

その勇猛の姿見てアカイア軍は歡喜しつ、

トロイア軍は戰慄の肢體めぐるを禁じ得ず。 215

ヘクトールなほ心臟の鼓動高まる、然れども

挑戰われより初むれば逃避するを得べからず、

はた退きて同僚の隊伍の中に混じ得ず。

近きに迫るアイアース、巨塔に似たる盾を取る――、

牛七頭の皮重ね、更に其上黄銅を 220

張りし大楯、*ピュレーの地住める名匠チュキオスの

精を盡して彼のため造りしところ、燦爛の

光を放つ黄銅は第八層を成せる盾、

其盾胸の前にしてテラモニデース・アイアース、

近く英武のヘクト,ルに迫り威嚇の言放つ、 225

221 ボイオーチアーの一市。(II 800)

『知れ明かに、ヘクトール、威は獅子王の如くして、

敵の軍陣打ち碎くアキルリュウスを外になほ、

アカイア陣中剛勇の將軍こゝに數あるを。

ああアキリュウス、彼は今潮に浮ぶ曲頸の

船中殘り衆の王アガメムノーンに憤る。 230

汝を敵に戰はんわが同輩は數多し、

起て今汝、いざわれと戰ひ、勝負決すべし』

堅甲光るヘクトールその時答へて彼にいふ、

『神より生れしアイアース・*テラモーニオス、衆の將、

戰鬪の技覺えなき弱き小兒を見る如く、 235

或は女性見る如く我を侮ること勿れ、

我れ戰鬪の技を知り善く殺戮の技を知る、

我れ牛革の大楯を右に左に打振りて、

常勝の威を振ふべく勇み戰ふ技を知る、

我れ迅速の馬の驅る兵車の上の馳驅を知る、 240

我れ健脚を踏み鳴らすアレース神の舞踏知る、

されどさすがの勇猛の汝を我は埋伏の

途には打たず、打つべくばわれ公に戰はむ』

234 テラモニデースに等し。

しかく叫びて影長く曳く大槍を打ち飛ばし、

革七重の恐るべきテラモーンの子の盾に當て、 245

まづ貫ぬくは外の端、第八枚の黄銅皮、

鋭き槍は六枚の革つんざきて内に入り、

第七枚に觸れて止む。やがて續きておのが順、

神より生れしアイアース影長く曳く槍飛ばし、

プリアミデース・ヘクトール持つ圓楯に打ち當てつ、 250

その燦爛の大楯を鋭き槍は貫ぬきて、

巧窮むる胸甲の裏をかきつゝ進み入り、

利刄は更に脇腹のかたへに被服つんざきぬ。

敵はその時身をそばめ死の運命を免がれぬ。

ついで兩將手を延して各々槍をぬきとりつ、 255

奮然として彼と此互に襲ひ、生肉を

食ふ獅子王見る如く、暴べる野猪を見る如し。

プリアミデース敵將の盾のもなかを槍あげて、

突けど黄銅貫かず、鋭刄脆く先曲る。

今奮進のアイアース、敵の盾打ち猛然と 260

貫き通しヘクト,ルを勇み乍らもよろめかす。

見よ鋭刄は彼の頸觸れて鮮血迸る、

堅甲光るヘクトールされど戰鬪まだ止めず、

數歩すざりて路の上其目に觸れし巨大なる

黒き巖石逞しき腕に取り揚げ振り飛ばし、 265

アイアス持てる七重の盾を目がけて投げつけつ、

盾のもなかの浮彫を打てば鏘然鳴りひゞく、

續いてやがておのが順、更に一層のおほいなる

石振り上ぐるアイアース、怪力こめて打ち當てつ、

碾臼の石見る如き巨大の打撃盾碎き、 270

盾に潰され打たれたる敵將の膝疵つけて、

身を仰向きに倒れしむ、アポローン之を引き起す。

ついで兩將劔を取り互に迫り近きて、

打たんずる折、神明と人との使、彼と此、

トロイア及び黄銅を鎧ふアカイア軍勢の 275

中より來るイダイオス、タルチュビオスも細心に。

兩使即ち兩將の間に笏をさし入れつ、

忠言馴るるイダイオス知慮ある使者は宣し曰ふ、

『汝等二人戰をやめよ、爭ふこと勿れ、

汝等共に雷霆のクロニオーンのめづる者、280

汝等共に勇猛の戰士、われ等の知る處、

夜は來れり其命に因りて休むを善しとせむ』

テラモーニオス・アイアース其時答へて彼に曰ふ、

『汝の言に答ふべくヘクト,ルに曰へ、イダイオス、

