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七つの手紙 或女友達に
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七つの手紙 或女友達に
堀辰雄
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번역 Pagera AI
원문 Public Domain
Chapter 2 of 7

二

九月二十三日、追分にて 貴方は本當に好いときにお手紙を下さいました。貴方が何處かの海邊に行つていらつしやるとの事、一週間ばかり前に山梔子孃からいただいた手紙で知つては居ました。誰にもその行先を知らさずに、何處かへすうつと行つてしまつてゐるなんて、いかにも貴方のなさりさうな事だとは思ひましたけれど、こんな山にゐる私なんぞ位にはすぐ其處からお便りを下すつても好かりさうなものだと、けふも思つてゐたところでした。

折角お貸ししたが、そんなものを讀んでくれるかどうかと思つてゐたユウジェニイ・ド・ゲランの「日記」、そちらへ持つていつて毎日讀んでいらつしやる由、大變うれしく、「この日記には思想も感情も苦痛もこんなにある。何んと人を夢みさせ、反省させ、生活させるものではないか。いはば、忘れてゐる或メロディに何故かしら胸がゆすぶられて來るやうに、それは自分の裡に郷愁のやうなものを起させる」といふ、アミエルから貴方がお手紙の中に引いて來られた言葉は、いかにもこの日記に向はれてゐる貴方自身の靜かな姿を私に偲ばせてくれましたが、私はこの日記にはもう一種の愛讀者のある事――その愛する弟モオリスのために彼女自身は空しい生涯を送るのにも甘んじたこの美しい魂に對して思はず羨望の聲を洩らしたリルケのごときもののゐる事をも、貴方にお知らせして置きたい。最近機會があつて、この日記に就いて書いてゐるリルケの手紙を讀みましたが、その晩年の苦しい年月の間、彼を支へるべく彼のために生きてくれるやうな、そしてその人の許に彼の孤獨な生を避難させてゐられるやうな者を求めてやまなかつたリルケにとつて、この日記がどんなに貴重なものに思はれたか、――私自身はまだ孤獨なんぞと云ふものがいかに手きびしいものだかは殆ど知らぬも同樣でせうが――そのリルケの羨望に近い氣もちは私にもいささか分かるつもりです。

それはさて、貴方がその弟思ひの聖女の日記に親しまれてゐる間、私は私でそれとはおよそ反對な運命の下におかれた、女としての苦しい思ひのありつたけをした一人の女の日記のために心を奪はれてゐました。それはこの前の手紙でお話したやうな、こんどの仕事のために、私がやつとあまたの王朝時代の日記の中からこれこそと思つて選んできた「蜻蛉日記」といふ、さういふ古い日記の中でも最も古いとされてゐるものの一つです。

私の前に現はれたその「蜻蛉日記」といふのは、あの「ぽるとがる文」などで我々を打つものに似たものさへ持つてゐる所の、――いはば、それが戀する女たちの永遠の姿でもあるかのやうに――愛せられることは出來ても自ら愛することを知らない男に執拗なほど愛を求めつづけ、その求むべからざるを身にしみて知るに及んでは、せめて自分がそのためにこれほど苦しめられたといふ事だけでも男に分からせようとし、それにも遂に絶望して、自らの苦しみそのものの中に一種の慰藉を求めるに至る、不幸な女の日記です。

「唯生きて生けらぬと聞えよ」――さう、生きた空もないやうな思ひで男に訴へつづけた歎かひにも拘らず、彼女があの葡萄牙尼同樣に、「いと物はかなく、兎にも角にもつかで」、いたく年老ゆるまで生きながらへてゐたらしい事、しかし彼女らの死後さういふ皮肉を極めた運命をも超えて、彼女らの生のはげしかつた一瞬のいつまでも赫きを失せないでゐる事、常にわれわれの生はわれわれの運命より以上のものである事、――「風立ちぬ」以來私に課せられてゐる一つの主題の發展が、思ひがけず此處において可能であるかも知れないのを見、私は何か胸がわくわくするのを覺えてゐる位です。

が、それだけにまた一層悔やまれるのは、この仕事を前にして、私の身體がいまあまり好いコンディションに置かれてない事です。恐らく氣候の變り目のせゐで、こんなに元氣がないのでせう。きつと氣候が落着いたら、すぐ恢復することと思ひます。こんないくぢのない自分を元氣にさせるためにも、貴方の手紙は本當に好いときに來てくれました。それからそれと一緒にあのユウジェニイ・ド・ゲランの「日記」も。いま、貴方がそれを讀んでいらつしやると聞いて、急に自分の傍にも生き生きと蘇つてきたやうな氣のするあの「日記」の筆者みたいな、さういふ好い姉をたとへ自分がもたずとも、さういふ人のこの世に居たといふ事だけでも、何かそれに似たものにまで私を郷愁させ、それだけでも暫くなりと私を支へてくれるものがありますからね。

Chapter 2 of 7
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