Chapter 1 of 3

いま時分に、まだ花のあるところなんてあるのかしら? ――はじめて来た方角には違ひないのだが、案外だ! この様子を見ると何処か途中にでも花見の場所があるのらしいが、どうも妙だ!

何処の花だつて、もうとうに散つてゐる筈だが――花見と云つても、あの時のは芝居見物のことだつたが、あれに誘はれたのはやがてもう一ト月も前になるぢやないか! あの頃が、それでも田舎よりはいくらか遅い東京のお花見季だつた筈だ……と思ふんだが、さうでもなかつたのかな! あの時もあの連中と一緒に出かけてついでに此方に廻らうかとも思つたのだが、何といふわけもなしにお花見季といふことに遠慮でもしたい気! 遠慮でもないが、何だか臆劫な……かしら? まあ、お花見季が過ぎてから――といふつもりで、今日にしたのだつた。

それだのにこの電車の有様といつたらない、往きなのか帰りなのかも知らないが、皆なお花見の連中ばかりだ、何処に今ごろ咲いてゐる花があるのかな?

今ごろ花があつて! あんなに浮れてゐるお花見の連中! ――何だか飛んでもない国に来てしまつたやうな気がする! ……ゆうべ、さつぱり眠らなかつたせゐか寝不足も酷い! 半日あまりも乗る汽車なのだから、中で少し位うと/\出来るだらうと思つてゐたのに、それも駄目だつた……。

お天気はのどかで、とても好い日なんだが、たゞでさへ眠くでもなりさうなうら/\とする日なんだが――いくら慣れないとはいふものゝ、ほんの一寸した知らない所へ行く位が、こんなにも気苦労では、あたしも仕様がないといふものだ!

煩い/\/\! まあ何といふ騒々しい電車なんだらう、何といふ大変な浮れ様だらう、あの連中は! よく車掌さんが文句も云はないものだ。

「あゝ、のぼせあがつてしまふ。」

お蝶は、それでも他人に悟られることを怯れて、そつと呟いた。――「窓をあけようかしら? 妙ちやん、あく?」

「気分が悪いの?」

お妙は、うしろ向きになつて硝子戸に顔をおしつけたぎりで、降りる停車場を気をつけてゐたのである、お蝶に云ひつけられたまゝに――。「悪いの?」

「悪いといふほどでもないんだけれど……」

「あたしにあけられるかしら!」

訪ね先きに悪いと思つて、わざとあたり前の小娘風にお妙をつくつて来たのであるがお蝶は、気にして見る度に、そのために二人の気分までが窮屈になつてならなかつた。斯んな時には、ひよいと知つた人にでも遇ふものだ、遇つたら敵はない……お蝶は、自分の考へてゐることがわけもなく苛々して、心細く、気づくと吾ながら可笑しかつた。

「気分は、別段悪くもないけれどさ、妙ちやん! これぢや、この騒ぎぢあ、聞き損ふかも知れないからさ……」

「大丈夫よ、それは――あたし。」

「いゝえ、いけない――あけておかう。」

二人がかりで窓をあけようとしてゐると、得体の知れない西洋風のお面を頭の上にのせてゐる酔つた人が、つまらない冗談を云ひながら手伝つて呉れた。

「――済みません。」

「……お嬢さんには……」と称ばれた。他の言葉はお蝶には聞きとれなかつた。性は、とつくに悟られてゐて、反つて冷かされたのではないかしら(お嬢さん、だつて!)――お蝶はそんな気がした。

と、称ばれたお妙も、顔をあかくして可哀相にチラリとお蝶の眼をわけありさうに見た。平気に――とお蝶は眼で合図した。そして、努めて慎ましやかにその花見の人に愛想を述べた。

――「ア――といふ停車場は、まだ余程先きでございませうか?」

「ア――? ……君、知つてゐるか?」と、その人は伴れを振り返つた。

「ア――だつて? 知らないな。」

……お蝶は、凝つと眼を視張つて、お妙と顔をならべて、窓の外を見守つてゐた。二人は物も云ひ合はなかつた。――汽車路を走る電車なのだが、いやにこせ/\と走つたかと思ふと直ぐに停車場だ。止つたかと思ふと直ぐに走り出す。始めて乗る人などは、眼中にもないやうな、そんな気がした。

麦、畑、まばらな家々、こゝらも都のうちなのかしら! お蝶は、樽野の悴が、何処かその辺を歩いてゞもゐれば好いが――そんなことを割合にほんたうらしく想ひながら、畑中の道を眺めたり、何時でも直ぐに降りられるやうに支度したまゝ、止る毎に窓の外に見得もなく乗り出した。

Chapter 1 of 3