わが軍陣の諸勇士にまづ挑みしはヘクトール、 285

彼ははじめに答ふべし、彼從はゞ從はむ、』

堅甲光るヘクトール其時答へて彼に曰ふ、

『ああアイアース、神明に長躯と智慮と勇武とを

合はせ惠まれ、アカイアの中に無双の名槍手、

けふの奮戰挌鬪を是迄に留め引き分けむ。 290

後日新にまた汝敵としわれは戰はむ、

神明二者を相判じ、勝をひとりに賜ふまで。

夜は來れり、其命に因りて休むを善しとせむ。

斯くして汝水軍のかたへ、アカイア全軍を――

特に汝の朋友とめづる同僚慰めむ。 295

プリアモス王司どる、城壁の中われも亦、

歸りトロイア軍勢と長く裾曳く女性らを

喜ばすべし、わがために祈らむ彼等神殿に。

別れに臨み贈答のすぐれし品を換へしめよ、

然かせばアカイア、トロイアの各人やがて斯く曰はむ、 300

「心を碎く憤激に因りて彼等は鬪へり、

されども後に和ぎて友誼結びて別れたり」』

しかく陳じて銀鋲を打てる長劔、その鞘と

合はせて更に、精巧の革帶加へ與ふれば、

こなた勇武のアイアース紅燦爛の帶贈る。 305

かくて兩將別れ去る、彼はアカイア軍陣に、

これはトロイア友僚の中に。――友僚恙なく

テラモーニオス・アイアスの勇武の手より免れて、

生きて歸れる彼を見つ、その安全を期せざりし

衆は歡喜の情に滿ち、彼を城裏に導きぬ。 310

脛甲堅きアカイアの軍勢こなたアイアスを、

勝を喜ぶ總帥のアガメムノーンに連れ來る。

*アートレ,デースの陣營に彼ら斯くして着ける時

アガメムノーン衆の王、彼らのために雷霆の

クロニオーンに牲として*五歳の牡牛奉る。 315

即ちこれが皮を剥ぎ、これを調理し四肢分ち、

巧みに肉を切り割きて串に貫き火にかざし、

心用ゐて善く炙り、炙りて火より取り出す。

調理の技の了る時、宴の準備の終る時、

衆はおのおの食に就き、皆平等に飽き足りぬ。 320

されどもひとりアイアース受けしは脊筋長き切れ、

アガメムノーン、民の王、彼の譽にこを與ふ。

かくて衆人口腹の慾を飽く迄滿たす後、

ゲレーニャ騎將ネストール―評議の席に至上なる―

彼今先に忠言を試みんとし立ち上り、 325

思慮を豐かに慇懃に彼らに向ひ陳じ曰ふ、

313 第七歌後半の初まり。315 II 403―405 參照。

『アートレ,デース及び他の全アカイアの諸將軍、

見よ長髮のアカイアの衆人亡び、鮮血は

スカマンダロス奔流のほとり、アレース軍神に、

無慚に蒔かれ、魂魄は冥王の府に沈み去る。 330

されどあしたの曉にアカイア軍を休ましめ、

我一齊に集りて牛また騾馬に痛むべき

屍體をこゝに運ばしめ、かくして之を水陣の

近くに燒かん、しかすれば他は故郷に歸る時、

彼等可憐の子息らに其白骨を頒ち得む。 335

更に火葬の場近く土を原頭集め來て、

すべての爲めに墳塋を、又速かに其そばに、

船舶及び軍勢の禦ぎに壁を築くべし。

又堅牢の諸の門を設けて、其中に

戰馬の通る一條の道をおのおの開くべし、 340

壁をりて外傍に塹濠深く穿つべし、

かくせば軍馬軍勢を外に停むることを得む、

荒び高ぶるトロイアの戰禍襲ふを防ぎ得む』

しか宣んすれば一齊に諸將は之に贊し聽く。

こなたトロイア衆族の會は恐ろし、かまびすし、 345

王プリアモス司どるイリオン城の門のそば。

アンテーノール思慮深く其時衆に宣んし曰ふ、

『*トロウエス又ダルダノイ、また援軍も我に聞け、

わが胸中の心肝の命ずる儘に我曰はむ、

急ぎて起ちてアルゴスのヘレネー及び其資財、 350

アートレ,デースに引き渡せ、我軍今は誓約を

破りてこゝに戰へり、其誓約を果さずば、

わがトロイアの陣中に何らの好事望み得ず』

348 トロイア人。(複數)

