Chapter 1
(若き日の孤独を灼きつくす情熱をわれらに与えよわれらをして戦いに凍えたる手と疲れたる唇に友を亨けしめよ銀の鉛屋根の上に朽葉色の標燈の照らす夜をわれらの老いたる母のひとり眠る時明るき原と自由なる槌を、こゝに赤きプラカードのごとくわれらと共に擁する友を亨けしめよ
牢獄! 崩れた喜びと愛と思い出の蘇る日友と生活の悦びを金盞花えの雑りけなき接吻と共に鉄色の電気の溶流の瞬間の衝撃のごとく野の空気の翼の自由なはためきの中に放射状の紫の果樹の列を、裸わなる跣のくるぶしに踏みしめ悩める囚われの日々と夜の森とを忘れ友よ、美くしき少女の唇を心ゆくまで頒とう)
おゝあの美くしい日を誰が返してくれるこれはゲーテが失った彼のヒューマニズムについての歎声だっただが僕は同じ首章をもって戦いの中に、磨りへらされた一つの青春について歌うのだ僕は永久に行く――ヒューマニズムの不朽の希望についてそしてその不断に前方に波うつ自己像の前に不朽の希望にふくらんだ胸一ぱいに双手を拡げて僕は叫ぶのだおゝあの美くしい日を誰が返してくれる!と
牢獄で僕は黄銅のゆがんだ壁面に向ってこう呼んだ革命と赤旗との符号が、この凹んだ影の上に白く輝いていた友達とゆうものは女の同志にもらった可愛いゝM・ボタンのかたみのように何となつかしいものだろう僕は小さいテリヤのように病み(こゝでは弱った心臓の上を弾き台のように行進する澄んだ血の混濁さがありそして毒の沼の中で、肋骨が一本々々めりこんで行ったのだ!)飢えた昔のアヂトを夢みながらむしょうに友がなつかしくなった太陽!―――赤い自画像の中に写しとった歓呼する焔は世界の乾板の上に出没する友の肖像を灼きつけたおゝ、たちこめた層雲のような遠いなつかしい部署の中から同志は僕を呼び、僕は同志に答えた
美くしき友は来たコーカサスの氷の嶺に匍いよる紫の靄のようにバスクの原っぱの濁れた頬に巴丹杏色の太陽の接吻するように生楽のパンタポーネを鳩色の胸に燃やしながら囚われの鎖を腰に巻き憂愁に蔽われた装われたる若さもなく友は来た、常に情熱のほゝ笑みを投げながら燃える眼眸の友は来た!
牢獄の暗い窓辺を打ち開いて僕らは語り合った黒と金の海流のうちよせる向う岸の物語を赤色の心臓の列柱に交叉しては流れてゆく、静かな電流の響きを太陽の旗幟をかゝげる男と女の疲れた労働者たちをそれらの間で活動する、セクトを知らぬ若き党のことゞもをそして僕らは、目を見合せ何となく幼い日の思い出に帰って来たお互は接吻しお互の身内にふと黄昏の女囚のかすかな歌の響きに似たものを感じ合った
(黄昏の女囚の歌)
囚塀の築地を君すぎて
苦き河辺の春を呼び
返らぬ花のひともとを
接吻しつゝ投げし時
聖き晨の鐘楼に
くるめく胸は沈みゆき
頬の紅と緋色めく
衣に春は返りきて
死して違わぬ同志ゆえ
鎖を鍛ぎし大理石の
空のあなたに君遠く
時はわれらに辛かりき
光を嗣来し同志らに
花さき匂う青春くれど
我は獄に朽つるべき
さだめに笑みて君を思う
時はわれらに辛かりき
こゝには群像が欠けている小供の思い出の日のようにあの時僕は、雨のふる軌道の凹壁をひとりぼっちで歩きながら小さい世界の群を蝕もうとする絵具屋の飾窓に………窓の下の反射する赤い舗道の凹みに少年の群像を首のない少年の群像を僕は見たのだ飴色の雨滴を横つぶしに受け付け石膏の影の列はガードの下で踊っていたなぜ首がなかったか―――僕は知らないよぢれた飾幕の後を僕は敢てのぞこうとはしなかった仰向いて窓枠をゆすれ………だが自己像の不具さの中に見出した愛着は棄て難い金と赤との光線の中でガードは驀進する舗道の影を左右にゆすり僕は棒っきれの切れっぱしをやけに引きずりながら前かがみになって立ち去ったどこから棒切れを………それは問題でない茫漠たる生活のヴェールが、どこえの問題を引っさらってしまうように!だが僕は長いこと自己像の旋転する面影の群の中に自分が打ち落しもせぬ音なしの列像の前で棒きれをひっさげて突っ立っている僕自身をめつけぬように自分の少年の肉体を自分ですりつぶさねばならなかった
ひょろ長いみづきが銀木犀の傍で猫のように枝をふっているアルマーニュの谷間の忘れられた寺院が春さきのせゝらぎの中からこってり厚化粧して飛び出して来たように横肩を落してその上からのぞきこむ――古ぼけた銅像と校舎と庭園と運動場をそして持主のブルジョアが水っぽい壁の上にはりつけたレッテル―――T・M・Sずり落ちそうな古カバンを抱えだぶ/\のズボンをたくしあげ鍔広い帽子をめくって額の生際をふきながら十一から十四までを僕はこゝに通った神経質な電鈴が、錆びついた壁のひゞわれにしみこんでは百人の少年たちの海燕のような心臓をひんまげては急かし立てる校舎で猫背になり僕は室の中で真直ぐに立とうとするねずみもちのような時代を過したのだ
止めよう! 石膏のぼろ/\落ちた美術室の飾棚の上で首の落ちた少年像をまたまさぐるなんて!カラーの折り込みに苦心する級友の間で、ぼろ/\の帽子を目深かに引っかぶって僕は曲げられぬねずみもちの誇りを捨てなかったこの幼い誇りがひねくれた庇からふてくされた顔を面とさらすまでには孤独な情熱を燃やしきる鉄の火炉が沢山まだ必要だったのだ
おゝ人がかたくなな青春の銅扉の前にたじろいだ時感傷のニュアンスは何と流れるように日の旋りを経たしめたことだろう
この期間のなつかしい友人たちを僕は永久に忘れない低い鉄柵と石楠の並木の間で何となく友欲しさに交わした愛情はヒューマニズムの昂奮に燃えて探し廻った「正義」は決して忘れられるものぢゃないのだ!おゝ僕等の小さい秘密結社、「共産主義幼年同盟」それは、ぬるでとこめじんの間を匍って行く銀の光の、透き通った鉱脈の中に自分を浸しながらとめどもなく身分に脈うつ晩秋の匂いを嗅ぎ合った時生まれたのだが!