しかく宣んして坐に着けば、續いて立てり鬢毛の

美なるヘレネー妻とする美貌のアレクサンドロス、 355

彼に答へて怫然と羽ある言句陳じ曰ふ、

『アンテーノール! 君の言、われの喜ぶものならず、

これより優る他の言句、君は宣ぶべき術を知る、

今曰ふ處眞實に述べりとなすや? さもあらば

神明君の分別を定めし奪ひ去りつらむ。 360

馬術巧みのトロイアの諸軍に我は今曰はむ、

其まのあたり我曰はむ、わが妻敵に返さずと、

さはれかの時アルゴスの地より、我家に齎らしし

資財は彼に返すべく更に我のも附け足さむ』

しかく陳じて坐につけば、續きてたてりトロイアの 365

ダルダニデース・プリアモス聰明神に似たる者、

思慮をこらして慇懃に衆に向ひて陳じいふ、

『トロウエス又ダルダノイ、又援軍もわれに聞け、

わが胸中の心肝の命ずる儘に我曰はむ、

例の如くに城中に歸りて今まづ食を取れ、 370

而して守備を心して其警戒を解く勿れ。

明くるあしたにイダイオス敵の水軍さして行き、

アガメムノーン、メネラオス二將に面し、今パリス

陳ずるところ傳ふべし、ああかれ戰禍の基なり、

使者また思慮の言述べん、敵人之に應じ得ば、 375

叫喚怒號の戰をしばらく止めて、戰場の

屍體を燒きて其後に更に新たに戰はむ、

神明二軍を相判じ勝を一方に惠む迄』

しか宣んすれば衆人は耳傾けて聽き贊じ、

次に部隊に相別れ各々夜の食を取る。 380

あくるあしたにイダイオス使となりて、アカイアの

水陣を訪ひ、アレースに仕ふる諸軍もろともに、

アガメムノーン總帥の舟のめぐりに集るを見る、

其集團の中にたち使者大音に叫び曰ふ、

『アートレ,デース及び他の全アカイアの諸將軍、 385

聽けプリアモス及び他のトロイア諸將命下し、

われに曰はしむ(其言を願はく諸君贊せずや?)

言は正しくパリスの語(彼は禍難の基なり)