人生のイデアは、空間の境時標の上に彼のきらびやかな表象をひるがえし聖なるプラトーと帝冠を戴いたアインシュタインは生れ出た国家と斃れゆく国家の墓穴をいつでも断章で終る恋文で一ぱいになった僕等の楓の傍の石膏の並木に掘りつゞけたそしてシラー愛しきれぬ潔癖さそれからゴリキー当惑すぎるほどの、全く包擁すぎる包擁癖おゝもし世界の自己像が、浮揚したヒューマニズムの上でつまづきさえしなかったなら!
空疎な独白から眼をあげ肩をそびやかして一切の倦怠を笑い飛ばした時僕等はお互の若い眼の中に未来のコンミュニズムの輝きの発止と飛ぶ火花をおぼろげに認めたのだ僕等は十三だった!
さようなら! と僕は言ったそれは不遜な少年たちが次々に放校される順番が僕に廻って来た時だった三年后に治維法に問われたKが姿を見せなくなってから間もなくひっぺがした上のホックと下から二番目のM・ボタンをかけぬ学校に僕は永別したのだ(五年たってから、彼と同じ牢獄の編笠が僕をその下に立てた)それは本当に止まり木のようなイデアのぼろっきれからの最後の訣別だった小さい同盟員のあんなに多くが社会の嵐の中で、次々にコンミュニストに育ち次々に拷問の鉄扉の中で、始めて庇をつきのけた顔と顔とをまともに合わせえた、こんな少年の学園はそんなに多くはありゃしないんだ!
そして高知が僕等の集中的舞台だったのだ!
ここでは花崗石のきりゝと引きしまった横顔が、七千万キロの断層を形成する青ずんだ潮ざえに押し流された島々の南のいかつい太陽が槌を振って、原始の道路工夫のように幼い素朴な峡谷に硫化鉄の溶液を流しこんだ(だが、美しい峡谷を荒らすものは、暗い太陽の槌だけではない!)
北境の嶺は青紫の自由の夢の小さいかけらのように硬ばった鳥の巣石の一枚岩を、澄明な宇宙の彫像と接吻けしめる(だが、山潮のどよめきと、崩れた防風林の誇りかな歌の間に失われた自由の嶺は鋭く身を反らそうとする!)
褐色の急潮が鳥のようにきらめく紫色の翼をあげて黒い漁船の列りを載せた端正な海の横顔をはたとうつとめくるめく光焔を青い鉱床に転がしながら太陽な天空の剥片をめぐりながら一色に塗り潰された宇宙の片麻岩の岩壁のすきまえ沈んで行く二つの空は明るい暗の中に溶けこみ黒い海狼と共に、無窮の南の夜が訪れてくる猫背のようにそゝり立つ自然の中にはてしなく尾を曳く生活の歌がしわぶくようなかすかなさゞめきを立てゝ覆われて行く(だが、夜は次第に浅く、空は次第にうすれる―――昔は決してこうではなかったのだ!)
だが追憶は止めよう!こんな粗放な農地に戦いの都市が興り螺盤を結ぶ輪の中央に鉄の発動力が起って来たそれは僕等の活動の地盤だった僕等は戦いを僕等のものにし鉄の発動力に僕等を鍛えるために闘った僕等は革命のために出掛け潮ざいに呑まれて行く海燕のように、地下に姿を消したそしてあの昔の幼友達は多くの年の后、多くの所をへだてゝこの花崗岩の牢獄にまた訪れて来たのだ
僕は君を見つめ、君は僕と語っているあの混迷期が何であったろう誹謗と無能を止めよ―――党と同盟は死と裏切りの岐点の上でこまねずみのようにはげしく回転し正確にすっくと立ち上ったのだ!
僕はこんなに君を愛し君は偉大な情熱をもって僕を抱いている亡ぼされ、過ぎ去り、失われた獄の春………返らぬ命を告げられた毒殺と拷問の死刑台での、灼けるような熱情………秋空に再び萠えぬこめこじんのような蝕まれた心の傷痕………それが何であろう僕らは決して歎くまいおゝあの美しい日を誰が返してくれる!と
樹々は革命の青い精をぱっと燃やし暮れて行く空の赤潮にどっとさらわれて行った静かに燃える額を友に押しあてながら生くる日も死する日も! と古い同志の彫った石の床の上に冷い指先で僕は十一月七日! と書いた
●図書カード