いにしへアレクサンドロス其舟中にトロイアに

持ち歸りたる財寶を(其前死せば善かりしを) 390

皆悉く返すべく、更におのれの財足さむ、

たゞ光榮のメネラオス王の正妃は返し得ず、

パリス斯く曰ひ、トロイアの諸人の諫止きき入れず、

更にかれらの曰ふ處傳へて我は陳ずべし、

叫喚怒號の戰をしばらくやめて、戰場の 395

屍體を燒きてやがて後、神明二軍を相判じ、

勝を一方に惠む迄戰ふことを欲せずや?』

しか宣んすればアカイアの全軍鳴りをしづめ聞く、

中に憤然立ちあがるヂオメーデース叫び曰ふ、

『今何人もパリスより、財寶或はヘレネーを 400

得ること勿れ、トロイアに破滅の運の迫れるは、

すでに明か、聰明を缺ける者すら皆知らむ』

しか陳ずればアカイアの全軍共に聲あげて、

贊し、馬術に巧なるヂオメーデースの言に聽く。

アガメムノーン斯くと見てイダイオスに向ひ曰ふ、 405

『汝自ら、イダイオス、聞けりアカイア族の言、

彼らの答、今聞けり、我が意も、是と相同じ。

さはれ屍體に關しては我は火葬を拒むまじ、

生命すでに亡びたる死者に對して何人も、

火葬によれる迅速の靈の慰藉を拒むまじ。 410

雷霆の神クロニオーン、我がこの誓聞し召せ』

しかく宣んして神明に向ひて笏をさし上げぬ。

かなた使のイダイオス、トロイアさして歸り去る。

トロウエス又ダルダノイ其衆共に一齊に、

集議の席に坐を占めて使者の歸を待てる時、 415

歸り來れるイダイオス、彼らの中に立ち乍ら、

齎らし來る使命述ぶ。衆人之に從ひて、

屍體を運び薪材を求むる業の用意しつ。

同じくかなたアカイオイ、急ぎ水師を立ち出でて、

死體或は薪材を運ばんためにいそしみぬ。 420

滉瀁として靜かなるおほわだつみを昇り來る

日輪天に耀きて光大地に觸るる時、

トロイア・アカイア兩軍は又原頭に相會す。

血汐にまみれ汚されて、面貌分くるよしもなき

死屍におの/\水灑ぎ、洗ひてかくて兩軍は 425

熱き涙を潜然と流し車上に之をのす。

さはれ偉大のプリアモス號泣するを禁ずれば、

默々として炎々の火上に屍體積みて泣き、

火葬を終へて神聖のイリオンさして歸り行く。

同じくかなた堅牢の脛甲つくるアカイオイ、 430

心傷めて炎々の火上に屍體積み上げつ、

火葬終りて中廣き軍船さして歸り行く。

その夜深更、空おぼろ、曉光未だ出でぬ前、

火葬の場の傍に立てるすぐれしアカイオイ、

原頭、土を運び來てそこに一つの共同の 435

墳墓を築き、更にまた其傍に長壁と

高塔造り、兵船と軍勢共に防がしめ、

中に堅固に組み立てし諸門を設け、門内に

戰車驅るべき道備へ、また長壁を取りまきて、

其外端に幅廣く水量深く、おほいなる 440

塹濠穿ち、濠中にあまたの杙を植えつけぬ。

毛髮長きアカイアの軍勢かくもいそしみぬ。

電光飛ばすクロニオーン・ヂュウスのかたへ坐を占むる

諸神これらのおほいなる作業見おろし驚きぬ。

大地を震ふポセードーンその時眞先に宣んしいふ、 445

『ああわが天父クロニオーン、果なき地上人間の

ある者此後神明に心を意思を宣ぶべきか?

君は見ざるや? 髮長きアカイア族は其船の

前に長壁築き揚げ、更にめぐりに塹濠を

穿ちて、しかも神明に*いみじき犧牲怠れり。 450

壁の譽は曉光の廣まる限り大ならむ、

而して我とアポローン、ラーオメドーンのためにして、

力盡してかの*都城築きし聲譽忘られむ』

450 重大の事に當りて神に祈り牲を捧ぐるは古の聖き習ひ、アカイア人怱々の際此式を怠る。453 XXI 493 參照。

雷雲寄するクロニオーン慨然として答へ曰ふ、

『ああ大地を震ふ者、威力の汝何を曰ふ! 455

神明の中汝より腕力及び豪勇の

劣れる者はかの業に恐怖抱くもさもあらむ、

さはれ曉光布く限り汝の光譽大ならむ、

奮へ、長髮のアカイアの軍勢こゝを一齊に、

船を率ゐて打上げて彼等の郷に去らん時、 460

その時汝かの壁を倒し怒潮に投じ入れ、

廣き岸上悉く沙塵の山におほひ去れ、

かくてアカイア軍勢の壁はあとなく亡ぶべし』

かく天上に神々は言を換はして相謀る。

まなく夕陽沈み去り、アカイア軍の作業成る。 465

かくて陣中牛屠り衆は夕の食を取る。

レームノスより船あまた、ユウネーオスの遣はせる、

酒積みのせて岸にあり、彼を生めるはイエーソーン、

民の王たるイエーソーン、ピュプシピュレーは彼の母。

アガメムノーンとメネラオス、アトリュウス生む兩子息、 470

之に醇酒の千「メトラ」ユウネーオスは贈り來ぬ。

毛髮長きアカイアの諸人、舟より酒を買ふ、

そのあるものは黄銅に、或は光る鋼鐵に、

或は皮に、あるものは牛に、或は囚へたる

奴隷に代へて酒を買ひ、豐かの宴を用意しつ、 475

かくてよすがら長髮のアカイア族は樂めり。

トロイア及び同盟の軍勢かなた又同じ。

されどよすがらクロニオーン、其胸中に災難を

たくらみ高く雷震ふ。爲めに衆みな畏怖の色、

其盃を傾けて大地に灑ぎ、クロニオーン 480

神に灌酒の禮了へて、初めて酒盃口に觸る、

つづいて衆人床に就き甘き睡眠味へり。

Chapter 7 of 24
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